Monthly Archives: February 2009


 世界的な不況が騒がれる中で、フィリピンの中心であるマカティ市、特にパサイ通り沿いは大型マンションの建設ラッシュで沸いている。もともとパサイ通り沿いはマカティの中でも古いビルが並ぶちょっと取り残された感のある通りでもあった。この通りは和食レストランやカラオケが並んでおり、日本人には大変なじみのある通りだが、1990年以降開発されたグロリエッタやグリーンベルトのモダンな街並みに比べて、いかにも見劣りがする。ところが最近、様相が一変しつつあるのだ。下の写真は名門デベロッパーであるアヤラ・ランドが開発中のザ・レジデンス・グリーンベルトのコンドミニアム群だ。パサイ通りとグリーンベルトの間に建設中で、1、2棟目はすでに完成し、3棟目が建設中だが、すでにすべて売れ切れているという。マカティでも超高級のコンドミニアムなのに建設開始と同時にすべて売れてしまったそうだ。  いわゆるパサイ通りの繁華街はマニラ側(西)はパソンタモ通りから始まる。その角に建設中なのがビーコンだ。ここも3棟のコンドミニアムがまとめて建設される予定で、都会の中のリゾートというふれこみで販売が行なわれている。  パソンタモ通りから通り1本東へ向ったアモーソロ通りのとの角に建設中なのがザ・カラムス。すでに2棟のビルが立ち上がり始めている。同名のザ・カラムスはブエンディア通りとアヤラ通りの角にやはりアヤラ・ランドの開発で大型のコンドミニアム群が建設されている  冒頭のザ・レジデンス・グリーンベルトはパサイ通りとパセオ・デ・ロハス通りの角、もともとボーリング場やレストラン「さいさき」があったアンソン・アーケードのあった場所にあるが、さらに東へ向ってマカティ・アベニューに至ると、かつてアンソン・デパートとジープニーの停車場があったところにラッフルズ・レジデンスの開発が始まっている。ここも第1期工事は完売とという景気の良い話だ。 右下の写真の遠くに見えるのがドーシット・ホテル、かなりの規模の開発であることがうかがえる。   ついでにマカティ中心街の最近の開発事業を紹介する。グリーンベルトはモダンな若者の街としてにぎわっているが、このほどグリーンベルト5がオープンした。中はブランド店が建ち並ぶハイセンスなモールとなっている。  次にインターコンチネンタル・ホテルとルスタン・デパートの間に建設されていたグロリエッタ5がオープンした。まだすべての店はオープンしていないが、先の爆発事故で閉鎖中のグロリエッタのブリムス家具店などが移転する予定だ。  マカティアベニュー沿いのランドマークデパートのとなりにはアンソン電化のデパートが新装開店した。パサイ通りから移ったものでモダンな本格的電化専門デパートだ。

マカティ市パサイ通りの発展2009年2月22日


 マカティのブエンディア通りとパソンタモ通りの角に24時間営業のマクドナルドがある。対面にコールセンターがあるため、24時間いつもにぎわっていて、ピーナッツやタバコを売る屋台も多数出て、下町の喧騒がここにはある。  この店はマカティ市長のビニャンの息子さんが経営しているそうで、ちょっと離れたところにあるマカティ市役所の職員の誕生日の振る舞いや簡単な職員のパーティはすべてここからの仕出しによるそうだ。市役所以外でも幼稚園などの市の経営する施設の仕出しは一手に引き受けて、幼稚園の先生はいつもいつもマクドナルドのハンバーガーを食べる羽目になってうんざりしているそうだ。一旦権力を握るとあらゆる局面でその力を利用して家族や友人に便宜を図るのがフィリピンの通例なのだ。

マクドナルドの大繁盛店2009年2月22日



  つい先ごろ、寒波襲来のニュースを載せたかと思ったら、今度は夏のニュースだ。ここ1週間、毎日暑い日が続いている。ここのところ涼しくて気持ちの良い天気が続いていたので、ますますそう感じるのかもしれない。日中外を5分も歩くと汗が噴出してくる。しばらくご無沙汰だった太陽もさんさんと輝いている。  朝の7時ともなると太陽がピカーッと照り始める。ジープニーの中では扇子で扇ぐ人もちらほら。こんな時、ジープやトライシクルなど短距離の交通機関が多いのに助かる。  フィリピンの学校は3月後半から夏休みに突入する。6月の第1週まで、2ヶ月以上の長期休暇だ。人々は家族あるいは友達と一斉に郊外へアウティングに出かける。やはり海が人気で、マニラ南方のカビテやバタンガスの海岸はアウティング客で一杯になる。日帰りかせいぜい一泊の旅行で、大量の食材や飲み物を持って、現地で料理をして食べるのだが、そのための施設があちらこちらにある。  アウティングの主役は男性。料理の準備をしたり、女性に飲み物を用意したり大忙しだ。そして帰宅だが、ご多聞にもれず渋滞でマニラにいつ到着するかもしれない車で、運転役を除いて皆疲れて居眠りをするのが通例だ。

フィリピンに夏がやってきた2009年2月22日


 2月19日、ロングスティ財団の山田部長及びフィリピン観光省東京支局の横山チーフ一行が来比され、PRAを表敬訪問した。山田部長とはPRA時代に色々コンタクトはあったもののお会いする機会がなかった。そのため、今回の  訪問の情報を得て、PRAで面会することをお願いして了解いただいた。 PRAの入り口で皆さんと挨拶して帰ろうとしたら、山田部長もPRA営業のノエル部長も、そうはいかない、PRAリンガットGMとのミーティングに出席しろ、と無理やり中に連れ込まれてしまった。   ミーティングではリンガットGMがMr.Shigaを連発していた。多分はじめて会う人々に色々質問されて緊張していたのだろう。私の助け舟が必要だったようだ。また、山田部長の方も私の解説が必要な場面もあり、思わずPRAジャパンデスクとして働いていたころを思い出した。 皆で記念撮影。左から3番目が山田部長、その隣がリンガットGM、横山チーフ、そして右端がノエル部長だ。

ロングステイ財団とPRAのミーティング2009年2月20日



 2月19日も当たりが出ず、ついに賞金額は2億5千万という史上最高額に達した「スパーロト6-49」は一口20ペソで1-49から任意に選んだ数字6 つを的中させる、日本のナンバーズに相当する宝くじ。最後に当選者が出たのが2008年12月21日で、それ以来賞金が積み重なって次回抽選の22日には 3億ペソに達する見込みだそうだ。  夢の賞金を当てようと一攫千金を夢見る庶民がロト売り場に押し寄せている。街のあちこちにあるロト売り場には一体何事かと思うばかりの長蛇の列ができている。人々はロトを買うことに夢中だ。たとえ当たらなくても良い(絶対に当たらないのだが)、一時でも夢を見れればよいと、一日の稼ぎのほとんどを費やしてロトにつぎ込むのがフィリーピーノだ。このときばかりは奥さんも文句は言わない。一家全員が夢を肴にして食卓を囲むのだ。  下の写真がロトの申込書。意中の数字を鉛筆でマークして窓口出すと、即座にコンピューターで読み取って数字を記載したチケットが渡される。このデータは即座にホストコンピューに送られてリアルタイムで賞金額がはじかれる。当たり番号は厳正な監視の中で1~49の番号から6つの数字が選ばれ、その模様はテレビで中継される。  19日のテレビではロト売り場の様子が中継されていた。今フィリピンの最もホットな話題はこのロトなのだ。

スーパーロト6-49の過熱2009年2月20日


 2月15日、仕事上関係のある人物のお母さんの葬儀に参列した。この人のお姉さんは某有名大学のオーナーに嫁いでおり、そのオーナーの義理の母の葬儀ということになる。要はフィリピンのお金持ち一家の葬儀というわけでパラニャケの立派な葬儀場の1階を借り切って行なわれた。  葬儀場の中は献花で埋め尽くされていた。有名大学のオーナーの母親だからフィリピン商工会議所などをはじめ100本を越す献花が所狭しと並べられていた。  葬儀はいろいろな人が挨拶や歌を歌ったり、あるいは写真をスクリーンに映し出し、亡き母との思い出がつづられていた。おひつの横には等身大の像(写真)がおかれ、たったの1~2日の内に大変な準備が行なわれ、さぞかし忙しかっただろうと想像される。これが最近のお金持ちの葬儀のトレンドなのだと感心した。  最近はジープニーに乗るのが趣味になり(実は車が故障しているので)、葬儀のあったパラニャケからジープニーを3回乗り継いでマカティに帰ってきた。ジープニーに乗ると今まで見えなかった街並みが見えてマニラを再発見をするようで楽しい。この日はジープニーの乗り換えのため、EDSA通りとサウス・スーパー・ハイウエイが交差する高架橋の下を歩いた。もともとEDSA通りとハイウエイさらにその脇を通る国有鉄道と、主要な交通の交差点ということで複雑な立体交差だったところにさらにスカイ・ウエイと高架鉄道のMRTが加わって大規模な4階建ての立体交差となってしまったのだ。  このような国の所有地でかつ高架下のスペースという好立地となると、たちまちの内にスコーター・エリア(スラム街)になってしまうのが通例だが、ここは噴水や植物を植えてこぎれいな公園になっている。しかしもともと人通りがあまりないところなので、閑散としていた。公園をつくったのはきっとスコーター締め出しの口実なのだろう。  ハイウエイ沿いに走る国有鉄道の両側にはスコーターが建ち並びマニラの恥とまで言われていた。最近その立ち退きが実現し、線路の両側は清々したものになっていた。しかしこの国有鉄道はほとんど使われておらず途中で線路も途切れ、駅には人影もなく、たまにみる列車も おんぼろで、とても実用に供しているとは思えない。  その証拠に線路の上に昼寝をしている子連れの女性がいた。もともとここの住民で線路をまくら代わりにしていたのだろう。枕が替わると眠れないというので、ここにやってきて昼寝をしているのか。高架橋の下は陽もあたらず心地が良いのだろう。この人たちの葬式は一体どんなものなのだろうか、一度位参列してみたいものだ。

フィリピンの葬儀と高架橋の下2009年2月16日



 2009年は2月13日がクリスチャンにとって最も不吉とされる金曜日と重なった。いわゆる13日の金曜だ。しかも翌日の14日はバレンタイン・デイ。 15日は日曜だから、13日は給料日でもあった(ちなみにフィリピンでは15日と月末、月々2回に分けて給与が支払われる)。うれしいやら怖いやらフィリピーノの心は13日の金曜日をどうすごすべきか複雑だった。  13日の金曜がなぜ不吉なのか定説はないらしい。キリストが貼り付けにされたのが金曜で、最後の晩餐に参加した弟子の数が13であるとか、色々言われるがはっきりしていない。一方バレンタインは有名なカソリックの神父で2月14日にローマ皇帝の手により殉教したのを悼んだのが、いつしか恋人達や夫婦が愛を深める日となったそうだ。   日本ではバレンタインといえばチョコレートと相場が決まっており、店頭にはチョコレートが溢れる。しかし、海外では男性が意中の女性に花束を送って、デートに誘うのが一般的だ。この日は意中の男性が赤いバラの花束を持って現れるのを女性は心待ちにする。夫婦やステディな仲では、男性がこの儀式を怠ると大変なことになる。他に女がいるに違いないとか焼餅を焼かれて、一晩中恨みごとを言われるはめになるのだ。  一方、意中の女性もいない場合は、一晩だけでも意中の人になってあげますと、カラオケ・クラブやナイト・クラブではバレンタイン・デイのスペシャル・ビッグ・ナイトのオンパレードとなる。この日のためにGRO(Guest Relation Officer、要はホステス)やショーダンサーは特訓をやらされて得意のダンスや歌を披露するのだが、楽しんでいるのは彼女達ではないかと思うくらいノリノリだ。      バレンタインデイの主役は赤いバラの花束だ。前日位からかなり高騰するそうだが、街の角々ではにわか花屋が出現して、そこそこ繁盛しているようだ。花問屋で数百本まとめて数千ペソ(一本10ペソ以下)で売っているのをしゃれた紙やプラスティックで包んで一本50ペソ~100ペソ程度で売りつける。なかなかおいしい商売のようだが、年に一回の商いでは致し方ない。新聞によると不況のせいから例年の半分程度の価格の花束が売れ筋だったそうだ。

13日の金曜日とバレンタイン・デイ2009年2月15日


 メトロマニラには3本の高架鉄道(LRT1、LRT2、MRT)が走っているが、エドサ通り北側の部分、ノース・アベニュー駅~マニラの北、モニュメント駅の間が未着工で、慢性的な道路渋滞が庶民を苦しめている。ところが昨年の後半から橋脚工事が急ピッチで進められ、環状線が完成するのもそう遠い将来ではないだろう。環状線が完成するとメトロマニラの足が格段に便利になるものと期待される。 この高架鉄道は一本の足に梁を置き、その間を桁でつなぐという極オーソドックスなものだが、障害物をよけ、平面を維持するために橋脚の高さは大きく変化する。  下の写真は運行中の3本の高架鉄道の路線図で、MRT(Mass Railway Transit、青い線 )は、現状では終点のタフト駅からノースアベニュー駅までエドサ通り沿い、メトロマニラの東側を走っている。   LRT1(Light Railway Transit、黄色い線)は一番古い線でマニラの西側、バクララン駅からモニュメント駅までタフト通り沿いを走る。このノースアベニュー駅ととモニュメント駅がつながるというわけだ。さらにもう一本運行されているのがLRT2(紫色の線)でメトロマニラを横断する線でMRTとはクバオ駅/アラネタ駅、 LRT1 とはレクト駅/ドレテオ・ホセ駅で乗り換えることができる。  下の写真はLRT1の終点のバクララン駅とモニュメント駅だ。両駅とも庶民の買い物どころとなっており、いつも人でごった返している。  下の写真はMRTの終点のノースアベニュー駅。左はLRT2のレクト駅からLRT1のドレテオ・ホセ駅への乗り換え通路だ。  下の写真はMRTとLRT2の交差する部分でかなりの高さとなっている。右はMRTとサウス・スーパー・ハイウエイが交差するマガリアネス駅付近で、エドサ通りとハイウエイの交差点でもあり、4重の複雑な立体構造となっている。   […]

メトロマニラ高架鉄道の建設状況2009年2月6日



 日本でもフィリピンでも最近はオムツを干しているという景色を見ることは無くなった。ほとんどが使い捨ての紙おむつを使っているせいだ。一回使っただけで捨ててしまうというのはいかにももったいない。それに使っている紙の量も相当のものだ。  この紙おむつを一個作るのにどれだけの木材も必要とするのだろうか。木を大量に切って一回使って焼却してしまうなんて、地球温暖化を進める元凶だと思う。そもそも紙おむつなど無くても昔ながらの木綿の生地でやれば何度でも洗って再利用ができるのだ。フィリピンでは子供のしつけに熱心ではないから、2~3歳になってもオムツをしている。一日3枚x365日x3年間=3285枚の紙おむつが一人当たり消費されることになる。このために何トンの材木が必要で、何トンの二酸化炭素が発生することになるのだろうか。  一方、2歳になる子供に母乳をあげている母親が知り合いにいる。びっくりして聞いてみるとフィリピンでは当たり前という。さらに幼稚園に行ってもほ乳瓶でミルクを飲むのが普通だそうだ。日本ならば6ヶ月位から離乳食を取り始め、1歳位でミルクはやめているはずだ。3~5歳になってもミルクから主な栄養を取るなんて子供のために良いはずが無い。米や肉・魚そして野菜などを良く噛んで食べて栄養をとることにより始めて健全な成長が図れるのだ。  お金が無いことを象徴する表現に「ミルクもオムツも買うお金がない」という言葉を耳にするが、上記の背景を見ると「馬鹿にするな」といいたくなる。子供のしつけを怠って3歳にもなってミルクを飲んでオムツを使っている。しかもお金のかかる粉ミルクと紙おむつだ。それでお金が足りないなどとは言語道断だ。「子供のため」といえばおおいに同情を買ってなんでも通るのがフィリピンだが、これだけは許せない。実は子供のためではなくて、母親の怠慢のせいなのだ。普通の食事をしていればはるかに少ない費用で栄養はとれるはずだ。  しかも紙おむつは水分をよく吸収するので、おしっこをしても気持ちが悪くないそうだ。だから、平気でおしっこを垂れ流し、コントロールすることを憶えにくい。そのためいつまで経ってもオムツ離れしないのだ。3歳になってもおしっこをコントロールできない子供なんて将来が危ぶまれるというものだ。もっとも介護用オムツや忙しい母親の手間を省くという観点ではこの紙おむつも多いに利用価値はあると思う。  話は違うが、フィリピンの米作りは堆肥を使わない。すべて化学肥料だ。ワラや籾殻は燃やすか捨ててしまう。堆肥などの有機肥料は畑を肥やしおいしい作物をつくるために必須だと思うのだが。さらに養鶏・養豚やテラピアの養殖などにも配合飼料を使う。この飼料が案外高くて、売値のほとんどを占めてしまう。昔、農家の人が豚の飼料に残飯を集めていたのを覚えているが、フィリピンではそんな面倒くさいことはしない。残飯は捨て、鶏や豚の糞もただごみとして捨てるだけだ。農場では、ワラやもみ、鶏や豚の糞は貴重な資源だと思うが、ひたすら廃棄物として処理される。  紙おむつや粉ミルクそして肥料や飼料、その共通点は何か。すべてお金持ちの経営する大企業の製品だ。テレビなどでも盛んに宣伝され、それを使わないと時代に取り残されていると錯覚してしまうのだろうか。だから3度の食事もままならないのに、粉ミルクと紙おむつを買って子供に与え、農家は借金をして肥料や飼料を買い、収穫のほとんどを借金の返済にあてることになる。だからフィリピンでは、金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はいつまでたっても貧乏なのだ。

ダイアッパー(紙おむつ)に苦言2009年2月6日


 マニラ首都圏並びに近隣の県を縦断する幹線道路であるノース・ルソン・エクスプレスウエイ(NLEX)~エドサ通り(EDSA)~サウス・スーパー・ハイウエイ(SLEX) 沿いには無数の巨大広告塔が建ち並んでいる。その高さは20~30m、ものによっては50m程度はあるのではないかと思える。下の写真はSMシティ・ノースエドサにある広告塔だ。どれだけの宣伝効果があるか知る由も無いが、費用も並大抵ではないと思う。下の写真はNLEXとEDSAの交差点にあるもので比較的短期間で絵図が変わるようだ。きっと一日あるいは一月いくらという価格設定になっているのだろう。  最近SMシティ・ノース・エドサが改装オープンしてSMモール・オブ・エイシアを凌ぐ規模になったそうだが、その目の前にまさに巨大な広告塔ができた。前面はパクヤオのボクシング姿だが、周囲のビルの高さからその巨大さが推定できる。高さは50mを下らないと思う。人の度肝を抜くのが大好きなヘンリー・シー一族のやりそうなことだ。  エドサ通り沿い、特にパシッグリバーを渡るあたりに大きな広告が目立つ。当方には一体何の広告かわからないが、美人が微笑んで“Love me again”などとあってはハンドルを握る手も上の空にならないかと心配だ。

巨大広告塔2009年2月5日