スコーター潜入
農場から戻ったその足で、パサイ市にあるスコーターに向かった。すでに、紹介済みのスコーターだが、橘さんには、初めての経験で、つぶさに内部を見学した。前回に比べて、対岸のかなり奥くまで足を踏み入れたが、川はごみで埋まり、いかにもスコーターらしさをかもし出していた。しかし、人々にカメラを向けると笑顔が返ってきた。橘さんによると、タバコ市のスコーターは、ここに比べたら、高級だと表現していた。
孤児院
以前、何度かたずねたことがある孤児院だが、子供たちは学校に行っており、あまり人影がなかった。10人足らずの幼児が勉強していたが、前にも思ったことだが、活気がなくて子供らしさがない。橘さんに言わせると、早く貰い手がつくように、よく調教されたペットのようだと。寄付金でまかなわれているのだろうが、子供たちのための金なのか、金のための子供たちなのか、疑問がわいてきた。
ボニファシオ
フィリピンの最新鋭都市、ボニファシオ・グローバル・シティ(BGC)のハイストリートを歩いてみた。そこは、フィリピンらしさがひとかけらもない、まさにグローバル都市だ。企業の命令でフィリピンに赴任する日本人の妻たちは、ここを住まい探しに名指しするというが、たしかに、外国というイメージ通りのところで、好きでフィリピンにやってきたわけでもない人たちの住まいにはふさわしそうだ。
MOA
モールオブエイシアは、相変わらずの賑わいだが、この日は、旧正月に直後ということで中国式の飾りでにぎわっていた。
City of Dreams
やはりここも国際級でその規模に圧倒される。かなりの人でにぎわっていたが、Dream Playの会場も間近のようだ。
バクララン
マニラ新聞記者で作家の水谷さんが「日本を捨てた男たち」の中で描かれたバクララン教会に沿って発展した問屋街。ちなみに、水谷さんとは先日、橘さんと一緒に食事をとったばかりだ。
シーサイドマーケットレストラン
観光地の一つでもある、モールオブエイシアの近く、マカパガル通り沿いにある。ここで専用のマーケットで食材を買い、周りのレストランで調理してもらうもの。この日は、ラプラプ、牡蠣、生きた小えびはすべてスチーム、貝のジンジャースープ、海ぶどうのサラダとすべてあっさり味で料理してもらい、シーフードを満喫できた。めったに見ることもないロブスターや大きなブラックタイガーやカニは見向きもせず、安めの食材を少なめに買うのがコツだ。
サンアンドレスとトンドのスコーター
この日の目玉は、スコーターの真打、サンアンドレスそして、トンドの訪問だ。相変わらず道路からながめただけだが、圧倒的な存在感がある。特に、チャイナタウンの近傍、パシッグ河沿いのビニールで覆っただけの犬小屋のような家は、スコーターの中の低級といえるだろう。
キアポ
キアポは、相変わらずの雑踏だたが、キンタマーケットの入り口で乳飲み子を寝かしながら商売をしている母親に、なにか昭和初期の風景を見る気がした。
ゴーゴークラブ、カラオケ、ナイトクラブ
マニラは三日間、午後から案内したが、毎晩、花街の視察を行った。ゴーゴークラブ、ナイトクラブは、欧米人やフィリピン人の遊び場でピンとこなかったようだが、やはり、日本のフィリピンパブ=カラオケがお気に召したようだ。大き目のカラオケ、「イルージョン」とマカティでは古手の「夢の中へ」の二軒を回ったが、両方ともそこそこ客が入っていた。エルミタ・マラテは通過しただけだが、軒を連ねるカラオケの前で呼び込みをするGROの熱気が伝わってきた。