Monthly Archives: October 2008


 9月末、引越し準備で事務所が閉鎖されている間を利用して、ビコール・タバコの農場を訪問した。未だ本格的に農場を運営しているというほどではないが、なんとか農場といえる程度に米の栽培や家畜の世話をしている。  先日、2頭の子豚を友人の子供の洗礼式にプレゼントしたため、豚小屋が寂しくなっていたが、今回は10頭の子豚が生まれにぎわっていた。 私にとって子豚が生まれるのは初めてというわけではないが、豚の赤ちゃんはいつ見てもとても可愛い。この母豚は初産であり、10頭の子豚は皆元気で走り回っていた。   ところで放牧養豚というものが取りざたされているが、こんな小さな豚舎に閉じ込めておかないで広い野原で自由に動き回れたら、彼らも幸せだろうと思う。6ヶ月程度の短い一生なのだからせめてその間、生を最大限エンジョイさせたい。生産効率は多少落ちるそうだが放牧されて育った豚の肉は格別においしいという。それに土壌にまかれた糞尿は有機肥料となり土壌も肥える。そこに植えた作物も立派に育ち、糞尿の処理も不要、さらに豚肉もおいしいという、まさに一石3鳥だ。しかし広い土地が必要であり、現在の養豚業は過密飼育が一般的だから無理なことかもしれない。しかし、わが農場は土地が有り余っているので、近い将来是非チャレンジしたいと思っている。 お乳をせがむ生まれたての子豚   農場には豚のほかに、あひる、鶏、テラピア(食用淡水魚)などを飼育しているが、彼らは実に性にあっけらかんとしており、自然の営みが脈々と行なわれていることが観察できる。水田や養魚池には昔懐かしいタニシが棲息している。タニシはアヒルのえさとして、貴重なタンパク源となっており、タニシの多い季節はアヒルも卵をたくさん産んでくれる。そのタニシの卵はピンク色で池の壁や水田の土手に卵を産み付けているが、当然のことながら卵を産む前には交尾を行なう。その現場を養魚池の淵でとらえることができた。 タニシの交尾現場  アヒルの受精卵をゆでて食べるのが有名なフィリピン名物のバロットだ。この農場の卵はすべて有精卵だが、その現場が次の写真だ。アヒルのオスはメスに馬乗りになり、しばらく両足でメスの体を押さえつける。そうこうしているうちに合体ということになるが、いったん合体したらいたってことは早い。この写真ではまるでベテランのオスが若いオスを指導しているようだ。  鶏のメスがひよこを引き連れて歩き回る様は、実に愛らしいものだが、農場では我が家の飼い犬がひよこを襲ってしまうので、小屋に入れている。ひよこを育てているメスは実に凶暴だ。近づくとすかさず攻撃される。卵を温めている間の母鳥の忍耐と努力は賞賛に値するが、その自己の保全を省みない母性も驚きに値する。本能とは言え、自然の営みに感激する。一方、昨今の日本の親殺し、子殺しなど、家庭内での悲劇を耳にするに付け、人の世では、この自然の本能をどこかへ忘れ去ってしまっているのではないかと危惧される。  農場では現在5頭の犬を番犬として飼っている。彼らは家の周囲を自由に徘徊し24時間警護している。食い物さえ与えていれば、昼夜休みもなく働いてくれるのだから、本当にありがたい存在だ。一頭は生まれて間もないが、後の4頭はボスのアイス(オス、5才、ラブラドールの雑種)、その妻のチャコ(メス、5才、シェパードの雑種)、チャコの子供の熊太郎(オス、4才、シェパードの雑種)と熊子(メス、4才、シェパードの雑種)だ。ちなみにアイスは熊太郎と熊子の父親ではない(父親の太郎はアイスとのボス争いで死闘を繰り返すため他へ移した)。子犬の父親はアイスだが、この4頭と子犬でバランスを保っていたのだが、今回異変がおきた。  かつては母親のチャコが娘の熊子を常々威嚇して、母親の威厳を保っていた。ボスのアイスの子を産むのはチャコだけだ。どんなにアイスが熊子に挑んでも熊子は操を守ってきた。きっと母親の男を取るなんてことは許されないということだろう。しかし、今回、娘の熊子が母親のチャコを威嚇して、チャコはキャインキャインと情けない声を娘に対して発していたのだ。まるで主客転倒である。原因は何かわからないが、母と娘の世代交代が実現してしまったのだ。それだけでは終わらない。ボスのアイスが熊子に挑んで熊子はそれを受け入れたのだ。彼らは血がつながってはいないが、たとえつながっていてもこういうことになるのか興味のあるところだ。  合体後の2匹、アイスはまるで何事もなかったように平然とそ知らぬ顔をしている。一方遅すぎた春(?)を迎えた熊子は自分の足をかんだり、なんやかんやと事後処理に忙しい。その後、しばらくの間、アイスが熊子に挑むと、よほど不快な思いをしたのか、熊子はアイスを威嚇して拒否する行動に出ていた。アイスやチャコにはまるで従順だった熊子がボスの女(あるいは妻)になった途端に強くなるものだと感心させられることしきりだった。  メスは後始末にいそがしい  人の手を加えないで複数の犬を飼っていると、犬の社会のしきたりを色々知ることができて興味がつきない。彼らは、赤ん坊の時から育てているので、犬の社会の学習はない。これらすべてのしきたりが本能から来ているのだろうか、一体どうやってこれらのことが世代を越えて伝えられていくのか、もし人間の子供が人間社会から一切隔絶されて育ったとしたら、果たしてどのような社会生活をするのだろうか、などなど思いがめぐる。ついでに少々古い写真だが、我が家の猫の交尾シーンを紹介しよう。わが人生において初めて目撃した動物が正常位で交尾しているという感激的瞬間である。

農場には自然の営みが溢れていた2008年10月25日


 今回は同僚と退職者の日本人二人をスービック(オロンガポ)とクラーク(アンヘレス)に案内した。マニラのパサイ市にあるビクトリアライナーのバスターミナルが出発地点だ。エアコンつきのバスでスービックまで約3時間の道のり。220ペソ足らずの料金はリーゾナブルだ。途中昼食タイムもあって、3時間と 30分くらいでオロンガポのバスターミナルに無事到着した。そこからトライシクルに乗ってスービックのメインゲートへ向う。オロンガポのジープニーは黄色で統一され、街並みもどこか豊かな気がする。これはスービックという広大な経済特別区を隣接しているてめに、かなり潤っているのだろう。  スービック訪問の目的は、将来の安住の地を見つけるために、フィリピンの外国といわれる元海軍基地の整ったインフラと抜群のセキュリティを身をもって体験すること、それとポコアポコ・コンドテルの訪問だ。ポコアポコはスービックの市街地に建設されているコンドミニアムで第一期工事は完売し、第2期工事が販売中。地の利が良く将来の値上がりも期待され売れ行きも好調という。価格的にはマニラと大差なく、プレセールで平米15万円程度と決して安くない。しかし、しゃれたレストランが並ぶ海辺まで歩いて行けて、夜でも安心して歩けるセキュリティの良さが人気の秘密なのだろう。  ポコアポコの訪問で時間をとってしまい、東京23区と同じ広さを持つという広大なスービックをじっくり見学する時間がなくなってしまった。そのため、動物園 (ズービック)、水族館、ゴルフ場、海水浴場などのレジャー施設は次回ということで割愛した。港にはアメリカ海軍の巡洋艦(?)や空母が泊まっており、今夜は数千人の水兵で街があふれ返るだろうとのことだった。  スービックからクラーク(アンヘレス)までは最近開通した高速道路で1時間足らずで行ける。幸い、クラークに行く方に同乗させてもらったが、途中、アメリカ軍の数十台の戦車がスービックからクラークへ輸送中で、巨大な戦車を目の当たりにすることができた。  クラークの入り口に近いフィールド通りは以前にも紹介したが、100軒以上のゴーゴークラブが建ち並ぶ東洋一とも言える歓楽街だ。日が暮れると客引きのゴーゴーガールが店の前に建ち並び一種異様な光景が現れる。この世界的な金融不況をもろともせず、明け方近くまで観光客でにぎわっている。  翌朝、フィールド通りからほど近いダウのバスターミナルへジープニーで向う。ターミナルには各地へ向うバスがしきりなしに発着しているが、マニラの入り口まで100ペソ超、1時間の道のりだ。まさに、「金なし、コネ無し、フィリピン暮らし」を地で行っている気がした。  高速道路の左側にはかつて抗日ゲリラのフグハラハップが立てこもったというアラヤット山が広大な平原にそびえている。マニラまで約80kmの間、山といえるのはこのアラヤット山だけで、ひたすら平野が続いている。ほとんどが水田だが、それでもフィリピンは米の輸入国だというからなんとも不思議だ。  退職者の人がマニラの北方のカラオカンという所に宿を取っているので、高速道路からマニラに入ったところでバスを降り、ジープニーに乗り換えた。ジープニーは一台ごとに行き先が違うので目的の場所に行くジープニーを捕まえるのは容易でないが、回りの人に聞きながらなんとか無事に乗り込んだ。ジープニーの運転手はこの道の達人だ。一人8.5ペソの乗車賃の徴収から、客の指示によりどこにでも客を降ろし、客を拾うのもタクシーのようにどこにでも止まる。ためしに運転手の目線で街を眺めてみたが視界が悪く、私ならこのパワステもない巨体を運転するだけでもやっとだろう。  カラオカンの中心はモニュメントというが、革命組織KKK団を率いた英雄ボニファシオを記念したモニュメントに由来している。カラオカンは比較的貧困な人々が暮らす街だが、高架鉄道のLRTの終点であることから、さらに北へ向う人の集積地でもある。そのため無数のジープニーが発着し、喧騒と混沌が闊歩する街だ。ちなみに花街の女性に住処を聞くと半分以上がカラオカンと答える。  モニュメントを囲むように大きな看板が乱立し、雰囲気を台無しにしている。台風の多いフィリピンではこのような巨大な広告塔は倒壊の恐れがあり、規制する動きがあるが、現在でも高速道路わきには無数の巨大広告塔がまさに幅を利かせている。庶民の足、LRTはここでおしまい。将来的にはさらに北に延長される予定だが、すでにラッシュアワーは超満員なので、この小さな車両で乗客の増加を賄えるのか心配だ。車両を買いまして増便の予定もあるそうだが、資金の手当てがつかないのか、なかなか実現しない。  LRTの高架下には屋台が延々と並びフィリピンらしい光景を作り出している。 北へジープニーで向う人たちが夕餉の支度やお土産を買って帰るのだろうが、その活気には圧倒される。   モニュメントのある大きな交差点付近には若者が何をするわけでもなく寄り集まっている。引ったくりやホールドアップは日常茶飯事でフィリピン人でも安心して歩けないという。しかし、「金なし、コネ無し」諸氏に怖いものはないようだ。

金なし、コネ無し、フィリピン旅行「スービック、クラーク、カオルカン編」2008年10月24日



        フィ リピンでもっとも盛んな庶民の楽しみといえば、国民的スポーツのバスケット、そしてすべてのフィリピン男性を夢中にさせる闘鶏だ。地方に行くと町はずれ にある大きな建物といえば皆闘鶏場。そして闘鶏のある日は、その周辺はトライシクルや車でいっぱいになっている。日本や他のアジアの国でも闘鶏は行 われているが、フィリピンでは桁外れに盛んで、スペイン統治の時代から闘鶏は男性の勇気のシンボルなのだ。 タバコ市の闘鶏場 闘鶏場の周りは近隣から集まるバイクが一杯だ 闘鶏の勇姿はフィリピン男性の心をとりこにする 闘鶏のルールは至極単純で、戦わせる闘鶏のどちらかにお金をかけて、その闘鶏が勝ったら相手から掛け金を受け取るというものだ。まず、二人の男が一羽ずつ闘鶏を抱え、2羽 の闘鶏を近づけたり離したりして士気を高める。その間に、賭けが始まるわけだが、闘鶏場はメロン、ワラ(本来は有ると無いという意味だが、赤コー ナーと青コーナーを指す)の掛け声でウオーンとまるで闘鶏場そのものがうなり声をあげているようになる。闘鶏場の中には賭けを仲介する人がいて、もし 自分がメロンにかけたかったら、同額をワラに賭ける相手を探してくれる。もし自分が勝ったら、少々のチップを仲介者に上げるわけだが、こんなルールで よく混乱がおきず、ちゃんと掛け金を回収できるものと、いつも感心させられる。 闘鶏のリング […]

豆辞典 闘鶏(コックファイティング)への招待