訪比中の退職者お二人をスービックとアンヘレスに案内した。今回は前回と違い車で行ったので、前回訪問できなかったところを色々案内することができた。マニラースービックーアンヘレスーマニラの旅程で、2泊3日、460kmのドライブ旅行だったが、運転手役を買って出た私はぐったりと疲れてしまった。
スービックは東京23区と同じ面積というだけあって、さすがに広大だ。そのほとんどは自然林で熱帯のジャングルを間近に見ることができるフィリピンでも数少ない穴場でもある。スービックの市街地から車で20分ほど走るとイルカや鯨の芸が見れるオーシャンパークやトラの放し飼いがしてあるズービック(ZooとSubicをもじった名前)に到着する。その間、サルの家族が道路で戯れている光景に出会う。また、今日はズービックの入り口で動物園のヤギの群れの散歩風景にも出っくわした。 ここではトラの赤ちゃんと戯れることができること、放し飼いのトラの中へ車で入れることなどで有名だ(トラの赤ちゃんの写真はズービックと提携しているタガイタイのミニ動物園で撮影したもの)。
ここは飛行場、港、ゴルフ場、海浜、カジノなど都市及びリゾートの機能のすべてを兼ね備えており、ヨットハーバーには数え切れない大型のヨットやモーターボートが係留され、お金持ちの集うリゾートタウンでもある。
スービックはSubic Bay Freeport Zoneと呼ばれ、オロンガポ市に隣接した経済特別区で、数多くの企業や外国人が居住している。ご承知の通り、1990年初頭まではアメリカの海軍基地であったが、今でもその周辺には退役軍人が住んでおり、アメリカ式の遊びどころが多数ある。その最たるものがービックからす北へ7kmほどのスービック・ベイという紛らわしい名前の海浜リゾートだ。ここには海辺のホテルに並んでアメリカ式のゴーゴークラブが建ち並んで、昼間から白人で一杯だ。この日は丁度フィエスタ(祭り)で屋台がたくさん出ていた。
スービックベイの街並み
ここに住む白人はいかにも退役軍人らしく大きな体に刺青を彫った人たちがほとんどだ。昼間から、そして明け方までバーで酒を飲んでいる。こんな人たちを恩給で養うアメリカ政府の出費も大変なものだろうと、余計なお世話かもしれないが心配になる。
翌日はSCTEX(Subic, Clark, Tarac Expressway)を経由してアンヘレス向かった。このSCTEXが一体何を指すのかわからず、往生したが、しばらく考えて解読できた。 NLEX(North Luzon Expressway、マニラとアンヘレスを結ぶ高速道路)からスービックに入ろうとしてもスービックの文字が見当たらず、その代わりにSCTEXとしか書いていないから、わけがわからなかったのである。
アンヘレスはご承知の通り、スービックのオロンガポと同様、アメリカの空軍基地に隣接し、栄えてきた街だ。現在はクラーク経済特別区をひかえる街として発展している。クラークはスービックと違いだだっ広い平野の中にあるので、開発すべきエリアはほとんど無限とも言える広大さだ。いずれここがスービックを追い抜いて一大産業地帯となるのは間違いないだろう。マニラの国際空港をここに移して、マニラとの間を高速鉄道で結ぶという構想もあるくらいだ。
昼食を「NARUHODO」というマッカーサー通り沿い(現地ではマック・アルトーと発音する)、カジノの向かいの日本料理店でで取った。このレストランではVolcano(火山)ラーメンが売り物で、熱した石のお椀でラーメンをぐつぐつ煮立てて食するものだ。 そのほかとんかつやすし、さしみと一通りの日本料理が楽しめる。
オーナーの野口さんは69歳とはとても思えない元気で、まさに豪快な話しっぷりには、毎回感心させられる。やはり若い奥さん(24歳のフィリピーナ)を持つとこうなのかと納得する。ちなみに彼女との間には2歳のお子さんがいるそうだ。また近い将来、向かいのカジノの中に出店するそうで、裏手のカラオケの開店ともあわせて大忙しとのこと。
アンヘレスの目玉は、やはりフィールドアベニューのゴーゴークラブ街だ。行く度に衣装を変えた呼び込みの女性が目を引く。世界的経済危機がここまで波及してきたのか、心なしか人出が少ないような気がした。まあ、恩給生活のアメリカ人が主要なお客だから、無理ないかもしれない。