退職者の方お二人を伴って、アンヘレス、スービックを旅した。バス、ジープニーそしてトライシクルを乗り継いで、安宿に泊まる金なし旅行だ。もちろん何の予約もアポもない行き当たりばったりの2泊3日の旅だが、無事に目的を果たして戻ってきた。アンヘレスはいつものパターンだったので割愛し、スービックで出会った新しい側面を紹介する。
スービックは海岸沿いに港、工業、商業などのインフラが整備され、山側に住宅が配置されている。そして30分ほど奥まったところに各種レジャー施設がある。ここだけで生活に必要なすべての施設があり、フリピンにいながらにして外国へ旅した気分を味わえる。この日は3連休の中日とあってどこも人で溢れていた、といってもマニラの混雑とは比較にもならないが。
スービックのちょっと奥まったところにKalayaan Heightsという地区があるが、かつて米軍の将校が住んでいた高級住宅街だ。下の写真のBinictican Heights(左)やForest Hills(右)とは格が違う住宅街で豪邸が立ち並ぶ。Binicticanには日本人の経営するTropical Paradiseがあって、日本人の要介護のお年寄りを受け入れることになってはいるが、実際は短期宿泊の方が中心だ。Forest Hillsは最近開発されたもと中間クラスの軍人が暮らした住宅街だが、現在ではほとんど韓国人の家族が暮らしているそうだ。両方ともゆうに数百軒の家が建ち並んでいる。
スービックの海沿いはまさに横浜や神戸の港だ。現在でも航空母艦がはいる桟橋もあるが、商業用の設備が新たに建設されている。病院も大きなものが2件開業ないし開業準備をしている。左の写真は最新鋭のコンテナヤード、右の写真は港の反対側に建設された韓国ハンジンの造船所だ。
おなじみのズービックはトラの放し飼いが売り物だが、入り口に当地の原住民であるアエタ族の人々を外に配置して特長を出している。こんな感じの人たちはマニラでもいることにはいるが、全員髪が縮れているのがアフリカやオーストラリアの原住民との共通性を感じさせる。きっと彼らにはフィリピーノ・タイムや報連相などとは無縁な生活をしていたのだろう。しかし、現代はきっとテレビや携帯を買ったり、電気代を払うために現金収入が必要なのだ。だからこんな客寄せの仕事をしている。
スービックのもう一つの目玉はオーシャン・アドベンチャーで、水族館やイルカショーをやっている。その隣にあるのが、スービックで一番にぎやかな海水浴場だ。最近そこにはホテルが建設され、外国人でにぎわっていた。一室100ドル近くして、必ずしも安くはなくて、我々金なし族には手が出ない。
今回初めて覗いてみたのがTree Top Adventureで、周囲にはもと下級兵士のかまぼこバラックを宿泊施設に改造したものがたくさん並んでいた。また、木の上のレストランや人間ロープウエイなど若者が楽しめそうなフィールド・アスレチックだ。
住宅街へ向う途中、たくさんの乗馬を楽しむ韓国人の家族に遭遇した。同行した退職者は北朝鮮の挑発はどうなったのか、彼らは気にならないのかと、首をかしげていた。リゾートも韓国人で埋め尽くされ、クラークに続いてスービックも韓国人に席巻されているとしみじみ感じる。
この日の宿泊はスービックあるいはオロンガポから北へ15分ほど走ったバリオ・バレトだ。ここならスービックの半値以下で泊まることが出来る。しかしながら、この日もまた連休の中日で、海沿いのリゾートは一泊2000ペソ以上の部屋しか空いていない。海に面していないホテルなら安かろうと探してみると、近くにANVONというホテルがあった。案の上1200ペソという値段を聞いて即決した。しかし安い分、夜中に蚊に悩まされることになった。
街中にはプレスリーとあだなのついた歌手のショーの看板が目に付いた。この国では未だにプレスリーもどきが売り物になるのだ。プレスリーは1960年代に活躍して、すでに死後30年はゆうに経過していると思うだが。一方、さらに古いマッカーサーの看板がかかったバーがあった。ここには第2時世界大戦中、日本軍が実行した「バタアーン死の行進」の絵も描かれていた。4月9日は「英雄の日」という祝日だが、1990年代はまだこの日を「バタアーン死の行進記念日」と呼ばれていた。この日だけは外出を控えたほうが良いといわれたものだが、現在ではそんな記憶を捨てて比日友好路線でいこうとの政府のはからいのようだ。
スービックからマニラに行く途中、最近は滅多に見かけない第2次世界大戦のモニュメント出くわした。私も戦後生まれでよく知らないが、スービックのあるバタアーン半島はは日本とアメリカの激戦が繰り広げられたところなのだろう。