Monthly Archives: August 2009


マニラから約100km北方にあるアンヘレス市/クラーク、そしてオロンガポ市/スービックは、米軍の撤退後、広大な敷地を政府が管理し、特別経済区として発展を続けている。特にスービックとクラークを直結する高速道路(SCTEX)の開通はこの地域の発展を保証するものだともいえる)。   アンヘレス市に隣接するクラーク特別経済区は元空軍基地なので、広大な空港を擁している。韓国などからはすでに直行便が運行されており、近々日本からも直行便が運行される計画があるそうだ。さらに将来、マニラ国際空港がここに移転され、現在のマニラ国際空港はドメスティック専用になるという計画もあるそうで、クラークがフィリピンの入り口になるのも、そう遠くない将来、実現するかもしれない。また、クラークの入り口には広大なSMモールも営業しており、買い物には不便しない。ゴルフ場も3コースもあり、ゴルフ三昧という生活も可能だ。  一方、オロンガポ市に隣接するスービック特別経済区は1990年代初頭から開発が開始され、元海軍基地ということで港湾も整備され、外国資本による工場やリゾートとして発展してきた。ここには、オーシャン・パーク、動物園、海水浴場、ゴルフ場、ヨットハーバー、などの遊び処、ホテル、病院、デューティフリーショップ、空港、港湾など生活に必要なすべてのインフラが整備されており、フィリピンの中の外国ともいわれ注目を浴びている。  今回、一家で移住を計画している44歳の若夫婦と子供、そしてお母さんの4人のご一家を案内して、アンヘレスとスービックを訪問した。そして、将来の生活設計の参考に、私にとってなじみの深い住居を案内したので、その概要を報告する。もし興味がある場合、当方に連絡してもらえれば、訪問等のアレンジをするが、直接コンタクトをする場合は、PASCOのブログを見たと伝えてもらえれば親切に対応してもらえるはずだ。 1. Herencia De Julieta Villas-サンフェルナンド市   アンヘレス市の南境、サンフェルナンド市にある小型のビレッジだが、ここに日本人退職者の方が住宅を建設し、そのお世話をした関係でたびたび訪れた。。土地が200m2程度で少々狭いが、延べ床面積は駐車場も含めて200m2ほどと大型で、これを約1000万円で手に入れることができた。昨年の6月建設に着手し、今年の1月予定通り完成並びに引渡しを行い、何のトラブルもなく、ご夫婦で快適な生活を送っている。  周囲はすでに7~8割の敷地に家が建っており、美しい街並みを形成している。通常、この程度の敷地面積の分譲地では、フィリピンの一般の人が住み、環境が著しく損なわれることが多いのだが、ここはデベロッパーが住居の建設まで行い、一定の販売価格を維持しているために美しい環境を保つことができている。マニラ周辺でも高級ビレッジは多数あるが、敷地が1000~2000m2と広大で、とても手の出るものではない。したがって、ほどほどの価格でかつこのような環境の良いビレッジは希少とも言える。   この退職者の家のはす向かいに、建売の住宅が販売中だ。少々広めで、価格は約1400万円となっている(家具類は別途)。ここ数年の異常な建設資材の値上がり、完成物件であること、などが影響して高くなっているようだ。1階はリビング、ダイニング、台所、そして客間が配置され、2階にはマスタベッドルームと子供用寝室2つ、それにファミリー・リビング・ルームがある。トイレは1階に二つ、2階に二つ、合計4つある。プライバシーを重んじるフィリピンではこれが普通だ。高級ビレッジの床面積が300~400m2もある住宅では、各寝室にバス・トイレがあるのは普通で、メイド部屋まで入れると一軒の家に7~8つのトイレがあるのはざらだ。今回は家具類も設置されモデルルームとして公開されていたので、イメージがつかみやすかった。これが日本だとしたら、1億円出しても手に入れることはできないだろう。ここに住んでいて、日本からお客さんが来たら、ため息をつくことは間違いない。 2.フレンドシップクラブ–アンヘレス市   フレンドシップ・クラブは以前このブログでも紹介したが、タイムシェアリング方式の会員制リゾートクラブだ。 この日はたまたま、退職者の方を伴ってオーナーの根本さんが訪問されていた。根本さんは現在、日本でITの会社を経営する現役で、来年にはフィリピンでの生活を開始しようとしている。奥さんはフィリピン人なのでここに永住されるおつもりだ。    根本さんの話によると、会員でなくても数日~1ヶ月程度の体験ステイを受け付けているので、フィリピンに移住しようと計画していたら、是非ここにしばらく滞在して、フィリピンになれてほしいという。初めからフィリピンで単独で生活しようとしても、何もかも違うフィリピンではまごついてしまい、取り返しのつかない失敗をすることも多い。ここで日本人を含むスタッフに囲まれて、ゆったりとスタートすることが肝心で、そのためにはフレンドシップクラブは最適だということだ(フレンドシップクラブの詳細はhttp://www.tecb.co.jp/friendship/参照) […]

アンヘレス、スービックに暮らす(物件紹介)2009年8月31日


  退職者の方をマカティのグリーンベルトに案内したが、マカティのビル街のど真ん中に、こんなところがあるなんて、とても信じがたい様子だった。昼間のせいで人影はまばらだったが、外人客がのんびりとテラスでコーヒーを飲んでいた。   もともとこのあたりは古いスーパーマーケットとモールそして教会と駐車場があるだけのつまらない場所だった。しかし、1990年代の末からアラヤの手により開発が進み、現在の超近代的な若者の街に生まれ変わった。ただ、教会だけは庭園にうまく調和させて残っている。なぜなら、この教会だけは、丸い屋根をもち、もともと近代的なデザインだった。   ここは池と緑の庭園を中心にしゃれたレストランが配置され、さらにその上階には高級なショッピングモールが並んでいる。休日はもちろん、夜間は仕事帰りの若者で夜半までにぎわう。池の周囲では岸に座れるようにデザインされており、多くの恋人達が憩っていて、まさに都会のオアシスだ。なお、アカシヤの大木はもともとここに生えていたものだが、そのほかの樹木はすべて、新たに植樹したものだ。   ここのレストランはすべて屋外に客席設けているが、多くの客は屋外の席を好む。まさにヨーロッパ的な雰囲気だが、目的はタバコを吸うためだ。それぞれの店は凝ったテーブルと椅子を競うように配置して、集客する。料理はとても高くて、フィリピン在住の日本人にはちょっと躊躇される価格だ。しかし、フィリピンの中~富裕層でどの店もいつも満員で、この時ばかりは、フィリピンは貧しい国だなんて、少しも思えない。   グリーンベルトは1~5まで分かれているが、時代遅れになっていてプラザなどのモールを取り壊して、最近オープンしたのがグリーンベルト5だ。ここは多分マニラのモールの中でも最高級と思うが、とても店の中を覗く気にならない。一体どのような人々がここで買い物をするのか、何でこんな高級なモールがあちらこちらにできるのか、不思議だ。ちなみにロックウエルのパワープラント・モール、フォーとボニファシオのセレンドラなど、目一杯高級感を出しているが、私には縁の無い世界だ。

都会のオアシス、グリーンベルト 2009年8月29日



  EDSA通りを北に向かいオルテガス・アベニューを左に折れてしばらく行くとグリーンヒルに出る。この付近には中国人のお金持ちが多く住んでおり、先ごろ無くなったコーリー・アキノの通夜もこの付近にあるラサール大学で行なわれた。ここにあるのがグリーンヒルズ・ショッピング・センターだ。ここはSMやロビンソンなどの通常のモールと違い、デビソリアやバクラランにあるような無数の1坪ショップの集合体だ。したがってあたかもデビソリアやバクラランにいるような掘り出し物を探す気分を味わえる。それに冷房が効いたビルの中なので、快適なショッピングが楽しめる穴場だ。観光の本には詳しく紹介されていないので、日本人はほとんどみかけない。   「きんぷら」という意味のわからない店名の日本食レストラン付近で車を降りて中へ入ると、バッグ、ポロシャツや靴を売る一坪ショップの群れに圧倒される。しかも、そのほとんどが、シャネル、ルイビトン、バーバリー、コーチ、ディーゼル、アディダス、ポロ、などのコピー商品だ。それらの商品はほとんどが 1000円~3000円程度で売っているのだ。一つ一つの店は一坪以下だが、店内所狭しと商品が積み上げてあるので、恐ろしいほどの数だ。本物だとしたら天文学的な価格になるだろう。    バッグ売り場の横に広がっているのが宝飾品の店で、200店くらいはありそうだ。主にミンダナオで採れる天然真珠で作ったネックレスなどを売っているが、赤珊瑚のネックレスもなかなか良い。こっちの方は本物で高価なものとなると数十万円するものもある。しかし、天然真珠のネックレスでも1000円以下で買えるから、おみやげなどにもってこいだ。バッグや宝飾品にしても、向こうの言い値で買ってはいけない。半値位から交渉を始めるのが良い。なかなかうんといわなかったら、2個買うから半値にしろとか、帰るふりをするとかすると大抵OKとなる。   退職者の方がネックレスを2本買ったが、1000ペソ程度の売り上げに、今日最初の客で縁起が良いと、うれしそうな顔をしてくれた売り子は、ミンダナオ出身。この辺を歩いているとスカーフで頭をくるんでいる売り子が多いが、彼らはモスリム(イスラム教徒)だ。ちなみに彼女はクリスチャンだそう。     バッグ売り場に混ざって、時計売り場がある。よく見るとほとんどがなじみの深いローレックスなどのブランド品(のコピー商品)だ。価格は1000ペソ程度からで、品質の高いAAA(トリプルA)などとなると、2000ペソ程度に値段は張るが、品質も本物に負けないくらいできが良いらしい。値段交渉のコツはバッグや宝飾品と同じ半値からはじめることだ。    ローレックスの他にはカルチェ、ブルガリなどが定番だが、この日はバセロン・コンスタンチンを見つけた。オーディマ・ピゲやパティック・フィリップと並ぶ世界一の高級時計ということで、若いころあこがれていたものだ。30年以上前で200~300万円していたやつだが、交渉の結果、2個で3,800ペソ (7600円)で買うことができた。一個3800円なら普通の時計が買えてしまうが、眺めているだけでもとても美しい時計だ。ペア・ウオッチなので1個は日本の妻にプレゼントするつもりだ。下の写真の時計の文字盤に小さな文字でくっきりと「VACHERON […]

ショッピングの穴場、グリーンヒル訪問 2009年8月28日


  先ごろ、フレンドシップ・ツアーの岩崎さんのメール・マガジンで紹介された「蘇州点心」というエルミタ、マビニ通りの中華料理屋で食事をする機会があった。つくりは地味でレストランというよりも食堂といった感じで、中国のどこにでもありそうな庶民の食事どころだ。となりは京風ラーメンという店で、日本人のたまり場のようで、次回試してみたいと思う。「蘇州点心」の場所はカラオケボックスMusic21の向かいだからわかりやすい。   確か岩崎さんのメール・マガジンには白身魚のお粥にマーボー豆腐をぶっかけて、酢漬けキュウリを食べるのが通と書いてあったと思う。それと全く同じものを注文してみた。味はあっさりしていて、軽い昼食にぴったりだ。他にもメニューは色々ある、ちょくちょくたずねて色々試してみたいと思う。なにしろ3人で食べてたったの700ペソ足らず。飲み物も入れての値段だから、たびたび来ても負担にならない。   メニューは写真付でわかりやすい。また、ほとんどの料理が100ペソ程度で、200ペソを超える料理はほとんど無い。(画像をクリックして拡大してみてください)

蘇州点心(マビニ通り)2009年8月25日



  フィリピンでは家のオーナーが材料を調達して、工事を請け負った工務店あるいは直庸の親方に材料を支給して家の建設をすることが多い。あるいはコンクリートなどの躯体工事は材料込みで発注し、設備及び内装などの仕上げ材料はオーナーが支給して、工事だけを請け負わせることもある。このほうがオーナーの好みを反映できて理屈にかなっていると思う。したがって、フィリピンでは日本のDIYなどとは比べものにならないほど設備や建設資材を売る大きなショップが、全国いたるところにあり、業者もそのような店から資材を調達する。  このようなショップをハードウエア・ショップと呼ぶが、オーナーはほとんど中国人で、チャイナ・タウンには建設資材や工具を売る店が軒を連ねる通りがあり(Theodora Alonzo St. 英雄Jose Rizalの母親の名前をとっている)、格安で買うことができる。ハードウエア・ショップで財をなした中国人も多く、地方の都市で目抜き通りに大きな店を構えているのは、ほとんどが中国人が経営するハードウエア・ショップだ。   マカティ市パソンタモ通りのマカティ・スクエアの近く、ウオルター・マートをちょっと南に下ったところにウイルコンというショップがある。間口と奥行きが100m位ある大きな店で、ほとんどありとあらゆる建設資材がおいてある。  入り口付近は床のタイルとトイレ設備が並び、タイルとともに天然石の床材もあるが、60cm角で1000円程度と安い。ほとんどが中国からの輸入品で、タイルもフィリピン産のものより、中国産のものが安いようだ。  最近はフィリピンでもウオシュレットが普及しつつあり、TOTOのウオシュレットも、果たして買う人がいるのかと思うくらいの高価格で売られている(10 万~15万円程度)。ジャグジも多く、こっちは10万円程度からと安いが、これら豪華な浴槽を見るとフィリピンのお金持ちの私生活を伺うことができる。   店の奥に入っていくとドアや壁材、照明等が並ぶ。さらにその奥は蛇口やシャワーなどの水周りの器具、ペイントなども山のように並んでいる。昨今のマンションブームを見ても、これら住宅建設資材の需要は留まることを知らないようだ。

住宅建設資材を買うならウィルコン 2009年8月25日


  この日朝方、強い雨が降ったために、マニラの道路はいたるところで冠水した。チャイナタウンにむかう途中にあるイントラムロス、あるいはリザール・パーク周辺の道路は川のようになってしまった。我々4人を乗せた勇気あるタクシー・ドライバーはこの水をものともせず、目的地に向ってひた走った。途中で若干の床上浸水もあったが、なんとかチャイナタウンにたどりつくことができた。   チャイナタウンは正式にはビノンド地区を中心とし、ブラック・ナザレで有名なキアポ、フィリピンの問屋街デビソリアなどを含む地域一体を指している。要は中国人が多く住み、商業の中心として機能してきた地域だ。  ビノンド地区の象徴はビノンド教会だ。ここを出発点として教会の左手裏へ回る道がチャイナタウンを横断するオンピン通りだ。チャイニーズ・ニュー・イアーでは獅子が舞い、爆竹が鳴り響いた通りで、漢方薬を売る店や中国の飾り物を売る店が並ぶ。オンピン通りの終点はサンタクルス教会だ。その辺は金ショップが建ち並び、中国人あるいは華僑は世界共通の通貨、金を財として好むことをうかがわせる。  サンタ・クルス教会の裏手に回るとLRT1(高架鉄道)のカリエド駅がある。そこから、キアポ教会へむかうカリエド通りが見ものだ。果物、野菜、雑貨、洋品などを売る屋台が軒を連ねる。この日は雨で水が出ているため、残念ながら道路にはほとんど屋台が出ていなかった。  キアポ教会はブラック・ナザレと呼ばれる黒いキリスト像を祭り、庶民の信仰を集めている。1月9日のフィエスタには100万人の熱心な信者が集まり、パレードするブラックナザレのご神体に触れ、ご利益に預かろうとする人々が殺到する。この日は同行したマッサージ嬢にモデルとなってもらった。   キアポ教会の至近距離にパレンケ(マーケット)がる。ごく普通のウエット・マーケットだがその名がキンタ・マーケットとといい、以前にもどこかで紹介したことがあるが、昭和60年ごろはやった名曲「金太の大冒険」に出てきそうな名前だ(「金太負けるな、金太負けるな、キンタマ蹴るな」ではじまる駄洒落の歌だ)。  キアポ教会から歩いてほんの5分ほどのところなのだが水が出ていて歩けない。しかしその辺のところは心得ていて、パジャック(サイドカー付自転車)に載ってたどりつくことができた。料金は20ペソでかなり高い。泥水の中では子供が遊んでいた。   オンピン通りに戻って、川沿い(と言ってもどぶ川だが)の屋台風の中華レストランで食事を取った。テレビでも紹介された穴場なのだが、4人で6皿、飲み物も取って、全部で690ペソ、1400円という値段に同行した日本人はびっくりしていた。それでいてとてもおいしくて料もたっぷりなのだ。一方、喧騒の街、チャイナタウンでも高層化の波が押し寄せている。

洪水のチャイナタウン・キアポ探検 2009年8月24日



  退職者の依頼でいくつかのマカティのコンドミアムを調査した。相場など昨今のコンドミニアム事情の把握の参考になれば幸いだ。ただし、今回はフィリピン、マニラ、そしてマカティの中心と、住居費がもっとも高いところの紹介であって、マカティの中心を外れれば、半値あるいはそれ以下で充分安全な住居を確保できる。さらに、地方に行けば、そのまた半値でも住居の確保は可能だ。   グリーンベルトに隣接するレガスピ・ビレッジはグロリエッタ・ショッピングモールやグリーンベルトのレストラン街に近く、都会派には絶好の環境を提供している。特にアヤラ・コーポレーションが開発している超高級コンドミニアム、レジデンス・グリーンベルト三棟(写真下)の完成が間近となり、ここに住むことがステイタスにもなりつつある。  レガスピ・ビレッジのBSAタワーはシャングリラ・ホテルやグロリエッタを眼下に臨み、すばらしい眺望だ。フル・ファーニッシュ(家具つき)1ベッドルーム69m2(駐車場無し)で、6.9 百万ペソ、平米10万ペソになる。築10年近い物件なので、新築なら13~4万ペソ/m2はするだろう。   同じくレガスピ・ビレッジのグリーンベルト・パーク・プレイス。1ベッドルーム、42m2(駐車場付)、築3年、セミ・ファーニッシュ(一部家具付)、 5.5百万ペソ、平米13万ペソ/m2だ。この狭さで550万ペソをするとは驚きだった、一昔前なら、せいぜい半分の300万ペソは行かなかったと思う。どうもアヤラのレジデンスが相場を引き上げてしまったのだろう。ちなみにレジデンスは完成時で17~8万ペソ/m2するというから一昔前の倍以上だ。   レガスピ・ビレッジから北へ少し行ったところがサルセド・ビレッジだ。こちらはショッピングモールやグリーンベルトから少々離れており、オフィスビルが多いエリアで居住という点ではレガスピ・ビレッジが優れている。   ザ・ピークのペントハウスは、2ベッドルーム、100m2と大きめで、フル・ファーニッシュで8百万ペソ、平米8万ペソだ。築20年ということで、この値段なのだろうが、この地区のコンドミニアムは120平米前後で大体8百万ペソ程度だった(ただし、家具なし)。こっちの不動産価格はあまり高騰していないようだ。   マカティの中心街の外周を走るパソンタモ通り、パサイロードあるいはブエンディア通り沿いに新しいコンドミニアムが建設されていることは、前にも紹介した。数年前に完成した、パソンタモとブエンディアの交差点に近い、オリエンタル・ガーデンのペントハウスを見学したが、大きくて高額なために売れ残っているようだ。すでに夜になっていたが、その夜景の美しさに驚嘆した。  このペントハウスには40m2程度のテラスがついており、ガーデニングも楽しめる。メゾネットになっていて、1階はリビング、ダイニング、台所の供用部分、2階がファミリールームやベッドルームのプライベイトゾーンになっている。2ベッドルーム、200m2、フル・ファーニッシュ、17.5百万ペソ、約9万ペソ/m2だ。マカティの中心街をはずれるだけ安めのようだ。日本であれば、数億する物件であろうが、それが3500万円という日本のざらにあるマンション程度のお金で買えるとあって、退職者は深いため息をついていた。 […]

コンドミニアム事情(マカティ)2009年8月23


 マニラの南、約50kmに位置するタガイタイは、マニラから車で約1時間という近距離にありながら、風光明媚で冷涼な気候により、マニラッ子のピクニックあるいは別荘のメッカとして休日は渋滞が起こるほどの人気観光スポットだ。五つ星のタアルビスタ・ホテルは最近増設を完了し、タアル湖を望む絶好の位置に客室を設けている。タアル湖を囲む外輪山の上にあることから、フルーツや牛肉の名産地で、通り沿いには産地直売の売店が列をなしている。特にパイナップルは季節になると只みたいな値段で売られている。  マホガニー・マーケットはそんな直売所を集めたところで、果物、野菜、肉、乾物、日用品雑貨、トロトロ・レストランなどが所狭しと並んでおり、リゾートにいながらにしてフィリピンを味わうことが出来る。マホガニーマーケットへ行くには、タガイタイのメインロードを進み、タアル・ビスタ・ホテルを過ぎたところで、向こうからこちらに向って二股になっているところがある、そこを戻るように右折して、しばらく行くと左側にある。ちょっとわかりにくいので人に聞きながらいくとよいだろう。   牧畜が盛んでないフィリピンでタガイタイは唯一とも言える牛肉の産地で、その日屠殺したばかりの牛肉が市場で売られている。上から吊るされた牛肉を必要なだけカットして売ってくれるのだが、気の弱い女性にはちょっときついかもしれない。ただし、ここの牛肉はテンダロインといっても、歯ではなかなか噛み切れないので、ステーキには向いていないと思う。この日は殺したばかりの牛肉がまだぴくぴくと動いているのに出っくわしたので、動画で撮影してみた。  マホガニーマーケットの目玉は牛肉以外には新鮮で格安な果物だ。日本では見たことの無い果物が所狭しと並んでいるので、色々試してほしい。また、マーケットの端っこでは果物の苗木や花木がいろいろ売っている。庭のある家に住んでいる方は手入れさえ怠らなければ熱帯の完熟もぎたて果物をエンジョイできるだろう。もちろん温室など必要ない。ここは熱帯なのだ。蘭の花なども簡単に栽培できる。しかも一本100~200ペソと大変安い。  ご存知の方も多いかと思うが、世界最大の果物はジャックフルーツ(ランカ)だ。左下の写真は特大のランカで、優に40~50kgはあろう。隣のパイナップルと比べてほしい。右の写真が輪切りにしたもので種の周りの柔らかいぬっぺりした実を食べる。少々匂うが、ドリアンより大分ましだ。このランカは極めて栽培が容易で日本の柿のように裏庭に苗を植えておけば、4~5年で立派な実がつく。子供の体重ほどもある立派な奴が実ることもある。ちなみに私の農場には 10本以上のランカの木が植えてあるので、数年後には巨大なランカの実が一年中楽しめるだろう。 

マホガニーマーケット(タガイタイ)2009年8月23日



 日本大使館の帰り、退職者の方を案内してイントラムロスを訪問した。イントラムロスはスペイン統治時代の面影を残す情緒溢れる街だ。城壁に囲まれた中は自由に出入りができ、マニラ大聖堂、サンアガスティン教会、カーサ・マニラなどの歴史的建物や、出入国管理局、マプア大学などがあり、現役の街として機能している。道路もいたるところに石畳が残っている。   イントラムロスの中心に位置するサン・アガスティン教会はフィリピン最古の教会の一つで、バロック様式の教会群として、世界遺産にも登録されている。内部は何度か訪れたことはあったが、教会の右手に併設されている博物館を見物するのは初めてだった。内部は意外と広大で、礼拝堂の中ばかりか、2階のパイプオルガン、各種資料館など、なかなか興味深い。特に2階から眺める礼拝堂は迫力満点だ。   サン・アガスティン教会の隣はカーサ・マニラ博物館で、スペイン統治時代の特権階級の住宅がそのまま残っている。当時の生活をうかがわせる食堂や台所、トイレや風呂など興味深い。もともと、いくつかの住宅が中庭をはさんで隣接しているようで、おみやげ物屋や、レストランもある。時にはこの中庭で結婚式の披露宴をやることもある。ヨーロッパ建築ではこの中庭がとてもすばらしい。プライバシーを守りながら屋外の空気を味わえる、今の日本の家ではありえない構造だ。ちなみにカーサとは家を意味して、カサ・ブランカとは白い家という意味だ。現在、単にカーサというと置屋を意味するらしい。

歴史地区イントラムロス訪問 2009年8月23日


 8月5日午前11時半、マニラ大聖堂を出発したコーリーの棺はロハスボリバード通り、サウス・ルソン・エクスプレス・ウエイを通過して、21km離れたスーカットの墓地に向った。沿道には20万人あるいは30万人ともいわれる人々が小雨の中を見送った。また、全局ぶっ続けで行なわれたテレビ中継を見ていた人は数百万あるいは数千万人に及んだと推定される。   日本ではあまり見かけなくなったが、フィリピンでは霊柩車を先頭に身内や知り合いの人が歩いて墓地へ向うのが習慣だ。マニラ大聖堂からマニラ・メモリアル・パークへの21kmの道のりを数多くの人が歩いた。高速道路へ入れば歩く人々はいなくなるだろうと主催者は見込んでいたそうだが、人の列は絶えることなく、ゆっくりとした行列は8時間後、ようやく墓地へ到着した。一方、エストラーダ前大統領を初めとする多くの次期大統領候補者は車で行列に参加し、車中から手を振り、コーリー人気にあやかろうとしていた。  棺につきそって直立不動の姿勢を続けた軍人は8時間の間、微動だにしなかった。喉の渇きは顔を流れる雨のしずくで癒し、硬直する足の筋肉は指を動かして凌いだという。「耐える」という軍人魂を失っていない軍人もいるようだ。   3~4時間で到着するであろうと見込まれた棺をスーカットで待つ人々は雨の中で4~5時間待つはめになった。さらに墓地では多数の軍人や警官が整列して棺を待ち続けた。アキノ一家はアロヨ大統領の、国葬という申し出を断ったが、国葬以上の国葬といわれた葬儀はアキノ元大統領に対する国民の愛着と畏敬の念を印象付けた。   マニラ・メモリアル・パークには故ベニグノ・アキノ元上院議員が眠っている。コーリーは夫の脇に埋葬されたが、1983年マルコス元大統領に夫を暗殺されて以来、大統領という激務を経て26年ぶりに最愛の夫とすごすことになったのだ。これはフィリピン近代史を飾る英雄の死ともいえ、このような葬儀が行なわれることは2度と無いだろう。  クリス・アキノは会見で、ベニグノ、コーリー・アキノの遺志の正統な継承者は兄のベニグノ・アキノ上院議員と自分だと宣言したそうだ。近い将来、この二人が政権をになうことは、今回のコーリーの死に対する圧倒的な国民の哀悼の意を見ても当然の成り行きだと思う。

巨星逝く、コーリーアキノの死(その3)2009年8月23日