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フィリピーノは日本で思われているのとは反対に大変やさしい国民だ。人前で怒ったり、声を荒げたり、机をたたいたり、ものを投げたり、決してこのような粗野な行為はしない。それに比べると日本人の行儀の悪さが目に余ることが多々ある。日本人がレストランでウエイトレスを怒鳴りつけたりしても、周りの人はもちろん黙っているが、内心、なんて野蛮な日本人と思って、思いっきり軽蔑しているのだ。しかめっ面しただけでも、もはや同席者のフィリピーノは不愉快になっている。人前では常に笑顔でいなければならないのだ。 カメラを向けただけで満面に笑みをたたえてくれるフィリピーノ

フィリピーノ気質 いつも笑顔


フィリピーノほどホスピタリティー(人をもてなす気持)にあふれた人種は東南アジアにはないのではないではないか。とりわけフォーリナー(外国人あるいは見知らぬ人)にはやさしい。外国製を自慢するのも一昔前の日本のようだ。私の靴はインポーテッド、私の旦那もインポーテッドと得意満面で言う。この人なつっこさと、一丁お人よしの日本人をだましてやろうという気持ちがごっちゃになって近づいてくる輩も多いので気をつけなければならない。そんな場合はニコッと笑ってNO THANKSと言ってほしい。すぐにあきらめて行ってしまう。また車の窓の外で子供がしつこくお金をねだったら、窓を内側からコンコンとたたくと行ってしまう。

フィリピーノ気質 ノーサンクス



フィリピン人はマイ ネイムという言葉をしばしば口にする。“私の名がすたるから恥ずかしくてそんなまねはできない、”といった感じだ。当方には見栄張りと映るが、命を張るほどのものなのだ。ネイムは常にマバゴ(良い匂い)でなければならず、バホ(臭い)であってはならないのだ。そのためには平気でうそをつく。身の上話の半分以上は作り話と思ったほうがいいかもしれない。 だから、面と向かって冗談でもバカにするようなことは言ってはいけない。また、外国人がフィリピーノをけなすと、たとえ本人のことでなくとも、聞いているほうはいやな思いをする。これも大切なタブーだ。 ワランヒヤ(恥知らず)とかプタンイナモ(おまえの母さん出ベソ)などと人前で怒鳴ったとしたら、殺されたとしても不思議ではない。 だから、それなりの地位や名声のある人は大変紳士・淑女で高潔だ。しかし、名乗るほどの名前のない人はどうなるのだろうか。その日食べるものもないというような人があふれているのも事実だ。このような人達はその日の糧を得るのに汲々としている。だから、人を信じることが美徳と思っている日本人ほどだましやすいものはないのだ。財布の紐はきちっと締めておいてほしい。逆に10ペソ、20ペソの小銭はポケットに入れて垂れ流しにしてもいいのではないだろうか。

フィリピーノ気質 フィリピン人をバカにしない・怒らない


フィリピーノに文句を言うといい訳をくだくだと続ける。私たちにとっては間違いを素直に認め、もう繰り返しませんと反省してもらうのがもっともありがたいだが、間違いを認めようとはしない。これでは改善も無いと思い、しつこく追求する羽目になって、こちらもつい熱くなってしまう。これは、彼らが間違いを認めると有罪ということになって、処罰されてしまうということが心配なのだ。裁判といっしょで決して罪を認めてはいけないのが、フィリピンなのだ。 ならばどうしたらよいのだろうか。彼らがやった事が、間違いと責めるのではなくて、このように変えればいかに彼ら自身にとってよいことなのか、あるいは得になるのか、説いてやる必要があるのだ。あるいは次回からこのように変えてくれれば私は大変うれしくて、サラリーも上げてやりたくなるとか。

フィリピーノ気質 言い訳は自己防衛の手段



なにかフィリピーノと対峙したとき、大体こちらが考えるのと反対のことを考えていると思って間違いないようだ。例えば、部下に文句を言って黙って聞いているから、さぞ反省しているのだと思うと、とんでもない。相手は怒り心頭にして達して声が出ないのだ。文句を言って相手がいい訳も言わずに黙ったら、直ちに止めろというのが鉄則だ。 フィリピーノは非常に誇りが高い人々だ。ただし日本人の場合は自分自身の内面の誇りを大切にすると思うが、フィリピーノは周りの人がどう思うかということが一番大事なのだ。どんなに本人が悪くても人前で叱責すると一生恨みに思われる。これはフィリピンで暮らす上での一番のタブーなのだ。 怒りたいときは別室につれていって懇々と諭してほしい。頭にきて人前で怒鳴りつけてしまったとしたら、その人との関係はそれで終わりと思ったほうが良い。

フィリピーノ気質 人前で叱責しない


フィリピーノは中国とマレーの両足でたち、スパニッシュのハートで感じ、頭の中はアメリカンといわれる。それに財布の中身は円。その時々の支配者の影響を受けているのだ。したがって、東南アジアにありながら、日本とは理解しがたいほどの相違がある。決して日本的な発想で物事を推し量ることはできない。これがハロハロ(ごちゃまぜ)でサリサリ(色々何でもあり)の文化といわれる所以だ。

フィリピーノ気質 ハロハロ、サリサリ



FTA協定で200人の介護士を試験的に日本に受け入れるというニュースに熱い視線が集まっている。ジャパ行きさんの受け入れを大幅に制限されるということから、ビジネスを奪われたリクルートエージェントがビジネスチャンスをうかがっている。巷の介護士養成学校で質問すると全員が日本に行きたいという。何しろ需要と供給が合致しており、その規模も10万人規模と予測され、莫大なものになるはずだ。 私も熱い視線を送っている一人だ。今まで、退職者ビザを取得した多くの日本人が可愛らしいフィリピーナを伴ってやってくる。危険、汚い、金欠の3Kのフィリピンにわざわざ永住しようなどという日本人はまれだ。それを乗り越えてやってくるのは、フィリピンを救おうと身ぐるみ一つで日本に飛び出していった勇気あるフィリピーナ、ジャパ行きさんを通して、本当のフィリピンを知り、フィリピンの魅力に取り付かれた、独身熟年諸氏なのだ。 10万人とも言われるジャパ行きさんたちが、夜な夜な、日本―フィリピンの文化・経済交流を実施し、それにより多くの日本人がフィリピンというものを肌で理解してきた。今ジャパ行きさんが激減しようとしているとき、次の日比文化経済交流を担うのは、他ならぬ介護士さんたちだと期待されているのだ。 フィリピン人は天性の介護人だ。日本のお年寄りがフィリピン人の介護士にお世話されるとなると、当の介護を受けるお年よりのみならず、その家族が優しくて勤勉なフィリピン人の姿を目の当たりにして、真のフィリピンを理解することになると思う。そして、こんなフィリピン人に囲まれて老後を過ごしたいという退職者が激増するのではないかと期待するのだ。 だから、早くフィリピン人介護士の日本への派遣のルールが確立され、より多くのフィリピン人が日本に行って、日本の、介護の現場の助っ人となって、真のフィリピンをより多くの日本人に理解してもらう日比友好の架橋となってほしいのだ。

雑記帳 介護士は日比友好の架け橋


2015年には日本の人口の4分の1が65歳を超えるといわれている。戦後のベビーブームで生まれた700万人の団塊の世代が60歳の定年を迎え、大定年時代が出現しようとしている。いったい誰がこれらの人達の老後を支えるのだろうか。年金も介護保険もいずれ破綻すると言われている。老後の生活は自分で守らなければならない時代が近づいている。 退職者ビザ(SRRV)は、フィリピンに外貨を呼び込み、雇用を増大させる目的で1985年に発足された。たくさんの退職者がフィリピンに来れば、ビザ発行時の定期預金(現在、合計1万人、5億ドルの外貨収入)に加え、一人あたりの生活費が少なくとも年間1万ドル、1万人で年間1億ドルの外貨収入が見込めます。これはフィリピンにとって国を救う貴重な外貨収入だ。 一方、メイドを雇ったとしても、一ヶ月10万円もあれば、ゆうゆう暮らせるということは退職者にとって大きな魅力だ。介護人が住み込みでも2万円程度から雇えるということは、介護が必要なお年寄りを抱える家庭にとっては夢のような話だ。また、介護施設に入ったとしても介護、3食つきで7~8万円で済むということは、公的介護施設の不足する日本に比べると天国のようなところだ。ちょっと発想をかえて、老後をフィリピンで過ごすということは、すべての悩みを解決する切り札だと思うのだ。 これから、年金はさらに遠く、さらに少なくなることはその原資を支える人達の数が減っていく中で、必然といえる。そして、老後を年金に頼る人達が生活していけないレベルになると、日本では暴動が発生するとさえ言い切る人がいる。しかし、多くの人達が、フィリピン等を老後の生活を送る場所として選べば、問題は一気に解決するのだ。SRRVはフィリピン国ばかりではなくて日本国をも救う救世主だと思うのだが、いかがだろうか。

雑記帳 退職者ビザ(SRRV)は救世主



フィリピンの役所の仕事は、なぜこうも効率が悪いのだろうか。窓口の申請者のことも何も考えていないし、平気でまた来いという。こっちが何時間もかけてやって来ているのをわかっているのだろうかと。まるで賄賂を取ること以外に興味はないのだろうか、やろうと思えば出来るはずだ。なぜなら賄賂を払うとあっという間にことが進むのだから。 一般の役所は税金で運営費が賄われている。とにかくフィリピンの国はお金がないから、彼らのマネージメントは、いかに税金の無駄遣いを減らすかということに神経を集中している。人件費は決まった出費なので、いかに経費をかけないかだ。それには仕事をしないということが究極の節約法なのだ。窓口の申請者などくそくらえだ。職員が仕事の効率を上げようとしても、経費のかかることをしてはいけないのだ。残業などもっての外、例えサービス残業でも電気代がかかるからやってはいけない。日曜出勤などといったら怒られる。 そうなると、志を持って役所に入った新人でも、数年すると仕事をしないで一日を費やす術を覚える。強いて目がさめるのは賄賂を取れるチャンスだけだろう。役所で生き抜く術は仕事をしないことなのだ。だから、役所ではラジオが必須だ。執務中皆ラジオを大きくかけて楽しんでいる。10時と3時のミリエンダもかかせない。あるフィリピーノに、日本のビジネスで育った人には、フィリピンでの役所の勤めは一日と持たないであろうとアドバイスされた。 こんなことでフィリピンの将来はどうなるのだろうと、心配される方も多いかと思う。しかし、そんなことを憂えるのは外国人だけで、当のフィリピーノはあまり気にしていないようだから、こちらも早くなれたほうがいいんじゃないのだろうか。 ところが、PRAにとってはちょっと事情が違う。PRAは税金ではなく、各種手数料等の稼ぎで食っている。ビザの申請者がいないと収入がないばかりか、組織の存続さえも危ぶまれる。したがって、ビザ申請者はお客様、神様であるはずだ。他の役所と違って、マネージメントの意識は違うが、末端の職員までそれが徹底されているかは、少々疑問がある。これからフィリピンが退職者のメッカとなるには、彼らの意識改革にかかっているといえると思う。

雑記帳 お役所仕事は、なぜ遅い?


フィリピンにきた当初に慌てて家を買うことは決してお奨めできない。住んでみたらあれやこれやと問題があって、いやになる。しかし買ってしまった家はなかなか売れない。挙句の果てに2足3文で売り払って大損ということになってしまう。住み慣れるためにしばらくは借家に住むのが賢いといえる。 しかし、終の棲家と決めて、10年、20年と住むとなると、借家ではどうか思う。通常、10年程度の家賃で新規に購入するのと同じになってしまう。やはり、退職金の一部あるいはPRAの定期預金で家を買い、年金で暮らすというのが、一番経済的だ。フィリピンに少なくとも1年くらいは住んで、ここぞと思ったら、購入するのがいいと思う。 都市に住むとすればコンドミニアムが安全に購入できる。建築前あるいは建築中に購入するプレセールは安く買えるもののやはり危険だ。すでに出来上がっていて、住人のいるコンドミニアムを、そこの住人から色々ヒアリングして納得して購入すべきだ。 大都市圏以外では土地を買って(あるいは借りて)家を建てるか、あるいは建売を買うことになる。建売はデベロッパーのマージンが大きいので、土地を買って家を建てる、さらに請負業者を使わず、自分で材料を買って、大工を雇って建てるのが一番経済的だ。しかしながら、ここに落とし穴がある。大概の人は自分で家など建てたことなどないから、知り合いの自称他称の建築屋さんに面倒を見てもらうことになる。 この建築屋さんは、こちらが素人なのをいいことに、材料調達のコミッション、職人の人数の水増し、あの手この手で建築費を水増しし、結局、工事費は相場の2~3倍になってしまう。それでも日本よりはるかに安いので、感謝して法外な謝礼まで支払ってしまう。よほど信頼できる建築屋さんを雇わない限り、請負者に一括して発注したほうが有利だ。しかしこれも信頼できる請負者を知っている限りいえることだ。請負者が手抜き工事をしたり、あれやこれやと追加を要求してくることもめずらしくない。 最後の手段は、結局、建売を買うのが安全ということになる。これなら現物を見て決めることが出来るから、大幅予算オーバーなどということはありえない。最近、退職者用に各種サービスや施設をセットにした、退職者ビレッジが計画されているので、予算に合わせていい買い物が出来るようになると思う。ここでは、外国人でも住宅が安心して買えるように契約がアレンジしてあるので、頭を痛めることなく購入することができるだろう。

雑記帳 持ち家あるいは借家どっちが得か?