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スービックークラークを結ぶ中部ルソン高速道路(約50km)は2008年4月下旬に全面開通された。 例の20世紀最大といわれた大噴火で有名になったピナツボ山系と平地との境を走る道路は、適宜カーブと坂が織り交ぜられ、ただひたすらまっすぐ走るフィリピンの他の高速道路と違い、まるで日本の高速道路を走っているようだ。東にアラヤット山を遠くに望む平地、西にはピナツボ山系を望み、景色もすばらしい。たったの30分足らずだが、快適なドライブを楽しむことができる。 高速道路はアンヘレスを経て、ターラックまで全長、94km、総工費500億円の巨費を投じたプロジェクトだ。そのうち日本からの援助は420億円。だから、設計も工事も日本の手で行われ、まるで東北縦貫自動車道を走っているような錯覚にとらわれる。これでマニラからクラークを経て、スービックまで高速道路経由で結ばれたことになり、スービックへのアクセスも格段に向上した。 今、クラークへの投資熱はすさまじいものがあり、将来マニラークラーク間に高速鉄道を通し、マニラ国際空港をクラークに移転する計画もあるそうだ。すでに発展が目覚しいスービックとの相乗効果で、中部ルソンに一大経済圏が発展するのは間違いないだろう。すでに飽和状態にあるマニラ首都圏に比べて壮大な可能性を感じさせられる。

スービックークラーク間を結ぶ中部ルソン高速道 2008年6月6日


  先日、日本から訪問中の友人を伴ってモール・オブ・エイシアを案内しているおり、マニラ湾に面して並んでいるレストランの一つイタリアネスで、かのイメルダ・マルコスが食事しているところに遭遇した。普通ならば気が付かないで通り過ぎてしまうのだろうが、同行したフィリピーノが目ざとく見つけてささやいてくれた。すでに70をとうに過ぎて、その美貌を誇った昔の面影もなく我々日本人にはちょっと気が付かない。しかも当のフィリピーノは友人に写真を撮りたいかと聞くと、さっさとイメルダ・マルコスに声をかけてしまったのだ。彼女は申し出に快く応じて写真を撮らせてくれた。立ち上がってみると背が高いのに驚いた。優に170cmは超えているだろうという堂々とした体格だ。あの美貌と体躯でさぞ各国のVIPを魅了したのだろうと想像に難くない。 マルコスといえば1965~86年、21年間、フィリピンの大統領として君臨し独裁政治により不正に巨額の蓄財をなし、政敵ニノイ・アキノの暗殺に端を発したエドサ革命で政権の座を追われた、もはや歴史上の人物だ。その妻のイメルダもマラカニヤン宮殿において数千の靴やドレスのコレクション等で、大きな話題となり、マルコスを凌ぐともいえる歴史上の著名人だ。 現在の大統領よりもはるかに世界に名を知れたこのイメルダ・マルコスとのツーショットが実現して、かのフィリピーノはしばし興奮が覚めやらぬ様子だった。 しかし、我々が去ったあと、イメルダと我々が一緒に写真に収まったのを目の当たりにした周囲の人たちが、われもわれもと押し寄せ、しばし、撮影会が続いてしまった。同行していたイメルダのボディガードはさぞかし余計なことをしでかしたフィリピーノを恨んでいたことだろう。

イメルダマルコスとの遭遇 2008年6月5日



長年、フィリピンの駐在日本人企業戦士を慰め続けてきたカラオケも栄枯盛衰が激しく、生まれては消え、消えては生まれる歴史を繰り返してきた。最近はジャパユキさんが日本にいけなくなったせいで、日本が話せるGRO(Guest Relation Office、要はホステス)が激増し、大半を占めるようになった。1990年代はマカティのカラオケは駐在員用、マニラエルミタ地区のカラオケは観光客用と住み分けられていたのだが、最近は企業の接待費の使用が絞られたせいか、マカティのカラオケも観光客を相手にしないと生きていけなくなったようだ。 大型カラオケの雄、イルージョン  かつてマカティにはほとんどいなかった日本語を話せるGROが、 今や日本語は必須となっている。すなわちほとんど全員が日本のどこかで働いた経験があるのだ。また、これら観光客相手のカラオケはイルージョン、アッ プステージ、ブルーエンジェルなどパサイ通りあるいはパソンタモ通り沿いの大型店が主体で、昔ながらの駐在員相手のアカシヤ、夢の中へなどのカラオケは隅 のほうでひっそりと営業を続けている。 パサイロード沿いには10軒ほどの大小カラオケがある  日 本人駐在員のおじさん達がフィリピーナと仲良くなるというのは、現実的にカラオケくらいしかない。普通のオフィスのレディ達は鼻も引っ掛けてくれない。しかし、カラオケはビジネスだから、得意のホスピタリティを発揮してなんともやさしく対応してくれる。これがお互いに大きな勘違いを呼んで、本 当の恋人同士になってしまうのだ。したがってカラオケは駐在日本人男性の恋人予備軍の基地という役割を果たしていた。そして幾多の恋物語を生み出 してきた。(ところで日本人用カラオケは決して女性を連れ出してホテルへ連れて帰るなどと言う場所ではないので、誤解のないようにしてほしい。その 点、ゴーゴーバー、ナイトクラブ、置屋、等とは一線を画している。) 家族的雰囲気をかもし出すカラオケ […]

豆辞典 カラオケは日本人ご用達の社交場


フィリピンでは鉄道が発達していないので、旅は飛行機か船あるいは車ということになる。島から島への移動は飛行機か船で行うがが、島の中は車となる。車の移動はバスかジープニー、あるいはフィルキャブと呼ばれるバンが公共の乗り物だが、我々外国人に乗りこなすのは極めて困難。そうなるとや はり自家用車ということになる。 自家用車での旅で一番必要となるのは地図だ。その地図がフィリピンでは極めて貧弱で頼りにならない。現在フィリピン全土を網羅していて入手可能なのは“Travel Atlas”位で、その各ページが“E-Z MAP”としてばら売りされている。値段は500ペソ、ばら売りの地図は1枚、100ペソ位で、National Book Storeで売っている。この“Travel Atlas”も全国の都市を網羅しているわけではないので、土地勘がないと地方都市を走り回るのが難しいだろう。そうなるとやはりフィリピーノに同行してもらうのが必須となる。 こんな峠の景色が味わえるのは車の旅ならでは バギオへ向うケノンロード、一度自転車で試してみたいコースだ   宿についてはほとんどの都市には、そこそこのホテルが複数あるので、その街についてから探せば大丈夫。リゾートホテルもたくさんある。しかもどこ もすいていて満員で泊まれないなどということはほとんどない。また、連れ込みホテルも多数あるのでいざとなれば問題なく泊まれる。連れ込みホテルは家族連れで泊まっても平気なようだ。普通のホテルで一泊、1000~1500ペソ、連れ込みホテルなら500ペソも出せば安心して泊まれるだろう。 太平洋の夜空に浮かぶ満月 タガイタイに行く途中にはJapanese Sweet […]

豆辞典 車の旅は新発見の連続



フィエスタ(Fesitival) は日本のお祭りと同様に、地方ごと、町ごとに異なる日に開かれる。その季節になると毎日のように隣町のフィエスタに出かけていき、親戚や知り合いの家に 集まりご馳走にありつくのが楽しみなのだ。事務所のある地域のフィエスタでは屋台が並んだ 外 国人にとっては地方ごとに趣向を凝らした出し物が観光の楽しみとなっている。セブのシヌログなどが有名で、フィリピンに住んでいたらフィエスタめぐりなども いいのではないだろうか。しかし、有名な祭りとなると、どこのホテルも予約でいっぱいで、ホテルがなかなか取れないのが難点だ。 タバコ市のフィエスタのパレード。有名なフィエスタでもない限りこんなもんだ あ る程度の有力者の家となるとフィエスタの準備で前々日くらいから大変だ。一人の知り合いを呼ぶとその一族郎党がジプニーでやってきて大量の食事を平らげ ていく。数百人から数千人の客が来ることもめずらしくなく、ありったけの鍋と皿で料理を用意しなければならない。祭りの料理にレチョン(子豚の丸焼き)は欠かせない。半年ががりで育てた子豚が大量に丸焼きにされ、豚にとってはフィエスタは災難の日となっている。 フィエスタの目玉はご馳走(特にレチョン)にありつくこと。パレードなどは地元に人にとっては重要ではない フィ エスタが近づいてくると、町をこっそり逃げ出す人もいる。周囲からはお金持ちと見られてはいるものの、ここのところ商売の按配がよろしくなく、不特定多 数の客人もてなす資金の余裕がないのだ。そのため、仕事でどうしても海外へ、などと口実をつけて町を離れるのだ。しかしまじめな人は、なんとしてでも 皆の期待に答えようと、なけなしの貯金をはたくかあるいは借金までして、料理を用意する。そして、その借金の返済のために、来年のフィエスタまで一生懸 […]

豆辞典 フィエスタ(祭り)訪問


ゴーゴークラブといえば夜のマニラの顔といえるくらい、いかにもマニラらしい光景だ。かつてはマニラの下町、エルミタのデルピラール通りにひしめいていたが、1990年 代初頭、当時のマニラ市長リムが(先の選挙で上院議員から再びマニラ市長に返り咲いたが)がすべての店を閉鎖してしまった。現在はマカティ市マカ ティアベニューから右に入ったブルゴス通り、そしてエドサ通りがマニラ湾沿いのロハスボリバード通りにぶつかる手前、エドサ ・インターナショナル・ エンターテイメント・ コンプレックス(通称エドコン)に集中している。それからマニラの北、高速道路を2時間くらい行ったアンヘレス市(Angels City)のフィールドアベニューはその規模は圧倒される。 ゴーゴークラブ街のブルゴス通りの左側 同じくブルゴス通りの右側 ゴーゴークラブのステージではツーピースで曲に合わせてだるそうに体を動かしている(アンヘレスにて) ゴーゴークラブは数十のテーブル席の前に舞台があり、10人程度のビキニ姿の踊り子が気のない踊りをしている。しばらくすると交代して新しいグループが出てきる。そして気にいった子がいたら席に呼んでドリンクをおごる。自分で飲んでいる分にはビール一杯100ペソ程度で安いのだが、レディズドリンクはなぜか200~300ペソと値段が跳ね上がる。もともと、連れ出し専門のところだから、気に入った子がいないと、一杯で切り上げて次へ店へと駒を進める。だからゴーゴークラブは固まってあるのだろうか。連れ出し料はバーファインといって店に払う分と女の子に直接払う分を合わせて3000~4000ペソ程度。店に全部払うシステムのところもあるようだ。事前に女の子にいくら払えばよいかママさんに確認しておいたほうがよい。 マカティ市制記念日にはゴーゴーガールが通りへ繰り出して営業中 そ もそもゴーゴークラブは欧米人の観光客を当てにしたもので、支払いに厳格な欧米人に合わせて、一杯飲むつどに請求書にサインしておいていく。その合計 しか要求されないから、いたって明朗会計だ。しかし、店によっては女の子が寄ってたかってレディズドリンクをせがみ、いいよ、いいよと鼻の下を長くし […]

豆辞典 ゴーゴークラブはフィリピンの夜の顔



  フィリピンには、実にたくさんのオカマ(バクラ)とオナベ(トンボイ)が いる。バクラとは何か説明する必要もないが、肉体的には男性でも精神的に女性で、男性しか愛することができない男性で、普段から女装をしている。男性同志が愛し合うホモとはちょっとニュアンスが違うようだ。一方トンボイとは肉体的には女性でありながら、精神的に男性であり、髪を短く切って男 の格好をしている。これも女性同士が愛し合うレズとはちょっとニュアンスが違う。 笑うトンボイ、腕の刺青がたくましい フィ リピンではこれらの性倒錯者は、立派な市民権を得ていて、一般の市民として生活している。彼らの主な職業は、オカマが、ダンスインストラクター、美容師 などで、トンボイがセキュリティガード、空手のインストラクターなど。バクラはそのユニークなキャラクターを活かして、コメディアンにもなっている。かつてほとんどのジャパユキさんはダンスのにわか練習をして、ダンサーとしての免許を取得し、日本行きの切符を手にしていたが、彼女たちにダンス を教えたのはほとんどがバクラです。これらバクラの踊りは本物の女性よりもはるかに女性的で思わず見とれてしまうほどです。 シーフードマーケットレストランで客引きをするオカマ 見るからに男性の顔をして体つきもごつごつしたバクラが、お化粧をしてさらに女装をしているのを見かけると、異様であり目をそむけたくなるが、彼らは(彼女らは)、どうしてもそのような格好をしたくてたまらないのだそうだ。トンボイも同様で男性の格好をして男にみせかけたいのだ。 オカマの職業は美容師が圧倒的に多い 一度、チャイナタウンのデビソリアでトイレに行ったところ、見るからにバクラといった人がトイレに入ろうとしていた。はて、女性用トイレに入るのか、男性用トイレにはいるのか、興味深く見守っていたところ、彼(ないし彼女)は、一瞬躊躇した後、男子用に入っていった。本人も迷ったのだろうが、この際は肉体の区別が優先したようだ。このとき、フィリピンでは、男子用、女子用、そして、その他用トイレと、3種類のトイレがいるなと思った。 クリスマスパーティに訪れたオカマ。まさに男が化粧しただけなのだが、心は女なのだ   […]

豆辞典 フィリピンはバクラ(オカマ)とトンボイ(オナベ)の天国


     トライシクルとは100cc程 度のオートバイの横に手製の乗客用サイドカーを付けたもので、主に営業用に使われている。日本でサイドカー付のモーターバイクといえばハーレーダビッド ソン位のものだが、ここではジープニーに勝るとも劣らない庶民の足なのだ。基本的には二人乗りで、お尻の大きい女性といっしょでは二人納まるのに ちょっと苦労する。それが定員に制限はなく、座席の前に一人、バイクの後ろに2~3人、サイドカーの後ろに2人、さらにまたサイドカーの横に2人と、10数人が一台のトライシクルに乗り込むことができる。こんな光景はマニラ首都圏では見かけないが、地方都市で、学校の帰りなど高校生でトライシクルが鈴なりになっている光景をよく見かける。   鈴なりに乗り込んだ乗客 颯爽とマニラの町を疾走するトライシクル 生まれて初めてトライシクルに乗ってご満悦の兄貴たち トライシクルにも営業できる地域が決まっていて、さらに乗り合いのトライシクルは路線が決まっている。しかし40ペソほど出すと急遽、専用になっていてどこにでも行ってくれる。距離的にはジープニーよりも短距離輸送を主体としているが、もっとも、長距離ではお尻が痛くなって我慢できない。料金は乗り合いで10ペソ程度、専用で40ペソ程度。外国人だと100ペソと吹っかけられが、可愛いものだ。タクシーと同じくらいの料金を取られるわけだが、比較的簡単に捕まるので重宝する。 客待ち中のトライシクル 同じく客待ちのトライシクルの列 マ カティ市のジュピター通り、パソンタモ通り、パサイ通り、そしてエドサ通りで囲まれるエリアにトライシクルで入ることは許されていない。国際都市にトライシ クルは似つかわしくないということだろうか。地方都市ではジープニーと並ぶ公共交通手段の主役として我が物顔に街中を走り回っている。私がパラワン島 […]

豆辞典 トライシクルとパジャックは庶民の足



フィリピンではマネーチェンジャー(両替商)が 公認されている。これは銀行による両替が口座を持っている必要があるので、ブラックマーケットと呼ばれる闇市場で通貨の交換が行われており、それが公認 されている。マニラ首都圏、特に海外からの観光客が集まる下町のエルミタ等ではやたらマネーチェンジャーの看板が目立つ。商品がないわけだか ら、運搬や在庫、陳列などのややこしいことがなく、多少の利ざやでもいい稼ぎになるのだろう。場所も畳み一畳もあればできるので、雨後のたけのこのよう に開店したようだ。 通 常ドルや円の外国通貨をフィリピン通貨ペソに交換するわけだが、たまにはその逆をやってくれるところもある。海外旅行などでドルが必要なとき、あるいはペソがあまったときにに利用 される。フィリピンではペソを外国通貨に交換する場合は、正当な理由が必要で、輸入した商品の決済、外国か らの投資に対する配当の支払い、旅行費用等々に限定される。基本的にフィリピンの蓄財を海外へ持ち出すことはできないので、このようなブラックマーケットが必要なのだ。ペソをドルに換える両替商は少ないが、マカティスクエアは小さいながら融通の利く店があってトラベラーズチェックさえも扱っている。まとまったドルや円が必要なときも使える。 レートが良いので評判のSanry’s両替商、マカティに数店営業している マネーチェンジャーには組合ないし胴元があって、ほとんどすべてのマネーチェンジャーが集めたドルや円を買い上げている。マネーチェンジャーはこの組合の交換比率と客への交換比率の相違で利益を上げるわけだ。この比率の差はせいぜい1~2%だが、店の営業方針によって異なり、それが交換比率のいいところと悪いところの違いになる。しかし、元が一緒だから、そんなに大きな差にはならない。しかし、交換比率のよいことで有名なエルミタのある店や、ランドマークの店では独自の交換ルートを持っているそうで、一般の店では提供できない交換 比率を提供しているそうだ。 交換レートの良いことで評判のエドセン、マビニ通りにある エドセンの隣のチボリもレートが良い エ […]

豆辞典 マネーチェンジャーの賢い利用法


最近、フィリピーナに結婚をせがまれているという日本人独身男性の話をよく耳にする。一方、日本では、フィリピンからタレントさんが入れなくなって、フィリピンパブがばたばたつぶれている。最近、フィリピンパブで働いているのはほとんど日本人と結婚しているフィリピーナだ、偽装結婚が多くて日本人の配偶者のビザ発行が滞っている、などなどの話もある。いろいろ聞いているうちに、これら二つの話が一つの糸で結ばれているのに気が付いた。要は日本で働きたいフィリピーナが、この際だれでもいいから独身日本人を見つけて結婚し、日本行きのビザを入手しようと必死なのだ。 一体結婚をなんと思っているのか、離婚がないという国で、このように結婚を仕事にありつく手段にするなんて不届き極まりないと怒る方も多いかと思う。こんな女にだまされるなよ、彼女はビザが欲しいだけでお前のことなんかちっとも愛していないんだよ、と忠告さえするだろう。しかし、逆に独身男性としては千歳一隅のチャンスではないだろうか。独身であるということが大きな武器になっているのだ。一旦ゲットしてしまえば、離婚という制度のないフィリピンでは生涯の伴侶となるわけですから、きっかけなど何でもいいではないですか。今、結婚というえさで釣り糸をたれたら、フィリピンでは入れ食いなのだ。 そもそも結婚にいたる出会いは、さまざまだ。お見合いという制度がまかり通っていたのだから、愛は後からでも二人で育んでいけるものなのだ。しかしながら、彼女たちが結婚する第一目的は日本で働くことだから、結婚の代償にしばらくの間は日本に居させてやらないと何のために結婚したのかと、彼女としては深く後悔する結果になってしまうだろう。その挙句に仲たがいが生じてしまうことになることは容易に想像できる。例え彼女がそう思わなくとも、周囲が彼女を責めたりそそのかしたりするだろう。せっかく日本人と結婚したのに日本にもいけないで、フィリピンでくすぶっていて、仕送りもしてくれない、などと。そうなると、日夜旦那に日本に行かせてくれとせがんで、一体お前はなんのために俺と結婚したんだと、失望してしまうのだ。日本へ行くために結婚したのよ、などとは言えないし、離婚して他の人と結婚というわけにも行かないし、亭主の顔を見るのもいやになってくるというわけだ。 中にはフィリピン人妻が日本に出稼ぎに行って、日本人の旦那がフィリピンに住んでいるというケースもあるそうだ。その点は相手の立場も考えて、うまく解決策を見つけて仲むつまじくやってほしいと思う。  

豆辞典 フィリピーナの結婚願望