先日、訪問中の日本人と銀行に数百万ペソという大金を下ろしに出かけた。大金を下ろして銀行を出た途端に強盗におそわれるという事件が発生したこともあるので、この日はカーネルに護衛に付き添ってもらうなど、慎重を期した。出かける段になって車に乗ると運転役のボボイの子供、タムタムが乗っているのに気がついた。まさかと思ったが、ボボイはかいがいしく後ろの3列目の座席を用意してタムタムを同行させようとしている。びっくりしたが、姉のジェーンもカーネルも黙っている。一方、自分の息子のキアンを連れて行ったのではいざという時足手まといになるからと、ジェーンは、連れて行って欲しいと涙を流して見つめるキアンを置いていったのにだ。注:タムタムは弟が出来て母親が面倒見切れないので現在、ボボイと一緒にマニラに出て来て我々のところに居候している。
同行した日本人も私も狐に包まれたように黙っていた。フィリピンでは人の子供にとやかく言うのはご法度だ。しかしボボイは平気な顔をしている。後から聞いたその日本人のコメントは、「もし賊に襲われたとしたら、子供の存在が我々を窮地に陥れる可能性もある。銃をしたためて同行したカーネルも難しい局面に追い込まれるであろう。何故ボボイは子供を連れて行ったのか、そして何故皆はタムタムが一緒に行くことを止めなかったのか」だった。もっともなことなのだが、当のボボイは一体何を考えているのだろう。私としてはタムタムに関しては一言も二言もあるのだが、親とその姉のジェーンがいる前で、子供を車から降ろせとはなかなか言いがたいところがある。
以前、私が私が所属していた会社のフィリピン子会社を経営していたころ、私の右腕とも言えるアドミのトップの子供が事務所に遊びに来ていた。それを駐在日本人の一人が守衛を使って、子供を事務所の外に出した。その報告を受けて、親の心境いかなるものかと慮って、その日本人に、「彼女は私の部下なのだから、そんな実力行使に出る前に、私に言ってくれ」と、文句を言ったことがある。そうしたら彼は「私が何か悪いことをしましたか」と食ってかかってきた。案の定、数年後、人づてに耳にした彼女の感想は「こんな屈辱を受けたのは生涯で初めてだ」ということだ。だからフィリピーノの子供の扱いはとても微妙で難しい。ちなみにレストランで子供が大騒ぎをしていて、それを他人が咎めたりすると、その親に食ってかかられる。フィリピンでは子供は天使で何をしても許され、それを他人が咎めるなんてありえないことなのだ。
(台湾シャブシャブのTiantianで「Beatiful Eyes」とせがまれて思いっきり目をつぶっておどけるキアンと初めて口にするデザートに顔をしかめるキアン。はえかけの可愛い小さな歯が見える)
後から聞いたボボイの言い訳は「その日、出かける目的を知らなかった。単に税務署に行くのかと思った」ということだそうだ。しかし、カーネルや顧客の日本人が出かけるときに、それがどんな目的であろうが、何の断りも無しに子供を連れて行くこと自体、我々には理解しがたいところだ。決して悪気も何も無いのだろうが、何故こんな非常識な行動に出るのだろうかと疑問に思う。一方、このことが問題になってボボイはタムタムに関して、こんな時どう取り扱っていいのかわからなくなってしまったようだ。
この問題は事務所で子供を遊ばせるのを私が非常に嫌がっているのに、ボボイは私の目を盗んで事務所のパソコンで遊ばせているという現象にも現れている。私は1階の事務所は、2階から上の居住エリアとは区分して、子供達が立ち入るところではないと宣言している。しかし、彼は私がいない間なら問題ないだろうと考え、私が帰ってくるとタムタムをつれてそそくさと事務所を出て行くのだ。彼にはその辺の区別がどうしても出来ないようだ。
私がフィリピンに駐在しはじめたころ、日本人のマネージメントとフィリピン人の社員と、どうやって協調していったらよいか、当地の有名な心理学者を招いてセミナーを実施したことがある。その内容は拙著「金なし、コネなし...」の第9章「日比文化交流、覚えておきたいフィリピーノ気質」のネタになっているものだが、その講義録は広く頒布され「フィリピーノとうまくやるために」と題して、フィリピン駐在日本人の古典的ノウハウ冊子となっている。その時、心理学者は「フィリピーノは公私の区別が出来ない」と教えてくれた。というか、どうもフィリピーノは公私の区別という概念を持ち合わせていないようなのだ。心理学者曰く「もし、公用の車を貸与して、私用には使ってはいけないと言っても、それを守らせることは不可能だ。だから車を与えたら公私とも自由に使ってよい。ただし、ガソリンは公用の分しか払わないとして、月々5千ペソまでなどとするのが良い。守れない規則を作って、それで規則違反ととがめてみても、いたずらに社内に軋轢を生むだけだ。」
だからボボイにとって、私用でタガイタイに遊びに行くからタムタムを連れて行っても良い、しかし今日は公用だからタムタムを連れて行ってはいけない、ということは理解できないことのようなのだ。それでも客や姉に咎められたのだから、やってはならないことなのだと認識はしたようだが、それを自分で判断することに多いに不安があるようだ。だから私は姉を通じて、「その都度、客あるいは私に了解を求めるように」とアドバイスした。
(食卓の上でしこを踏んではしゃぐキアン。勢い余って転げてもかまわずはしゃぎまわる。6ヶ月目の写真で朝青龍と称されたが、いよいよしこを踏んで暴れまわるようになった。)
それから数日して、かの日本人を皆で空港に送った。その時、姉のジェーンは日本人にタムタムを連れて行っていいかと聞いていた。我々にすれば良いに決まっているのに、彼らには判断しがたいところがあるのだ。この辺はとやかく言ってみても、文化・慣習・風習の違いだから仕方がないのだろう。フィリピーノに公私の区別はなく、まさに公私一体なのだ。
(新しいベッドが来て、自分の姿が背もたれに写っているのにいたく興味を示すキアン。何事にも興味深々で10ヶ月目の赤ちゃんとはとても信じがたい。)