Monthly Archives: November 2008


 昨夜、8時過ぎに家でくつろいでいたら、メイドがドアをノックして、ダダがテレビに出ていると騒いでいる。今年の6月ごろ、しばらくの間フィリピンで放映されていた韓国KBSの報道番組が再び放映されていたのだ。そういえば最近、知り合いのフィリピン人に会うたびにテレビで見たといわれる。毎週木曜日夜8時、IBC13チャンネルでしばらくの間放映されるそうなので是非見て欲しい。フィリピンでの日本人や韓国人の退職者の生活振りが紹介されている。以下の写真はその時の取材の模様だ。今回は取材のときの様子で未公開の写真を掲載した。  タバコの農場の風景を撮影する取材陣。コーディネーターはフィリピン在住韓国女性のルディアさんだ。 即席のパーティを開いて演出するが、こんな大掛かりなパーティは最初で最後だろう。もちろんパーティのスポンサーはKBS。相棒の家族、姻戚、ご近所総出で50人くらいは集まったろうか。それにつけてもフィリピン人はのりがいい。 翌日は近所の学校や農場で取材の続き。どこへでもしゃしゃり出ていくカメラマンの図々しさにはあきれる。 空港で最後の一枚  

韓国KBSの取材(その2)2008年11月28日


 最近、マラテ、エルミタなどの下町では扇で顔を半分隠した浮世絵風の女性の看板がやたらと目に付く。これがホテル/モーテル・チェーンSOGOのシンボルマークだ。名前の由来と日本風のロゴとの関係は定かではないが、日本人を夫に持つフィリピン人の経営らしい。フィリピンの若者に評判のホテル/モーテルということで5~6年前に始めて耳にしたが、それまでは欠けたリンゴのロゴのアニトや人差し指を口に当てた意味ありげのロゴのビクトリア・コートがモーテル市場を席巻していたのだ。 この二つのモーテルチェーンのオーナーはMr. Kingといい、メトロマニラのいたるところにこの看板を掲げるという羽振りのよさで、当時モーテル王として君臨していた。私は1990~1994年の間、マカティのパソンタモ通りのKing’s Courtというビルに事務所を借りていたが、それがこのモーテル王Mr.Kingの持ち物だったのだ。ちょっと交渉事があって彼と話をしたことがあるが、物腰が柔らかくて物分りの良い中華系フィリピン人だった。  そのKingさんがしばらく前にすべてのモーテルを閉鎖してしまったのだ。理由は「モーテルの存在により世の紳士淑女に婚姻外の関係を結ぶ場を提供し、数知れぬ家族を破壊に追いやったのは偏に自分の責任であり、神を冒涜するものだった」という極めて敬虔なクリスチャンの発想によるものだった。確かにシングルマザーなどの増加もこのモーテルの存在に起因しているのかもしれない。しかしKingさんの本音は違うのではないか。だだっ広くて趣味の悪い内装が時代遅れでSOGO等の新興勢力の台頭により採算が合わなくなり、事業閉鎖に追いやられてしまったが、労働争議の発生を抑えるためにもっともらしい理由をつけたものだろう。    それにつけてもSOGOの躍進はすさまじく、第1号店のマラテ店、エドサのエドコンの近くに2店舗、さらにマンダルヨンに1店舗と、あの赤と黄色の派手派手な巨大なビルがいやが上にもその存在感を誇示している。さらに最近はパサイ、マラテ地区を脱出してクバオ、ノースエドサ、アラバンなどメトロマニラ全域に展開している。そしてさらにセブなどにも出店し、パンパンガにも新店舗がオープンしたという、まさにSMデパートチェーンのように全国展開を果たさんが勢いだ。   SOGOの部屋は小ぶりだが使い勝手のよい近代的なレイアウトで、安さと清潔さを売り物にしている。一昔前のモーテルのように変に内装を凝ることもなくシンプルなところが人気の秘密のようだ。モーテルというよりホテルのつくりで、部屋ごとに駐車場をつけるなどという無駄なこともしていない。そもそも車を持っているカップルなどはこの国では少数派だし、車のまま中に入り人知れずことをなすなどという発想はすでに時代遅れで、カップルは堂々と腕を組んでホテルないしモーテルに入るというのが今風なのだろう。さらに空室の多い平日の夜は525ペソで一泊(12時間)できるなど、バックパッカー用の安宿のないフィリピンでは旅行者にとってもありがたい存在だ。なお、SOGOはホテルを併設しており、通常のビジネスホテルとしても機能している。  

ホテル/モーテルチェーンSOGOの大躍進2008年11月26日



 原油価格が1バレル50ドルを割り込んで、ガソリン価格も毎日のように下がり続けている。一時リッター60ペソを超えたものが、40ペソ前後まで下がっている。円換算すると150円(1ペソ=2.5円)が80円(1ペソ=2.0円)と円高の影響もあって半分近くになっている。自家用車組みには大変うれしい事態だが、もっと喜んでいるのはタクシードライバーだ。前回、ガソリン代とバウンダリー(車の使用料)を払うと1銭の手取りも残らないと書いたが、その後政府は30ペソの初乗りに対して、一律10ペソの上乗せを決め、タクシードライバーの収入を確保する策をとった。現在、ガソリン代が40ペソに下がった上に、この10ペソの上乗せも健在で、タクシー運転手は笑いが止まらないという状況なのだ。 そこで、タクシーの懐具合を計算してみよう。まず運転手からヒアリングしたデータだ。 ・一日の走行距離の平均:250km ・平均乗客数:35人 ・バウンダリー(車の使用料):1050ペソ(16時間) ・初乗り料金(500m):30ペソ、500m以降 2.5ペソ/300m ・上乗せ料金:10ペソ/乗車 ・燃費:7.5km/L 次にガソリン代が60ペソ、40ペソの場合の収支比較だ。    項目        ガソリン代60ペソ   40ペソ ガソリン代(33L)       2000ペソ    1330ペソ バウンダリー         […]

ガソリン代が下がってタクシー運転手はホクホク顔2008年11月24日


 フィリピンに格安航空券の旋風を巻き起こしたゴー・コンウエイ率いるフィリピン第2位の航空会社セブ・パシフィックが11月20日ついにマニラー関西空港に就航した。料金は往復2000ペソというが、サーチャージなどが上乗せられて18000ペソ、それでも競合他社の半値に近い。週3便と限定されているが、是非増便して、成田からも飛んで欲しい。そうなればフィリピンがもっと日本に近くなるはずだ。ちなみにセブ・パシフィックはどの国内便もエアバス社の最新鋭中型旅客機を使っているので多分写真と同じ飛行機が大阪へ乗り入れたに違いない。  現在最新鋭の第3ターミナルがセブ・パシフィック専用に使われているが、前にも紹介した通り、広々としたモダンなターミナルだ。フィリピン第1位のフィリピン航空(PAL)は第2ターミナルを専用に使っているが、それよりもはるかに規模が大きい。ひょっとしたらセブ・パシフィックがターミナルのサイズのみならずPALを追い越してしまう日が来るかもしれない。そうなるとPALのオーナーのルシオ・タンも真っ青になるだろう。いずれにせよ両者とも中国系の財閥で、いろいろなところでしのぎを削っているのだ。  ちなみセブ・パシフィックは北からソウル、台北、香港、バンコック、クアラルンプール、シンガポール、ジャカルタと東南アジアの主要な都市をマニラと結んでいる。今まで日本への乗り入れがなかったのが不思議なくらいだ。このようなフットワークの良い航空会社が活躍すると他の航空会社も刺激されて、もっと魅力のあるサービスが受けられるようになると思うのだが。

マニラー関空に格安航空のセブ・パシフィックが就航2008年11月21日



 国連人口基金の発表によると、フィリピンの2008年の推定人口は8970万人で、2007年より380万人増加したそうだ。2000年代の平均の人口増加率は約2%、したがって5~6年の内に1億人に達する見込みだ。 東南アジアではインドネシアについで2番目の人口大国で、減少に転じている日本の人口が1億2790万人だそうなので、このままでは15年後位に日本の人口を抜くのは間違いないだろう。ちなみにマニラ首都圏の人口は2007年に1055万人と1千万人の大台を突破し、全国の人口増加割合よりはるかに大きく、地方から首都圏への人口の流入が激しい証拠だ。写真のようなフィリピンの若者達がこれから子作りに励むとなるとこの傾向は決して変わらないだろう。  ちなみに私が初めてフィリピンにやってきた1989年には、フィリピンの人口が7000万人、マニラ首都圏が700万人、国土面積は日本の70%、また島の数が7000と7づくしで大変憶えやすかった。あれから19年、ずいぶんと変化したものだ。フィリピン政府はこの人口増が貧困増につながると人口抑制にやっきとなっている。しかし、あの子供好きなフィリピン人から子供を奪ったら一体何が残るのか。子供が唯一の幸せと考えている彼らから子供を奪うことなどできなはしないし、はなからあきらめた方が賢明というものだ。カトリック教会でも現在下院に提出中の「人口抑制法案」に対しては徹底抗戦の構えだ。  フィリピン人はほとんど見境もなく子作りに励んでいるように見える。たとえ経済的に許されなかろうが、結婚していまいが、お構い無しだ。避妊がはばかれ、堕胎が禁止されているから、妊娠すると皆出産することになる。したがってシングルマザーも多いが、いずれの場合でも子供たちは家族中の愛情を一身に受けてたくましく育っていく。そして子供を育てることが親の生きがいであり、親子ともども幸せなのだ。仕事があるから、面倒を見れないから、経済的に難しいから、などなどと理由を挙げて、子供を作らない、あるいは妊娠してもおろしてしまう、という日本の発想は、なにかおかしいのではないか。フィリピンの方が自然で愛と幸せに溢れているのではないかと感じるのは私だけだろうか。

フィリピンの人口が9000万人に肉薄2008年11月20日


外国へのペット(犬、猫)の持ち込みは大変わずらわしい手続きを必要とし、渡航予定の3ヶ月前位から準備を開始する必要ある。手続きの詳細については下記の動物検疫所ホームページにアクセスする共に、最寄の空港検疫所並びに航空会社に連絡を取り十分手続き方法を把握して進めてほしい。 http://www.maff.go.jp/aqs/ 1. 輸出手続き ペット(犬、猫)を日本からフィリピンへ持ち込む手順は概ね下記となる。 (1) 狂犬病予防注射を実施 (2) フィリピンから輸入許可証を取得 (3) フライト予約 (4) 日本の空港で輸出検疫を実施 (5) チェックイン (6) フィリピンで輸入手続き (7) 日本への再輸入 2. 狂犬病予防注射 フィリピンにペット(犬、猫)を持ち込む場合、日本には狂犬病がないため、狂犬病の予防注射の接種義務は免除されているが、フィリピンは狂犬病が蔓延しているため予防接種を受けずに渡航することはペットの命のリスクがある。予防接種は渡航前30日以上、180日以内に終了していなければならず、さらに後述する抗体検査を行なう場合、30日以上間隔をあけて2回の接種が必要なので、60日以上前に第1回目の接種が必要だ。一方、抗体検査の結果がでるのに2週間かかる。 また、日本の検疫所からは3種混合予防注射、蚤取り、虫下しなどの処方を要求されるので事前に獣医に相談して済ませておく必要がある。これらの処置は一回でOK。なお、後述するマイクロチップを装着する場合、これらの予防接種は装着後に行なう必要がある。 獣医には「狂犬病予防注射接種済証」および「抗体検査結果証明書」及び「3種混合などの接種証明書」を発行してもらうこと。これらは日本の検疫に提出するので日本語の証明書でOK。 […]

ペット(犬、猫)のフィリピンへの持込について 2008年11月19日



 久しぶりにモール・オブ・エイシアを訪問した。世界で3番目、中国を除くと世界一の規模を誇るというSMデパートチェーンの旗艦モールはクリスマスを控え人で溢れかえっていた。ただし、モールの外は暑さのせいか人影もまばらだった。  この巨大なモールは駐車場ビルを除きすべて2階建てで、天井の一部がガラス張りとなっており、自然光が取り入れられているというモダンなつくりとなっている。この設計がビルの内部に閉じ込められているという感覚から人々を開放しているのだろう。  モール中央の広場には巨大なクリスマスツリーが飾られ、いやが上にもクリスマス気分を盛り上げている。時間になるとその脇でゲストシンガーによるショーが開催される。  モールの内部は冷房の利いた街そのもので、買い物客というよりも街を散策する人々で一杯だ。デパート、スーパーマーケット、無数の店舗とレストラン、映画館そしてスケートリンクまでがモールの中に納まって人々を呼び込んでいる。  モールは3つに別れており、その間には中庭があり、スナックを売る店が並んでいる。それがまた気分転換ともなり、一日中いても退屈しないようになっている。  中庭の通路には観覧車が買い物客を乗せてゆっくりと走っている。またモールの内部にもゴルフ・カートが走っているほど、ゆったりとした空間になっている。買い物袋を提げた人は案外と少なく、買い物というより冷房の利いた街を楽しんでいるといった風情だ。  デパートのおもちゃ売り場も人で一杯だが、売り子が客よりも多いような気もする。クリスマスが近づくときっとプレゼントを買い求める人で身動きができなくなるのだろう。それでもスーパーのレジは大量の買い物をする人であふれている。この巨大なスーパーは大量の物資とそれを買い求める人であふれ、世界不況どこ吹く風だ。フィリピンにこれほどの購買力があるのかと感心させられる。これはきっと世界で活躍するOFW(Overseas Filipino Workers、海外出稼ぎ労働者)の送金(フィリピンの国家予算を凌駕し年間1兆円をはるかに超えるという)により、フィリピン経済の実態に比べて現金が大量に存在するためだろう。  確かに日本に比べて物価が5分の1というから、海外で稼いでフィリピンで使えば、購買力は5倍となり、5兆円相当という大変な金額だ。日本における昨今の経済状況に対する悲壮感に比べて、フィリピンでは人々はおおらかに金を使えるわけだ。 しかし世界不況が続くと解雇されたOFWのUターンラッシュが始まり、フィリピンも大打撃を受けることは間違いない。そうなるとモール・オブ・エイシアも閑古鳥が鳴くことになるのではないかと危惧される。 それでも米の値段が1kg40ペソ程度になっているのは貧しい人々にとっては打撃だ。従来米の値段は日本の10分の1程度で、物価全体の5分の1のさらにその半分だった。給与水準は10分の1程度だから基本的な生活はつりあっていた。しかし、米の値段が倍になってしまうとなるとそのバランスがくずれ、 OFWなどに頼れない人々の生活はそれだけきびしくなるのだ。  食品売り場にはこれでもかというくらい南国の果物、さらに中国などから輸入したリンゴなどの果物が所狭しとばかりに並んでいる。しかし、乾季と雨季の2シーズンのせいか、ほとんど1年中同じ果物が並んでいるような気もする。  圧巻は果物の王様といわれるドリアンだ。フィリピンではミンダナオ地方で栽培されるが、この強烈なにおいのせいか、フィリピン人は他の東南アジアの人々に比べて意外とドリアンを好まない。  […]

クリスマス商戦たけなわのモール・オブ・エイシア2008年11月18日


 SMモール・オブ・エイシアのあるマニラ湾の埋立地にチャイナタウンが出現した。旧マニラ市街にあるフィリピンのアメ横、チャイナタウンのデビソリアをマカパガル通り沿いの新興市街地に移植しようという試みだ。向かいにはかのシーフードマーケットレストランがバクラランから移植され、もはや名物となっているので、それにあやかろうという算段だろう。HK SUNPLAZAという大きなネオンが掲げられているのすぐにわかる。 建物の横には中国語でフィリピンと書かれいかにも中国的な看板が掲げられている。日本食のレストランもある。さらに家具屋の大手、BRIMSや民芸品のBALIK BAYANも出店している。  中は広大な体育館のようになっていて、まるで屋外のようだ。そこに無数の一坪ショップが、といいたいところだが、まだまだ空きが目立ち、本家チャイナタウン・デビソリアの混沌と雑踏の雰囲気にはまだ程遠い  安物の衣類やバッグを売る店や家具屋が多い。数の上では数万件あると推定されるデビソリアと比べようがない。この家具屋の集合はパコの家具屋街を彷彿とさせる。安物の家具を探すのならばたくさんまとまっているので便利だ。  HK SUNPLAZAの右角にある中国レストランHong Kong Chefがお勧めだ。安くて、うまくて、量が多い。午後の2時を回っているというのに、中は客で一杯だ。まるで香港かどこか中国で食事をしているような錯覚をおこす。SUNPLAZAの建物の中にはまだ余り人はいないが、このレストランだけを目当てやってくる人はたくさんいるようだ。

埋立地に出現したチャイナタウン-香港サンプラザ2008年11月17日 



 セレンドラとは名門アヤランドが開発したボニファシオ・グローバルシティにある高級中層コンドミニアムだ。ボニファシオ・グローバルシティとはマカティの東にあった国軍のボニファシオ基地が1990年代民間に払い下げられ、開発が急ピッチで進められている新興都市だ。その立地の良さから、高級市街地として急速に発展している。  セレンドラはマーケット・マーケットという大型のショッピングモールに隣接しているが、その中庭にあるコマーシャルセンターが新しい若者の街として多くの人々を集めている。   11月ともなるとフィリピンは世界でもっとも長いといわれるクリスマスシーズンの飾り付けでにぎわう。さすがアヤラとうならされるセンスの良い庭園はすでにクリスマスツリーなどの飾り付けで一杯だ。  ここがフィリピンとは想像がつかないようなしゃれたレストランやブランド物を売る店が建ち並ぶ。ひときわ目を引いたのが、水のカーテンに映し出された映像だ。外枠のパイプから滴り落ちる一列に並んだシャワーのスクリーンに映像を映すという奇想天外の発想で、それが暗い夜空に見事に動画を映し出しているのだ。   この日はPRA(フィリピン退職庁)の関係で知り合ったモダンなフィリピーナの招待でフィリピン料理をご馳走になったのだが、なんとそこに再びイメルダマルコスが登場したのだ。さすがに今回はツーショットはためらわれたので、遠くから一枚取らせてもらった(ピンボケ写真ですみません)。同行の日本人に、以前モール・オブ・エイシアで遭遇して写真を撮らせてもらったことを話したら(本ブロクの一回目の記事で紹介)、まさに奇跡とびっくりしていた。しかし、実を言うとこれは2回目ではなく、3回目なのだ。1995年ごろ彼女がハワイから帰国して間もないころ、マカティのシャングリラホテルのシャンパレスという中華料理店で遭遇したことがある。このような歴史上の人物ともいえる人に3回も遭遇するなんて、やはり外国暮らしならではの賜物だろう。

ボニファシオ・グローバルシティ、セレンドラ探訪2008年11月13日


 訪比中の退職者お二人をスービックとアンヘレスに案内した。今回は前回と違い車で行ったので、前回訪問できなかったところを色々案内することができた。マニラースービックーアンヘレスーマニラの旅程で、2泊3日、460kmのドライブ旅行だったが、運転手役を買って出た私はぐったりと疲れてしまった。  スービックは東京23区と同じ面積というだけあって、さすがに広大だ。そのほとんどは自然林で熱帯のジャングルを間近に見ることができるフィリピンでも数少ない穴場でもある。スービックの市街地から車で20分ほど走るとイルカや鯨の芸が見れるオーシャンパークやトラの放し飼いがしてあるズービック(ZooとSubicをもじった名前)に到着する。その間、サルの家族が道路で戯れている光景に出会う。また、今日はズービックの入り口で動物園のヤギの群れの散歩風景にも出っくわした。 ここではトラの赤ちゃんと戯れることができること、放し飼いのトラの中へ車で入れることなどで有名だ(トラの赤ちゃんの写真はズービックと提携しているタガイタイのミニ動物園で撮影したもの)。   ここは飛行場、港、ゴルフ場、海浜、カジノなど都市及びリゾートの機能のすべてを兼ね備えており、ヨットハーバーには数え切れない大型のヨットやモーターボートが係留され、お金持ちの集うリゾートタウンでもある。  スービックはSubic Bay Freeport Zoneと呼ばれ、オロンガポ市に隣接した経済特別区で、数多くの企業や外国人が居住している。ご承知の通り、1990年初頭まではアメリカの海軍基地であったが、今でもその周辺には退役軍人が住んでおり、アメリカ式の遊びどころが多数ある。その最たるものがービックからす北へ7kmほどのスービック・ベイという紛らわしい名前の海浜リゾートだ。ここには海辺のホテルに並んでアメリカ式のゴーゴークラブが建ち並んで、昼間から白人で一杯だ。この日は丁度フィエスタ(祭り)で屋台がたくさん出ていた。   スービックベイの街並み  ここに住む白人はいかにも退役軍人らしく大きな体に刺青を彫った人たちがほとんどだ。昼間から、そして明け方までバーで酒を飲んでいる。こんな人たちを恩給で養うアメリカ政府の出費も大変なものだろうと、余計なお世話かもしれないが心配になる。  翌日はSCTEX(Subic, Clark, Tarac Expressway)を経由してアンヘレス向かった。このSCTEXが一体何を指すのかわからず、往生したが、しばらく考えて解読できた。 NLEX(North […]

金なし、コネ無し、フィリピン旅行、その2「スービック、アンヘレス編」2008年11月13日