ブログへの登場はしばらくなりを潜めているが、相変わらずいつも私と行動をともにしているキアンだ。そのキアンに大いなる試練がやってきた。
今年は新学期が7月から始まったが、キアンもいよいよ3年生だ
先日、親しくしている札幌の退職者の誘いがあり、冬の北海道家族旅行が現実化しつつある。はじめはキアンと二人だけの日本行きのはずだったが、パパ・ママに加えてクッキーまでが付き添うことになって、総勢5人の大旅行となってしまった。パパカーネルの長期休暇取得とキアンの学校休みの都合で、年末クリスマスをはさんで一週間の旅程を組んだ。年末はさぞ航空チケットが高いだろうと検索してみるとエクスペディアでマニラー札幌、往復5万円/人・程度で買えることがわかった。格安とまでは行かないが年末にしてはオンの字だ。しかし、9月10日から運行されるはずのPALの直行便は見当たらず、乗り換え時間を含んで14時間とはいかにも辛い。しかし、2日がかりでゆっくりいけば、乗り換え時間を利用して、韓国、台湾、あるいは東京も見物できるという息子のアドバイスで、結局東京経由で行くことにした。それでも同じ5万円少々だから返って得な気がした。日本に行ったことがないカーネルのたっての願いで往復は早足で東京見物も組み入れることになった。ママ・ジェーンの念願のママ・のぶ子さんとの夕食会も実現するかもしれない。
7月6日PRAの創立記念パーティ、18歳未満お断りのはずだったが、PRAのユニフォームに身を包んだキアンは当然のごとく参加した
一方の私の肺炎での入院をきっかけに家族全員の肺のレントゲン検査を行った折、キアンが結核に感染しているという疑いがあって、予防のために薬を3ヶ月飲むように医者からアドバイスされていた。しかし、キアンは錠剤を飲み込むことが出来ず、液体の薬にしたが、それも血液を飲んでいるようで気持ちが悪いとどうしても薬が飲めないでいる。一見、まったく健康で、そんな心配はないと思うのだが、医者は執拗に繰り返して、鉾をおさめない。そんな心配を抱え続けるのもいやなので、「このままでは、日本の入管に入国を許可されないから、なんとしてでも薬を飲んで憂いを取り去ろう」という提案をした。キアンもそれには納得しているようだった。
7月20日札幌の客の農場視察に同行してレガスピ空港に降り立ったキアン、客先接待係の面目躍如といったところだ
金曜の夜、遅く帰ってきたママジェーンとパパカーネルの特訓が始まった。私は、寝てしまっていたので、その様子を聞いたのは翌日、ピアノにキアンを連れて行ったときのことだった。早朝寝起きに携帯を見ると「キアンの罰として私との食事、パソコンを禁止する」というメッセージがママ・ジェーンから入っていたので、キアンは薬を飲むことができなかったのだと予測された。10時過ぎキアンを起こしてピアノ練習に行く準備をさせると腫れ目のキアンはなんとなく元気がない。夕べはこっぴどく叱られて泣き寝入りしたらしい。
農場からの帰還の飛行機の中でくつろぐキアン。私と一緒にいるときがキアンの最もくつろげる瞬間だ。出発前、ジェーンが同行すると言ったら、キアンのがっかりした様子に笑ってしまった
すったもんだの挙句に果てに結局キアンとのランチの許可が下りて恒例の樹海での食事となった。キアンに夕べのことを聞くと、やはり錠剤を飲み込むことができず、パパ・カーネルに壁に向かって立っていろ命じられたとのこと。また、「ママが怖い(I’m scared of mommy)」としみじみつぶやいていた。同席したジェーンの兄、アランもあまりにキアンが可哀想なので止めに入って、ようやくキアンへの折檻が収まったとのこと。キアンは、私にしがみついて甘えていたが、自分が愛され守られているという実感を感じようとしていたのに違いない。
7月22日デュシットホテル、パントリーのビュッフェに招待されて、大盛りの料理におどけるキアン、食べ放題のアイスクリームも無常の喜びだ
問題は、キアンが大きめの錠剤をどうしても飲み込めない、という単純なものだ。これは物理的に飲み込めないのであって、単なる物理現象であり、子供の責任ではない。だったら飲めるように工夫してやるのが親の責任であろう。それをあたかも悪さをした子供を叱るように折檻するというのは全くの見当違いだ。マット運動や鉄棒ができないからといって先生が子供を張ったおしたり壁に立たせたりするだろうか。何故出来ないのか、できるようにするにはどうしたらよいのか教えるのが先生の役割だ。その辺は、日本的発想かも知れないから、ジェーンに兄としてじっくり話して欲しいとアランに頼んだら、横で聞いていたキアンが「僕はわかる、I understand」とすかさず口を挟んできた。彼の側に立っている人がいると言うことを認識して心がめげてしまわないよう祈るばかりだ。
ドテルテ大統領に施政演説のために休みとなった7月23日(月)、タガイタイでの会議に同行したキアンはタアルビスタホテルでの会食後、タアル湖の絶景を楽しんだ
夕べはキアンが泣き喚いても責めの手を緩めず、二人で叱り続けたに違いない。傍で見ていて見かねておじさんが助け舟を出して止ったわけだが、その時点では両親とも我を忘れてパニック状態になっていたに違いない。下手をすると最近良く報道される虐待死に至りかねない状況だったのだろう。そうでなくとも、キアンの私への傾倒はますます強いものになっている。先日、キアンがそれとなく発した、「ダダ(私)無しでは生きていけない(I can not survive without Dada)」という言葉が現実味を持ってくる。
農場行き、デュシットホテル、タガイタイといつも置いてきぼりのクッキーのためにこの日はショウロンパオの食事につれていってやった
ピアノから戻って一休みして降りてみると、再びキアンの折檻が始まっていた。私がオブラートを見つけてそれで何とかできないものかと口を挟んだら、親が子供を叱っている(私には折檻ないし虐待と映るのだが)は口を挟むなと言われて、匙を投げた。夕食時になって食事に誘うとキアンは眠そうな目をして出てきて、「寝ることが僕のペナルティーだ」といっていたが、また泣き寝入りしていたらしい。寝ることが親の折檻を逃れる唯一の方策のようだ。キアンはパパ・カーネルにこずかれさえしたようで、たたかれた胸が痛いと訴えていた。傍から見ていて異常とも思える状況では、本人たちは子供のためという信念から発していることはわかるのだが、それが高じて虐待の領域に入りかけていることは本人たちにはわからないものだ。
毒母あるいは毒婦という言葉があるが、子供が思うようにならないと叱りつけたり暴力を振るうという母親が日本でもあとをたたない。それが続くと子供は人との付き合いがうまくできない、精神的に安定していない、常に人の目をうかがう、などなど精神欠陥をもった大人に育ってしまう。傍から見ているとまさにその典型なのだが、キアンがどうのこうの言う前に、キアンの人間性を破壊しようとしているのは当の本人であることを自覚させないとやばいことになる。
管理を任されているワン・サルセド・プレイス・コンドを訪問した折、止っていた憧れのポルシェの前で
翌日曜の朝はキアンの散髪に行くと言って3人でそそくさと出かけて行った。両親もさすが叱り疲れたのか罪の意識が沸いてきたのか、キアンの心がどこかへ行ってしまわないようにキアンの機嫌をとる接待攻勢にでたようだ。こんなことが続いたら、私がキアンを連れて家を出て行ってしまうということさえありうるのだ。これでキアンが錠剤を飲み込めるようになれば何の問題もないのだが、いずれにせよキアンが良きにせよ悪しきにせよ一家の台風の目玉であることに変わりはないようだ。
それにつけても冬の北海道が楽しみだ。雪と戯れるキアンとクッキーが目に浮かぶ。出来れば息子夫婦とリオも同行したいのだが、今のところ出稼ぎ中の息子からはOKサインが出ていない。