2名の退職者を案内してタバコの農場を訪問した。2泊3日の短期だったが、真夏の農場はブーゲンビリアが咲き乱れ、赤ちゃんラッシュだった。しかし、マニラ周辺のような容赦ない陽射しはなくて、毎日、何度か雨のお湿りがあるすごしやすい天気だった。またそのせいでマヨン火山が顔を見せたのは2日目の早朝のほんの一瞬だった。
2日目の朝、例の双子が訪問して、農場で面倒を見ている3歳のヤナと一緒に歓迎の歌を披露してくれた。親に指示された様子もなく、3人でタガログ語や英語の歌を5~6曲披露してくれた。私にはどれも同じに聞こえたが、最近大流行している韓国ソング「Nobody nobody but you」だけは私にもわかった。右は、臨月を迎えた相棒のジェーン。
赤ちゃんラッシュの目玉は牛だ。小さめの牛なのでまだ子供だと思っていたが、その牛が赤ちゃんを産んだのだ。まだ2ヶ月しかたっていないが、もうしっかりしている。しかし、この赤ちゃん牛の誕生でわりを食ったのがボス犬のアイスだ。こんな子牛は犬の絶好のターゲットになる。だからアイスは鎖でつながれ、かわいそうに一日中吼え通していた。鎖ではあまりにも可哀想なので、緊急に2坪ほどの小屋を作って、しばらくはそこで暮らすように計らった。
ちなみに牛のことをタガログ語で「バカ」という。日本語のバカは馬鹿と書いて、馬と鹿だから、まんざら遠い意味でもないようだ。さらに水牛はカラバオというが、これは働き者を指す。フィリピンではカラバオは水田や畑の耕作の労を一手に引き受けているので頼りになる存在なのだ。
ブタ小屋にも数頭の赤ちゃんがいた。前回生まれた赤ちゃんと一緒だが、小さいほうが今回のものだ。母豚は3~4歳だが、年をとっているので生まれる子豚の数が少ないのだそうだ。したがって近々処分の対象になるそうだ。テラピアは今夜の夕食の目玉。とりたての食材で、ゲストはしごくご満悦だった。
農場では闘鶏も飼育している。その闘鶏も赤ちゃんラッシュだった。闘鶏はもちろんオスだが、生まれたばかりではオスかどうかわからない。今はみんな可愛いが、オスの雛は数ヶ月たつとあの闘志満々の闘鶏に育つのだ。鳩の赤ちゃんも生まれていたが、残念ながら巣箱の奥に隠れていて写真を取ることはできなかった。ちなみにこの暑いのに生まれたての雛にとって、電球は母のぬくもり代わりだ。
七面鳥やガチョウは今回は赤ちゃんがいなかった。1月に来たときに見た七面鳥の赤ちゃんはアイスの犠牲になったそうだ。こうなるとアイスは可哀想だが、農場のために一生犬小屋で生活することになるのだろうか。
水田は収穫の時期を迎えていた。あと1~2週間もすれば収穫だ。前回正月に来たとき田植えだったから、丁度3ヶ月だ。野菜や穀物は種まきから丁度3ヶ月で収穫できる。これは日本でもフィリピンでも共通だ。農家の人にとってこんなことは常識だろうが、私が家庭菜園をやっていて、このことに気がついたときは実に不思議だった。だから、農場では準備と後始末に1ヶ月、種まきから収穫まで3ヶ月、合計4ヶ月、年3回の収穫が可能となる、はずなのだが、どういうわけか、フィリピンで米作は2毛作だ。有機肥料をほとんど使わないので、田んぼを休ませる時間が必要なのか、灌漑用水あるいは雨の具合なのか、まだよくわからない。
農場に家を建ててから7年近くが経過した。その時植えた果物の木が実をつけ始めている。世界で一番大きい果物といわれるランカ(ジャックフルーツ)もたくさんなっていた。バナナも豊作だ。
最近雇ったメイドがカラバオ(働き者)で農場の空いている場所にたくさんの野菜を植えていてくれた。左がピーナッツ、右がキャッサバ、左下がカモテだ。右下は農場の写真ではないが、近所に生えていたアバカだ。ピーナッツは落花生と呼ばれるが、これは花が咲いた後、それが地下にもぐって実をつけるという変リだねだからだ。キャッサバは南方ではどこにでも生える芋の一種だ。。カモテは日本のサツマイモ。日本のサツマイモのように甘さはないが、どこでも育つので米の代替としていざという時には役に立ちそうだ。アバカとバナナはほとんど同じに見えるが、一方はマニラ麻として、戦前日本への輸出の目玉だった。一方のバナナは現在の輸出の目玉。日本のバナナ・ブームを支えているのがまさにフィリピンなのだ。
農場の一角にはなんとも珍しい「綿の木(コットン・ツリー)」が生えている。高さは10m以上の大きな木だ。20cmくらいの実がつくが、それが熟れるとはじけて、中から綿が吹き出す。
落ちている綿の実を拾ってみると、それはまさに綿だ、純白に輝いている綿の繊維は細く絹のようだ。しかし絹のように繊維は長くないので紡ぐのは難しいのかもしれない。だから、ここの人は中にある種を取り除いて、枕の綿にする。ちなみに果樹はそのおいしい果実を動物に食べさせて、種を遠くに運ばせる。一方、綿やタンポポはそのふわふわした繊維により、中の種を風で遠くへ運ばせるというなんとも知恵に満ちた自然の世界だ。