コロナウイルスでマニラ首都圏が封鎖(Lock Down)2020年3月15日、17日、21日追記 1


本日、2020年3月15日、コロナウイルスの感染防止策として、マニラ首都圏の封鎖(Lock Down)がスタートする。このようなことは前代未聞の出来事で、世界中がパニックに陥っており、聖域だと思っていた南国ーフィリピンも例外ではなかった。マニラ首都圏への空路、陸路、海路による出入の禁止、学級閉鎖はもとより行政機関の機能停止、イベント等の禁止、夜間外出禁止など、徹底したもので、4月13日の解除までの一ヶ月間、庶民はひたすら耐えるしかないようだ。さらに感染国(日本を含むかどうかは現時点では未確定)からの入国についても制限するというものでフィリピンそのものの封鎖とも言える。

外国人の退職ビザのお手伝いをするという商売柄、外国人の入国制限、マニラ首都圏の封鎖、行政機関の機能停止という状況は、私にとって、まさに死活問題である。当面、全ての活動が凍結されることになってしまったわけだが、今日に至る経緯を振り返ってみた。

キアンは兄弟、従姉妹をカジノリゾート、ソレイアホテルに招待して、にぎやかで豪勢なおおみそかと正月を過ごした。

年末年始の馬鹿騒ぎが終わると、すぐに私の誕生日(1月11日)がやってくる。73歳になってしまって、引退を強く意識せざるをえないが、後継者がいないので、何とかしないといけないと悩む今日この頃だ。そして、2年間の長きわたって決着のつかなかったタガイタイの住宅の販売支援で、ついに契約の詰めに到り、翌12日、タガイタイに赴いた。その帰り、危うく巻き込まれるところだったのがタアル火山の噴火だ。それから、月末まで、新聞は連日噴火の記事でにぎわった。

タアル火山の記事が下火になってコロナ・ウイルスの記事が一面をにぎわせはじめた矢先のことだ。2月3日、日本人の退職ビザの申請をしている最中にPRAスタッフがざわついて、「PRAトップからの指示で、すべての申請者はクワランティン(検疫)からコロナウイルス感染が陰性であるという証明書をもらってこなければ申請を受け付けない」というのだ。PRA通達(1)参照

そして、翌日、さらに別のアメリカ人申請者とともにクワランティンに向おうとしている矢先、PRAのスタッフから電話があって、新たに通達が出て、「中国、香港、マカオ経由でフィリピンに来た申請者のみ、申請拒否の対象とする」、と訂正されたと告げられた。これで一安心と、ほっと胸をなでおろした。PRA通達(2)参照。まさに朝令暮改も甚だしいところだが、国家の中枢がどう対処していいのかわからず混乱しているためであろうということで仕方が無いことであろう。

中国人の申請者が途絶えて閑古鳥が鳴いているPRAの受付

中国、香港、マカオ経由での入国は制限され、さらに台湾が含まれるとか含まれないとか、当方としては中国からの申請者が激減して、返ってスムーズに手続きが進んでありがたい、などと気楽に構えていた。 日本ではクルーズ船がどうとか、北海道で感染者が急増とか、話題になっていたが、フィリピンでは帰国者の数人に感染者が出たくらいで、所詮インフルエンザと同類の新型コロナ肺炎も南国では自然消滅するものとたかを括っていた。しかし、韓国、イタリア、イランなどの国で感染者が急増しているという状況で、世界的に警戒心が強まって、3月になって、当方の業務にも多大なる影響を及ぼすことになった。

3月9日の週から事態があわただしく展開していった。10日(火)から週末まで、学級閉鎖で、キアンが学校に行かない。つい先日、日本でも全国的に学級閉鎖となっていたが、何でマニラでと違和感を覚えた。 子供達がモールなどを訪れてはいけないというお達しがでているというので11日(水)のピアノ教室も欠席、さらに、この週末にはマニラ首都圏が封鎖されるかもしれないという噂を耳にして、息子の恵之一家は嫁の実家(マニラ北方100km)に避難した。一方、ママ・ジェーンは水と食料の買い出しに走った。2月初めに申請した件の日本人とアメリカ人のビザは12日(木)までになんとか発行にこぎつけて難を逃れた。

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我が家のダイニング、ソール・ガルビもがらがらだ。

そして12日(木)未明の大統領の「マニラ首都圏封鎖」の発令にいたった。これを知ったのは翌朝のフィリピン大使館からの情報( 緊急大使館情報その11(3.13) )で、すべての行政機関は機能停止するというただならぬ情報だった。

13日(金)早朝、まさに申請を直前に控えていた退職者の一家と一緒にPRAに赴いた。前日の通達によると申請は郵送で受け付けるというものだったが(PRA通達(3))参照)「これは12日未明の大統領の発令前にはっこうされたもので、変更される と思うが、どう変更されるかわからない」というので、当方としてもどうしたものか思案のしようもない。

ドテルト大統領の意を汲んだのか、ママ・ジェーンからは家族全員の外出禁止令が発令され、私がPRAに行ったことを知って、家に入れないと言い始めた。人を見ればコロナ・ウイルスと思え、外国人が多数訪れるPRAはすでにコロナ・ウイルスのたまり場とさえ思っているらしい。 一億人の人口に対して、100人の感染者とすると、感染者に出会うのは、100万分の一、0.0001%の確立であって、宝くじよりも確率が低い。しかし、感染が鼠算式に拡大するのも瞬く間であろうから「はいすみません」と降参して、せっせと石鹸で手を洗って家にいれてもらうしかない。

3月2日、日本大使館前で開かれた従軍慰安婦の抗議集会。時節柄、返ってコロナウイルスの感染拡大が気になるところで、誰も気にかけない。

件の退職者一家にとっては、申請できるのか、あるいは申請まで1ヶ月も待たなければならないのか、という切実なものだった。とりあえず、いざという時のために預かっていたパスポートを退職者に返却しておいたが、その日の内にPRAの営業部長から下記のメールが入り、内容は「PRAは一切の業務を停止する」という悲劇的なものだった。これにより退職者はすみやかに帰国するという決断を下したが、日本に帰ったら返って感染の危険が増すという危惧もあって、マニラ滞在も捨てきれない思いもあるようだった。しかし、その後のセブの封鎖と帰国便の運行停止などのニュースを聞いて、的確な判断をしたと胸をなでおろした。

Good afternoon my dear Marketers, Just heads up op.  Starting March 15 till April 12, 2020 PRA will not accept  any visitors at the PRA Offices.  Also SRRV applications even thru courier. will not be processed and accepted.  However, we will assess the situation on March 20 and inform you if there would be changes. Hoping for your understanding. Salamat

こうなったら素直にあきらめて家に閉じこもって子供達と親交を深めるのも手だろう。子供達は外出ができないとなるとストレスも溜まってくるので、私が遊び相手をしてやらなければかわいそうだ。

以下3月17日追記 

16日、夕方、マラカニヤン(大統領府)から緊急かつ重大な発表があるとの報があった。これ以上やることがあるのかと、発表を待っていると、まさかという過激な措置が発表された。 緊急大使館情報その15(3.17) 参照

ルソン島全域において、各戸ごとのクワランティン(検疫、隔離)を行なう。すなわち、学級閉鎖、役所の機能停止、イベントの中止、夜間外出の禁止に加えてモールの閉鎖、レストランの閉鎖、医療/食料供給を除くすべての経済・社会活動を停止して、国民は家に留まって感染防止を徹底せよというものだ。 さらに19日には外出制限が発令され 60歳以上の高齢者は外出禁止、 食料の買出しも各戸につき一人の外出を許すというもので、街から人影が消えた。

今朝(17日)未明、日本大使館からの情報で、大使館も当面臨時休館するとあったが、先ほど取消のメールが入った。きっと「在留邦人を保護する役割の大使館が緊急時に休館してなんとする」という在留邦人あるいは外務省本庁からクレームがあったのだろう。

一方、日本への帰国は17日の午前0時から72時間以内ならば可能(すなわち19日一杯)ということなので現在、航空窓口は混乱の極みだろう(18日追記:この方針は即日撤回され、当面、出国に期限は無くなった。しかし、帰国便が飛んでいればの話だ。なお、すでに定期便が運休しているセブからは臨時便が運行される予定)。日本からの入国については、昨日16日は実際可能であったと新聞に報道されているが、将来も可能とは限らないので、控えておくことに越したことはない

因みに上記の隔離は、国家警察と軍が実行するとしており、マニラに出入りする車はすべて検閲され、夜間に街をうろついていると警官にとがめられ、まさに戒厳令の様相を示している。しかし、ドテルテ大統領のリーダーシップの賜物か混乱なく粛々と実行され、おかげでパパ・カーネルの姿もしばらく見ていない。パサイ警察署長から首都圏警察NO.3に移動した彼は、多分寝る暇もないほどの状況なのだろう。

カーネルがたまに家に戻っても子供たちにの1メートル以内に近づけず、家の中にも入れてもらえない。クッキーは玩具の剣を持ちだして新型コロナと戦う構えだ。

以下21日追記:

20日の朝、SRRVを取得している方から連絡があって、入管が発令した、「既存のすべてのビザは取り消され、全ての外国人の入国を禁止する」という情報について問い合わせがあった。これから入国する人は良いとしても、すでにフィリピンに長年住んでいるものにとって、この事態で、フィリピンから追い出されるのか、そうだとするといかにも理不尽で、封鎖どころか外国人の行き来を助長するものでしかない。私にとっても他人事ではないので、早速PRAの職員に聞いてみても正式通知が来ていないようで、回答ができない。

その後、大使館から 緊急大使館情報その21(3.20) が届いてほっとした。すなわち、件の退職者の情報は不完全で要は大事な但し書きが抜けていたのだ。「但し、フィリピン人の外国人配偶者、並びにすでにフィリピンに滞在している外国人は除外され、ビザ延長が必要な場合は、事態が収束した後、延長等を受け付ける」という極めてリーゾナブルなものだった。これで一安心ではあるものの、事態の解決には程遠い。期限まであと3週間、どうやってサーバイブしたものやら。

ママ・ジェーンは家の中から網戸越しにカーネルを迎え、近づくことを躊躇している。

コロナ・ウイルスそのものよりもその感染防止策の方が当方には影響が大きいが、ヨーロッパでの爆発的感染を見ると、ドテルテ大統領のすばやい決断が効を奏して早期に収束することを祈ってやまない。また、私としても当分、引退などと甘ったれたことを言っている状況ではなさそうだ。


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One thought on “コロナウイルスでマニラ首都圏が封鎖(Lock Down)2020年3月15日、17日、21日追記

  • kujira

    学生時代Lock outは知っていても、Lock downは知りませんでした(笑)。Sta Rosa市付近でも感染者が出たそうですが毎日夕方、団地内をヘルパーさんと小一時間ほど歩いています。皆さんも健康に気をつけて困難を乗り切りましょう。
    人間は目標を明確にすれば災害にも立ち向かえます。日本は政府が腰砕けのようですが海外の我々は情報共有で明るく頑張りましょう。志賀さんもチコちゃんに叱られるで!