フィリピーノに文句を言うといい訳をくだくだと続ける。私たちにとっては間違いを素直に認め、もう繰り返しませんと反省してもらうのがもっともありがたいだが、間違いを認めようとはしない。これでは改善も無いと思い、しつこく追求する羽目になって、こちらもつい熱くなってしまう。これは、彼らが間違いを認めると有罪ということになって、処罰されてしまうということが心配なのだ。裁判といっしょで決して罪を認めてはいけないのが、フィリピンなのだ。
ならばどうしたらよいのだろうか。彼らがやった事が、間違いと責めるのではなくて、このように変えればいかに彼ら自身にとってよいことなのか、あるいは得になるのか、説いてやる必要があるのだ。あるいは次回からこのように変えてくれれば私は大変うれしくて、サラリーも上げてやりたくなるとか。