Yearly Archives: 2009


マニラ季刊無料雑誌「NAVI」12月1日号にマニラ郊外、リザール州ロドリゲスに私設動物園があるという記事がのっていたので早速出かけていった。舗装されていない道路をしばらく走らなければならないが、マニラ首都圏からは1時間~1時間半程度で行ける距離だ。動物園の場所はHP参照:http://avilonzoo.com.ph/   外見とは裏腹に中は意外と広くて充実しており、私設でここまでやるのは大変なことだったろう。しかも客もほとんどおらず、これだけの施設と動物を維持していくことは膨大な費用がかかっているのではないかと心配になる。しかし都会の動物園とは違って広い敷地にゆったりと動物を配置しているので、子供連れにはもってこいだろう。    ここの売りはアマゾン河の巨大な淡水魚「ピラルク」だ。まず園内に入ると係りの人が棒で水面をかき回して呼び寄せてくれる。2メートルを超える巨大な魚がスーッと近づいてくる様は不気味だ。  入り口には大きな池があり、ピラルクのほかアヒルなどの家畜が飼われており、都会の動物園とは違うのどかな雰囲気が漂っている。ここには大きなレストランがあるが、飲み物は25ペソ、定食が120ペソなどととても安い。      この動物園は名前の由来が「アビロン=鳥の大地」というだけに鳥の種類がが多い。バードウオッチングなどで鍛えた人には多いに興味深いだろうと思う。    少し奥には行ったところにもピラルクがたくさんいる。ここではえさをやることが出来て、まるで鯉のようにえさを目当てに押し寄せてくる数十匹のピラルクを目の当たりにするのはなかなか迫力がある。  この動物園のもう一つの目玉はオランウータンのコリン君だ。ちょっとの料金を払えば抱き合ったりして写真を撮ることができる。   インフルエンザ(?)が流行しているようで空の檻が目立った。園内に動物の病院がありそこで療養中の動物が多いとのことだった。たしかにすべての檻に動物がいたらかなりのものだと思う。   その他、フィリピン固有の野生動物の鹿や猪もいた。私にはこのほうが興味がわく。トラやライオン、像やキリンなどアフリカ産の野生動物はどこの国の動物園でもいる。将来的にこれら家畜ないしそれに近い野生動物をタバコの農場でたくさん飼うのが私の夢だ。鹿、猪、鴨、軍鶏、ダチョウ、ヤギ、などなど、実はそれで猪なべや鹿なべなど色々な料理をを楽しみたいと思っているのだ。   […]

アビロン動物園の紹介 2009年12月24日


  先日ADB(アジア開発銀行)を防災科研の方々と訪問した際、「ケソン市内の北方、La Mesaダム貯水池に近いところにPayatas(バランガイ・パヤタス)というゴミの投棄場があり、ゴミの投棄が一つの産業を形成している」聞かされ、多いに興味がもたれ、今回の見学となった。  1990年代はフィリピンを象徴するかのようにマニラ湾沿いのスモーキー・マウンテンが色々なメディアに登場した。やがて、そこが一杯になって、このパヤタスにゴミの投棄場が移動したのだ。ちなみにフィリピンではゴミの焼却場は存在せず、もっぱら投棄に頼っている。やがてここも一杯になり他に投棄場を探さなければならなくなるはずだが、昭和30年代、東京湾の「夢の島」に東京中のゴミが集められていたのと同じ状況だ。   20年近い投棄により、現場には大きな山が出来ていた。この投棄場に近づくとゴミのにおいがし始めて、空気もなんとなくよどんでいるような気がした。またその周辺もゴミだらけで、周辺の住宅に住む人々はどんな思いでこの山を観ているのだろう。こんなところに新たに住もうとする人もいないだろうから、宅地などの資産価値などないような気がする。   ADBの方が産業と呼んでいたのは、きれいに言えば「有用なゴミを選別し、資源回収を行なうこと」であるが、要はゴミ拾いだ。マニラ中のゴミが集まるわけだから、そこから、金属、プラスティック、などかなり大量の有用なゴミがある。それを選別し(拾い集め)てリサイクル業者に販売するわけで、だからゴミ山(彼らはDumping Siteと呼んでいた)周辺はジャンク・ショップだらけだ。実際は、まず個人がこつこつとゴミ山から拾ってきたプラスティックなどをジャンク・ショップが買い入れ、それをリサイクル工場に持ち込んで売却するという仕組みだ。だからゴミ収集車と有用ゴミの回収車が走り回り、ごみ山からの悪臭のほかに、粉塵や排気ガスも混ざって劣悪な環境となっている。   残念ながらゴミ山の中には入れてもらえなかったが、その入り口には造園がなされていた。ごみ山にも植物がはえるということを市当局は言いたいのだろう。しかし、ケソン市あるいはバランガイ・パタヤスが何故このような環境破壊の元凶のような巨大なゴミ山を受け入れたのだろうか。   相棒の話によると、ここから発生するメタンガスを利用して発電をしているそうで、地域の住民の電気料金は無料だそうだ。また、このゴミ山のおかげで相当数の人の雇用が発生し、まさに宝の山であり、バランガイとしても多いにメリットがあるということだそうだ。ゴミの山の周囲の道路沿いはスコーターとなっており、ゴミ拾いを専業とする人たちが拾ってきたゴミと一緒に暮らしている。彼らにとってはゴミは生きる糧だから決してないがしろにはできないのだ。    ゴミの投棄においても工学というものがあり、ちゃんと計画しておかないと未来に大いなる禍根を残す。それはメタンガスの発生と地下水の汚染である。メタンガスは埋め立て後、長い間発生し続けて火災の危険性をもつと共に悪臭を放つ。さらにガスの発生により地盤が陥没する恐れもある。そのためにはガス抜きのパイプを埋め込んでおく必要があるそうだ。また、ゴミを通り抜けた雨水は地下水として周辺の土壌を汚染する。そのためこの地下水を封じ込める対策が必要だ。ADBの方の話によると、このゴミの山についてはこれらの対策がなんらなされておらず、将来、さらに大きな環境問題を引き起こすことになるだろうとの話だった。 […]

パヤタスのゴミ投棄場 2009年12月24日



 マニラにある児童養護施設を訪問する機会があった。施設の従業員の大半は女性だが、ここはかなり大きな施設で優に100人を超える孤児達を面倒見ている。昼間はあまり大きい子は見かけなかったので、外の学校に通っているらしい。小さな子は大部屋にいて、いつも静かに寝かされていた。  私の相棒のフィリピーナがおおぜいの赤ちゃんを見つけて中に入ったところ、初めは物見しりをして様子を見ていたものの、そのうち、そこいら中の赤ん坊がおしっことなどと言い出して収拾がつかなくなってしまった。数少ない職員が世話をしているために一人一人の面倒まではとても見切れないのだろう。だから初めて見かける女性にでさえ甘え始めたのだ。  とてもよくしつけられているものとみえ、街角で見かける子供達の泣き声やわめき声などの喧騒は、ここには見られない。みな静かに座っているか、昼寝をしているかで、楽しそうな笑顔もみれない。しかし、この子達皆が好き勝手を始めたら、たしかに収拾がつかなくなるだろう。  大きな子供達が学校から戻ってくると、施設の入り口の広間ではいつも発表会やダンスの披露が行なわれていた。聴衆の子供達もきちんと座って行儀が良く、とてもフィリピンの子供達とは思えない。フィリピンの学校の授業風景は良く知らないが、まあこんなものなのかも知れない。しかし家に帰ると子供達は家の周りで友達と活発に遊び回っているはずだ。  フィリピンの子供はとても大事にされ、甘やかされ、家族の宝物として位置づけられている。家族の愛に育まれてとても思いやりのある優しい子供に育つのだ。だから家族の絆は命よりも大事。そんな家族の愛を知らず、親に甘えることもなしに育つこの子供達は将来どのような大人に成長するのだろうかと案ぜられる。  しばらく前、孤児の家を経営する日本人退職者と知り合いになり、寄付を募るお手伝いをしたことがある。田んぼの中の粗末なバラックだったが、50人くらいの孤児が楽しそうに暮らしていた。退職者と訪れると「ロラ、ロラ」と皆が駆け寄ってきた。そこには笑顔や愛が溢れていて、いつか自分もこんなボランティアをやってみたいと思ったものだ。  ところが、日本のNGOからかなり大きな寄付が行なわれることになった途端、協力者のフィリピン人牧師の態度が豹変し、かの退職者は施設に近寄ることさえも出来なくなってしまった。そして牧師は多額の寄付を教会の改装費などにあてるために独り占めしてしまったそうだ。大金がはいるとなると、施設の経営が途端に商業化してしまい、本来の目的は藻屑と化し、単なる金集めの道具となってしまうのだ。   先日、PRAではクリスマス・パーティの代わりに、政府の老人ホームを訪問してクリスマス・ギフトなどのチャリティ活動を行なった。身寄りがなく介護が必要なお年寄りが収容されているそうで、当日は多忙で出席することは出来なかったが、次の機会には是非出席したいと思っている。フィリピンでは子供と同様、お年寄りも家族の大事な宝物として手厚い保護を受けている。したがって、老人問題は存在しないのだが、中には全く身寄りのないお年寄りもいて、そのような人々が施設に入っているそうだ。   以前日本で、妻と一緒にいくつかの介護施設を訪問したが、その様子は上記の児童養護施設と一緒だった。そこではお年寄りは何もすることもなく、ただ生きているだけだった。指示されるがままに体操したり、催し物に参加したり、そこにはお年寄りの笑顔はなかった。妻は「こんなところには死んでも入りたくない」といっていた。また、しばらく老人ホームにいた方が「周囲はおかしな人ばかりで、自分もおかしくなってしまいそう」と言って、数ヶ月で出てしまったという話を聞いたこともある。  日本の介護施設も、身寄りのない老人を介護する慈善施設として発足したのだろうが、現在は完全にビジネスとみなされている。さらに介護保険も発足し最も有望なビジネスとして着目されているが、企業は利潤を追求することが本来であり、慈善事業として発足した介護施設をビジネスの対象とすることには本質的な矛盾が存在するような気がする。だから、「無届老人ホーム」などのようなものが発生してしまうのではないか。   子供達が親から離れて施設で暮らすことは非常に不自然なのだが、やむを得ない事情があってのことだ。同様にお年寄りだけが集まって介護施設で暮らすのも極めて不自然であり、家族に囲まれて暮らすことがお年寄りにとって最も望ましい姿のはずだ。それを介護保険などを導入しビジネスとして進めていかなければならない日本の現状は何かおかしいと思う。   […]

児童養護施設の現実 2009年12月21日


 12月も半ばを過ぎると、街のいたるところでクリスマスパーティが開催されている。職場の会議室、駐車場、レストランなど、予算の関係でありとあらゆるスペースが利用される。フィリピン退職庁(PRA)は台風16号オンドイと17号ペペンで被害を受けた人々を慮ってクリスマスパーティを中止して、慈善運動に切り替えたが、一般の庶民にとってクリスマスパーティがなくてはその年は暮れようがない。  12月17日はPRAの認定マーケッター (退職ビザの代行業者)で組織される組合のパーティ。午後1時から4時と堂々と執務時間内に行われた。韓国や日本をターゲットにしているそれぞれのマーケッターの営業戦略の発表など、一応発表会の形は取っているが、お祭りムード一色だ。さらに今年それぞれのマーケッターが獲得したビザ申請者の数によって順位がつけられ表彰が行なわれた。第1位は中国系、第2位は欧州系、第3位は日系で当社(PASCO) が堂々、この3位に食い込んだ。一方昨年ダントツの1位だった、韓国は第4位以下に甘んじた。   日本や韓国の民族衣装を着けて国別の曲を披露した後は、いよいよ待望のゲームに突入。もちろん勝者は景品がもらえる。全員に配られるお土産、PRAからの差し入れのTシャツ、その他各社が提供するゲームの景品と皆、山のようにお土産を持って帰って至極幸せだった。   下の写真のゲームはコップを口にくわえた箸でリレー式に運ぶゲーム。落としたらアウト、もちろん先にゴールした組が勝者だ。   翌18日はいつもお世話になっているBank of Commerceの支店の社内パーティに参加。こちらは午後6時からと節度がある。パーティ開始早々、待ちかねたようにまず食事。腹がくちくなったら、早速カラオケとゲームに突入だ。     BOC恒例のこのゲームを詳しく紹介する。複数の男性がナスをまたにはさむ。フィリピンのナスは長ナスなので極めて男性のそれに似ている。男性の数より一人少ない女性が、男性の周囲を音楽に合わせて回る。曲がとまったら、ナスを競争でつかむ。ナスをつかみ損ねた女性は脱落し、男性一人減らして、女性一人になるまで繰り返す。要は椅子取りゲームの応用版だ。しかし、男性の股間に挟まれた長ナスを女性陣が競争でつかむところがなんとも言えず、笑いを誘う。若い男女が集う職場のパーティなどにはうってつけではないだろうか。このようにフィリピンでは少々Hなパーティ・ゲームが数多くある。

フィリピンはクリスマス・パーティ・シーズンの真っ只中 2009年12月20日



 先日、退職者の方が重い腎臓病を患って亡くなった。 「退職者が回復してもとの健康を取り戻す可能性はない。このまま酸素マスク、点滴などの救命治療を継続して、生き続けたとしても植物人間の状態が続く。そのため、これらの救命治療をやめて自然に任すか、あるいは救命治療を継続するか、決断してほしい。」というのが医者のアドバイスだった。  ちなみに、フィリピンでは家族の同意があれば、本人がその意思を示すことが出来なくても、これら救命治療を停止して、自然な死を迎えさせることが許されている。日本では、医師も家族も一旦始めた救命治療を停止することは出来ない。もしそれを実行した場合、殺人とみなされるそうだ。だから日本には、意識を失い、死を待つだけしかない多くの人々がこの救命治療のために生き続けている。それには莫大な医療費を要し、健保や家族への大きな負担となっているはずだ。たとえ、本人がそれを望まないとしても、今の法律ではなす術がないそうだ。  本人としても残された家族に莫大な費用負担を強いるということは決して本望ではないだろう。しかも、もはや手遅れで死ぬべき人間をただ単に生かし続けて死期を遅らせるということが果たして医学のあるべき姿なのだろうか。生は尊いものであることは間違いないとしても、人間あるいは動物として、もはや生きているとはいいがたい人々を医学の力で生かし続けることは、動物社会や過去の歴史の中ではありえないことだ。これらに費やされる社会資源は膨大で、社会を支える人たちに重くのしかかっている。それが、政府の施策だとしても、その原資は税金や保険の掛け金で国民が支払っているものだ。国民の負担が大きくなると、そのしわ寄せは個々の家計に影響し、結果として少子化によって防衛するしかなくなってしまう。  動物社会において、メスは閉経を迎えると速やかに死ぬという。メスとしての役割を終えたのだ。一方、オスは自分で食料を獲得する力がなくなると死ぬ以外にない。人間はこの原理から除外され、その後、数十年という長い間活き続け、若い世代に負担をかける。長寿というのは喜ばしいとされるが、果たして平均年齢が100歳なんてことになったら、人間社会に次世代をになう子供を作る資源が残っているのだろうか。もちろん、長寿で元気、自らも家庭や社会に貢献しているのなら、大いに結構なことなのだが、自ら生きる力のない人々が生き続ける結果の長寿社会などは決して喜べることではないだろう。  逆説的な言い方になるが、古い世代が死んでいくことが次の世代を育んで行くということではないだろうか。もし世代交代がなかったとしたら、生物の進化はない。アメーバは細胞分裂だけをして生き続けるので、何億年の間もアメーバのままだという。人間も数百万年の間、世代交代を繰り返し、現代社会があるのだ。老いるものの死と新しい命の誕生こそが種として生きるということではないのか。だから癌などのように、ウイルスや細菌によるものでなく、自分の体そのものの変異による病気は人が死ぬための仕組みなのではないか。それを克服しようとすることはかえって種として生存していくということを否定することになるのではないか。まだ生きるべき人を救う医学は多いに歓迎されるものの、単に寿命を延ばす医療は全く無意味だと思う。  フィリピンでは金があろうがあるまいが、男と女が愛し合い自然の営みにしたがって子を作り、そして逞しく子育てに励む。避妊は宗教上嫌われ、堕胎は法律で禁止されている。だから妊娠すれば必ず生む。そして親は生まれてきた子供を育てるために必死に働く。どんなに貧しくても子供達に囲まれて皆幸せだ。これが人間そして生きるものの本来の姿があると思う。ここには介護や老人の問題はない。家族がこぞって面倒を見てくれるので、老人は幸せだ。しかし、高額な治療など出来ないから、重い病にかかったら、悲しみに包まれながら死んでゆく。それが自然の摂理なのだと思う。  日本では新しく生まれる生命を絶つ堕胎は許されているが、自ら生きることが出来ない人を自然に死なせる尊厳死は許されていない。なんという矛盾なのだろうか。フィリピンでは堕胎は殺人という意識を持っているが尊厳死は許されている。老いたものが世を去り、新しい命が誕生するのは自然の摂理であり、浅知恵の人間が棹さすべきものではないのだ。国を支える新しい世代がいなくなったら国は滅びる。フィリピンは貧しい人は多いかもしれないが、とても逞しくて活力あり、未来があると感ずる。

ある退職者の死の教訓 2009年12月15日


 リトル東京「神楽」の取材の後、翌朝は退職庁、ゼネラル・アグリパイ会長の取材だ。ゼネラル・アグリパイは元国家警察長官の著名人だ。8時からのアポだが、シティバンク・センターへカメラを持ってはいることは撮影許可やらなんやらとが必要なので、7時半にはビルの前に到着した。案の上、ガードに止められ、先行してPRA事務所に行って許可証の段取りをしてもらい、8時近く入門できた。  この日の朝、アグリパイ会長はフィリピンの著名カリスマ美容師、リッキー・レイエスと朝食ミーティングをしており、インタービューに加えて、リッキーとの朝食の模様も取材させてもらった。リッキーはマニラの南のカラタガンに退職者用のリゾートを建設する計画だそうで、その協力を要請するためにアグリパイ会長と面会したとのこと。アグリパイ会長の右隣に座っているのが、私が頼りにしているフィリップ・モレノ部長。PRAのRRSC部の部長で退職ビザの発行や退職者の諸々の手続きを一手に引き受けている。  TV愛知のスタッフは撮影の下打ち合わせに余念がない。アグリパイ会長とは約20分、単独インタビューを行なった。通訳はこの私。アグリパイ会長はTV インタビューとあって、こちらの質問はお構い無しにフィリピンやPRAの宣伝をまくし立てていた。TV愛知の方は編集が大変とこぼしていた。朝食ミーティングの様子も一緒に撮影したが、この方が絵になるようだ。    TV愛知のスタッフもアグリパイ会長やリッキー・レイエスなど著名人に囲まれてご機嫌。ちなみに右にある胸像はフィリピンの英雄、ホセ・リザールだ。   PRAのあとはPASCO事務所の撮影を行なった。不肖私もインタビューの栄光に預かったが、とても自分でTV番組を見る気にはなれないが。   撮影終了後、事務所のとなりのトロトロ・レストランで食事。フィリピン庶民の食事どころだがここは比較的高級で、料理の種類も多くてとてもおいしい。8人で、飲み物付でたらふく食べて、7人全部で1200ペソ足らず。TV愛知の取材陣は値段の方も大満足だった。

TV愛知の取材(その2 PRAとPASCO) 2009年12月12日



  台風16号オンドイにより壊滅的被害を受けたのがケソン市の東に位置するマリキナ市だ。メトロ・マニラを流れる唯一の河川ともいえるパシッグ川の上流、マリキナ川沿いに位置し、大雨が降るといつも洪水のニュースが流れるところだ。台風16号の大雨ではダムの放流水もあいまって、短時間の内に水位が10 メートル近く上昇し、川の水は軽々と堤防を越え、周囲を水没させた。3本目のメトロマニラ高架鉄道LRT2の終点Santoran駅の近くに建設された SMでは2階まで水浸しになったそうだ。  河岸に建てられた建物には1階の天井まで水位が上昇したあとが見える。周囲の家も2階まで水に使ったと住民が話していた。  ニュースで流れた高級ビリッジ、Probvident Villageは堅固な堤防に囲まれていたが、この100年に一回の大雨による増水には無力だった。水は堤防の上1メートルくらいまで達し、ビレッジの高級な家を水没させ、多くの住民が逃げ遅れて犠牲になった。  Provident Villageからさらに北に行くと、川沿いにMalandayというエリアがある。この地域は周囲より数メートル低く、川の水位と大差がない。堤防はあるものの、水は軽々と堤防を越え、周囲の家は水没した。その時、住民は近くの3階建ての学校に避難したそうだ。 集まってきた子供達はその時の経験を楽しそうに語る。ちなみにマリキナは靴の産地として有名で、川には大きな靴の模型が飾ってあった。  マリキナ川は氾濫を繰り返し、さらに下流のマニラ首都圏を洪水に巻き込むために、Manggahan Flood Wayという大規模な放水路が日本の援助で建設されている。水量が増したら、一旦バイ湖(ラグナ湖)に水を流し、調整池として機能させようという計画だ。合流点には大きな水門があるが、普段あけたままだという。しかしこの放水路も100年大雨の前には無力だったのだろうか。  マリキナ川、パシッグ川そしてバイ湖(ラグナ湖)からの放水路であるナピンダン川の交差するところに大規模な水門がある。一旦ラグナ湖に蓄えられた水をここで遮断し、マニラを洪水から守るのが目的なのだろうが、ここの水門もどういうわけか開けっ放しだという。いったい洪水管理(Flood Control)はきちんと行なわれているのだろうか。あるいは今回の台風による大雨があまりにも強力でなす術がなかったのだろうか。

防災科研の台風災害調査に同行(その2 メトロ・マニラ)2009年12月11日


  バギオでの災害調査の一歩はバギオ市長からのヒアリングだった。この市長は若干37歳、バギオで大学を経営するファミリーの一員で、この若さでフィリピン有数の都市を引っ張っている。市長と話をしているのは防災科研の調査一行の方だ。   この日は丁度、Safety Weekだそうで、市庁舎前の広場には学生が集まり、市長のスピーチに耳を傾けていた。なにしろ皆若い。バギオは若者の街といった印象だ。サングラスをかけた市長というのも絵になる。   今回の調査のアレンジをしてくれたのは、写真右下のラジオ局の人で、おかげでいろいろな人や現地をつぶさに訪問することができた。   翌日の土曜日は、偶然、この地方のお祭りのグランド・パレードが行なわれていた。バギオを中心とするルソン島北部、山岳地帯はCordillera Administrative Regionと呼ばれ、空中都市バギオのほかバナウエの天空に通じるライス・テラス(棚田)などで有名だ。偶然とはいえ、前回の訪問でもパレードに出っくわした。どうも毎週何らかの催し物を行い、観光客を喜ばしているのではないかと思う。   この地方の原住民はイグロット族と呼ばれるが、パレードの衣装はほとんどがイグロット族のもので、とても雰囲気がある。そういえばバギオに住んでいる人の顔つきは、マニラのものとはちょっと違う。マニラの人は多くが色白でスペインや中国の血が混ざっている人が多い。ここではそのような人はあまり見かけず、どちらかといえば色黒だ。実際。イグロット族の血が相当混ざっているのではないだろうか。

防災科研の台風災害調査に同行(その1 バギオ2)2009年12月11日



   10月某日、独立行政法人 防災科学技術研究所の方からコンタクトがあった。このブログの台風の記事を見てのことだった。台風16号オンドイおよび17 号ペペンはフィリピンルソン地域に甚大な被害をもたらしたが、日本としてきちんと調査を行い災害の被害、原因などを見極め、将来の支援のよりどころとするというのが目的だ。現地調査はバギオとマニラのバイ湖(ラグナ湖)北方を中心に行い、その他、MMDA(Metro ManilaDevelopment Authrity)、DCC(Disaster Cordinating Council)などの管轄官庁やADB(アジア開発銀行)、JAICAなどのヒアリングならびに資料収集を行なった。   11月26日、防災科研の一行はマニラ空港に到着すると、その足でバギオに向った。バギオに通じるケノン・ロードにさしかかったころはすでに暗かった。このケノン・ロードの被害がバギオへの物資の補給路を立ち、災害の被害を助長したのだ。ケノン・ロードの被害状況は帰りに調査したが、この1000メートル以上の高低差がある道路を昇りきると、そこにはバギオ市が広がっている。まさに天空の都市といえる大都市だ。この都市にいたる道はケノン・ロードとマルコス・ハイウエイしかなく、それが絶たれると空輸しか物資を補給する術がない。食料はそれで何とかなったとしてもガソリンや飲み水の補給ができず、一時、市民の生活は脅威にさらされた。    バギオには平地がほとんどない。したがって家や道路は急斜面に這うように作られている。市の建築許可を得ないで建設されている家屋も多く、それらが今回の台風で地すべりとともに泥流に流されるなど大きな被害を被ったのだ。   この付近は湖のそこのような地形になっていて排水暗渠でさばききれない水が流れ込んで一気に冠水した。水位はたちまちの内に上がって、10m程度まで達したそうで、当然周囲の家は水に沈んでしまった。その時の状況をバランガイ・キャップテンから説明を受けた。この地域の被害は充分な排水路を建設していない市の怠慢あるいは予算不足が原因と思われる。しかし、100年に1回といわれる大雨にインフラがついていくことができなかった、という見方も出来る。     街のあちらこちらに地すべりのあとが見える。これらはこれら山間部を切り開いて道路や住宅地を開発したためではあろうが、こんな山間部にこのような巨大な都市を建設したこと事態に無理があったという印象をぬぐいきれない。フィリピンで涼しさを味わえる唯一の地域ということで人気を集め、観光のメッカとなり、さらにここに住むことがステータスともなって、ブームになったものだ。しかし、軽井沢のように単なる別荘地帯として留まっていれば、このような大きな問題ともならなかっただろう。 […]

防災科研の台風災害調査に同行(その1 バギオ)2009年12月11日


 お正月の特別番組としてフィリピンの退職者の状況を撮影にTV愛知の一行がやってきた。先日の事前打ち合わせに基づき、退職庁の会長、ゼネラル・アグリパイやリトル東京のお好み焼や、「神楽」のご主人の取材を段取りしたが、いよいよ実行の日が来たのだ。なお番組は中部地方で1月4日に放映されるそうだ。  初めは気乗りのないようなことを言っていたご主人もいざとなるとご機嫌で一所懸命インタービューに応じていた。      お好み焼きはJapanese Pizzaと呼んでフィリピーノにもなかなか人気がある。また、夜のリトル東京は喫煙が自由なテーブル席が外に設けられなかなかのムードをかもし出している。  ご主人の横田さんは岡山の出身で、大阪と広島、両方のお好み焼きが味わえる土地柄だそうだ。だからこの店では2種類のお好み焼きとその他バラエティーに富んだメニューを提供している。  お好み焼き屋といえどもメニューは豊富だ。てんぷらやうどんまである。一度広島出身のご夫婦を案内したら、本場よりもおいしいと感激していた。ウエイトレスもとても愛想がよくて可愛い。   ところでここのご主人は熱烈な阪神ファンで、店の中は阪神グッヅで占められている。だから毎晩衛星放送で阪神戦を流し、阪神ファンの客が詰め掛けてくる。昨年、巨人と阪神が終盤、熱烈なデッドヒートを繰り広げたとき、巨人ファンであるとなりの「華」とそれぞれのファンを含めて大変な騒ぎとなったそうだ。

TV愛知の取材(その1 リトル東京の神楽)2009年12月11日