年末のコロナをめぐる動きはめまぐるしいものがあった。12月17日には、「その日以降に出国した9Gビザ(就労ビザ)保持者は、再入国が許される」という通達が発令された。すでに入国が許可されていたSIRV(投資家ビザ)、47a2(Pezaビザ)、9d(業務査証)等の業務関係のビザの総仕上げといったものだったが、「その日以降に出国したものに限る」という、なんとも解せない条件付で、現在、9gビザで再入国を心待ちにしている外国人にはなんとも不公平な決定だった。しかし、次はSRRVそして9a(ツーリストビザ)の番だと、いよいよ外国人の入国禁止措置が解除されるときが近いと期待させるものだった。
フィリピンの感染者数は全国で1000人/日を割り始めて、徐々に収束の兆しを見せているものの、ヨーロッパをはじめとする世界の感染者は第一波をはるかに上回る感染者数となっており、再封鎖という処置をとり始めている。日本の感染者数もうなぎのぼりで、至近では、ついに6000人を超え、フィリピンの6倍という数値になった。そのため、再度、緊急事態宣言が発出される見込みとなっている。
そんな状況で、9gビザ保持者の入国緩和措置から2週間もたたない12月29日には、日本、アメリカを含む主要な国々(20カ国、その後28カ国に増加)発/経由の一切の外国人の入国を禁止するという、一気に最悪の封鎖ともいえる規制が発令された。これは、イギリスに端を発するコロナウイルスの変異株の発生に対する水際対策だが、日本でも、ほぼ同様の規制が実施されている。さらに同日、首都圏の現状の規制(GCQ)を1月31日まで継続するという決定がなされ、ついに2年越しの自宅軟禁となってしまった。いつまでコロナと付き合わなければならないのか、気が重くなるが、ワクチンの接種も始まっているので、早期に、コロナを封じ込めるところまで到って欲しいものだ。
そんなおり、24日(木)のクリスマスイブから27日(日)までパパ・カーネルの休みが取れるので、一同タガイタイに疎開することになった。誰もいなくなったマニラの家に私一人がすごすことも出来ないので、車の中だけに留まって外に出ないという条件で同行させてもらうことになった。私にとってみれば、タガイタイに行っても、違いは、せいぜいビリッジの中の散歩ができるだけで、テレビもパソコンもないので、時間をもてあまして、やることはキアンとのトランプ遊びしかなく、気は進まないが、しぶしぶと言ったところではある。タガイタイ訪問がようやく実現した 2020年11月23日
クリスマスイブは、キアン念願のバーベキューで、急遽出署していたパパ・カーネルも戻って来て、それなりのクリスマスイブとなった。問題は、クリスマスのあと、正月明けまでタガイタイに滞在するとママ・ジェーンが言い始めたことだ。クリスマスの4連休のあと、28(月)、29日(火)の2日間を挟んで30日(水)から翌年の3日(日)で5連休となる。役所は、ほとんどの職員がクリスマスの4連休と年末年始の5連休をつなげて11連休をとってしまうので、機能していない。したがって、あえてマニラに戻る必要性はないと言う訳だ。
当方としては、携帯で最小限のコミュニケーションを取れるものの、やりかけの仕事もあって、そう簡単に「はい」と言うわけにはいかない。しかし、時節柄、急ぎの仕事もさほどなくて、調整可能と踏んだ。しかし、さらに一週間タガイタイに滞在するとしてもどうやってすごすのかが問題だ。一方、知らぬ間に小さなテレビを持ってきてあったので、インターネットTVの機器をマニラから持ってきて、日本のテレビを見れるようにするという条件で、OKとした。インターネットTVを設置しました 2020年11月2日
どうやってインターネットTVの機器を持ってくるかが問題で、同行したボボイ(ママ・ジェーンの弟)に運転してもらって、マニラに取りに行くことを考えていた。しかし、それに対してはジェーンからコメントが入った。年末年始はパパ・カーネルは多忙なため不在だ、そして、私がボボイと車を使って半日留守にしたら、車も男手も無しで、女・子供だけでは、不安だというのだ。一方、パパ・カーネルはマニラの首都圏警察署にいるので、彼ないし彼のボディガードが機器を取りに行ってくれるということで落着した。
また、新年早々のイベントである、1月4日(月)に到着予定のボルテスVの受取に立ち会えない恐れもあるので、対面のメイドさんにも受け取りを依頼した。3日間の滞在が10日を越えるとなると、何かと段取りが大変なのだ。ボルテスV(ファイブ)の話題 2020年11月28日
子供達の日々の楽しみは、マニラでは出来なかった散歩だ。天気が良いと、さすがに暑いので、早朝か日が陰る夕方が絶好だ。曇り空ならいつでもいいのだが、涼しいを通り越して寒いと感じることさえある。因みにエアコンはマスターベッドルームにあるだけだが、夜間、エアコンが欲しいと感じたことはない。ただし、なんとなく湿っぽさを感じることが多い。
散歩の楽しみは、意匠をこった豪邸や塀際の花々を眺めることだ。このビレッジには有名人も多く別荘を持っているそうで、目を見張るような豪邸が建ち並んでいる。夜になるとクリスマス・イルミネーションが美しいだろうが、子連れで夜遊びは憚れるところだ。
因みにビリッジは、丘陵地帯にあるので、坂が多い。キアンの体重は50kgに達してしまっているので、帰りに急坂に通りかかると、ぜいぜいと息を切らし始め、音を上げて、後ろから押してくれとせがむ。私としても、一昨年の肺炎での入院以来、激しい運動が苦手になっており、さらにここ9ヶ月を超える自宅軟禁で体がなまっており、ほんの30分程度の散歩でも息があがるという、ていたらく。お互い様なので、私はキアンに手を引いてくれとせがむ。
無事にインタネットTVの機器を手に入れて、日本のTV(NHK、BS、民放)が現在と過去の番組が見放題となり、これで時間がつぶせると喜んだ。しかし、それを邪魔する敵が現れた。うまく映らないのでキアンの助けを頼んだのが間違いで、キアンは、機器の使い方をいろいろトライしてユーチューブを見つけだして、チャンネル権を奪われてしまったのだ。
そして、さらに現れた敵がクッキーだ。客が来るからということで、ゲスト・ルームを追われて、地下にある部屋(斜面に建てられているので地下といっても前面にはパイナップル畑が広がっている)に移ったのだが、そこにGlobe At Home Wifiを置くと、一階のリビングとマスターベッドルームではインターネットが使えない。だから、wifiを一階に置けとママ・ジェーンの指示がキアンを通じて届く。私が使うために苦労してもってきたインターネットTVもwifiがなければ、木偶の棒だ。
昼間はクッキー、夜はキアンに邪魔されて、私は、携帯に直接インターネットを接続して、こそこそとユーチューブやヤフーニュースを楽しむしかすべがない。とにかくフィリピンでは自分だけ楽しみを独占するのはマナー違反で、皆で分かち合うというイエス様の教えに従わなければならないのだ。マニラに戻ったら早速もう一台ポケットwifiを買って、2台のwifiを持っていけば文句はあるまいと企んでいる。
正月はカビテにお住まいで一人暮らしをしている退職者に年始の挨拶をしに行くという口実で、皆で出かけて行った。しかし、タガイタイの正月は大変な人出で、行きも帰りも近道を探しながらいく羽目になった。そのため、片道30分くらいのところが往復で3時間もかかってしまった。
道中、あふれんばかりの観光客だったが、普段と違うのは、皆、マスクをしていることくらいだ。タガイタイに暮らしたら、土日は外出せず、平日に出かけるということを肝に銘じるべきだ。高齢者と子供は外出禁止なので車の外へ出るわけにいかないが、若者は普段の生活+マスクだけのようだ。
キアンの願いは道中アイスクリームを買うという一点だけだったのだが、渋滞でそれも危うかった。ビリッジの入り口のセブンイレブンでようやく事なきを得ることができた。しかし、ママ・ジェーンが、このまま帰るというので、私が買いに行くと言い張って、彼女が折れたという按配だ。アイスクリームはキアンの命なので、そんな時は私の出番となる。
一月3日の夕方には出発したかったのだが、この日は5連休あるいは11連休でタガイタイ、あるいは南方から帰還する人々で南ルソン高速道路は大渋滞ということで、正月もあけた1月4日に帰還することなった。そのため、道路は、比較的すいており、夕方、予想より一時間早く到着することが出来た。途中、スカイウエイの延伸工事を眺めることが出来たが、前回は、夜に移動したのでスカイウエイの延伸工事を見るのは10ヶ月ぶりのことだった。
そもそもこのスカイウエイは1990年代、元ラモス大統領の肝いりで開始され、バブル崩壊で途中のスーキャットまでで中断、そして、その後、アラバン出口線の工事(アラバン在住の元ラモス大統領の念願だった)、空港線、さらに今回のスーキャットからアラバンの先までの延伸工事と、この20年以上、ほとんど途切れること無しに工事が続いている。既存の高速道路を生かしながらの工事なので、車線をつぶしたりして、万年渋滞を引き起こし、まさに高速道路というよりも低速道路という印象だ。しかし、マニラの南に向うにはここを通るしかなくて、庶民は、長年万年渋滞の我慢を強いられてきた。空港スカイウエイが完成 2017年4月29日 スカイウエイの進捗 2010年1月17日 雑記帳 スカイウエイの功罪
一方、コロナで外出できなかったのですっかり忘れていたが、北ルソン高速道路(NLEX)と南ルソン高速道路(SLEX)を結ぶ、マニラ縦貫スカイウエイは着々と工事が進められており、この12月29日に無事に開通した。当面は無料ということが、まだ、料金所やETC(当地ではRFID) が出来あがっていないためのようだ。これで、悪魔の渋滞とも揶揄されるエドサ環状通りを経由しないで南北の幹線高速道路が直接繋がるので、マニラ縦断に2時間ほどかかっていたものが20分程度に短縮され、至便さと経済効果は計り知れないものがある。
昨年末、このRFIDをめぐって一悶着があった。11月末、突如として、料金所の現金払いを停止して、RFID(ETC)のみとする、と発表されたのだ。2週間程度の猶予期間しかなくRFIDの普及率はさほどでなかったので、数少ないRFIDの発行所には車が殺到した。コロナの最中、人々を殺到させるというのは時節柄殺人罪にも等しく、しかもアポが無いと受け付けないとか、やたら無用な条件が厳しい。日本ならSNSで炎上するに違いない。
そんな状態で、蓋を開けたら、案の定、高速道路にはRFIDを持たない車が殺到して、てんやわんや、未曾有の大渋滞を引き起こした。そして、北ルソン高速道路では、とりあえず全線、無料とし、さらに現金を受け付けるブースを復活させた。とにかく、南北の幹線高速道路には迂回路というものがないので、どうしようもないのだ。何のためこんな拙速な方針を決めたのか理解に苦しむが、高速道路運営会社が政府に契約を打ち切られたとか、責任のなすりつけ合いのような話も聞こえてくる。
4日の夕方我が家に戻ると、無事にボルテスVのパッケージが、まさに予告どおりの4日の午後に届いていた。実は、DHLの追跡で、31日にはマニラに到着していて、4日というのは楽勝という読みがあった。28日にDHLに持ち込んだのがから、今日で7日目、普段なら翌日ないし翌々日に届くのだが、正月三が日は、配達がなかったのだろう。
これはパパ・カーネルからのボスへの退官記念、ないし貢物となるわけだが、26日(土)に発売になって、28日(月)に販売業者がDHLに持ち込んで、4日に届いたのだから、多分、フィリピンにはまだ一つしかない貴重品だと思う。1~2週間すれば、フィリピンの販売店でも入手が可能だろうが、現在は、一つだけと言うのがマニアにとっては貴重なはずなのだ。