最近、生理学博士のメールマガジンで興味のある言葉が紹介されていた。それは「健康長寿、アンチエイジングの秘訣は教育と教養」という言葉だ。一体、何のことか想像がつかないが、実は駄じゃれで、「今日行く」と「今日用」、すなわち今日、行くところがあって、今日、用事があるということだ。当たり前の話だが、年を取って仕事もしなくなったとしても、体が弱ってきたとしても、毎日、行くところがあってやることがある、家庭あるいは社会生活においてなんらかの役割を持っているということが、健康長寿を実現する上で重要ということだ。たとえ100歳まで生きたとしても10年も、20年も寝たきりというのでは何の意味もない。ちなみに日本では、100歳の長寿を全うしているお年寄りの80%が寝たきりというが、それでは家庭あるいは社会に負担をかけるだけだで、逆に西洋では寝たきりは20%だそうだ。
この話をとある若い退職者の方にしたら、その方は、毎日、料理をしているという。料理は、何を作るか計画し、買い物に行って材料をそろえ、そして料理、さらに、それを家族といえるような人たちと楽しんで食べる。一つのプロジェクトが完結して、実に充実するという。しかも特に外国に居住している場合、自分の口に合うものがいつでも食べられ、フィリピン人の家族にも料理を自慢できるだろうし、また、食べることは人間の最大の本能、喜びであり、生きている証でもある。まさに一石3鳥だ。
ドンボスコの帰りにサイカで食事をするのがKIANと私の楽しみだ
いくら料理といっても、それなりのテクと知識がなければ、まずくて口に入れることはできない。私としては、おいしい料理は外で楽しむことにして、仕事をしてその原資を稼ぐことにしている。しかし、それだけでは、ちょっと時間をもてあまし気味なので、KIANがドンボスコ・スクールに通い始めたのを機会に、出迎え役を買って出た。朝、6時半の見送りは、ちょっときついのでアティ・キムにまかせ、11時半の出迎えをして、そのあとランチ、さらに火曜と木曜は公文、月曜、水曜、金曜は英語の家庭教師に連れて行く。私の主な仕事は朝一で済ませて、11時にはドンボスコに向かい、午後は、公文か家庭教師、それに客との面会やデスクワークをする毎日だ。
アティ・キムは警察学校の受験のために浪人していたが、今回も失敗したので、あきらめてマプア工科大学(私立工科系大学の名門)に復帰することになり、昼間は時間がとれない。ママ・ジェーンは第2子(クッキー)を懐妊中で、動きにくい。そんなわけで私としてもKIANの出迎えという家族の重要な役割を担ったわけだ。私としてもKIANと一緒にすごせる時間が長くなるし、刺身などの家では食べられない料理を毎日食べられるし、それに健康長寿の秘訣の教育と教養で、一石3鳥となっている。
KIANも私の出迎えを毎朝「Can you pick up today」と確認に来るほど楽しみにしている。公文や家庭教師もしかりで、私が一緒に行って待っているということで、喜々として出かけていく。その時、ついでにPRAや銀行に行くのが楽しみなのだ。フィリピン人は大の子供好きだから、やんちゃなKIANはどこでも人気で、PRAや銀行に行くと方々からKIAN、KIANと声がかかる。
PRAでは職員と談笑し人気者のKIAN
受付の女の子とツーショットのKIAN、ちなみに美形のこの子はPRAの看板娘だ
そして事件が起きた。
① KIANが公文の宿題をさぼってしまった。KIANは私に言い訳を言ってほしいとせがんだが、私は、自分で説明しろと話して、彼を教室へ入れた。私がトイレから出てくるとKIANの様子が変だ。先生に宿題のことを聞かれ、パニクッて、私に応援を求めようとしたが、トイレにいた私を見つけることができない。早速、なんとか言い訳してやったが、KIANは怒りに震え、体を硬直させている。KIANが危機的状況に陥っているにもかかわらず、私が消えてしまったことに対して怒っていたのだ。いろいろなだめたが、なかなおさまらない。大好きなタブレットを渡してゲームを始め、ようやくなんとかなったが、その日は教室に戻ることはできなかった。それ以来、公文に行くときは私はガラスドアの外に待機して、トイレにも行ってはいけないときついお達しがKIANから出ている。
怒りの顔を再現するようリクエストしたがあまり迫力がない
② KIANが公文にでかけようとした矢先、私は、ちょっとタバコを吸いに外に出た。戻ってくるとKIANが雲隠れしている。3階のメイドルームで見つけたが、カーテンをつかんで必死に抵抗する。KIANは準備を終えて出かけようとしたら私がいないので、頭にきたらしい。抱きかかえても手すりをつかんだりして、必死に抵抗する。事務所にいたパパ・カーネルもさすがに見かねてKIANをしかりつけたが、そうなると大泣きだ。タクシーに乗ったあたりでようやくおさまったが、あの重さのKIANを抱きかかえて歩くことは容易ではなかった。
和食レストラン・サイカのトイレにまで私が待機することを要求する
③ 11:30にドンボスコで出迎えといっても、一人一人で出迎えの人に生徒を引き渡すのでKIANが出てくるまで10分ほどかかる。外のベンチで待っていて、そろそろかとゲートに行ったら、出口でKIANがおお泣きしている。ほんの1~2分のことだろうが、出てくるときに私を見つけることができないと、ただちに泣きはじめてしまうようだ。さらに数日後、渋滞で遅れる見込みなので、アティ・キムに急遽迎えに行かせた。私自身は10分位遅れたが、アティ・キムと一緒に待っていたKIANは、怒りで目が座っていて、嫉妬に狂う小娘のように100回ほどつねられてしまった。あとで太ももにたくさんのあざができているので不思議に思ったが、以後、絶対に遅れないようにと、やはりKIANからはきついお達しがでた。
④ 土曜日はピアノの稽古だ。来月からはドンボスコでテコンドウーの稽古が始まる。月水金の英語の家庭教師、火木が公文、そして土曜はテコンドーとピアノという忙しさだ。出迎えと公文と家庭教師、土曜のピアノとテコンドウの付き添いは私の役割だ。ピアノに行くとき、KIANは私に「Can you stay inside」と執拗に繰り返す。この日は韓国料理を皆で楽しんだのだが、そのあと、道すがらたて続きに同じことを質問する。それは教室についてからも続いて、挙句の果てには泣き出してしまった。なんどもなんども「Yes」と答えても質問は繰り返された。もちろんピアノのレッスンが終わったあとは、泣いたカラスのようにけろっとしている。
上記のKIANの異常ともいえる反応は私に限ってのことで、他の人、両親や姉には、いたってあっさりしている。なぜ私にだけ赤ん坊返りをしてしまうのか、両親も首をかしげる。たしかにKIANの私への愛着は両親へのそれを超えるものがあり、両親が嫉妬するぐらいだ。特にドンボスコの出迎えをかって出てから、この傾向が顕著になっている。
これはきばっているところ、泣いているときも同じ顔だ
ここのところ、毎晩、KIANから血糖値は?という電話がはいる。150前後であれば、食後の血糖値といては正常。200前後は要注意で、KIANから、歩けという指示が飛ぶ。コンドの中を5周ほど歩いて戻ると、確かに血糖値は劇的に下がって150前後の正常値になる。そうするとKIANも安心して眠りにつくことができる。「KIANは私が死んでしまうのではないかといつも心配してトラウマになっている、だから、私がいるべき時にいないと、私が永久にいなくなってしまうというパニックに陥って泣いてしまう」というのがママ・ジェーンの分析だ。KIANにとって私は彼の命であり、私が死んだ夢を見て、朝、目覚めると泣いていることがあるそうで、まさに恋する乙女のようだ。したがって、私が健康で長生きするようKIANとママ・ジェーンは異常なまでに気を使う。私としてはうれしいようなうっとうしいような複雑な気分だ。
確かにKIANがまだ一歳のころ、食事時は、いつも私のひざに座って、いつまでも食卓で遊んでいた。仕事をしていても机に向かっている私のひざに座ってパソコンをいたずらすることも日常だった。KIANにとって私はいつも傍にいて守ってもらえるHAVEN(避難港、安息地)だったのだ。その役割は、今も変わらず、そしてその記憶は永久に消えることはないだろう。KIANの妹、クッキーが生まれてきたら、私の関心はクッキーに移ってしまうとママ・ジェーンがからかうとKIANは案外平気な顔をしているが、果たしてどうなることだろうか。