昨夜、NHKで、いじめをテーマにした特別番組をやっていた。いじめを苦に自殺する生徒は、日本ばかりでなく韓国やヨーロッパでも多発し、社会問題化しているという。学校や地域がその撲滅に取り組んでいるが、番組では各地の取り組みを色々紹介していた。例えば、スマートフォンで直接校長先生に悩みを打ち明ける仕組みを作り、そこでは早期発見や秘密厳守が大事だという。学校外のNPOに連絡を取る方法も、人に知られずに済んで効果的だという。
従妹のイアの髪を引っ張っていじめるKIAN。KIANにとっては遊びだが、いじめられ役のイアにとってはたまらない。
わが子を虐待して死に至らしめるというニュースも頻繁に聞こえてくる。地域で監視して家庭内でこのような虐待が行われていないか、早期に発見して子供を保護することが肝心だという。
そうなると日本人は、まず、母親から命を授けられても、生まれる前に殺されてしまう(堕胎されてしまう)か、無事に生まれても幼少時代は親に虐待され、青少年時代は学校でのいじめにおびえ、社会に出ると上司のパワーハラスメントで新型うつ病になる。こんな社会だったら部屋=自分の城に引きこもるか、他人や家族とも縁を切って無縁社会で暮らすしかないだろう。そしてまた、介護が必要になったら、再び施設や家庭でのいじめや虐待が待っており、介護難民にもなりかねない。そして最後は自殺か無縁死で一生を終えるのが日本人の大多数の一生ということになってしまう。
「Angry Kian Yang」言って人を指鉄砲で撃ちまくるのがKIANの怒ったときにスタイルだ。怒ると目が鋭くなってなかなか迫力がある。
番組では、いじめにせよ虐待にせよ、その解決方法としてテクニカルな方法ばかりが議論されて、その原因について全く論及されなかった。いわゆる病気に対する対処療法だけで、いじめや虐待のない社会作りという観点は全く議論されていなかった。私の子供のころは虐待やいじめなど全くなかった。なぜなかったのか、多分それは日本がまだ貧しくて、家族が寄り添って姻戚が頼りあって生きていたからに違いない。あるいは人口授乳で育って母親の乳房を知らずに育ち、コンピューターゲームのバーチャルな世界に浸り、人間同士の触れ合いに欠如して育ったからなのか。
パンシットカントン(焼きそば)と肉まんだけの粗末な食事だが(13人で1300ペソ足らず)、皆で食べることが家族の絆を養う大事な行事なのだ。
フィリピンでは虐待もいじめもない。貧しいながら皆、幸せで生を謳歌している。彼らから見れば日本はとてもリッチで憧れの国ではあるが、それは大いなる誤解の産物だ。フィリピン人にとって、深刻な問題は金だけだ。そのほかのことについては何の悩みもない。だから金さえあればもっと幸せになれると思っている。確かに正解だが、その先のことは想像がつかないらしい。
トライシクル(商業用サイドカー付のオートバイ)に親戚一同十数人が乗り込んでお帰りだ。ここには幸せが満ち溢れている。
飽食、核家族そして家族崩壊=メタボ社会という不治の病にかかった日本を救う道があるとしたら、それは貧困に逆戻りさせることだろう。最近、再上場を果たしたJAL、そしてルノーとの提携により再生したニッサンなど、再生には大いなる痛みが必要だった。これらは外部の力、京セラの稲盛会長やルノーから派遣されたカルロス・ゴーンだからこそ成し遂げられた。しかし、今、日本が外部の力=経済破綻、自然災害、放射能汚染などが原因で再び貧困に陥ったとしたら、すでに家族という伝家の宝刀を失った日本人は耐えることができるだろうか。