11月1日(木)は万世節(All Saint Days)ですべての死者が聖人となり、現世によみがえり家族と再会できる日だ。今年は翌日の2日(金)も休みとなり、土日を含めて大型4連休を利用して里帰りをする人で飛行場はあふれた。普段と違って赤子連れが多く、機内は赤ん坊の泣き声が絶えなかった。
レガスピ空港からタバコへ向かうタクシー窓からは、すでに墓場へ向かう人の列を見ることができた。そのため主要道路が閉鎖され迂回路を回らなければならなかったが、タクシーの運転手は地元ではないので、道に迷うことしばしばだった。
今回は私だけの訪問だったので、その夜、あえて喧騒の街へ出ることはやめて農場でおとなしく過ごした。ファームハウスの入り口にはろうそくが灯され、辛うじて万世節の雰囲気を味わった。ろうそくは死んだ家族の本数たてられるというが、8本のろうそくが誰を指しているのかあえて聞かなかった。ここではマムジェーンの兄の子供、ヤナ(8歳)を預かっているが、母親は数年前に癌で他界しているので、このうちの一本は彼女のものだろう。
さて、農場にしばらく滞在している息子が黒豚の放牧飼育をするのだと、準備を始めていた。黒豚は食肉用の白い豚と違い原種に近いので、イモやその葉っぱなどを主食とし、飼料を買う必要がない。ちなみに白い豚はイモなどをやると下痢を起こしてしまうという、なんともやわだ。さらに、普通の豚は雨に当たると死んでしまうそうだが、黒豚は表で飼うこともでき、肉も脂肪が薄くヘルシーだそうだ。「ビバリーファームの健康豚肉」なんてブランド売りに出したら当たるかもしれない。
一匹の子豚が5000ペソというのを2頭で6000ペソに値切って買い求めた。普通の豚ならせいぜい、1頭1500~2000ペソだから、だいぶ割高だ。この2頭を種豚と母豚に育てて、その後、子豚をネズミ算式に増やそうという算段だ。しかし、その分、イモ畑を増やさなければならないが、今のところ土地はいくらでもある。
黒豚の放牧に選んだのが入り口付近の2000平米ほどのピリナッツの林だ。5年ほど前に植えたピリナッツの苗が5mほどに育って、そろそろ動物を入れても葉を食べられたり、倒されそうにない。
ピリナッツとはビコール地方の特産品で、やわらかめのナッツで、ビコールにはピリという市もあるくらいだ。木の実がそろそろなり始めて、楽しみにしているが、このピリの木の下の木陰を黒豚が走り回るという算段だ。
かつてここにはオーストリッチとウサギを飼っていたが、その時フェンスに使った数本の丸太が根付いてしまい、今では15mくらいの巨木に育ってしまった。これが景観を邪魔して、さらにピリなどの木の日当たりを悪くしているので、切り倒すことにした。
そこで、マムジェーンから横やりが入った。大きな木を切り倒すには、例外なくDENR(Department of Environment and Natural Resources)の許可が必要だというのだ。ココナッツ一本切り倒すのにもこの国では、役所の許可を必要とする。かつて日本の商社がフィリピンの材木を高値で買いあさり(「炎熱商人」という本に出ている)、国中から材木がなくなってしまったという歴史の産物なのだろう。
さらに問題は2006年の超大型台風「レミン」でブロック塀の一部が壊れたままで、そこから黒豚が逃げ出してしまうということだ。そのため、約10mの部分の修復を開始した。はじめは常用のダニーと二人でやろうとしたのだが、ブロック塀となるとかなりの大工事で、結局、職人2人を雇ってやることにした。
息子は、ブロック塀以外の3方のフェンスを作っていた。これは全部自分でやるのだと、中に数十頭の黒豚が走り回る姿を心に描きながら張り切っていた。
以下、農場の風景だ。
一日数時間しか姿を現さないが、世界一完璧なコニーデ型の火山といわれるマヨン火山はあいかわらず美しい姿を見せてくれている。
玄関を入って家に向かう道路。この200mを歩くのが好きだ。道路は野芝(カラバオグラス)におおわれているが、轍の部分は砂利入れを繰り返し、ようやく雨が降っても安定しているようになった。
マミーのお姉さん夫婦が養漁場付近にバハイクボを建てて住んでいるが、今日は孫と二人でカラマンシーの収穫をしていた。
役所(Philippine Coconut Autority)から10年前に、ココナッツの苗を100本ほど購入して植えつけたが、今は5m以上の背丈になり豊富にココナッツの実をつけている。
幹に直接実をつけるカカオ(チョコレートの原料)も実をつけ始めている。
フィリピン人男性の随一の娯楽、闘鶏。ダシンはこの農場で10羽ほどの闘鶏を養っているが、高いものは、つがいで1万ペソほどの値がつくそうだ。当方はもっぱら朝ごはんに新鮮な生卵のお世話になっている。