フィリピンの街を歩いていて横丁を覗くと、まさにうじゃうじゃと表現されるほど子供が遊んでいる。一方、日本では団地でも子供の姿を見るのはまれだ。なぜこんなに子供がいるのだろう。経済的には決して楽でないはずの人たちが、まるで見境もなく子作りに励んでいるようだ。
フィリピン人の子供を愛する様は尋常ではない。行儀が悪いからと、他人の子供を叱ったりすると、親に怒られる。子供だから何でも許されるのだ。フィリピンはまさに子供天国だ。女性の夢は子供を持つことで、子供たちに囲まれて、たとえその日食べるものがなくとも、幸せなのだ。一方、男性はひたすら女性を口説き、ものにしようとしている。その結果次々と子供ができるのだ。
子供ができると男性も観念して結婚するようだ(逃げてしまう男性も多いようだが)。したがって、子供を育てるのは女性の仕事だ。男に逃げられても、旦那が失業中でも、女性はたくましく子供を育てる。それが生きがいであり、使命なのだ。そして、フィリピン中いたるところに子供があふれることになる。しかし、彼らは親にとても愛されて幸せなのだ。フィリピンには、実の親による子殺しなど決してない。人間として本来のものが強く機能している気がする。
甥や姪に囲まれて幸せそうな私の相棒
フィリピン政府では、この子沢山の傾向を是正しようと必死だ。これは世界的傾向だが、堕胎が法律で禁止され、避妊でさえも嫌う傾向にあるフィリピン人に対しては無駄な抵抗とも思える。なにしろ子は宝、神からの授けものという意識が脈々と生きているのだ。その場合、フィリピンの将来はどうなってしまうのだろうか。
一方、日本では、団塊の世代が60歳を迎えつつあり、国民の老齢化は深刻な問題となっている。国民の大多数が老人になってしまったら、誰がこの老人を支えるのだろうか。いくら技術や機械があっても、それを使うのは人間だ。その人間がいなくなったら国は滅ぶ。
人口が増えるというのは国にとって大変な負担かもしれないが、人口が減っていくあるいは老齢化していくという現象に比べたらはるかにましだ。いつか日本の老人がフィリピンの若者に介護というだけでなく、経済的にも支えられる時が来るのではないかという気がする。