Daily Archives: December 20, 2010


国会で人工避妊の是非が論議されている。ピルなどの人工的避妊薬を許すべきかという論議だが、アロヨ前大統領の時も、またラモス元大統領のときも大論戦 が繰り広げられた。フィリピンでは堕胎は胎児の殺人としてみなされ法的に許可されていない。一方、避妊は宗教上の理由で嫌われる。だから恋人や夫婦はおお らかにセックスをしてその結果子供が出来る。売春などの結果できることも多々ある(最近はコンドームの普及で避妊と感染予防が徹底してきてはいるようだ が)。出来れば生むしかない、その結果、巷には子供があふれている。 政府は子沢山は貧困の元凶として、人口調整の必要性を必死に説く。しかし、フィリピーノの子供好きと宗教の厚い壁に阻まれて人工避妊法(ピル)の解禁に こぎつけることができない。聖職者は人工避妊を堕胎とみなして反対している。一方、フィリピーノは例えどんなに貧しくてもたくさんの子供達に囲まれて生活 するのが、何よりも幸せなのだ。そして強い家族の絆で生き抜いていくことが出来るのだ。 元来人類は避妊のことなど考えなくても人口の爆発的増加などはなかった。疫病や飢饉で自然調整がされるので、人々は子孫の繁栄のために子作りに励んでき た。しかし現代医学の発展で子供が簡単に死ななくなった。さらに食料の大量生産と国家間の調整で局所的飢饉が減った。だから今までどおり子作りに励んでい たら人口が増加しすぎて、貧困や飢餓の状況をつくり出すというわけだ。  しかし、先 進諸国では人口の減少に歯止めがかからず、国家的問題になっている。逆ピラミッドの人口構成では年金や健康保険などお年寄りが現役組に頼るという構図が成 り立たない。国家が破滅するシナリオだ。だからフィリピーノから子育てという幸せを取り上げ、先進諸国の後を追うことが果たして正解なのか多いに疑問のあるところだ。   ラモス大統領の時代に、私の秘書にこの避妊論争について質問をした。彼女はやはり、コンドームも含めて人工的避妊には否定的で、生理カレンダーで×日を […]

人口抑制法の是非 2010年12月20日


フィリピンは混血国家だ。だから、西洋系やら、東洋系、インド系、さらに原住民系まで、各種各様の顔をしている。だからほとんどの日本人男性の好みのタイプの女性が存在する。また文化風習も、古来マレーと中国、そして近代ではスペインとアメリカの影響を強く受け、独特な文化を形成している。しかし、フィリピーノとしてはそれら世界の文化が一つに融合しているのだ。だからフィリピーノの行動や発想を単純なものさしで計ることはできない。 (キャンパスを歩いている学生を見ても同じ人種とはとても信じがたい) (セブパシフィックのスチュワーデスは美人が多い) 日本の航空業界で、かつてスチュワーデスは女性のあこがれの職業だった。しかし今はなり手がいないのか、ほとんどの新人は外国人だ。しかしフィリピンでは未だに憧れの的だ。だから飛行機に乗る時は美人のスチュアーデスに出会うのが楽しみとなっている。 (バギオの観光地ではお土産の他に売り子をからかうのも楽しい) アメリカ・スタイルの遊び場のゴーゴー・クラブに行ってみると、何で、と思うような女性がたくさん踊っている。また、白人が連れて歩いている女性を見ると、どうもいただけないごめん相が多い。クラブのダンサーに聞いてみても、白人の好みは理解に苦しむと言っている。ちょっと可愛らしいダンサーに聞いてみると、白人には見向きもされないという。どうも白人は我々東洋人とは異なった美的感覚を持っているようだ。 (グリーンヒルの装飾品売り場の売り子。モスリムが多いが顔つきは色々だ) 自分の目で見ると美人かそうでないかは、一瞬の内に判断できる。ところが、何故美人なのかと問われてみても説明ができない。とにかく美人は美人なのだ。学生時代にダンスパーティに参加していて、壁にいる美人を誘いたいから、友達に、一緒にいるもう一人の女を誘って、美人を一人きりにしてくれと頼んだ。そうすると件の友達はさっさと美人を連れて行ってしまった。どうもその友達と私では美人の判断基準が違うようだった。 (レセプションはどこでも可愛い子を置いている)  そうなるとどうも美人の絶対基準は無いのではないかと思えてくる。要は自分好みかどうかであって、誰が見ても美人という絶対的なものはないのではないか。フォトジェニックという言葉があるが、写真写りの良い女性と悪い女性がいる。あるいは若い女性は一般的に写真写りが良い。実物よりはるかに可愛く写ることがよくあるが、一方ちょっとした加減で正視に耐えない場合もある。要は美人かどうか、好みかどうかなどというものは大変主観的なもので、ちょっとした加減で大きく変わるものなのだ。 (クラークにあるカフェと近所のレストランののウエイトレス) しかしながら、良くもてる子とそうでない子がいるから、より多くの人に好まれる顔というのがあるのだろう。またブスだけど好みだ、という場合がある。だから好み=美人というわけでもなく、より多くの人から好まれる人が美人なのだと言えそうだ。すなわち、好みとはピラミッドの斜面の一方向のようなもので、上に行くほど狭くなる。そして裾野は広い。山の高さを美人度とすると、頂上にあたる女性は超美人で万人の好みだが、程度が下がって裾野に近い子は反対側の斜面が好みの人にとってはとんでもない、ということになる。だからいつの世でも美人は、美人投票で決定し、一定の規格を満たしているから美人であると判定するという話は聞いたことがない。それではどんな顔がより多くの人に好まれるのかということになるが、それは美人が好まれる、としか言いようが無い。 (マカティのカラオケには時たまオヤッと思う可愛い子がいる)

美人の定義とは何か 2010年12月20日