Monthly Archives: May 2009


 今フィリピンで最も話題となっているのは、医者で俳優というエリート、Hayden Jr. が自分で写したガールフレンドとの営みの現場ビデオがインターネットで出回ってしまった、ということだ。しかも、相手は有名な5人の女優を含む50名の女性との現場で、日記のように自分の性行為を写すのが彼の趣味だったそうだ。   事の起こりは自分のガールフレンドを寝取られて腹を立てた同僚の医者が彼のコレクションのビデオを盗み出して、ユーチューブに公開してしまったのだ。ビデオは瞬く間に広まり、、ダウンロードして配るものやら、DVDに焼いて売りさばくものやらが続出した。ちなみに取り締まりに当たった国家警察(PNP) の本部(キャンプ・クラミ)には、一部屋いっぱいに押収したDVDやUSBが積みあがって処分に困っているという。ユーチューブにアクセスすれば今でも見れるそうだが、まがい物が出回っているので見つかるかどうか保証の限りではない。     彼はUST(University of Sant Thomas)というアジア最古といわれる名門大学を卒業し、Mr.USTだったそうだ。ハンサムで医者という彼は、ベロというクリニックに就職した。ベロはビューティ・クリニック・チェーンとして大成功を収めて、オーナーのVicki Beloは億万長者だ。そのBeloの目に留まってBeloのボーイフレンドとなった彼は瞬く間に出世して、ベロの幹部となった。ハンサムで若くて金のある男をほっておくわけがない。女優を初めとする多くの女性との交流があったとしても不思議ではない。テレビ局はパリに滞在するBeloを追いかけて取材した。このような時、Beloは臆する風もなく堂々と取材に応じていたが、それがフィリピン流だ。  本人が故意にやったのではないのだから、世間から責められることはないはずだが、うらやみややっかみもあってか、かしましい女性陣の追及が手厳しい。聴聞会に出席したある中年の男性は、ビデオに出ていた女性が自分の娘に似ていたというので、Hayden Jr. […]

セクシュアルビデオで話題騒然 2009年5月30日


 日本で開催されるフィリピンセミナーに参加するために、久々に日本に行って来た。昨年の9月以来なので、8ヶ月ぶりとなる。また、昨年7月に生まれた孫の成長を見るのも楽しみだった。今回は日記風に綴ってみた。 5月16日(土)出発 退職ビザ保持者はターミナル1では右端の特別レーンで出国手続きが出来る。そこにはACR(外国人登録証、現在はIC化されている)保持者の出国手続きの窓口があり、現在ではわざわざ入管に出向いて、再入国許可証を取るというような煩わしさはなくなっている。退職者ビザはそのような手続きは不要なので、そのまま出国手続きのゲートに進めばよい。  成田の入国審査場では例のインフルエンザ騒ぎで、係官が物々しくマスクをして審査をしていた。幸いフィリピンはインフルエンザにも見向きもされないようで、この時点で発症者は0、問題なく審査を通過できた。 5月18日(月)フィリピンセミナー参加  地下鉄御成門が一体どこにあるのか、鉄道マップでやっと探り当てたが、東京近郊の鉄道網は、もはや4次元の世界と思えるほど複雑だ。LRT1、LRT2そしてMRTしか知らないマニラっ子は一体どんな印象を持つことだろう。大阪や岐阜から来ていた私の知り合いは電車に乗る前、携帯を使って順路を調べていた。それがなかったら動きがとれないとのこと。   電車の案内が液晶パネルに示され、次の駅や時間が示されて、とても便利になっている。これもまた、フィリピン人が見たらびっくるすることだろう。なにかやたらと文化水準の違いを見せ付けられるよう気がした。   フィリピンセミナーが開催されるアセアンセンターに早くつきすぎてしまい、昼食を食べた後、タバコを買おうとした。以前、成人であることを証明するカードがないと買えなかったので、タバコを自販機に詰めているおじさんに聞いてみた。そしたら、この機械はカメラで買う人の顔を認識して年齢を判断するとのこと。確かにカードでは借りて使えば誰でも買えてしまう。この私が未成年に見えるはずがないと、早速試してみたら、まさかのNG。そうしたらおじさんが直接売ってくれたが、やはり対面で買うのが一番良い。  セミナーのあとはフィリピン移住に興味を持っている方々と品川で食事をした。  5月19日(火)息子夫婦と食事  昼間はフィリピンの仕事でお付き合いのある会社を訪問し、昼食をともにした。  夜は息子夫婦と嫁さんの両親と居酒屋で食事をした。向こうのご両親とはお宮参り以来の3回目の食事会だ。京浜急行、能見台駅の近くの居酒屋、メニューを見ると何もかもおいしそうだ。結局端から二皿ずつ頼むことにした。それにしても大きな居酒屋なのに客は二組だけ、これでやっていけるのか心配になってくる。日本はやはり不況なのかと感じた。  居酒屋の帰りは歩いて富岡駅、そして金沢シーサイド・タウンに戻ってきた、実を言うと、相手の両親、私、そして息子夫婦と、皆この団地に住んでいるのだ。途中、国道沿いに地蔵を見つけて、孫の健やかな成長を祈った。 5月20日(水)姉宅と息子宅訪問 […]

久しぶりに日本の土を踏みました 2009年5月25日



  5月18日に開催されたロングステイ財団とフィリピン観光省共催のフィリピンセミナーに参加するため日本に出張した。はじめは気楽なつもりで参加を申し込んだところ、ロングステイ財団にしっかり抑えられて、講演「フィリピンの退職者査証について」、相談コーナー、パネルディスカッションのパネラー、そして番外のロングステイアドバイザーを対象とした勉強会と、ほとんど息の継ぐ間もないほどのスケジュールとなってしまった。 ロングステイ財団事務局長、根崎さんの挨拶 フィリピンでロングステイヤーを対象としてビジネスを展開する賛助会員の出展準備、右の写真は介護施設アモーレの里を経営する岸田さんと賛助会員の古堅(フルゲン)さん(左) 賛助会員でアンヘレスにペンション「フレンドシップクラブ」を経営する根本さん  退職ビザの概要はどこのHPでも見れるが、いざ実際にビザを申請しようとすると、色々判らないことが出てくる。今回の講演及び勉強会ではそのような部分にスポットを当てて解説したが、以下にその原稿を公開する。 フィリピンセミナー 退職ビザ手続きに関するFAQ 2009年5月18日 志賀和民 1.無犯罪証明書の取得について  現在、無犯罪証明書については従来のNBIクリアランスだけでの申請認められておらず、日本の県警で取得する必要があります。県警に申請するとき、パスポート、住民票、戸籍謄本のほかに、無犯罪証明書の使用目的を示す証拠として、記入済みの退職ビザ申請用紙の提出が求められます。  さらに、本来、この無犯罪証明書を外務省、フィリピン大使館に持っていって認証してもらわなければなりません。しかし、この認証は大変な手間を必要とするために、PRAは、後付で提出するという約束(Affidavit of Undertaking)とNBIクリアランス及び無犯罪証明書(未認証)の提出でビザを発行しています。これはPRAが入管の要求に対して行っている苦肉の策といえます。なお、無犯罪証明書は開封すると無効になるので気をつけてください。  交通違反や軽微な事件等で警察に厄介になったことがあったとしても、送検されない限り、無犯罪証明書への記載はされないそうです。また、長期間経過した軽微な事件も時効で記載されないそうです。もしそのような身に憶えのある方は、申請時に県警に問い合わせてみてください。 […]

ロングステイ財団主催のフィリピンセミナーに参加2009年5月24日


  比日経済連携協定(EPA)に基づき5月10日、273人のフィリピン人看護士/介護士が日本へ向った。このことが大きな話題になったのが2004年で、それから5年を経てようやく実現したことになる。500人の枠に対して、かなり下回る人数しか送り出すことが出来なかったのは、募集や受け入れのアレンジが国の機関が直接行なっていることによるものと考えられる。   一方、半年の語学研修を経て、働きながら勉強し日本語で看護士/介護福祉士の資格を3/4年以内に取らなければならず、チャンスは一回限りで、受験に失敗すると帰国しなければならない。3~4年の勉強で日本語の国家試験に受かるはずもないから、結局この制度も研修と称する人材派遣に過ぎないといえる。それにしては給与が手取りで1000ドル程度というのは低すぎる。彼らは 2000~4000ドル程度の収入を他の先進国では手にすることができるという。しかも、受け入れ事業所にとって、日本人を雇うよりはるかな大きな負担がかかるというが、このお金は一体どこへ行ってしまうのだろうか。  それでも、フィリピン人看護士、介護士が日本へ行くことになったのは夢の実現への第一歩だ。ジャパユキさんにとって代わって、花街でない介護という人間性が問われる現場でフィリピン人が日本のお年寄りを面倒見る。そこで真のフィリピン人の姿を見ることができるだろう。そうしたら、現状の制度がいかに無意味で現実離れしているかが議論され、フィリピン人看護士/介護士の受け入れに大きな進展が見られるのではないかと期待される。  さらにまた、今まで「危険、汚い、金なし」の3 Kの代表と思われていたフィリピンだが、日本にいる日本人がフィリピン人の温かい心に触れることにより、それがまったくの偏見によるものだということが認識され、退職者がなだれをうってフィリピンにやってくるのではないかと夢は広がる。

フィリピン人介護士、看護士が日本へ出発 2009年5月14日



 フィリピンの英雄マニー・パクヤオは5月3日、IBOジュニアウエルター級タイトルマッチでハットン(英国)を2ラウンドKOし、ついに5階級制覇という偉業を成し遂げた。この国民的英雄の人気にあやかろうと、アロヨ大統領は彼が帰国する5月8日を英雄の凱旋を祝う国民の日と定めると宣言した。その他、次期大統領選に立候補を目論んでいる上院議員がこぞって、パクヤオの偉業をたたえる声明を発表した。さらに下院議長を初めとする50名以上の下院議員がラスベガスの試合を見るために渡米したそうで、これら議員による浪費を非難する声も上がっている。 PALの飛行機で配られた新聞から マカティの街角で見かけた看板  一方、パクヤオはこの国民的人気を背景に政界入りをねらっているそうだ。しかし、所詮ボクサーが政界に入ったとしても業績を残せるはずもなく、パクヤオの政界入りがその偉業を台無しにする事を危惧する声が大きい。一方で、世界中の注目となっている新型インフルエンザだが、ラスベガスは流行地域のカルフォルニアに近いということで、帰国遅延の要請がWHOからあった。パクヤオは予定通り帰国を強行したが、それはアロヨ大統領が定めた国民の日に帰国できないとあらば、大統領の顔に泥を塗ることになるということを配慮したものと考えられる。それにつけてもフィリピンではこの英雄の一挙一動に注目が集まっている。

マニー・パクヤオの5階級制覇 2009年5月14日


 セブパシフィックの格安運賃の戦略で飛躍的に乗客が増加したレガスピ空港には、従来一日一便だったのが、セブパシフィックが2便、PALが2便、さらに Zest Airなどが飛んでいる。セブパシフィックはバス便と変わらない格安のチケットを発行し、従来バスで移動していた人たちに飛行機で移動する味を覚えせて、後戻りできなくさせてしまったようだ。空港にはセブパシフィックとPAL、両社の飛行機が同時にとまるなど、従来ではありえなかった光景を見ることができる。   チェックインカウンターにはPAL、CEBU PACIFIC、さらにZest Airという新規参入の航空会社のカウンターがあり、閑散としたローカル空港だったものが、最近は周辺に新しいレストランやおみやげ物屋ができて活気が出てきている。    空港前の広場の右奥に、Gallerias De Legaspiという民芸品の店がオープンした。主にアバカ(マニラ麻)で作ったハンドバッグを置いているが、モダンでしゃれたデザインで、値段がせいぜい500円~1000円と格安だ。日本にも輸出しているという。

3社が乗り入れるレガスピ空港 2009年5月14日



 ビコール地方の台風のおかげで、5月の2日、3日のフライトがキャンセルされ、出発を1週間延ばして、8日としたのだが、農場に緊急事態が発生して、再度4日に変更して出かける羽目になった。セブパシフィックは満員なので、PALで行くことになった。セブパシフィックの切符はキャンセルすることになるが、格航空券なので、戻りはほとんどない。結局2回分のチケットを買ってしまったが、いたしかたない。そこで久しぶりにフィリピン航空専用のターミナル2 から飛び立つことになった。  開業間もないターミナル2は左ウイングが国際線、右ウイングが国内線のPAL専用だ。ターミナルビルは真ん中で鋭角に折れているが、アクセスウエイの日よけの屋根は美しいカーブを描いている。   ターミナルビルの待合所及び出発ロビーは明るく清潔だ。大きさも手ごろで迷うこともなく、とても使いやすい空港ターミナルだ。  到着ターミナルの荷物の受け取り上も広々としていて、わかりやすい。ターミナルビルを出ると、クーポンタクシーの乗り場があり、国際線の方に進むと空港メーター・タクシーが待っている。これが最近良く見かける、空港専用のイェロー・タクシーだ。料金は普通のタクシーの倍位するが、清潔でマナーがよいので外国人に評判がいい。 ちなみに初乗りは70ペソで500mまで、以降300mごとに4ペソ増して行く。空港からマカティまでは200ペソ程度だ。一方、一般のタクシーは初乗りは30ペソ、以降300mごとに2.5ペソ増しだから、概ね半分の値段だ。これらのタクシーはマニラの街でも拾えるが、空港へ戻らなければならないので、空港方面に向い場合のみ載せてくれる。もちろんメーターの料金を取られるが、もともと料金が高いためにチップを強要したり、値段を吹っかけてくることもない。そもそも初乗りが30ペソ(60円)などと驚異的に安いのだから、倍位しても気持ちよく載れるほうが外国人にはありがたい。 イエロータクシーのナンバープレートを見ると黄色いタクシーのものとは異なっている。このプレートはレンタカーのものだ。一般のタクシーとは異なった料金体系になっているので、レンタカーという分類になっているのだろう。

フィリピン航空専用のNAIAターミナル2 2009年5月14日


 4月29日アロヨ大統領はPDIC(Philippines Deposit Insurance Corporation)が行なう、銀行預金の保護の上限を25万ペソから50万ペソに引き上げる法律(RA9576)に調印した。施行は5月15日からだ。  これにより、約一万ドルの預金が保証されるので、年金プランで退職ビザを取っている方は、そのままでも全額が保証されることになる。また、2万ドルあるいは5万ドルを預けている方も、2ないし5行に分散して預金すれば、全額が保証されることになる。

銀行預金の保護上限が50万ペソに増加 2009年5月12日



 5月のゴールデンウイークはチケットが高くなるので、時間が自由な退職者はあえてこの時期にビザの件でフィリピンを訪れることはまずまれだ。そのため、その間に恒例のタバコの農場詣でをしようと企んだ。しかし、敵もさるもので、台風でレガスピ空港が使えず、2日(土)、3日(日)とフライトがキャンセルされた。しかも明日は飛ぶかどうかもわからないが一応満席で、結局5日(火)にしか行けないとのこと。しかも、7日(木)の連休明けにはある退職者が来比するので、6日 (水)には必ず返ってこなければならない。しかし、再び帰りのフライトがキャンセルされるかもしれないし、例えバスで帰るにしても、この大雨で土砂崩れで道がふさがっているというリスクもある。結局、今回の農場行きはあきらめて、1週間ほど予定を延ばすことにした。  1週間以内の予定の変更は無料で行なえるが、それを超えるとペナルティが課せられ、キャンセルするとリファンドされないという。3日も4日も飛行機が飛べないから旅行をキャンセルするのに、チケット代がリファンドされないとかペナルティが課せられるなんてなんとも納得がいかない。しかし、窓口の担当を責めても仕方がないので、あきらめて、1週間延期して今度の土日に行くことにしたのだ。   ところで、チケットの変更でがたがたしている間にいつもは素通りするターミナルビルをくまなく見て回った。まだ、半分くらいしか使われていないが、大変きれいで気分が良い。柱の幾何学的配置も美しい。3階には簡単な食事が取れるところがオープンしていた。早く国際線で本格的に使われることを期待したい。   ところで、空港へ向うタクシーの中で気がついたのだが、ターミナル3の前は、まさに建設ラッシュだ。左前方にはマカティのビル群、中央にちょっとセンスの悪いモスク風の教会が見えるが、その外は全部が建設中のホテルやコンドミニアムあるいはコールセンターなどのオフィスビルだ。近いうちに近代的な街並みがここに登場するのは間違いないだろう。(なお、下のマカティの遠景を除く5枚の写真はターミナルから撮影した連続写真で、つながっているものです)

マニラ国際空港(NAIA)第3ターミナル開港(その3)2009年5月3日


 近々SRRV申請を予定している退職者の依頼でPRAビザ申請用定期預金の利率をBank of Commerceに問い合わせた。  退職者はPRA定期預金開設に当たって余分のドルを生活資金として送金し、できる限りよい金利で運用しようと考えているが、昨年の世界的金融恐慌の影響でフィリピンでのドル建て定期預金の金利も1%程度に落ち込んで、退職者にとっては頭痛の種になっているところだ。   PRAビザ申請用定期預金:満期30日~1年 1.25~1.5%   特別ドル建て定期預金(2009年8月4日現在):   5万~10万ドル未満 満期6ヶ月 3.25%、 満期1年 3.25%  10万~25万ドル未満 満期6ヶ月 3.50%、 満期1年 4.25%  25万ドル以上     満期6ヶ月 3.75%、 満期1年 4.25%    PRA定期預金は残念ながら下降気味だが、特別定期は、昨今の低金利時代になんとも朗報だ。もともとBank of CommerceはPRA定期預金の金利を4~5%に設定し、圧倒的な高金利を誇っていた。しかし、昨年来、ずるずると下降し、なんとかNo.1の地位は保ってはいるものの、他の銀行と大差がなくなってしまっていた。世界景気も回復の兆しが見えてきたようだが、そのさきがけかもしれない。またこの“特別” としているのは、PRA定期預金のように、既存の定期預金はそのまま据え置いて、新規にドルを集めるために設定されたものと推定される。興味のある方はお近くのBank of […]

Bank of Commerceの特別定期預金(2009年8月4日改定)2009年5月1日