若かりし学生時代、「人は何のために生きるのか」という命題に取り付かれていた。小学校、中学校、そして高校時代は、学業、受験に追われて、そんなことを考えるゆとりもなかった。そして大学に入り、親元を離れて自由になってきたとき、「自分は一体何のために生きているのだろう」という疑問をもち始めた。一生懸命勉強して、良い大学に入り、一流企業に就職することが、一体、何のためなのか。親の期待に答えるためなのか、自分の将来のためと親は言うが、納得できない。
街で見かけたGTR。前から見たら、見かけないスポーツカーだったが、後ろから見たら一目でわかった。幻の名車、ニッサンGTRだったのだ。フィリピンで買ったら雄に1000万円は超えると思うが、こんな車をあえて輸入して乗り回す人がいるのだ、と感心すること仕切りだった。
そしてたどり着いた結論が「人は何かのために生きるのではない、いかに生きるのか、が問題なのだ」というものだ。生は自分の意志で与えられたものではない、自分が今こうしているのは親の意志ではあろうが、誰もこの自分が生まれてくることは知らず、自分がこの世に生まれてきたのは、自然の営みと偶然の産物なのだ。それを、とやかく言っても始まらないから、生まれてきた以上は、いかに生きていくことが問題なのだ、と。
生後6ヶ月、70kgくらいで豚は短い一生を終え、人の胃袋に入るために、とさつ場に送られる。輸送は生きたままで行われるが、これが腐敗を防ぐ最も有効な運搬手段なのだ。
そして、息子が、そんな年になった時、私に質問してきた。「人は何のために生きるのだろう」。そして私は「若いころ、同じことを考えたが、結論は、人は何のために生きるのではなくて、いかに生きるかが問題なのだ」と答えた。それから、息子は二度と質問せず、なにか吹っ切れたような雰囲気だった。
ところが、老境の域に差し掛かった今、考えが変わってきた。「人はいかに生きるのかが問題だ」は、間違っていないとしても、より正確には「人は他人(ヒト)のために生きるのだ」が今の悟りだ。そして、「他人(ヒト)のためになってこそ、人生のいきがいであり、喜びなのだ」と。
保育園でKIANが製作した粘土の絵。自分自身で全部やったとは信じがたいが、KIAN、2歳と7ヶ月の傑作だ。
人は子供時代を終えると、まず興味を覚えるのが他人の女性だ。若いときの思い出は、ほとんど、女性が絡んでくる。ほれた女性に自分の一生をささげてもいい、なんて、しおらしい思いに駆られる。まさに他人のために生きる人生の始まりだ。彼女の気をひいて、彼女の愛を獲得して、我が物にすることに人生を賭ける。
そして、思いを遂げて結婚した後は、当然の成り行きとして、子供ができて、今度は、その子供のために全人生をかけようと、けなげな決心をする。他人のために生きる、第2弾だ。そして、子供が育って結婚し、孫ができると、その孫が生きがいになる。孫は子供よりも可愛いというが、それだけ人間として成長した証だろう。そして孫の成長を見届けて、生を終えるのだ。まさに一人前の大人に育った後は、他人(ヒト)のために生きる人生であり、他人(ヒト)の喜びが自分の喜びであり生きがいなのだ。
朝の9時にSMを覗いてみたら、入り口付近に惣菜が並んでいた。日本のデパートの主役はもはや、惣菜ともいえるぐらい、豊富で美しい、食欲をそそる惣菜が並んでいる。しかし、SMの惣菜は、お世辞にも食欲をそそるものではなかった。
しかし、姑と嫁が断絶してしまった日本の社会では、子供が結婚して独立してしまうと、生きがいを失い「私は何のために生きているのだろう、死ぬにはまだ早いし、これがどうやって生きていこうか」、と悩み始める。そんなとき、私は「人は他人(ヒト)ために生きるのだ」という話をする。そんな話を日本から来た女性と話をしているときに、マム・ジェーンに対して「人は何のために生きるのか」という問いを投げかけた。もちろん彼女は、それまで私達がどんな話をしていたか知らない。そして彼女の答えはいみじくも「People alive for other Persons-人は他人のために生きる」 だった。これには二人びっくりしたが、多分、キリスト教の教えなのだろう。
そんな悩みを持つ人にうってつけなのがボランティアだ。恵まれない子供達を面倒見る孤児院で活動してみたらどうだろうか。きっと、大きな喜びを見出すに違いない。なぜなら、人は他人のために生きるのだから。
大分前にブラカンの日本人が経営する孤児院を訪問した際、思いがけず感動して、自分もいつか孤児院を運営しようと思った。今も、現役を引退したら、ビコールの農場の一角で孤児院を経営したいと思っている。そして、そこで他人のために生きる生涯を終えるつもりだ。