当たり前のところには、自分たちで行くから、自分たちだけでは行けないようなところに案内して欲しいというちょっと変わった案内を頼まれた。すなわち、フィリピン人でも憚れるようなスコーター(スラム)、下町などにいたく興味があるというご夫婦だ。
そこで、ジェーンの兄、アランに案内を依頼して、彼の知り合いが住んでいるというパサイ市のマリバイ、トラモ地区のスコーターエリアに向かった。フィリピン人にとっても、つてなしでスコーターに入るのは危険きわまりない行為なのだ。
普 通の通りから一歩はいると、川沿いにスコーターは広がっていた。海岸や河岸は防災の関係で、一定の範囲は国有地となっている。そこを違法に占拠(スクワッ ト)しているのがスコーターだ。国有地は誰のものでもないから、危険な思いをしてあるいは非情に追い出しに躍起となる役人はいない。
スコーターだからと言って、皆が皆、悪い人ばかりとは思えないが、行くところがなくなってたどり着いた人も多いから、そこの住人以外にとっては、危険人物が多いのだ。特に、日本人がつてもなくて入り込んで行ったら、そのまま出てくるのは至難の技だろう。
中に入ってみると外見とは裏腹に部屋の中は意外とこぎれいにしている。また、洗濯物がやたらと干してあり、フィリピン人の清潔好きは、ここでも感じられる。同行した、奥さんは、慣れればここでも暮らして行けそうと感想を漏らしていた。皆、なつっこそうに、ものめずらしげに、こちらを眺めている。なかなかかわいらしい少女もいて、ジャパ行きさんの故郷を見る思いだった。
ジャパ行きさんと親しくなって、結婚の申し入れに実家を訪ねると、そこはスコーターでショックを覚え、別のところに二人の家を構えると、家族一同が移り住んできてしまった、などという話が現実味を帯びてくる。
消防車などは、中に入れるはずもないので、一旦、火事が発生したら、自然に鎮火するまで手の施しようがないと思う。特に、この辺は、上へ上へと積み木のように部屋が伸びているので、上階の人は逃げようがないだろう。どういうわけか、ここのところスコーターの火事が目立つ。
ちなみに、案内をしてくれたアランの知り合いは、本当の話かどうか知らないが、ヒットマン(殺し屋)で、警察でも一目を置いている悪だという。しかし、我々の足元を気にしたり、気のよさそうなおじさんだった。
バクララン
スコーターはバクラランに近いので、その後、バクラランの商店街に向かった。ここは、南のカビテ県の玄関口で、人々でにぎわう。ここにあるのが南のあめや横丁の商店街だ。無数の一坪ショップが軒を並べ、衣料品、靴、バッグなどを売っている。入り口には、北のキアポ教会の向こうを張って多くの信者を集めるバクララン教会があり、奥手はLRT(高架鉄道)の終点だ。
トンド
次の向かったのが、東洋一といわれるスラム街のトンドだ。ここも無数のバラックが立ち並び、一種異様な雰囲気をかもし出している。もともとここは、港の荷物、あるいはマニラ首都圏のゴミ捨て場、スモーキーマウンテンがあったところで、そのゴミを糧に生きている人々がスラムを形成しているのだ。
キアポ
北の横綱ともいえるのが、キアポ教会だ。庶民の信仰を集める教会としてはフィリピンで一番、1月9日のお祭りには数百万人の信者が集まる。教会には熱心に祈りをささげる人で溢れ、教会の外にまで信者が祈りをささげている。
チャイナタウン
キアポ教会からサンタクルス教会に向かうと、中国式の門があり、そこからチャイナタウンの中心を走るオンピン通りに入る。チャイニーズニューイヤーを間近に控え、中国の飾り物を置く店が目立つ。今年の干支は羊、それに丸いもの、赤いものが縁起物として並んでいる。
いつもの屋台で安くて、うまくて、量の多い、三拍子そろった食事を取ったが、さすがに歩きつかれて、ビールとカンコンのガーリック炒めに感激した。
グリーンヒル
このあとは、買い物のメッカグリーンヒルの向かった。前回、訪問した時は、国家警察の手入れで、一切のコピーブランドが一掃され、中はがらんとしていたが、この日は、それらの店、すべてが戻っていつもの活気を取り戻していた。レプリカ高級腕時計も健在だった。
ボニファシオ
最後に向かったのがお口直しのボニファシオ・グローバル・シティ。アメリカンセメタリーから新興のビル街を眺めて、今日の締めくくりとした。