Monthly Archives: July 2008


 7月18日から20日まで久しぶりにビコール地方タバコ市に戻った。我が家の目の前にそびえるマヨン火山は相変わらずその雄大な姿で私を出迎えてくれた。  農場には米が実り始めており、特に今年は豊作の見込み。この世界的な食糧危機の折、なんとも頼もしい限りだ。スーパーでは1kgあたり40ペソ(100 円)を超え数年前の倍近い価格となっており、貧困家庭では3度の飯にありつくのが困難なほどだ。マーケットに行くと政府が拠出しているはキロ23ペソの米を買おうと大勢の人が列をなすのが常態化している。  5年前、この土地を入手し家を建てた時に植えたランカの木に大きな実がなっていた。世界最大といわれるこの果物は英語ではジャック・フルーツといわれ、ほのかな芳香を漂わせるあっさりとした甘みで、果物のジャイアンツと言える。このほか農場にはパイナップル、バナナ、パパイヤ、ココナッツなどが実っていたが、いつか農場いっぱいに1年中フルーツが実って、米や野菜、そして家畜があふれる楽園にしたいと思っている。現在、犬は4匹飼っているが、今度も5匹の赤ちゃんを産んでいた。  世界一大きな果物ジャックフルーツ(ランカ)  今回の帰郷の目的の一つは友人夫婦の子供の洗礼式に出席することだった。クリスチャンにとっては人生最初の重要な儀式だ。洗礼式により赤ちゃんは世間に受け入れられ、多くの人に見守られて育って行く。前日我が家を訪れた友人夫婦には、洗礼式の後のパーティに供するために2匹の子豚をプレゼントした。哀れな子豚ちゃんと思う無かれ。これが彼らの宿命なのだ。パーティには不特定多数の知人が出席してご馳走を味わって帰る。我々も二人招待されただけだが、総勢11 人で出かけていった。人数制限のないのがフィリピーノ流招待だ。ちなみに出席者の一人、私の相棒であるフィリピ-ノの8歳になる姪はその美形に将来を嘱望されている。 将来が嘱望されるジェーンの美形の姪  最近はディスカウント航空券の普及でマニラ空港から最寄のレガスピ空港までたったの往復2000ペソ足らずで行けるようになった(ただし、十分余裕を持って予約しないと最大5000ペソ程度になってしまう)。バスだと約10時間もかかるうえ、一番高いバス料金が1800ペソだから、早めに安いチケットを確保するとバスとほとんど代わらない料金となる。ディスカウント航空券で最近急速にシェアを伸ばしているのがセブ・パシフィックだ。マニラ・ドメスティック空港にはセブパシフィックの新型飛行機が所狭しと並んでいた。各種トラブルで開港が6年越しで遅れていた最新鋭のマニラ空港(NAIA)第3ターミナルで7 月22日より部分的に運航を開始することになっている。  マニラ空港(NAIA)大3ターミナルにはセブパシフィックの機体が並ぶ

久しぶりの帰郷 2008年7月21日


 7月4日(金)、フィリピン退職庁(PRA)の第23回創立記念パーティが催された。PRAは退職者ビザを発行する機関で、日本を始めとする中国、韓国、アメリカ、イギリスなど世界各国の退職者に退職後の人生をフィリピンですごしてもらい、フィリピン経済に寄与してもらうことを推進する政府機関だ。PRA のトップはゼネラル・アグリパイという元フィリピン国家警察(PNP)の長官を務めた著名人だ。  この日はPRAの職員のほか、銀行などの協力機関、フィリピン在住の各国の退職者を招待し、年に一回の顔合わせのパーティだ。場所はマンダルヨンのランカスタースイートというコンドミニアムのメザニン(中2階)で、聞いたことも無く、まずその場所を探すのに一苦労した。駐車場も少なく、大きなパーティを開くにはどう見ても適しているとは思えない。会場も狭く、入り組んでいてなぜこんなところで開催したのだろうかと疑問に思い、PRAの職員に聞いてみると、MRT(電車)の駅に近く職員が帰るのに都合がいいからだという。そもそもPRAは毎年会場を代えるのでいつも場所を探すのに苦労する。どうも地理に疎い退職者のことは二の次のようだ。  翌日、とある退職者から私に抗議の電話が入った。パーティの通知が来ず、知らなかったというのである。しきりに文句を言っていたが、私に言われても仕方がない。私はもはやPRAの職員ではないのだ(私はかつてPRAに2年間コンサルタントとして勤めていた)。考えてみると退職ビザを持っている私にも招待状は来なかった。ただ仕事がら多くの退職者の住所に事務所の住所を使っているため、招待状の存在を知っていたのだ。PRAとしては退職者の便宜を図ることに傾注はしているものの、どうもやることがちぐはぐで、所詮フィリピンの役所の域を出ることは困難なのだろう。とかく文句の多い各国の退職者の目から見ると PRAは一体何をやっているのだという批判が絶えない。

フィリピン退職庁の創立記念パーティ2008年7月8日



 原油の異常な高騰のあおりを受け、世界的に穀物等をはじめとするあらゆる食材が高騰し、食糧危機の到来が取りざたされている。フィリピンでもガソリンがリッター当たり60ペソ(150円)にのせるなど、人々の生活を直撃している。しかしフィリピンではもう一つの食糧危機が到来しているのだ。ラプラプやマグロなどの海水魚(写真上)が半値以下に値下がりし、一方ではテラピア(写真下右)やバゴス(写真下左)などの養殖魚が倍以上に値上がりしている。それでもラプラプなどを買って食する人はまれで、ただ放棄されているという。  その原因は、先日の台風6号(フランク)により、シブヤン海、シブヤン島沖(ルソン島、ミンドロ島、パナイ島に囲まれた内海)で大型フェリーが沈没し800 人近い死者を出したが、その遺体が回収されず、海に漂い、魚のえさになっているとうわさである。キリスト教信者が大半を占めるフィリピンでは、極端にこのようなことを忌み嫌う。そのため、マニラの市場では誰も海水魚を食べようとしないのだ。  またさらに、この界隈の漁民は漁を行なうことを禁止され、その日の糧にも窮しているという。パラワン島など遠く離れた漁場で取れた魚は関係ないと思うのだが、海はつながっているから、人々は気持ち悪がって手を出そうとしない。そのため、全国の漁業関係者、おろしや小売などまでも大打撃を食らっている。ただほくそ笑んでいるのは、魚の養殖業者だ。普段はラプラプなどの海水魚の半値以下で売られているテラピアやバゴスが一気に倍以上の値をつけ、ラプラプよりはるかに高値で取引されているというのだ。

もう一つの食糧危機2008年7月3日


 タバコとは煙草のことではなく、刃物などを示すビコール語のタバックから来ている。タバコ市は国際港があり、サンミゲル島やカグラライ島により、波も静かな天然の良港で、日本の船員さんもたまに見かける。そのためカトンドゥアネス島へのアクセスもタバコ港であり、さらにレガスピ市と並んで周辺市町村の物資の集積地でもある。新装なったタバコ市営マーケット  街そのものはZiga (シガと読む)通りの両側500m2ほどだが、夕方から人であふれかえっている。周辺は一帯に水田が広がる穀倉地帯だが、その西側にそびえるマヨン火山の絶景が有名だ。産物はお米以外にはアバカ製品(マニラ麻)が有名で、ハンドバッグなどの民芸品は、安い上にデザイン的にもすぐれ、おみやげ物屋にあふれかえっている。  2003 年8月、旧タバコ市営マーケットは火事で消失してしまった。火事の後、アロヨ大統領が見舞いにやってきたほどの大火事だったそうだが、うわさでは、マーケットのビルを立て替えるのに入居している店が邪魔なので、市の関係者が火をつけたということだ。その直後、市の経済を牛耳る中華系フィリピン人のグループとインド人のグループが秘密の会議を開いた。中華系は、今こそ、市の小売業を独占するチャンスであると気勢をあげた一方、これら小売商に資本を提供して、日銭を稼いでいるボンバイことインド人グループは、マーケットの小売商が閉店してしまっては日々の集金ができないので、死活問題と嘆くばかりだったそうだ。  消失したマーケットビルを取り壊し、新たに完成したのが、2007年5月。この間、小売商は、マーケットの近くの空き地にバラックをつくり、たくましく商売を続けてきた。一方、新装なった新しいマーケットビルには、ぼちぼち入居が始まっているものの、使用権を買うのに最低20万ペソ程度必要で、そんなお金を支払える人はそうはいない。そのためマーケット周辺では露天商が並び、返ってかの喧騒と混沌のフィリピンらしい雰囲気を醸し出している。  日本では新宿、渋谷などの一部の都心をのぞいてほとんど雑踏といえるものを見ることがなくなった。どこへ行っても人影はまばらで、活気がある、あるいは生きているという実感がなくなって来ている。道路や建物はとてもきれいになったが、人がいないのだ。特に子供がいない。ところが、マニラから500kmも離れたフィリピンの田舎街で、まさに人々は生きているのだ。ここにはあふれかえる生がある。国としてあるいは個人として、日本と比べたら微々たるお金しかないかもしれない。しかし、彼らは、ここで幸せを満喫しているような気がするのだ。

ビコール地方タバコ市の紹介2008年7月2日