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フィリピンに介護や老人の問題はない。なぜなら、家族が皆、お年寄りを愛し、尊敬し、大切にして、こぞって面倒を見るから、お年寄りは幸せな生涯を送ることが出来るのだ。大家族で生活するフィリピーノは子供のころから赤ちゃんやお年寄りを面倒見ながら育つ。だから、彼らは生まれついての介護人なのだ。しかも彼らは外国人を心から迎え入れるホスピタリティにあふれている。フィリピーノに老後の面倒を見てもらえるとしたら、これは、もはや一つの幸せといえる。 フィリピンには介護学校が500校以上ある。フィリピーノの天性をいかして介護士を目指す若者が毎年何万人と卒業しているのでだ。多くは海外を目指す。カナダなどでは数年間介護士として働くと、カナダの永住権が与えられる。したがって、介護士はいまや憧れの職業でもあるのだ。 ご承知のとおり、フィリピンの賃金レベルは日本の10分の1以下だ。フィリピンで自分あるいは親が介護が必要になったら、小遣い銭程度で住み込みの介護士を雇うことが出来る。介護状態の親を抱えていても、自分の生活は十分確保できる。介護疲れや介護ノイローゼなどというものは無縁な世界なのだ。 定年を迎え、介護状態の親を抱えているとしたら、フィリピンに移住することを考えてみだらいかがだろうか。収入の低下、介護に関わる費用の増加など、すべてが解決できる究極の解決策がそこにある。

雑記帳 フィリピンは介護天国


保険金殺人、スクオーター、モスリム、NPA、等々、フィリピンのイメージを悪くする言葉があふれている。確かにこれらはすべて事実だろう。しかし、ここに生活する人々にとって、これらのことは、ほとんど無縁な他山の石なのだ。子殺し、家庭内暴力、少女監禁、通り魔殺人等々の言葉が日本のニュースで流れているが、ほとんどの日本人はニュースとして楽しみ、決して我がことだとは思っていないのと同じだ。 フィリピンは安全ですよと、いくら言っても、お住まいになるご本人が安心していられなければ、意味のないことだ。また、安全とはちょっとニュアンスが違うが、日本人が金銭的被害に遭う確立は相当高いようだ。しかし、日本人の不注意な言動が危険を呼ぶということが一番大きな問題なのだ。 フィリピンに安全にそして安心して住むには、まず第一にフィリピンの習慣を知らなければらない。そして危険なところや人には近づかないことだ。日本でも、やくざを怒鳴りつけたり、大金を持って歌舞伎町をうろうろしたりしたら、バカかと相手にされない。危険を感知する技を学ぶことだ。簡単に言えば、慣れるまでは信頼できるフィリピーノと一緒に行動することだ。 フィリピンで一番大事な習慣は、フィリピーノを人前で叱り付けたりバカにしたり、あるいは公衆の場で怒ったりしてはならないいうことだ。PRAにやってきてフィリピン人職員を怒鳴りつけたりしている人を見受けるが、そのような人はフィリピンに住む資格はない。直ちに国外追放になっても仕方がないことだ。我々退職者はフィリピンに住まわしてもらっているのだということを忘れてはならない。この国の人とは尊敬の念で接しなければいけないのだ。 ここでは、なぜ日本人が怒っているかということは問題ではないのだ。原因はフィリピーノ側にあろうが、その結果として、人前で叱責した、怒鳴ったという事実が問題なのだ。理解しにくいかもしれないが、これがフィリピン流の発想であり、フィリピンに住む上での鉄則なのだ。これが理解できない人には、どこに住もうが安心はない。逆にこれが実行できたら、どこに住もうが安心で安全だ。周りのフィリピーノが皆であなたを守ってくれる。そして、フィリピーノはなんて優しいんだろうと感激するのだ。 日本人が殺されたという件で、それにフィリピーノの奥さんが関わっているらしいという話を良く耳にする。一番親しくて、守ってくれるはずの奥さんが殺しに関わっているというのだ。その時私は、その奥さんの長年にわたる悲痛な屈辱の歴史が伝わってくるような気がする。さぞ、日本人の夫による人前での叱責に耐え続けてきたのだろうと。

雑記帳 フィリピンは、本当に危険な国?



現在、退職者の住まいは、ほとんどがマニラ、セブ、バギオおよびダバオの大都市圏だ。名前になじみがあること、インフラが整っている、大きなショッピングモールがある、そこそこ遊び場がある、施設の整った医療施設がある、などが理由だろう。したがって大多数の退職者用ビレッジは、これら大都市圏に計画されている。特別なのはスービックやクラークの元米軍施設の経済特別区だ。 それぞれの都市には特徴があり、それぞれのライフスタイルに応じて選択するのが良いと思う。なんと言っても喧騒と興奮のマニラ、白砂ビーチのセブ、高原都市バギオ、広大なダバオ、そしてフィリピンの外国‐スービック/クラーク、それぞれの都市に体験ステイをして、これと思ったら、居を定めたらいいと思う。 しかしながら、フィリピンはこれら、5つの地域だけではない。他に数百数千の市町村がある。ミンダナオの一部の地域を除いて決して危険なことはない。大都市よりも返って安全だ。なにしろ人心が穏やかで、皆親切だ。憧れのビーチや景色がそこにはある。そして何よりも安いのだ。物価も、住宅も、賃金も、何しろ安いのだ。 少し、フィリピン通になってきたら、是非、地方の町に足をのばしてみたい。そこに理想の住まいが見つかるだろう。それぞれの町にはビレッジと呼ばれるセキュリティが完備された住宅地がある。フィリピンを100%満喫したかったら、地方に住むことだ。そこには忘れられた故郷があるのだ。

雑記帳 フィリピンのどこに住むのが賢いか?


フィリピーノに何かやらせると、なぜかテキパキというよりヤキモキさせられることが多いようだ。なぜか一回で済まずに、やり直しやら、やり忘れが多く、1日で済むはずのものが2日も3日もかかる。また、役所に何か申請に行っても、行く度に新しい要求があって何度も何度も足を運ばされる。役所の場合は特別だとしても、一般的にとにかく遅い。1日で出来るとすれば1週間、1週間で出来るはずのものが1ヶ月、1ヶ月と思ったら1年といった具合だ。日本人が短気なのか、フィリピーノが、気が長いのか、さっさとやったほうが、気持ちがいいと思うのだが。 原因は色々あるのだろうが、起こるべき事を予測して事前に準備するという段取り、そして、他の人と情報を共有したり、協調してことにあたるコーディネーションの気質に問題があるような気がする。自分だけでことにあたり、他の人に聞いたり頼んだりしない、やってだめならその時初めて次の手を打つ。だから、遅くなる。実に時間がことを解決する社会だ。短気でいらいらタイプの人は根本から体質改善をしないとフィリピンでは生きていけないかもしれない。 しかしながら、逆に問題に直面したときの彼らの解決能力は目を見張るものがある。また、一人で器用に何でもこなして大変頼りになる。日本人は予測した事態がはずれるとパニックに陥ってしまい、怒ったり、うろたえたり、誰かを責めたり、誰彼となく頼りにしようとする、彼らは平然として慌てず、何とかしてしまうのだ。この国で生きていくためにはどちらが優れているかは、自明の理だと思う。

雑記帳 フィリピン人の仕事はなぜ遅い?



企業から派遣されて駐在している日本人は、たとえ、それが中近東やアフリカにでも命令されれば、躊躇せず赴く企業戦士だ。それがたまたまフィリピンだっただけだ。セキュリティの万全な高級ビレッジあるいは高級コンドミニアムをあてがわれ、ドライバーつきの車で、ドアーツードアー、決して危なげなところには近づかない。会社にかしずく駐在員は決してスキャンダルを起こしてはならないのだ。 企業からの駐在員は在比日本人をあまり相手にしない。相手にしても何の得にもならないばかりか、何や怪しげな人種とでも思っている節がある。そのため、マニラ日本人会は駐在員のもので、その他の在比組日本人は別途に会を作るなど一線が画されているようだ。 彼らのフィリピンはゴルフとカラオケ、それにできの悪いフィリピン人社員でしかない。所詮、数年したら任務を果たして帰国する身だから、フィリピンのことは何も知らなくてもいいのかもしれない。 しかし、中にはフィリピンを好きになり、定年後舞い戻ってくる人が少なからずいるようだ。そうなると、退職ビザなどの永住ビザをを取って、フィリピンに自分の意志で住んでいる在比組みの仲間になる。土着という言葉が適切かどうかわからないが、フィリピンに土着してみると駐在員時代では見えなかったフィリピンが見えてくる。そして新たなる驚きと感動そして戸惑いを味わうことになるのだ。

雑記帳 駐在日本人は異国の人


日本にはフィリピンがまるで地獄のように報道されていると思う。ストリート・チルドレンが道にあふれ、トンドや鉄道線路沿いのスクオーター・エリア(不法占拠地帯)は、まさに現在の地獄だ。人々はその日の糧を得るのに必死で、明日を生きる見通しもない。しかしながら案外彼らは幸せで、家族の絆を噛みしめている。これはキリスト教の教えのせいだろうか。しかし、我々があの生活をしなければならないとしたら、それはまさに地獄だ。 一方、マカティの高級コンドミニアムやビレッジに住んで、メイドやドライバーにかしずかれた生活は、まさに天国にいるここちだ。賃金の安いこの国だから、日本並みの給与をもらっていると悠々こんな生活ができるのだ。駐在員の奥様はこんな優雅な生活を経験したために、日本に帰ってからカルチャーショックに陥るといわれる。 天国の生活を支えてくれるメイドやドライバーはスクオーターエリアかそれに毛の生えた程度の家に帰っていく。同じ家に住んでいてもそこには天国と地獄が同居しているのだ。メイドを使う立場に生まれてよかった、使われる立場だったら死んだほうがましだと思ったものだ。 地獄に住む人々が天国に住む人々を支える、地獄あっての天国で、それがフィリピンなのだ。それでいて案外バランスがとれていて、双方が幸せなのだ。しかし心の幸せは案外地獄側にあるかもしれない。

雑記帳 フィリピンは天国、地獄?



日本人の大多数がフィリピンは貧しい、貧乏人の国と思っていると思う。しかし、私は、その意見に異を唱えたい。日本に報道されるニュースは悪いニュースばかり、かつてのスモーキーマウンテンや東洋一のスラムと言われるトンドそしてジャパ行きさんはこぞって取材の対象となった。私の知っている限り、フィリピンの姿を比較的正しく描いたのは、“課長島耕作、フィリピン編”くらいだろうか。 確かにフィリピンにはその日の糧にも困る貧乏人がひしめいている。国民の60%は困窮状態にあるともいわれる。しかし、フィリピンの国民の10%を占める上流階級は、フィリピンの富の90%を保有するといわれ、彼らの住む、高級ビレッジはその規模と豪華さで圧倒される。マカティのフォルベスパーク、ダスマリニャス、ウルダネッタ、アラバンのアヤラアラバン、ケソンのニューマニラ、等々の高級ビレッジを覗いてみると、これだけの数の豪邸をいったい誰が保有しているのか、いったいどんな人が住んでいるのか、と首を傾げたくなる。 これらのビレッジは一般の人の入門を禁止しているから、こんな世界があるなんてフィリピン人でさえも知らない人が多い。ビレッジの内部が外に報道されることもない。ビレッジの管理者が報道規制をしているのだろうか、もちろん海外のメディアで報道されたという話は聴いたことがない。 企業の駐在員ということで、このようなビレッジに暮らす機会があったのだが、そこは、まさに外部のフィリピン人社会とは別世界だ。ビレッジといっても、その大きさはゴルフ場がその一部となっているくらいの規模なのだ。高校や大学もビレッジの中にあり、住宅の値段もここの人にとっては天文学的数字だ(1億円~2億円)。 私は、ひょっとするとここに住んでいるような人達が本当のフィリピン人なのではないかと思うことがある。政治、経済、社会すべてをこの人たちが動かしているのだから。ではどういう人たちなのだろうか。頭がよくて品性と人格があり、そして当然金がある。さらにどういうわけか美男美女でもある。彼らは国の状態を憂えるのだが、自分の財産をなげうってまで国を救おうとはしない。なぜなら、このような低賃金で働く多くのフィリピン人があってこそ、彼らの富が維持されるのだから。

雑記帳 フィリピンは、本当に貧乏?


“ジャパ行きさん”効果というか、今、たくさんの日本人がフィリピーナと手を取り合って、フィリピンを訪れている。うら若いフィリピーナを伴って退職者ビザを申請にこられる日本人もいる。そして、当然の結果として、フィリピーナとの結婚という問題がおきてくる。すでに10万カップルが誕生しているそうだが、その一方で、9割が離婚するとも言われている。 “そもそも、フィリピーナとの結婚なんて止めたほうがいい。彼らは金だけが目当てで、家を建てたり、目的を達したらさっさと離婚して根こそぎ財産をもっていかれてしまう。”とアドバイスする人も多くいる。確かにフィリピンの法律では、結婚後に入手した財産は誰が金を出そうが夫婦共有で、離婚となれば折半になる。これが結婚前に手に入れたものにまで及ぶこともあるそうで、やらずぶったくり、合法的泥棒だ。 しかし、男女の仲は計算づくで計れるものではない。特に、フィリピーナは年の差なんて気にしない。10代の女性が60台の男性を本気で愛してしまうのだ。そこに打算がないわけではないだろうが、本当に本気なのだ。となれば、孤独だった日本人男性にとっての女神だ。だから彼女たちの結婚願望を満足させてやらないわけにはいかない。したがって私は結婚賛成派。どうぞ幸せになってくださいと手を合わせる。 しかしながら、フィリピンと日本の文化、慣習の隔たりは大きく、いたるところで摩擦を呼ぶであろうことは容易に想像できる。まがりなりにも国際結婚だ。幾多の難関を乗り越えてぜひその結婚を成就してほしいと思う。特にうまく彼女の家族とも良い人間関係を作り上げて老後を迎えたとき、きっと幸せな生涯を送ることができることと思う。それには、郷にいっては郷に従えという教訓を忘れないで、まず、フィリピン流に物事が考えられるように、自己改革が必要だ。

雑記帳 フィリピーナとの結婚は是か非か?



フィリピン人はバカだという人がたくさんいる。確かにやる事なす事その場限りで、先のことも考えず、計画性も何もないようだ。デパートの売り子も何の商品知識もないし、レジも長い行列ができていても平気、コンビにでも10人も店員がいるのにレジには長い列。しかも平気で口笛など吹いている。仕事もやらせても決して100%はやらず、何かやり残す。家に仕事に来ても、道具か材料を忘れて、やり直し。一日で終わるはずが3日かかる。思わず口の中で“バカ”と叫んでしまう。 しかしながら、それなりの会社でそれなりの地位にいる人は、なんとも頭が良くて知識も豊富。さらにハートもあって人格も高潔、おまけにお金持ち。日本では、見た事もないような人物がたくさんいる。有名大学出身のエリート学生を雇ってみると、その能力に舌を巻く。どうも2種類のフィリピン人がいるようだ。頭が悪くて金もない、一方は頭が良くてお金もある、おまけに顔も格好も良い人達。 日本では、どんな職業についていてもそれなりのプロであり、その対応はプロのそれを感じる。素人には真似のできない技をもっている。本人も自分の仕事には誇りを持っている。しかしながら、フィリピン人の巷で出会う人達、あるいは身近なメイドやドライバーなどには、その技を感じることができない。したがって“バカ“となるわけだ。 フィリピンで比較的下位の層を形成する人達は、常にジョブ(仕事)を得る事に汲々としている。私の夫はジョブレス(失業中)という話しをしょっちゅう耳にする。彼らは、例えジョブを手にしても常に失業の脅威にさらされている。フィリピンの雇用主は被雇用者を訓練し育てる事に熱心ではない。ビジネスが不調になるとすぐに首にして雇用調整をする。雇おうとすればいくらでも雇えるからだ。したがって、プロが育たない。転々と職を変える、あるいは変えざるを得ない彼らは、技術を磨く事ができないのでだ。特に某デパートの売り子は正社員はおらず、6ヶ月ごとに全員解雇してしまうそうだ(フィリピンでは6ヶ月以上雇うと正社員にしなければならないという法律がある)。 フィリピン人と個人的に付き合ってみると、頭の良い人も悪い人も色々だ。ただ、考え方や、習慣の相違から、彼らの行為を、つい頭が悪いためと考えがちだ。良く聞いてみると、向こうもこちらのやる事を頭が悪いためと思っているようだ。バカと相手を思うのは五分五分のようだが、お互い相手の習慣を良く理解して、バカバカと罵り合わないようにしたいものだ。

雑記帳 フィリピン人は、本当にバカ?


フィリピンで日本人が遭遇するトラブルや役人が賄賂を請求する姿を見ていると、フィリピーノは悪人だらけと言う気がしてくる。あんなに仲の良かった相手が手のひらを返したように情け容赦のない敵になったり、フィリピン人は、もう決して信用すまいと決意してしまったりする。しかし、本当に悪い人ばっかりなのだろうか。 フィリピン人が悪いというとき、必ずお金が絡んでいる。彼らが見た事もないようなお金をちらつかせる日本人に対して、どうしてもそのお金を当てにしてしまうのだ。それがあれば、家族が幸せになれる、弟も学校にいれてやれる、などと夢を見てしまう。しかし、そんな関係は長続きしない。いつか、お金が元で人間関係が壊れてしまう。そうなると、金を返せといっても返せるはずもないから、相手は開き直ってしまう。周りの人も、金のことしか考えないあんな冷たい日本人は、とれるだけとってほっぽり出せばいいと、余計なアドバイスをする。向こうの理屈で言えば、悪いのは金に汚い日本人という事になる。 金で人間関係は築く事はできない。日本人は金さえあればなんとでもなると考えがちだ。特に金に引かれて多くのフィリピン人が近づいてくる。そこでうまく人間関係を築く事ができないと、惨めな結末になるのだ。フィリピーノとうまく人間関係を築く事ができると、こんなにやさしくて、頼りになる人達は、日本ではなかなかお目にかかれないとさえ思ってしまう。フィリピン人のやさしさに心が癒される思いがする。 それは、彼らがいかに家族を大事にするか、友達を大事にするかということを見れば、あきらかだ。家族から頼まれるといやとは言えない彼らなのだ。だから、家族をサポートする事が結婚の条件になったりする。でも、いったん面倒をみると、面倒見るのが当然の義務のようにとことん甘えてくるのが、理解に苦しむところだ。 例えば、誰かが打合せに遅れて来ると、我々はイライラして、それが日本人であれば“あいつもフィリピーノタイムに染まったか”などとバカにしたり、場合によっては、怒鳴りつけてやろうか、などと思ってしまう。そしてやっとこさ到着すると、待たされていたフィリピーノは何事もなかったようににこにこして、ありきたりのいい訳に理解を示している。その時、彼らはなんとやさしいんだろうと感心するのだ。 年をとってくると、ど忘れしたり、ミスやそそうが目立ってくる。その時、家族や他人にいちいち文句を言われたのではたまらない。しかし、フィリピーノはニコニコと理解を示して、決して責めたりしない。だから、老人にとってはとても居心地がいいのだ。ただし、この理解を子供達にも示すのは、しつけという点でどうかなと思いもする。結論として、フィリピン人は人がよすぎる、とさえ私は感じてしまうこともある。

雑記帳 フィリピン人は、本当に悪い人?