キアンがいよいよ9回目の誕生日を迎えた。一歳の盛大な誕生日が昨日のことのように思えるが、10年近い歳月が流れたなんて信じ難い。新学期が始まると4年生だが、ティーンエイジャーも間近だ。私が齢を取るのも無理はない。
今年は、キアンの通うドンボスコスクールの夏休みが毎年少しずつ後ろにずれて、いずれ欧米と同じ9月を新年度とすることを目指しているため、夏休みの開始は4月末になること、 ホリーウィークが4月15日からであることなどの兼ね合いで、誕生日はマニラですごすことになった。
数年前の教育制度の改定でハイスクールは2年間延長されて6年となり、義務教育が6+6=12年間、日本ないし世界標準になった。キアンが小学校を卒業するまで、後、3年間、このくらいは現状維持で行くだろうが、ハイスクールの6年間はキアンの成長と私の衰えでキアンと私の関係は一体どうなるのだろうか、と最近とみに気がかりになっている。
女の子は思春期を迎える頃、なぜか父親を遠ざける、お父さん不潔とか、生理的に父親を嫌うのは周知の事実で、父親にとっての悲しい現実だ。それでいて、他の男の子に興味を持ち初めて、中学校にあがったあたりでは男子への憧れは果てしないものがある。
これについて、ある方は、これは近親相姦を避けるための本能だと仰った方がいた。そんな話を11歳の女の子を連れてマニラにやってきたお母さんに話をしたら、それは母親も同じで、とあるママさんは思春期の自分の息子の放つにおいがいやで、息子が遠ざけるようになったという。
なるほど、女の子と父親の関係は男の子と母親の関係と同じなのだが、嫌がるのはいつも女で、決定権は女にあるようだ。ならば男の子と父親、女の子と母親はどうなるのだろうか。そういう目で周りを見てみると、特にそのような決定的な別離はなくて、生涯の友であるようだ。事実、私もいまだに息子と友達のように接している。
11歳の女子を持つ母親は、そんな結論に安心したようで、いつまでも娘がべったりしていてほしい、喜んでいた。そして、私とキアンの関係も生涯の友達ですよと、うれしいことを言ってくれた。
キアンが生まれたとき、男の子と聞いて、私には3人の息子がいるから、興味無しと言っていた。しかし、生まれて一年もすると、3度の食事を私のひざでさせるなど、今になってみれば、とんでもない勘違いをしていたようだ。
この日は、住宅の売却の話をするために仲介業者と面会する予定があったので、皆でタガイタイに出かけて行った。一方、パパ・カーネルは現地集合となった。誕生日のお祝いと言っても、全員でレストランで食事を摂るだけなのだが、将来、それがキアンの思い出、宝となるのだ。
クリスマスが終わると、キアンは、次は誕生日プレゼントとばかり、指折り数えて楽しみにしていた。このときも誕生日の1ヶ月以上前から、いつ買いに行くのか、どこで買うのか、プレゼントはポケモンカードがいいと、計画に余念がなかった。
誕生日の一週間前に、計画通りグリーンベルト5のトイザラスに行って吟味した。そこで、なんとあろうに6000ペソもするポケモンカードのセットに目をつけたのだ。前回クリスマスで買ったせいぜい2000ペソ程度と目論んでいたものの、その熱意に負けて、一桁の年齢最後の誕生日ということで踏み切った。誕生日まで開けないという条件をつけたものの、私に隠れて開け始め、誕生日を迎えた時にはすべて影も形もなかった。