Daily Archives: January 24, 2010


児童養護施設でボランティアをしていて先日亡くなった退職者の影響で、養護施設にいたく興味を抱くようになった。英語ではOrpharnage(孤児院)というそうだが、フィリピンでは避妊が宗教上嫌われ、堕胎は法律で禁止されているから、いやでも望まれない子供がたくさん生まれてくる。大概の場合は家族が、神が授けてくれた天使として育てるのだけれど、売春婦と不特定の客の間に生まれた子供など、親が面倒見ることがままならないケースも多い。そのような子供やストリートチルドレンを預かって育てるのがOrphanageだ。 Tuloy Sa Don Bosco(ドンボスコに来たれ)はアラバンにある、7ヘクタール(7万平米)もの敷地を持つ大きな施設だ。野菜畑や養魚池を持ち、子供達が自然の恵みを得て、伸び伸びと暮らしていると聞かされ、私がタバコの農場に作ろうと心に描き始めた養護施設にイメージが似ているので早速見学に行くことにした。ちなみにドンボスコは有名な牧師で、有名な教会や学校の名前になっている。  中に入ると立派な建物が並び、高級住宅街のようだ。しかし、子供達の姿が全然見えない。それは、日曜の午前中なので、皆教会に行っているためだそうだが、何かフィリピン独特の喧騒とは無縁の世界だ。  そこで教会に行ってみると、養護施設の教会というよりも高級住宅街にある由緒ある教会といった面持ちだ。中世の教会の雰囲気を出すためにレンガを使い、建築的にもすばらしい。中に入ってみると数十人の子供達が大人に混じって牧師の話を聞いていた。入り口には誇らしげに教会建設のために寄付した人たちの名前を刻んだ碑がかざってある。その中にはアヤラ・アラバンビ・レッジに住むフィリピンNO1財閥の総帥、ゾベル・デ・アヤラの名前もあった。 ミサの間、周囲を見学してみた。体育館は大学並みの立派なものだ。サッカー場まである。体育館の通りにはロータリークラブが職業訓練の施設として30万ドルの寄付を行なったという碑があった。 野菜畑もきれいに手入れがされている。しかし、これだけの施設にいる子供達に食べさせるにはいかにも貧弱だ。きっと職業訓練の一環なのだろう。 教会の外にいた人に聞いてみたら、現在施設には50人足らずの子供しかおらず、二つの宿舎はスポンサーがいないので空っぽだという。現在二つのスポンサー(マクドナルドとカルテックス)の寄付で9歳から18歳の子供達が50人ほど暮らしているそうだ。平日は外の子供が勉強や職業訓練に通ってくるそうで、赤ん坊や幼児は対象としていないそうだ。宿舎にはマクドナルドのシンボルマークが飾られている。  教会のミサが終わって子供達が出てきた。こんな施設で生活しているなんて、どこかのエリートの集団かなにかと勘違いしてしまいそうだ。これほど立派な宿舎、教会、教室、体育館を建設したのだから、きっと相当な額の寄付があったのだろう。しかし、それが子供達のために役立っているのだろうか。寄付を集めることが目的となり、何か肝心なことを忘れているのではないか。平日に来れば印象は違うのかもしれないが、いずれにせよ、私が描いている農場の養護施設とは程遠いので、さっさと退散することにした。  外に出てみると、目の前で闘鶏をやっていた。公式のものではないらしいが、そこにはフィリピンらしい活気と喧騒があり、なぜかほっとした。

Tuloy Sa Don Bosco児童養護施設の見学 2010年1月24日


アヤラ・アラバン・ビレッジといえば、フィリピン有数の高級ビレッジとして有名だ。マニラから南に約20kmほどSLEX高速道を下り、アラバン出口あるいはフィルインベスト・コーポレートシティ出口を出て右に進み、2kmほど先の左側一帯がこのビレッジだ。ここはモンティンルパ・シティの一部で、日本の戦犯を収容していたことで有名な刑務所がある所だ。「モンティンルパの夜は更けて」という歌を通じて、団塊の世代以前の方々には懐かしい地名だ。 飛行機からアヤラアラバンビレッジを望む。写真の手前のビル群がフィルインベスト・コーポレートシティ。その向こうゴルフ場を中心に広がっているのがアヤラアラバン・ビレッジだ。(写真の画面をクリックして拡大してみてください)  アヤラ・アラバン・ビレッジの面積は1000ヘクタールを超え、中に18ホールのゴルフ場さらにはラサール大学の付属校などまでがある。駐在員の時代、都合2年ほどこのビレッジに住んで、ここのゴルフ場の会員になっていた。名門ゴルフ場のクラブハウスはいかにも重厚で、お金持ち気分をいやが上にも味わされたものだ。 この日は、EIEN英会話学校の体験宿泊のご夫婦を案内して、フィリピンでの住居、医療の現状を把握するという目的だった。そして初めに向かったのがフィリピン最高級クラスの住居が数千軒建ち並ぶこのビレッジだった。  このビレッジにお住まいの日本人退職者を訪問するというのが、入り口で入門許可をもらうための算段だ。そのため、退職者のかたには、ゲートのセキュリティガードから家の固定電話に電話が入るから、口裏を合わせてほしいと、連絡を入れてあった。しかしながら、急の用事で家を空にすることになってしまって、対応できないというのだ。それでも一か八か、運転手に住所を名前を教えて、入門許可をもらうように指示をした。結果として入門できたのだが、車の中が皆日本人だと言うので敵も油断したようだ。ちなみに、このようなビレッジは入門管理が大変厳重で、容易に中に入ることが出来ないのだ。 ビレッジの中に入って、日本人ご夫婦、そしてEIENのスタッフは、こんなところがフィリピンにあるのかとびっくりしていた。一軒一軒の家も超豪邸といえる立派さだが、それが行けども行けども無数といえるくらい並んでいるのだ。その中でも特に豪邸というので、下の写真の家に行ったが、塀の外からなので残念ながらよい写真が取れなかった。しかし、玄関にはフルサイズのベンツが2台置かれ、想像しがたい贅沢な暮らしをしているのがうかがわれた。 下の写真はここにお住まいの退職者の家だ。家賃は10万ペソ/月。2階にはバストイレ付の大きなベッドルームが4部屋ある豪邸だ。庭にプールがあるのは当然のことだ。  ちょっと古い写真だが、ここにはこんな豪邸はざらにある。そものそも高級ビレッジの原理は簡単で、1区画が1000平米以上に造成して、それを分割することを禁止するのだ。そうすると土地だけでも、現状で10~20百万ペソ、すなわち、2千~4千万円となり、並みの金持ちでは家を建てることができない。1000ヘクタール(1ヘクタールは1万平米)のビレッジにその50%が宅地として、500ヘクタール。それを1000平米で割ると、5000区画、すなわちこんな豪邸が5000軒ある勘定になる。 この周辺はマニラのベッドタウンとして戦後開発され、高級住宅街として多くの日本人を始めとする外国人が暮らしている。アヤラアラバン・ビレッジとアラバン・ザポテ・ロードを挟んだ反対側一帯はBFホームズという広大なビレッジ群だ。その住民を目当てにフェスティバル・モールやタウン・センターなどの高級な買い物、食事どころがある。さらにちょっと先へ行くと巨大なSMサウス・モールもある。 さらにSLEX高速道路に近いところには最新鋭のエイシアン・ホスピタルがあり、ここには生活インフラのすべてが揃っている。退職者がマニラに暮らすとしたら、一押しのエリアだ。 アヤラアラバン・ビレッジに隣接するフィルインベスト・コーポレートシティはマカティ、オルティガスに次ぐ副都心として開発されたが、バブルがはじけた 1990年代の終わり、10棟弱の高層ビルが建設された以降手がつかず、最近ようやく建設の槌音が聞こえ始めた。しかし、マカティの隣のフォートボニファシオグローバルシティはここ10年、目覚しい発展を遂げているために、第4~5番目の副都心に地位を落としているようだ。左写真がマドリガル・ビジネスパークを中心に上方左にアヤラアラバンビレッジ、下方にBFホームズのビレッジ群jを望む。左の赤い屋根がタウンセンター・ショッピングモール。右の写真はフィルインベスト・コーポレートシティ。画面の左にフェスティバル・モールが見える。(写真画面をクリックして拡大して見てください)

フィリピンの高級ビレッジ「アヤラアラバン」2010年1月24日



先日、リトル東京の瀬里奈で食事を終えて、隣の席を見たら、ドラノ観光大臣とよく似た青年が食事をしていた。相棒のフィリピーナにそのことを告げると、「本人よ」と教えてくれた。それにしても30代に見える若者がまさか現職の大臣とはびっくりした。そうなると、一緒に写真を撮るしかないのが相棒のジェーンだ。この日はもう一人のCorporate Secretary(書記役)のソールも一緒だったので、3人が写真に納まった。  ドラノ大臣はセブの財閥の息子で、セブでドラノといえば泣く子も黙るお家柄だそうだ。日本人で、ドラノ一家の女性を嫁にしていて(本当かどうか知らないが)、それを悪用してPRA時代に脅されたことがある。 ドラノ大臣に、近々PRAが観光省の配下になること、PRAの会長、ゼネラル・アグリパイの下で働いていたことがあること、など話をしたが、なかなか気さくな青年だった。ちょっと、ドラノ一家の印象を良くした。  瀬里奈といえば(日本の高級シャブシャブ店とは何の関係もないらしいが)、マカティ・スクエア近辺では高級店として、予約がないとなかなか席がとれないくらいの人気店だ。パソンタモから新宿ラーメンの横の道を入って30m位のところにある。店の前にはトヨタ・カムリなどの高級車がいつもずらりと並んでいる。 この日注文したのは、5点盛り刺身(550ペソ)、冷奴、カナッペ、いわし丸干し、握り寿司、などなど、4人で3500ペソだった。一人1000ペソも見込んでおけば大丈夫だろう。特に刺身は量も多くて満足だった。 瀬里奈の売りはランチタイムのセットメニューだ。350ペソ均一で、海鮮御膳、すし御膳、とんかつ御膳、焼き魚御膳、天ぷら御膳、日替わり御膳など10種類くらいある。時間のないランチタイムにはうってつけだ。中でも私が注文した海鮮御膳は350ペソとは信じがたい質と量だ。先日、退職者をお連れした際もびっくりしていた。天ぷら御膳や焼き魚御膳(写真はさば塩焼きとさんま塩焼き)もまあまあだ。 ただ注意しなければならないのは12時過ぎに行くと予約で満員で席がないこと。11時30分くらいに行けば多分座れるだろう。逆に1時近くに行くのも手だ。  フィリピンは世界で唯一、日本よりも安く日本食が食べられるところだと言われている。一緒に夕食をとった日本人女性は、はじめ、日本の瀬里奈だったら、一人7000円は固いと躊躇していたが、4人で7000円で済んだ。フィリピンでの食事としては決して安くはないが、日本と比べるとかなり安い。しかも、マカティスクエア近辺は日本料理店が20軒もひしめく激戦地なので、ここで勝ち抜いている店はなかなか食べ応えがある。だからドラノ大臣のようなフィリピン人のエリートもやってくるわけだ。(メニューは画面をクリックして拡大してみてください)

瀬里奈でドラノ大臣と遭遇 2010年1月24日