3月のコロナ・ロックダウン開始以来8ヶ月目を経過し、日本やヨーロッパでは最悪のシナリオとも言えるコロナ感染第3波に突入した。そして、感染終息の見通しが見えないまま、早期のワクチン開発に望みを託すしかなくなっている。一方、ここしばらくはコロナよりもアメリカの大統領選挙が世界の耳目を集めていた。トランプかバイデンか、どちらが勝とうが目の前のコロナを追い払えるわけではないし、トランプの引き際の悪さが目だっただけの選挙戦だった。一方、当方ないしフィリピンにとっては、さらにそれよりも大きな事件がのしかかってきた。それは、3週連続の台風襲来だ。
わが農場のあるルソン島の最南端、ビコール地方はいわゆる台風銀座で、台風の襲来がない年はない。しかし、今年のように3週連続ということは私の知る限り過去になかった。台風18号(キンタ)、19号(ロリー)、そして、22号(ユリシーズ)が10月25日、11月1日、そして11日と立て続けにビコール地方に上陸したのだ。台風18号(キンタ)は名前からして小物で取るに足らなかったが、19号(ロリー)は今年度世界最強のスーパー台風と称され、2006年の台風レミンを髣髴させた「雑記帳 ビコール地方を襲った台風レミンの被害」。さらに、台風22号(ユリシーズ)は雨台風で、2009年首都圏全域を浸水させた台風オンドイに匹敵する洪水を首都圏そしてルソン島北部にもたらし、現在も浸水状況をテレビが報道している「集中豪雨でマニラは水浸し 2009年9月27日」。ドテルテ大統領が両台風の被害を視察して、緊急事態宣言を発令して国家的支援を決定したが、焼け石に水の感はぬぐえない。
台風18号(キンタ)が上陸したのが10月25日(日)、「ビコールにある我が農場の樹木は総崩れになってしまい、すぐさま復旧して次の台風に備えないといけない」との知らせが入った。そのためにまずは先立つものが必要と準備をしていた矢先、次の日曜、11月1日にはスーパー台風、19号(ロリー)が直撃するとの情報だ。農場を直撃した台風ロリーによる被害状況の詳細がわかったのは、一週間後の8日になってからだった。現地では電気、携帯の電波、水などすべてのインフラが機能を停止して、生き延びるのがやっとだったらしい。
農場被害の報告が来たころになると、今度は22号(ユリシーズ)が襲ってくるというので、泣きっ面に蜂、さらにヒアリが噛み付いてくるような状況に恐れをなした。しかし、ユリシーズは幸い北にそれて、農場直撃は免れた。しかし、その分、マニラ首都圏を直撃して、11日夜半、明け方近くまで、強い風と雨が吹き荒れた。その結果、翌日はマニラ北部のマリキナ市一帯の住宅地が2階まで浸水するという、台風オンドイの記憶を呼び起こす洪水被害を引き起こした。さらにルソン島北部のカガヤン山地でも広大な地域が水につかった。我が家はマカティでも少し高いエリアにあるので、全くの被害はなく、インターネットが繋がらない程度だったのは幸いだった。
一方、この時期は、一族の誕生日が目白押しだ。10月26日はクッキー4歳の誕生日、11月9日がココの一歳の誕生日(一歳の誕生日は、フィリピンの子供にとっては、もっとも重要なイベント)だ。さらに11月15日(本日)はパパカーネル51歳と続く。しかし、時節柄、お祝い事は最小限にして、ビコールの農場の支援と復興に資源を集中することとした。もっともコロナの制限で我が家に人を呼んでお祝いするなどというのはもっての他なのだが。
災害支援といえばママ・ジェーンの得意技で、台風レミンとまではいかないまでも、大量の食料と、大量のソーラーバッテリーをデビソリア(チャイナタウンにあるフィリピンの問屋街)で買い求めて支援物資の送付の準備中だ。因みに台風レミンの時は電柱が根こそぎ倒れ、その復旧に半年という期間を要したので、電源は必須アイテムなのだ。