Daily Archives: November 13, 2008


 セレンドラとは名門アヤランドが開発したボニファシオ・グローバルシティにある高級中層コンドミニアムだ。ボニファシオ・グローバルシティとはマカティの東にあった国軍のボニファシオ基地が1990年代民間に払い下げられ、開発が急ピッチで進められている新興都市だ。その立地の良さから、高級市街地として急速に発展している。  セレンドラはマーケット・マーケットという大型のショッピングモールに隣接しているが、その中庭にあるコマーシャルセンターが新しい若者の街として多くの人々を集めている。   11月ともなるとフィリピンは世界でもっとも長いといわれるクリスマスシーズンの飾り付けでにぎわう。さすがアヤラとうならされるセンスの良い庭園はすでにクリスマスツリーなどの飾り付けで一杯だ。  ここがフィリピンとは想像がつかないようなしゃれたレストランやブランド物を売る店が建ち並ぶ。ひときわ目を引いたのが、水のカーテンに映し出された映像だ。外枠のパイプから滴り落ちる一列に並んだシャワーのスクリーンに映像を映すという奇想天外の発想で、それが暗い夜空に見事に動画を映し出しているのだ。   この日はPRA(フィリピン退職庁)の関係で知り合ったモダンなフィリピーナの招待でフィリピン料理をご馳走になったのだが、なんとそこに再びイメルダマルコスが登場したのだ。さすがに今回はツーショットはためらわれたので、遠くから一枚取らせてもらった(ピンボケ写真ですみません)。同行の日本人に、以前モール・オブ・エイシアで遭遇して写真を撮らせてもらったことを話したら(本ブロクの一回目の記事で紹介)、まさに奇跡とびっくりしていた。しかし、実を言うとこれは2回目ではなく、3回目なのだ。1995年ごろ彼女がハワイから帰国して間もないころ、マカティのシャングリラホテルのシャンパレスという中華料理店で遭遇したことがある。このような歴史上の人物ともいえる人に3回も遭遇するなんて、やはり外国暮らしならではの賜物だろう。

ボニファシオ・グローバルシティ、セレンドラ探訪2008年11月13日


 訪比中の退職者お二人をスービックとアンヘレスに案内した。今回は前回と違い車で行ったので、前回訪問できなかったところを色々案内することができた。マニラースービックーアンヘレスーマニラの旅程で、2泊3日、460kmのドライブ旅行だったが、運転手役を買って出た私はぐったりと疲れてしまった。  スービックは東京23区と同じ面積というだけあって、さすがに広大だ。そのほとんどは自然林で熱帯のジャングルを間近に見ることができるフィリピンでも数少ない穴場でもある。スービックの市街地から車で20分ほど走るとイルカや鯨の芸が見れるオーシャンパークやトラの放し飼いがしてあるズービック(ZooとSubicをもじった名前)に到着する。その間、サルの家族が道路で戯れている光景に出会う。また、今日はズービックの入り口で動物園のヤギの群れの散歩風景にも出っくわした。 ここではトラの赤ちゃんと戯れることができること、放し飼いのトラの中へ車で入れることなどで有名だ(トラの赤ちゃんの写真はズービックと提携しているタガイタイのミニ動物園で撮影したもの)。   ここは飛行場、港、ゴルフ場、海浜、カジノなど都市及びリゾートの機能のすべてを兼ね備えており、ヨットハーバーには数え切れない大型のヨットやモーターボートが係留され、お金持ちの集うリゾートタウンでもある。  スービックはSubic Bay Freeport Zoneと呼ばれ、オロンガポ市に隣接した経済特別区で、数多くの企業や外国人が居住している。ご承知の通り、1990年初頭まではアメリカの海軍基地であったが、今でもその周辺には退役軍人が住んでおり、アメリカ式の遊びどころが多数ある。その最たるものがービックからす北へ7kmほどのスービック・ベイという紛らわしい名前の海浜リゾートだ。ここには海辺のホテルに並んでアメリカ式のゴーゴークラブが建ち並んで、昼間から白人で一杯だ。この日は丁度フィエスタ(祭り)で屋台がたくさん出ていた。   スービックベイの街並み  ここに住む白人はいかにも退役軍人らしく大きな体に刺青を彫った人たちがほとんどだ。昼間から、そして明け方までバーで酒を飲んでいる。こんな人たちを恩給で養うアメリカ政府の出費も大変なものだろうと、余計なお世話かもしれないが心配になる。  翌日はSCTEX(Subic, Clark, Tarac Expressway)を経由してアンヘレス向かった。このSCTEXが一体何を指すのかわからず、往生したが、しばらく考えて解読できた。 NLEX(North […]

金なし、コネ無し、フィリピン旅行、その2「スービック、アンヘレス編」2008年11月13日