3週連続の台風襲来に悲鳴 2020年11月15日


3月のコロナ・ロックダウン開始以来8ヶ月目を経過し、日本やヨーロッパでは最悪のシナリオとも言えるコロナ感染第3波に突入した。そして、感染終息の見通しが見えないまま、早期のワクチン開発に望みを託すしかなくなっている。一方、ここしばらくはコロナよりもアメリカの大統領選挙が世界の耳目を集めていた。トランプかバイデンか、どちらが勝とうが目の前のコロナを追い払えるわけではないし、トランプの引き際の悪さが目だっただけの選挙戦だった。一方、当方ないしフィリピンにとっては、さらにそれよりも大きな事件がのしかかってきた。それは、3週連続の台風襲来だ。

強い雨が降ると大喜びで外へ出て水浴びを楽しむ子供達。寒いということが無いフィリピンでは雨という自然現象は雪と一緒で子供達にとっては楽しみでしかない。しかし、この雨が現在、首都圏と北部ルソンでは大規模な洪水被害をもたらしていることを彼らはしらない。

わが農場のあるルソン島の最南端、ビコール地方はいわゆる台風銀座で、台風の襲来がない年はない。しかし、今年のように3週連続ということは私の知る限り過去になかった。台風18号(キンタ)、19号(ロリー)、そして、22号(ユリシーズ)が10月25日、11月1日、そして11日と立て続けにビコール地方に上陸したのだ。台風18号(キンタ)は名前からして小物で取るに足らなかったが、19号(ロリー)は今年度世界最強のスーパー台風と称され、2006年の台風レミンを髣髴させた「雑記帳 ビコール地方を襲った台風レミンの被害」。さらに、台風22号(ユリシーズ)は雨台風で、2009年首都圏全域を浸水させた台風オンドイに匹敵する洪水を首都圏そしてルソン島北部にもたらし、現在も浸水状況をテレビが報道している「集中豪雨でマニラは水浸し 2009年9月27日」。ドテルテ大統領が両台風の被害を視察して、緊急事態宣言を発令して国家的支援を決定したが、焼け石に水の感はぬぐえない。

台風レミンで大被害を受けたファームハウスを、将来の台風から家を守るために設置したカンヌキ。当地のドアはどういうわけか内開きで、強い風が吹くとドアが内に開いてしまって風雨が部屋に舞い込んでくる。その風圧が天井をブチ抜いて、屋根まで吹き飛ばしてしまうことになるのだ。今回はこのカンヌキが功をなして、家屋の損壊を免れた訳だが、台風レミン以来14年目にしてようやく出番が回ってきて、見事にその役割を果たしてくれた。
台風18号(キンタ)は名前からしてたいした被害はもたらさず、バナナの木を軒並みなぎ倒した程度だった。このくらいならば、一年もたてば、自然に修復できてしまうので一安心だったのだが。
台風キンタの最大の被害は紐につながれた一頭のヤギが倒木に当たって死んでしまったことだ。繋がれいなければ逃げおせただろうが、つないでおかないと身軽なヤギはあらゆる有用植物を食い尽くしてしまうので、そうもいかない。
農場内を流れる小川は普段は、わずかな水が流れているだけなのだが、いざ台風となると大量の流木を運んでくる。それが敷地内のメイン道路の橋に引っかかって川をせき止めてしまって、上流側が洪水となってしまう。橋の下は直径1メートルくらいの土管が3本埋めてあるのだが、それでは不十分で小川の全断面を保持するものでなければならない。そのため、橋の大修復が必要となるのだが、かなりの費用がかかるので、頭が痛いところだ。

台風18号(キンタ)が上陸したのが10月25日(日)、「ビコールにある我が農場の樹木は総崩れになってしまい、すぐさま復旧して次の台風に備えないといけない」との知らせが入った。そのためにまずは先立つものが必要と準備をしていた矢先、次の日曜、11月1日にはスーパー台風、19号(ロリー)が直撃するとの情報だ。農場を直撃した台風ロリーによる被害状況の詳細がわかったのは、一週間後の8日になってからだった。現地では電気、携帯の電波、水などすべてのインフラが機能を停止して、生き延びるのがやっとだったらしい。

スーパー台風ロリーの襲来で、農場の樹木は壊滅状態だったが、ファームハウスはかすり傷程度で大きな被害は免れた。地域の住宅の損壊は、甚だしいものがあり、タバコ市の由緒ある教会の屋根も吹き飛んでしまった。14年前の台風レミンのあとの屋根の補強が適切であったのだと、いまさらながらほっとしている。
ベランダの石膏ボードの天井と軒下は吹っ飛んでしまっている。2~3ミリの石膏ボードでは何の役にも立たないが、屋根が残っている限り、修復は容易だ。今回の修復では少し頑丈な材料(厚めのベニヤ板など)を使う必要がありそうだ。
駐車場においてあったトライシクルはものの見事に宙を舞って、吹き飛ばされてしまった。
農場内の小川が流木でせき止められてしまって、その上流は洪水になってしまった。上流には若干の住宅があり、浸水して、クレームが寄せられている。そのため、ほっておくわけにもいかず、何らかの対処が必要だ。橋一本となるとかなりの先立つものが必要で、コロナ禍の外国人の入国制限で、わがビジネスが壊滅状態である折、頭が痛い。
樹木のほとんどは倒れるか、死んでしまっているそうで、元に戻るには10年程度の月日が必要かもしれない。その間に再びスーパー台風がやってきて、すべての樹木をなぎ倒してしまうのではないか、とむなしくなってくる。
椰子の木々は、一見、か細いが、葉は風になびき、根がしっかりしていて、意外と強風に強い。しかも、実も葉も幹も役に立って捨てるところが無いといわれるくらいで、そのことがフィリピンのほとんど全域の山々が椰子の木でを埋め尽くされている理由なのだろう。中央右の馬は台風などそ知らぬ顔で草を食んでいる。

農場被害の報告が来たころになると、今度は22号(ユリシーズ)が襲ってくるというので、泣きっ面に蜂、さらにヒアリが噛み付いてくるような状況に恐れをなした。しかし、ユリシーズは幸い北にそれて、農場直撃は免れた。しかし、その分、マニラ首都圏を直撃して、11日夜半、明け方近くまで、強い風と雨が吹き荒れた。その結果、翌日はマニラ北部のマリキナ市一帯の住宅地が2階まで浸水するという、台風オンドイの記憶を呼び起こす洪水被害を引き起こした。さらにルソン島北部のカガヤン山地でも広大な地域が水につかった。我が家はマカティでも少し高いエリアにあるので、全くの被害はなく、インターネットが繋がらない程度だったのは幸いだった。

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コンドミニアムの前のと通りも水に浸かったが、せいぜい20~30cmの深さで、雨季になれば日常茶飯事のことだ。因みにオンドイの時は車の窓まで水に浸かったが、コンドミニアムの敷地は道路よりも1メートルほど高いので、コンドの敷地内に水が来ることはない。
こんな時はSUVとトライシクルの出番だ。勇敢に水しぶきを跳ね上げて進んでいる。だからメトロマニラを走っている車の50%くらいはSUVではないだろうか。

一方、この時期は、一族の誕生日が目白押しだ。10月26日はクッキー4歳の誕生日、11月9日がココの一歳の誕生日(一歳の誕生日は、フィリピンの子供にとっては、もっとも重要なイベント)だ。さらに11月15日(本日)はパパカーネル51歳と続く。しかし、時節柄、お祝い事は最小限にして、ビコールの農場の支援と復興に資源を集中することとした。もっともコロナの制限で我が家に人を呼んでお祝いするなどというのはもっての他なのだが。

ココの一歳の誕生パーティはキアンに比べたら十分の一程度の予算だったが、それでもそれなりの飾り付けをして、雰囲気をかもし出している。普段警察で寝泊りしているパパ・カーネルもかけつけた。KIANの誕生会 パート2 2011年5月14日
誕生日のご馳走はスパゲッティとドーナッツだけ。スパゲッティはロングライフに通じるので欠かせないようだ。この甘いスパゲッティは、私にはどうしても手が出ない。

災害支援といえばママ・ジェーンの得意技で、台風レミンとまではいかないまでも、大量の食料と、大量のソーラーバッテリーをデビソリア(チャイナタウンにあるフィリピンの問屋街)で買い求めて支援物資の送付の準備中だ。因みに台風レミンの時は電柱が根こそぎ倒れ、その復旧に半年という期間を要したので、電源は必須アイテムなのだ。

支援物資の目玉、大量のスナック菓子はそのまま食べられてエネルギー補給に最適だ。この際、ビタミンやミネラルがどうのこうのは問題にはならない。
もう一つの支援物資の目玉は、ソーラー・バッテリ-・ライト、これから電気のない生活が数ヶ月続くので、停電でも闇夜を照らすことができるソーラー・ライトが必須だ。
デビソリアで大量の物資を調達して、その発送準備に多忙のママ・ジェーン。外においてあるのはソーラー・バッテリー・ライトなどで、コロナ感染防止のための天日干しの真っ最中だ。

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