国会で人工避妊の是非が論議されている。ピルなどの人工的避妊薬を許すべきかという論議だが、アロヨ前大統領の時も、またラモス元大統領のときも大論戦 が繰り広げられた。フィリピンでは堕胎は胎児の殺人としてみなされ法的に許可されていない。一方、避妊は宗教上の理由で嫌われる。だから恋人や夫婦はおお らかにセックスをしてその結果子供が出来る。売春などの結果できることも多々ある(最近はコンドームの普及で避妊と感染予防が徹底してきてはいるようだ が)。出来れば生むしかない、その結果、巷には子供があふれている。 政府は子沢山は貧困の元凶として、人口調整の必要性を必死に説く。しかし、フィリピーノの子供好きと宗教の厚い壁に阻まれて人工避妊法(ピル)の解禁に こぎつけることができない。聖職者は人工避妊を堕胎とみなして反対している。一方、フィリピーノは例えどんなに貧しくてもたくさんの子供達に囲まれて生活 するのが、何よりも幸せなのだ。そして強い家族の絆で生き抜いていくことが出来るのだ。 元来人類は避妊のことなど考えなくても人口の爆発的増加などはなかった。疫病や飢饉で自然調整がされるので、人々は子孫の繁栄のために子作りに励んでき た。しかし現代医学の発展で子供が簡単に死ななくなった。さらに食料の大量生産と国家間の調整で局所的飢饉が減った。だから今までどおり子作りに励んでい たら人口が増加しすぎて、貧困や飢餓の状況をつくり出すというわけだ。 しかし、先 進諸国では人口の減少に歯止めがかからず、国家的問題になっている。逆ピラミッドの人口構成では年金や健康保険などお年寄りが現役組に頼るという構図が成 り立たない。国家が破滅するシナリオだ。だからフィリピーノから子育てという幸せを取り上げ、先進諸国の後を追うことが果たして正解なのか多いに疑問のあるところだ。 ラモス大統領の時代に、私の秘書にこの避妊論争について質問をした。彼女はやはり、コンドームも含めて人工的避妊には否定的で、生理カレンダーで×日を […]