KIANはABCに苦戦 2014年11月30日


「2014年12月13日追記」

このブログを書いて数日後アティ・キムが一通の書類を見せてくれた。幼稚園で書いたサンタ宛のKIANの手紙だ。なかなか読めなかったが、そこには「僕はとてもいい子にしていたから、プレゼントにロボットをください」と幼稚な文字で書かれていた。KIANはすでに文章を書くことができるとアティ・キムは、話していた。KIANがABCが苦手だと思っていたが、どうもそれは杞憂のようだ。 

翌日には、そのプレゼントを幼稚園に届けて、15日(月)のクリスマス会に間にあわさなければならないというので、その日、早速、新装成ったグロリエッタのトイザラスを目指した。このToysRusが皆、読めなくて、Toy for Usとか、わけのわからない読み方をしていたが、当方は、誇らしげにトイザラスと読むのだと教えた。

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KIANの手紙はほとんど判読不能だが、彼が文章を書けるとは思いもよらなかった。多分、見本を書き写したものだろうが、言葉を文字で書くという概念が大事だ(左)。トイザラスの店員は一つ物を売るのに10分くらいかかって、全くの新米で往生した。また、この店はいつごろ開店したのかという問いに、店の開店時間である11amと答えるばかりだった。ちなみにトイザラスはSMのすぐ近く、2階にある。

しかし、すでに夕方の5時半、ラッシュアワーだ。家から歩いて10分ぐらいのところで、車は全く動かなくなり、あきらめて、歩いて家に帰った。運転手のボボイが戻ってきたのは、なんと7時を回っていた。

翌朝、といっても10時過ぎに再びグロリエッタに向かった。しかし、トイザラスの場所を聞いても、ほとんど誰も知らない。それは、この3年間、改修工事を行っていたグロリエッタ(1)が新装オープンにしたばかりだったのだ。外側にはHoliday Innやワタミなど新しいホテルやレストランが開店し、その対面には高層のコンドミニアムが完成間近だ。ガス爆発事件以来、再開発が続いていたものだが、マカティ・コマーシャル・センター/アヤラセンターの顔として生まれ変わったのだ。

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グロリエッタの中央には吹き抜けの大きな広場があるが、改装された部分は、大きなイベントホールとなっていた。グロリエッタの外、パサイロードとの間には、高層コンドミニアムが完成間近だ。

KIANがこのままでは留年させざるをえないと、幼稚園に脅かされて、ママ・ジェーンはKIANに家庭教師をつけた。週、3回 一回、一時間、時間400ペソで、月々5000ペソ程度、少々負担になるが、しばらくの間ということで決心した。そして、約2ヶ月が経過した。とてもやさしそうな、いかにも子供に教えることをプロとしているといった感じの先生でKIANも大好きだ。

教えることは、もっぱらABC、abc、で、その文字の発音と呼び方だ。26文字x2の52文字を毎回、繰り返すだけだ。しかし、それでは、飽きてしまうので、歌のように唱えたり、正解すると床のマス目を一歩進めるとか、先生は、色々と飽きさせない工夫をしている。KIANにとってはそれが楽しいようだ。

事務所で、教えているので、私も気になってパソコンの画面の脇から、そっと観察しているが、2ヶ月間、ABCから次のステップへは進んでいない。KIANにとってABCを覚えるのは相当苦労のようだ。幼稚園を一年間さぼった罰かもしれない。しかし、二人は、しっかりと英語で会話しているのに、今更、ABCを唱えるのは、日本人にとってはいかにも違和感がある。2ヶ月もたったのに、先生はKIANは「A little bit improved.  少しだけ進歩した」、と評していた。

自分がアルファベットを教わったのは、確か、小学校も高学年になってからだった。英語のエの字も知らないで、単に文字を教わったのだが、さほど苦労した覚えはない。そのころは、漢字を覚えるのに苦戦したころで、それに比べてアルファベットを覚えるのは、簡単だったのだろう。しかし、KIANは、すでに英語を流暢に操るにも関わらず、文字を覚えるのは、かなりの苦行であるらしい。これは、ABCに限ったことではなくて、123の数字も、KIANにとっては、かなりの難関だ(そのため、KIANを公文に通わせる計画だが、いずれブログで詳細に報告したい)。

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創意工夫を凝らした先生のレッスンにKIANは進んで勉強している。これには、TVや雑誌に出てくる文字を自分で読みたいという欲求があるのだろう(左)。私のベッドとTVの上に毛布で天井を作って、専用の小部屋にするのが、最近の楽しみだ。

2歳を過ぎてから、KIANは、言葉(英語)を覚えることに目覚しい能力を発揮した。しかし、文字を覚えることについては苦行の連続だ。これは、人間というものが言語を覚えるということについては、脳がそれに適した構造を本来的に持っている一方、ABCなどの文字、あるいは数字を覚えるという能力は、人類は本来的に持っていないためなのだろう。

人類、700万年の歴史の中で、人が、言葉を覚え、操るようになって久しい。ところが、文字が現れてから、数千年、それが世界的に普及したのは、ほんの、数百年前のことだ。それまで、人類は、文字無しで進化してきたので、脳は、長い時間をかけて言葉には対応するようになった。しかし、文字が普及してから、数百年の時しかたっていないので、文字を覚えるという能力は脳の構造として、未だ、備わっていないのだろう。参考ブログ「人は何故他人の名前を忘れる 2010年12月11日」参照。

しかし、近代の文化は、文字の獲得により、急速に発展し、文字抜きにして、現代の社会を生きて行く事はできない。したがって、KIANには苦行を続けてもらうしかないのだが、それは、小学校、そして高校を卒業するあたりまでの12年間は続くことになる。

しかし、文字、そして数字は、人間の本来的な能力ではなく、あくまでも知識として後天的に詰め込まれたものだから、このための勉強だけで、脳の容量あるいは性能が発達するとは思えない。脳そのものの発達は、やはり、人間本来の能力である、手足の運動、言語あるいは音楽や絵描きなど五感を駆使した行動でなされるものだ。だから、子供にとって音楽や踊り、友達との遊びやゲームなどを楽しむことが、頭の良い子を育てるのには必須なことなのだ。机に座って、勉強だけしていたのでは、いずれ、能力の限界にぶち当たってしまうだろう。参考ブログ「脳内革命、第2弾 2014年5月10日」参照。

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私の歯の手入れのために、小林歯科を訪問した。今では立派に成長した4人目のお子さんに診てもらったが、ついでにKIANの診察もしてもらった。機械に囲まれて緊張気味のKIAN(左)。得意のポーズで昼寝するKIANと勉学にいそしむ姉のキム(右)

文字や数字などのデジタル情報は、コンピューターの得意とするところで、インターネットなどで世界を飛び交って、現代社会を席巻し、人間の能力をはるかにこえる存在になっている。一方、人間の映像や音声などのアナログ情報の処理能力は、コンピューターをはるかに凌駕するものがある。一昔前にデジタルカメラが普及し始めたころは、画質も記憶容量も貧弱で使い物にならなかった。しかし、最近は高性能、大容量で、十分、人間の能力にかなうものになってきている。

カメラやタブレットの記憶容量が数十ギガが普通になり、パソコンは数百ギガ、場合によってはテラの世界になって、画像あるいは音声情報を処理するには、容量的には十分になった。しかも、タブレット端末の普及により、入力がキーボードではなく、画像によるアナログ的になっているので、KIANでさえも器用に扱えるようになっている。

人間が本来持っている五感で情報の入力・出力を行い、それをデジタル化、あるいは画像、音声情報として処理するのをコンピューターに任せることができる時代が近い将来、来るのではないか。デジタル情報(文字)は人間本来の能力ではないから、キーボードに象徴されるデジタル情報の処理能力の獲得に人間は多大な労力を強いられる。デジタル情報の処理はコンピューターに任せて、本来の五感を磨いたとしたら、人類の文化・文明は、さらに飛躍的に発展するのではないか。

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サイカのランチを終え、おもちゃも買ってもらって、タクシーを待つKIAN(左)。好物のソース焼きそばを前にご機嫌のKIAN(右)

現在はデジタル情報を器用に使いこなす人間が重宝とされ、学校のテストもデジタル情報の処理あるいは記憶量だけで、大学進学や就職もそれで決まってしまう。しかし、もし人間が、これらのデジタル情報を処理したり記憶する必要がなくなったとしたら、人間の能力の尺度というものが、全く異なったものとなるだろう。芸術やスポーツあるいは人とのコミュニケーション能力やマネージメント能力、創造性や独創性などが重視され、現状の文字や数字、あるいはそれらの記憶を試すテストは、全く評価されない時代が近いうちに来るだろう。これらの能力が革新的あるいは創造的発明や発見につながることはわかっていても、それを評価するシステムが子供達の発育段階では存在しないのだ。

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