Daily Archives: December 11, 2009


  台風16号オンドイにより壊滅的被害を受けたのがケソン市の東に位置するマリキナ市だ。メトロ・マニラを流れる唯一の河川ともいえるパシッグ川の上流、マリキナ川沿いに位置し、大雨が降るといつも洪水のニュースが流れるところだ。台風16号の大雨ではダムの放流水もあいまって、短時間の内に水位が10 メートル近く上昇し、川の水は軽々と堤防を越え、周囲を水没させた。3本目のメトロマニラ高架鉄道LRT2の終点Santoran駅の近くに建設された SMでは2階まで水浸しになったそうだ。  河岸に建てられた建物には1階の天井まで水位が上昇したあとが見える。周囲の家も2階まで水に使ったと住民が話していた。  ニュースで流れた高級ビリッジ、Probvident Villageは堅固な堤防に囲まれていたが、この100年に一回の大雨による増水には無力だった。水は堤防の上1メートルくらいまで達し、ビレッジの高級な家を水没させ、多くの住民が逃げ遅れて犠牲になった。  Provident Villageからさらに北に行くと、川沿いにMalandayというエリアがある。この地域は周囲より数メートル低く、川の水位と大差がない。堤防はあるものの、水は軽々と堤防を越え、周囲の家は水没した。その時、住民は近くの3階建ての学校に避難したそうだ。 集まってきた子供達はその時の経験を楽しそうに語る。ちなみにマリキナは靴の産地として有名で、川には大きな靴の模型が飾ってあった。  マリキナ川は氾濫を繰り返し、さらに下流のマニラ首都圏を洪水に巻き込むために、Manggahan Flood Wayという大規模な放水路が日本の援助で建設されている。水量が増したら、一旦バイ湖(ラグナ湖)に水を流し、調整池として機能させようという計画だ。合流点には大きな水門があるが、普段あけたままだという。しかしこの放水路も100年大雨の前には無力だったのだろうか。  マリキナ川、パシッグ川そしてバイ湖(ラグナ湖)からの放水路であるナピンダン川の交差するところに大規模な水門がある。一旦ラグナ湖に蓄えられた水をここで遮断し、マニラを洪水から守るのが目的なのだろうが、ここの水門もどういうわけか開けっ放しだという。いったい洪水管理(Flood Control)はきちんと行なわれているのだろうか。あるいは今回の台風による大雨があまりにも強力でなす術がなかったのだろうか。

防災科研の台風災害調査に同行(その2 メトロ・マニラ)2009年12月11日


  バギオでの災害調査の一歩はバギオ市長からのヒアリングだった。この市長は若干37歳、バギオで大学を経営するファミリーの一員で、この若さでフィリピン有数の都市を引っ張っている。市長と話をしているのは防災科研の調査一行の方だ。   この日は丁度、Safety Weekだそうで、市庁舎前の広場には学生が集まり、市長のスピーチに耳を傾けていた。なにしろ皆若い。バギオは若者の街といった印象だ。サングラスをかけた市長というのも絵になる。   今回の調査のアレンジをしてくれたのは、写真右下のラジオ局の人で、おかげでいろいろな人や現地をつぶさに訪問することができた。   翌日の土曜日は、偶然、この地方のお祭りのグランド・パレードが行なわれていた。バギオを中心とするルソン島北部、山岳地帯はCordillera Administrative Regionと呼ばれ、空中都市バギオのほかバナウエの天空に通じるライス・テラス(棚田)などで有名だ。偶然とはいえ、前回の訪問でもパレードに出っくわした。どうも毎週何らかの催し物を行い、観光客を喜ばしているのではないかと思う。   この地方の原住民はイグロット族と呼ばれるが、パレードの衣装はほとんどがイグロット族のもので、とても雰囲気がある。そういえばバギオに住んでいる人の顔つきは、マニラのものとはちょっと違う。マニラの人は多くが色白でスペインや中国の血が混ざっている人が多い。ここではそのような人はあまり見かけず、どちらかといえば色黒だ。実際。イグロット族の血が相当混ざっているのではないだろうか。

防災科研の台風災害調査に同行(その1 バギオ2)2009年12月11日



   10月某日、独立行政法人 防災科学技術研究所の方からコンタクトがあった。このブログの台風の記事を見てのことだった。台風16号オンドイおよび17 号ペペンはフィリピンルソン地域に甚大な被害をもたらしたが、日本としてきちんと調査を行い災害の被害、原因などを見極め、将来の支援のよりどころとするというのが目的だ。現地調査はバギオとマニラのバイ湖(ラグナ湖)北方を中心に行い、その他、MMDA(Metro ManilaDevelopment Authrity)、DCC(Disaster Cordinating Council)などの管轄官庁やADB(アジア開発銀行)、JAICAなどのヒアリングならびに資料収集を行なった。   11月26日、防災科研の一行はマニラ空港に到着すると、その足でバギオに向った。バギオに通じるケノン・ロードにさしかかったころはすでに暗かった。このケノン・ロードの被害がバギオへの物資の補給路を立ち、災害の被害を助長したのだ。ケノン・ロードの被害状況は帰りに調査したが、この1000メートル以上の高低差がある道路を昇りきると、そこにはバギオ市が広がっている。まさに天空の都市といえる大都市だ。この都市にいたる道はケノン・ロードとマルコス・ハイウエイしかなく、それが絶たれると空輸しか物資を補給する術がない。食料はそれで何とかなったとしてもガソリンや飲み水の補給ができず、一時、市民の生活は脅威にさらされた。    バギオには平地がほとんどない。したがって家や道路は急斜面に這うように作られている。市の建築許可を得ないで建設されている家屋も多く、それらが今回の台風で地すべりとともに泥流に流されるなど大きな被害を被ったのだ。   この付近は湖のそこのような地形になっていて排水暗渠でさばききれない水が流れ込んで一気に冠水した。水位はたちまちの内に上がって、10m程度まで達したそうで、当然周囲の家は水に沈んでしまった。その時の状況をバランガイ・キャップテンから説明を受けた。この地域の被害は充分な排水路を建設していない市の怠慢あるいは予算不足が原因と思われる。しかし、100年に1回といわれる大雨にインフラがついていくことができなかった、という見方も出来る。     街のあちらこちらに地すべりのあとが見える。これらはこれら山間部を切り開いて道路や住宅地を開発したためではあろうが、こんな山間部にこのような巨大な都市を建設したこと事態に無理があったという印象をぬぐいきれない。フィリピンで涼しさを味わえる唯一の地域ということで人気を集め、観光のメッカとなり、さらにここに住むことがステータスともなって、ブームになったものだ。しかし、軽井沢のように単なる別荘地帯として留まっていれば、このような大きな問題ともならなかっただろう。 […]

防災科研の台風災害調査に同行(その1 バギオ)2009年12月11日


 お正月の特別番組としてフィリピンの退職者の状況を撮影にTV愛知の一行がやってきた。先日の事前打ち合わせに基づき、退職庁の会長、ゼネラル・アグリパイやリトル東京のお好み焼や、「神楽」のご主人の取材を段取りしたが、いよいよ実行の日が来たのだ。なお番組は中部地方で1月4日に放映されるそうだ。  初めは気乗りのないようなことを言っていたご主人もいざとなるとご機嫌で一所懸命インタービューに応じていた。      お好み焼きはJapanese Pizzaと呼んでフィリピーノにもなかなか人気がある。また、夜のリトル東京は喫煙が自由なテーブル席が外に設けられなかなかのムードをかもし出している。  ご主人の横田さんは岡山の出身で、大阪と広島、両方のお好み焼きが味わえる土地柄だそうだ。だからこの店では2種類のお好み焼きとその他バラエティーに富んだメニューを提供している。  お好み焼き屋といえどもメニューは豊富だ。てんぷらやうどんまである。一度広島出身のご夫婦を案内したら、本場よりもおいしいと感激していた。ウエイトレスもとても愛想がよくて可愛い。   ところでここのご主人は熱烈な阪神ファンで、店の中は阪神グッヅで占められている。だから毎晩衛星放送で阪神戦を流し、阪神ファンの客が詰め掛けてくる。昨年、巨人と阪神が終盤、熱烈なデッドヒートを繰り広げたとき、巨人ファンであるとなりの「華」とそれぞれのファンを含めて大変な騒ぎとなったそうだ。

TV愛知の取材(その1 リトル東京の神楽)2009年12月11日



 防災科研の調査の最終日、アジア開発銀行(ADB、Asian Development Bank)でのヒアリングに参加した。ADBと言えばマニラにある国際機関の本部だ。台風災害のヒアリングというよりもADBという組織に興味があって内部を見せてもらった。  オルティガスのEDSA沿いにあるADBの建物は1980年代に完成し、オルティガス発展の引き金ともなった建物だ。当時はその威容を誇っていたが、1990年代後半の高層ビル建設ラッシュのおかげで、少々一昔前の建築の感が否めない。  ADBの中庭から眺めた最新鋭の高層ビルが良いコントラストになっている。高所恐怖症の私にとっては9階建てのADB位が丁度良いが。 ADBの会議室群は五つ星ホテルも真っ青なくらい豪華でしゃれている。20年以上たってもこれほどの威容を誇っているのだから、その建設費も莫大なものであったろう。韓国系の建設会社が請け負って長いこと係争でもめていたというが、よほどうるさ型の建設コンサルタントが管理を担当したのだろう。業者は大分泣いたに違いない。  職員食堂も立派、スターバックスなどもあって、外へ出る必要がない。至れりつくせりだ。  職員はすべて個室を与えられ、最適な執務環境で仕事が出来る。各国からの一流の専門家を呼び寄せ、アジアの復興に寄与する活動を行なっている。    中庭に当たる部分は図書室となっており、世界各国の職員のたまり場になっている。西洋人と東洋人が熱心に話し合っている姿を見かけた。   大部屋にいるのはADBが抱える秘書や事務職員の一般職。ここには専門家はいない。入り口での入出門管理も厳重で写真付のIDをその場で作り、つけさせられた。   ところでADBは海外ジョブを担当するコンサルタントが目指す最終ゴールといわれている。アジアの復興事業について色々調査検討し、お金をつけて実行にこぎつけ、アジアの人に貢献するという、とても有意義な仕事ができるところだ。

防災科研の台風災害調査に同行(その3 アジア開発銀行) 2009年12月11日


 マリキナ市の次はバイ湖(ラグナ湖)畔、そしてマニラ市内の洪水と洪水管理の状況を視察した。  バイ湖畔のHagonoyには高級ビリッジが湖沿いに開発されている。台風の大雨以来、湖の水位が1.5メートル位あがっているせいで、ビリッジが全面的に冠水している。そのため住人は船で移動し、水が浅くなったところでトライシクルに乗り換えるという暮らしを強いられている。その原因はビリッジが洪水管理の堤防の外、湖側にあるために水位の上昇の影響をまともに食ってしまっているのだ。住民はMMDA(Metorpolitan Manila Development Authrity)に文句を言っているが、ラグナの水位を急速に下げようとしたら湖の外が冠水してしまうので、どうしようもないという。    湖の周辺から流れ込む川にはすべて水門とポンプが設置されている。現在バイ湖の水位は周辺より高く、湖周囲の水位が危険水位(海抜10フィート)を超えたらポンプを動かして水を湖に移動して、水位を下げるのだ。そうでないと周辺の住宅が冠水してしまう。一旦湖に貯めた水は水門を閉めて流れ出さないようにして周囲が冠水するのを防ぐ。  現在、バイ湖の水はナピンダン川からパシッグ川に流れているだけで、水位が下がるのは当面先の話だそうだ。ナピンダン川の流出口には水門はない。周辺の家は台風当時、当然のごとく冠水したが、現在はすでに水は引いている。この辺はほとんどスコーター(スラム)で遠くに見渡せるオルティガスやボニファシオ・グローバルシティのビル群と対照的だ。  ここからはマニラへの直行のフェリーが出ている。確かに渋滞する道路でマニラに出たら数時間かかるものが数十分で到着するだろう。それにしてもフィリピンの子供はいつでもどこでも明るい。  マニラ市内の小河川がパシッグ川に流れ込むところには日本の援助で建設された水門とポンプが設置され、洪水管理が行なわれている。パシッグ川の水位が高いときは水門を閉め、小河川の水をパシッグ川にポンプアップすることにより市内の冠水を防ぐ仕組みになっている。しかし台風の時、ポンプは稼動させなかったという。 なぜならば、パシッグ川の水位が上昇し堤防を越え、市内に逆流していたのだ。すなわち、これらの洪水管理の想定を全く覆す状況になっていたのだ。  ケソン市一帯の水を集めてパシッグ川に流れ込むサン・ファン川のパシッグ川との合流点を調査した。川に沿って密集するスコーターはすでに逞しくよみがえっていた。そこではバロット(アヒルの有精卵のゆで卵)の製造現場に遭遇した。  サン・ファン川には鋼矢板で立派な護岸が建設されている。しかし、川の水位は護岸をはるかに超え、市内に水が流れ込んできたそうだ。流れ込む先のパシッグ川がすでオーバーフローしていてはサン・ファン川としてもそうするしか手がない。これも想定外だったのだろうが、ここでも子供達は屈託がない。  結論として、マニラの洪水管理はそれなりにやってはいたものの、今回の雨は全く想定外で、水門やポンプがあろうがあるまいが同じ状況だったようだ。今回のような雨が再びやってきたとき、一体どうしたら洪水を防ぐことができるのか、想像がつかない。ただ、自分は決して低地にすまない、あるいはコンドミニアムの上階に住むなどして防ぐ、ということが教訓だろう。とにかく都市は災害に弱いのだ。

防災科研の台風災害調査に同行(その2 メトロマニラ2)2009年12月11日