Monthly Archives: June 2006


FTA協定で200人の介護士を試験的に日本に受け入れるというニュースに熱い視線が集まっている。ジャパ行きさんの受け入れを大幅に制限されるということから、ビジネスを奪われたリクルートエージェントがビジネスチャンスをうかがっている。巷の介護士養成学校で質問すると全員が日本に行きたいという。何しろ需要と供給が合致しており、その規模も10万人規模と予測され、莫大なものになるはずだ。 私も熱い視線を送っている一人だ。今まで、退職者ビザを取得した多くの日本人が可愛らしいフィリピーナを伴ってやってくる。危険、汚い、金欠の3Kのフィリピンにわざわざ永住しようなどという日本人はまれだ。それを乗り越えてやってくるのは、フィリピンを救おうと身ぐるみ一つで日本に飛び出していった勇気あるフィリピーナ、ジャパ行きさんを通して、本当のフィリピンを知り、フィリピンの魅力に取り付かれた、独身熟年諸氏なのだ。 10万人とも言われるジャパ行きさんたちが、夜な夜な、日本―フィリピンの文化・経済交流を実施し、それにより多くの日本人がフィリピンというものを肌で理解してきた。今ジャパ行きさんが激減しようとしているとき、次の日比文化経済交流を担うのは、他ならぬ介護士さんたちだと期待されているのだ。 フィリピン人は天性の介護人だ。日本のお年寄りがフィリピン人の介護士にお世話されるとなると、当の介護を受けるお年よりのみならず、その家族が優しくて勤勉なフィリピン人の姿を目の当たりにして、真のフィリピンを理解することになると思う。そして、こんなフィリピン人に囲まれて老後を過ごしたいという退職者が激増するのではないかと期待するのだ。 だから、早くフィリピン人介護士の日本への派遣のルールが確立され、より多くのフィリピン人が日本に行って、日本の、介護の現場の助っ人となって、真のフィリピンをより多くの日本人に理解してもらう日比友好の架橋となってほしいのだ。

雑記帳 介護士は日比友好の架け橋


2015年には日本の人口の4分の1が65歳を超えるといわれている。戦後のベビーブームで生まれた700万人の団塊の世代が60歳の定年を迎え、大定年時代が出現しようとしている。いったい誰がこれらの人達の老後を支えるのだろうか。年金も介護保険もいずれ破綻すると言われている。老後の生活は自分で守らなければならない時代が近づいている。 退職者ビザ(SRRV)は、フィリピンに外貨を呼び込み、雇用を増大させる目的で1985年に発足された。たくさんの退職者がフィリピンに来れば、ビザ発行時の定期預金(現在、合計1万人、5億ドルの外貨収入)に加え、一人あたりの生活費が少なくとも年間1万ドル、1万人で年間1億ドルの外貨収入が見込めます。これはフィリピンにとって国を救う貴重な外貨収入だ。 一方、メイドを雇ったとしても、一ヶ月10万円もあれば、ゆうゆう暮らせるということは退職者にとって大きな魅力だ。介護人が住み込みでも2万円程度から雇えるということは、介護が必要なお年寄りを抱える家庭にとっては夢のような話だ。また、介護施設に入ったとしても介護、3食つきで7~8万円で済むということは、公的介護施設の不足する日本に比べると天国のようなところだ。ちょっと発想をかえて、老後をフィリピンで過ごすということは、すべての悩みを解決する切り札だと思うのだ。 これから、年金はさらに遠く、さらに少なくなることはその原資を支える人達の数が減っていく中で、必然といえる。そして、老後を年金に頼る人達が生活していけないレベルになると、日本では暴動が発生するとさえ言い切る人がいる。しかし、多くの人達が、フィリピン等を老後の生活を送る場所として選べば、問題は一気に解決するのだ。SRRVはフィリピン国ばかりではなくて日本国をも救う救世主だと思うのだが、いかがだろうか。

雑記帳 退職者ビザ(SRRV)は救世主



フィリピンの役所の仕事は、なぜこうも効率が悪いのだろうか。窓口の申請者のことも何も考えていないし、平気でまた来いという。こっちが何時間もかけてやって来ているのをわかっているのだろうかと。まるで賄賂を取ること以外に興味はないのだろうか、やろうと思えば出来るはずだ。なぜなら賄賂を払うとあっという間にことが進むのだから。 一般の役所は税金で運営費が賄われている。とにかくフィリピンの国はお金がないから、彼らのマネージメントは、いかに税金の無駄遣いを減らすかということに神経を集中している。人件費は決まった出費なので、いかに経費をかけないかだ。それには仕事をしないということが究極の節約法なのだ。窓口の申請者などくそくらえだ。職員が仕事の効率を上げようとしても、経費のかかることをしてはいけないのだ。残業などもっての外、例えサービス残業でも電気代がかかるからやってはいけない。日曜出勤などといったら怒られる。 そうなると、志を持って役所に入った新人でも、数年すると仕事をしないで一日を費やす術を覚える。強いて目がさめるのは賄賂を取れるチャンスだけだろう。役所で生き抜く術は仕事をしないことなのだ。だから、役所ではラジオが必須だ。執務中皆ラジオを大きくかけて楽しんでいる。10時と3時のミリエンダもかかせない。あるフィリピーノに、日本のビジネスで育った人には、フィリピンでの役所の勤めは一日と持たないであろうとアドバイスされた。 こんなことでフィリピンの将来はどうなるのだろうと、心配される方も多いかと思う。しかし、そんなことを憂えるのは外国人だけで、当のフィリピーノはあまり気にしていないようだから、こちらも早くなれたほうがいいんじゃないのだろうか。 ところが、PRAにとってはちょっと事情が違う。PRAは税金ではなく、各種手数料等の稼ぎで食っている。ビザの申請者がいないと収入がないばかりか、組織の存続さえも危ぶまれる。したがって、ビザ申請者はお客様、神様であるはずだ。他の役所と違って、マネージメントの意識は違うが、末端の職員までそれが徹底されているかは、少々疑問がある。これからフィリピンが退職者のメッカとなるには、彼らの意識改革にかかっているといえると思う。

雑記帳 お役所仕事は、なぜ遅い?


フィリピンにきた当初に慌てて家を買うことは決してお奨めできない。住んでみたらあれやこれやと問題があって、いやになる。しかし買ってしまった家はなかなか売れない。挙句の果てに2足3文で売り払って大損ということになってしまう。住み慣れるためにしばらくは借家に住むのが賢いといえる。 しかし、終の棲家と決めて、10年、20年と住むとなると、借家ではどうか思う。通常、10年程度の家賃で新規に購入するのと同じになってしまう。やはり、退職金の一部あるいはPRAの定期預金で家を買い、年金で暮らすというのが、一番経済的だ。フィリピンに少なくとも1年くらいは住んで、ここぞと思ったら、購入するのがいいと思う。 都市に住むとすればコンドミニアムが安全に購入できる。建築前あるいは建築中に購入するプレセールは安く買えるもののやはり危険だ。すでに出来上がっていて、住人のいるコンドミニアムを、そこの住人から色々ヒアリングして納得して購入すべきだ。 大都市圏以外では土地を買って(あるいは借りて)家を建てるか、あるいは建売を買うことになる。建売はデベロッパーのマージンが大きいので、土地を買って家を建てる、さらに請負業者を使わず、自分で材料を買って、大工を雇って建てるのが一番経済的だ。しかしながら、ここに落とし穴がある。大概の人は自分で家など建てたことなどないから、知り合いの自称他称の建築屋さんに面倒を見てもらうことになる。 この建築屋さんは、こちらが素人なのをいいことに、材料調達のコミッション、職人の人数の水増し、あの手この手で建築費を水増しし、結局、工事費は相場の2~3倍になってしまう。それでも日本よりはるかに安いので、感謝して法外な謝礼まで支払ってしまう。よほど信頼できる建築屋さんを雇わない限り、請負者に一括して発注したほうが有利だ。しかしこれも信頼できる請負者を知っている限りいえることだ。請負者が手抜き工事をしたり、あれやこれやと追加を要求してくることもめずらしくない。 最後の手段は、結局、建売を買うのが安全ということになる。これなら現物を見て決めることが出来るから、大幅予算オーバーなどということはありえない。最近、退職者用に各種サービスや施設をセットにした、退職者ビレッジが計画されているので、予算に合わせていい買い物が出来るようになると思う。ここでは、外国人でも住宅が安心して買えるように契約がアレンジしてあるので、頭を痛めることなく購入することができるだろう。

雑記帳 持ち家あるいは借家どっちが得か?



フィリピンに介護や老人の問題はない。なぜなら、家族が皆、お年寄りを愛し、尊敬し、大切にして、こぞって面倒を見るから、お年寄りは幸せな生涯を送ることが出来るのだ。大家族で生活するフィリピーノは子供のころから赤ちゃんやお年寄りを面倒見ながら育つ。だから、彼らは生まれついての介護人なのだ。しかも彼らは外国人を心から迎え入れるホスピタリティにあふれている。フィリピーノに老後の面倒を見てもらえるとしたら、これは、もはや一つの幸せといえる。 フィリピンには介護学校が500校以上ある。フィリピーノの天性をいかして介護士を目指す若者が毎年何万人と卒業しているのでだ。多くは海外を目指す。カナダなどでは数年間介護士として働くと、カナダの永住権が与えられる。したがって、介護士はいまや憧れの職業でもあるのだ。 ご承知のとおり、フィリピンの賃金レベルは日本の10分の1以下だ。フィリピンで自分あるいは親が介護が必要になったら、小遣い銭程度で住み込みの介護士を雇うことが出来る。介護状態の親を抱えていても、自分の生活は十分確保できる。介護疲れや介護ノイローゼなどというものは無縁な世界なのだ。 定年を迎え、介護状態の親を抱えているとしたら、フィリピンに移住することを考えてみだらいかがだろうか。収入の低下、介護に関わる費用の増加など、すべてが解決できる究極の解決策がそこにある。

雑記帳 フィリピンは介護天国


保険金殺人、スクオーター、モスリム、NPA、等々、フィリピンのイメージを悪くする言葉があふれている。確かにこれらはすべて事実だろう。しかし、ここに生活する人々にとって、これらのことは、ほとんど無縁な他山の石なのだ。子殺し、家庭内暴力、少女監禁、通り魔殺人等々の言葉が日本のニュースで流れているが、ほとんどの日本人はニュースとして楽しみ、決して我がことだとは思っていないのと同じだ。 フィリピンは安全ですよと、いくら言っても、お住まいになるご本人が安心していられなければ、意味のないことだ。また、安全とはちょっとニュアンスが違うが、日本人が金銭的被害に遭う確立は相当高いようだ。しかし、日本人の不注意な言動が危険を呼ぶということが一番大きな問題なのだ。 フィリピンに安全にそして安心して住むには、まず第一にフィリピンの習慣を知らなければらない。そして危険なところや人には近づかないことだ。日本でも、やくざを怒鳴りつけたり、大金を持って歌舞伎町をうろうろしたりしたら、バカかと相手にされない。危険を感知する技を学ぶことだ。簡単に言えば、慣れるまでは信頼できるフィリピーノと一緒に行動することだ。 フィリピンで一番大事な習慣は、フィリピーノを人前で叱り付けたりバカにしたり、あるいは公衆の場で怒ったりしてはならないいうことだ。PRAにやってきてフィリピン人職員を怒鳴りつけたりしている人を見受けるが、そのような人はフィリピンに住む資格はない。直ちに国外追放になっても仕方がないことだ。我々退職者はフィリピンに住まわしてもらっているのだということを忘れてはならない。この国の人とは尊敬の念で接しなければいけないのだ。 ここでは、なぜ日本人が怒っているかということは問題ではないのだ。原因はフィリピーノ側にあろうが、その結果として、人前で叱責した、怒鳴ったという事実が問題なのだ。理解しにくいかもしれないが、これがフィリピン流の発想であり、フィリピンに住む上での鉄則なのだ。これが理解できない人には、どこに住もうが安心はない。逆にこれが実行できたら、どこに住もうが安心で安全だ。周りのフィリピーノが皆であなたを守ってくれる。そして、フィリピーノはなんて優しいんだろうと感激するのだ。 日本人が殺されたという件で、それにフィリピーノの奥さんが関わっているらしいという話を良く耳にする。一番親しくて、守ってくれるはずの奥さんが殺しに関わっているというのだ。その時私は、その奥さんの長年にわたる悲痛な屈辱の歴史が伝わってくるような気がする。さぞ、日本人の夫による人前での叱責に耐え続けてきたのだろうと。

雑記帳 フィリピンは、本当に危険な国?



現在、退職者の住まいは、ほとんどがマニラ、セブ、バギオおよびダバオの大都市圏だ。名前になじみがあること、インフラが整っている、大きなショッピングモールがある、そこそこ遊び場がある、施設の整った医療施設がある、などが理由だろう。したがって大多数の退職者用ビレッジは、これら大都市圏に計画されている。特別なのはスービックやクラークの元米軍施設の経済特別区だ。 それぞれの都市には特徴があり、それぞれのライフスタイルに応じて選択するのが良いと思う。なんと言っても喧騒と興奮のマニラ、白砂ビーチのセブ、高原都市バギオ、広大なダバオ、そしてフィリピンの外国‐スービック/クラーク、それぞれの都市に体験ステイをして、これと思ったら、居を定めたらいいと思う。 しかしながら、フィリピンはこれら、5つの地域だけではない。他に数百数千の市町村がある。ミンダナオの一部の地域を除いて決して危険なことはない。大都市よりも返って安全だ。なにしろ人心が穏やかで、皆親切だ。憧れのビーチや景色がそこにはある。そして何よりも安いのだ。物価も、住宅も、賃金も、何しろ安いのだ。 少し、フィリピン通になってきたら、是非、地方の町に足をのばしてみたい。そこに理想の住まいが見つかるだろう。それぞれの町にはビレッジと呼ばれるセキュリティが完備された住宅地がある。フィリピンを100%満喫したかったら、地方に住むことだ。そこには忘れられた故郷があるのだ。

雑記帳 フィリピンのどこに住むのが賢いか?


フィリピーノに何かやらせると、なぜかテキパキというよりヤキモキさせられることが多いようだ。なぜか一回で済まずに、やり直しやら、やり忘れが多く、1日で済むはずのものが2日も3日もかかる。また、役所に何か申請に行っても、行く度に新しい要求があって何度も何度も足を運ばされる。役所の場合は特別だとしても、一般的にとにかく遅い。1日で出来るとすれば1週間、1週間で出来るはずのものが1ヶ月、1ヶ月と思ったら1年といった具合だ。日本人が短気なのか、フィリピーノが、気が長いのか、さっさとやったほうが、気持ちがいいと思うのだが。 原因は色々あるのだろうが、起こるべき事を予測して事前に準備するという段取り、そして、他の人と情報を共有したり、協調してことにあたるコーディネーションの気質に問題があるような気がする。自分だけでことにあたり、他の人に聞いたり頼んだりしない、やってだめならその時初めて次の手を打つ。だから、遅くなる。実に時間がことを解決する社会だ。短気でいらいらタイプの人は根本から体質改善をしないとフィリピンでは生きていけないかもしれない。 しかしながら、逆に問題に直面したときの彼らの解決能力は目を見張るものがある。また、一人で器用に何でもこなして大変頼りになる。日本人は予測した事態がはずれるとパニックに陥ってしまい、怒ったり、うろたえたり、誰かを責めたり、誰彼となく頼りにしようとする、彼らは平然として慌てず、何とかしてしまうのだ。この国で生きていくためにはどちらが優れているかは、自明の理だと思う。

雑記帳 フィリピン人の仕事はなぜ遅い?



企業から派遣されて駐在している日本人は、たとえ、それが中近東やアフリカにでも命令されれば、躊躇せず赴く企業戦士だ。それがたまたまフィリピンだっただけだ。セキュリティの万全な高級ビレッジあるいは高級コンドミニアムをあてがわれ、ドライバーつきの車で、ドアーツードアー、決して危なげなところには近づかない。会社にかしずく駐在員は決してスキャンダルを起こしてはならないのだ。 企業からの駐在員は在比日本人をあまり相手にしない。相手にしても何の得にもならないばかりか、何や怪しげな人種とでも思っている節がある。そのため、マニラ日本人会は駐在員のもので、その他の在比組日本人は別途に会を作るなど一線が画されているようだ。 彼らのフィリピンはゴルフとカラオケ、それにできの悪いフィリピン人社員でしかない。所詮、数年したら任務を果たして帰国する身だから、フィリピンのことは何も知らなくてもいいのかもしれない。 しかし、中にはフィリピンを好きになり、定年後舞い戻ってくる人が少なからずいるようだ。そうなると、退職ビザなどの永住ビザをを取って、フィリピンに自分の意志で住んでいる在比組みの仲間になる。土着という言葉が適切かどうかわからないが、フィリピンに土着してみると駐在員時代では見えなかったフィリピンが見えてくる。そして新たなる驚きと感動そして戸惑いを味わうことになるのだ。

雑記帳 駐在日本人は異国の人


日本にはフィリピンがまるで地獄のように報道されていると思う。ストリート・チルドレンが道にあふれ、トンドや鉄道線路沿いのスクオーター・エリア(不法占拠地帯)は、まさに現在の地獄だ。人々はその日の糧を得るのに必死で、明日を生きる見通しもない。しかしながら案外彼らは幸せで、家族の絆を噛みしめている。これはキリスト教の教えのせいだろうか。しかし、我々があの生活をしなければならないとしたら、それはまさに地獄だ。 一方、マカティの高級コンドミニアムやビレッジに住んで、メイドやドライバーにかしずかれた生活は、まさに天国にいるここちだ。賃金の安いこの国だから、日本並みの給与をもらっていると悠々こんな生活ができるのだ。駐在員の奥様はこんな優雅な生活を経験したために、日本に帰ってからカルチャーショックに陥るといわれる。 天国の生活を支えてくれるメイドやドライバーはスクオーターエリアかそれに毛の生えた程度の家に帰っていく。同じ家に住んでいてもそこには天国と地獄が同居しているのだ。メイドを使う立場に生まれてよかった、使われる立場だったら死んだほうがましだと思ったものだ。 地獄に住む人々が天国に住む人々を支える、地獄あっての天国で、それがフィリピンなのだ。それでいて案外バランスがとれていて、双方が幸せなのだ。しかし心の幸せは案外地獄側にあるかもしれない。

雑記帳 フィリピンは天国、地獄?