Monthly Archives: December 2010


自分が子供のころ、「何か具合の悪いことが起きたら、他人を責めたり恨んだりしないで、自分の行動や言動を反省して同じ過ちを繰り返さないよう、心がけなさいと」教えられたものだ。そうでなければ未来への成長は無いと。しかし、世の中へ出ると、何かまずいことが起きるとすぐに他人を責め、犯人探しをする人が実に多いことに困惑し、自責ばかりでは世の中をうまく渡っていけないことを知った。私をそういう人を他責の人と呼んだ。  最近の国会でも法相が失言問題で辞任した。野党・自民党がが鬼の首を取ったように大騒ぎをして国会を混乱させようとしていたが、自民党もこんなことくらいしか出来ないのは実に情けない。政治家はまさに他責の人の代表選手で、あんなことを得意になってやっていて恥ずかしくないのだろうか。国民に選ばれた国会議員として日本の将来のために、国民のために何が出来るか考えて、与党の足を引っ張るばかりではなくて、前向きな行動をとって欲しいものだ。こんな政治家達に日本の未来はとても任せられない。 (無邪気な子供は皆、善悪の判断もつかず、他責の人だが、親に叱られて自責の念を憶えていく。だが、甘い親に育てられた子供や、親に面倒を見てもらえなかった子供は他責の人に育つ)  尖閣諸島の問題でも、中国政府は一般大衆によるデモまで画策し、日系の会社を焼き討ちし、日本を責め立てた。それに業を煮やした勇気ある人があえて映像を流出させたものと思うが、自分の非が明らかであるのに逆に相手を責め立てる、自責の念のかけらも無いのが中国政府だ。一方、北朝鮮が延坪島を砲撃した際も、朝鮮放送は韓国を断固として糾弾し、自らの正当性を高らかに主張していた。これらの発想はまさにやくざの発想だ。自分が都合が悪くなると、逆に大声で相手を脅して切り抜けるのがやくざなのだ。こういう輩を相手にビジネスの話はできない。ビジネスは契約に基づく取引だが、自分に都合が悪いあるいは損になるとしても契約をルールとして話し合い合意にいたるものだ。中国ではビジネスが実に難しいというが、そんな契約やルールは糞くらえの人たちとは何も話しても無駄で、関わりを持たないのが一番賢い。  (政治家は概して他責の人、一方神は無責の人だ)  先日、日本に行った折、生まれて初めて法廷なるものを傍聴する機会があった。他人と係争になったとき、判定を下すのが裁判所だが、ここでも恥も外聞も無い議論が展開される。誰が見ても白黒は明らかであるにもかかわらず、弁護士はああでもない、こうでもないと無意味で破廉恥な議論を展開する。ここで他責のみがまかり通って自責などという言葉は存在しない。そして時にはそんな訳のわからない理屈が通ってしまうそうだから呆れてしまう。法と正義を守るべき先生がたがこんなでは世の中真っ暗だ。特に弁護士は正義の味方ではなくて、お金を払う人の味方だから、彼らにとって黒を白というのもたやすいことなのだ。   (キアンと同じポーズで居眠りをするヤヤ(子守)。キアンが寝ているときだけがヤヤの休める時間だ)  さて、フィリピン人は自責の人なのか、あるいは他責の人なのだろうか。一般にフィリピン人は失敗や悪さをしても謝らない。ものを壊しても、「壊れてしまった」と表現して、「自分が壊した」とは決して言わない。だからあまり自責の念はなさそうだ。だからといって他人も責めることもない。自分は悪くない、かといって他人も悪くない、具合の悪いことが起きたのは、自然あるいは神の意思によってそうなる運命だったのだ。すなわち誰も悪くない無責の人達なのだ(無責人(任)というわけではないが、時にはそう映る時もある)。だからフィリピン人の社会は表向きとても平穏だ。表向きというのは、悪い人間はどこにもいるし、嫉妬や愛憎は人一倍激しいから、いつも平穏とばかりは言っていられないのが現実だ。一方、他人を責めることが出来ないから、自分に不都合なことが起きたら自分で責任を取らなければならない、自己責任の国だ。そういう意味では自責の国かもしれない。  これはフィリピン人がほとんど皆クリスチャンであるためなのだろう。日本人は仏教徒というより、ほとんどが無神論者だが、道徳・倫理の背景は儒教の教えだ。この自責の念も儒教から来ているものと思う。元来、人は他責の人で、子供は自分勝手で泣きわめいて我を通そうとする。だから儒教が人の道として自責を説いたのだろう。一方、キリスト教は無責を説く。この宗教的ギャップは、日本人にとってフィリピン人の行動を理解しにくいものにしている要因だ。しかし、赤ちゃんは万国共通で、自責も他責も無責もない、純粋無垢でまさに神の子というべき存在だ。   (おもちゃにしていた柿の種の袋を取り上げられて、悲しそうな顔をするキアン。こんな顔をされたら、周囲の大人は抵抗する術を失い、何でも言うことを聞いてやるしかない。泣いたり笑ったり、感情を目一杯表現することが周囲の大人をとりこにする赤ちゃんの最大の武器だ。)

自責の人、他責の人、無責の人 2010年12月4日


最近は30代~40代の若い方や単身女性の退職ビザ取得者が目立つが、退職後、若い連れ添いを求めてフィリピンにやってくる熟年退職者も相変わらず少なくない。これらの方は何らかの事情でフィリピンとは縁が深く、フィリピーナの魅力にはまっている人たちだ。すでに連れ添いを見つけて退職ビザを申請する方や、これから見つけようと張り切っている方など様々だ。  この春、退職ビザを取得したWさんも、現役時代に築き上げた財でフィリピンで充実した楽しい老後を過そうと期待に胸を膨らませてフィリピンにやってきた。ビザ申請中に色々リサーチを終え、半年後、本格的にフィリピンに住み始めたときはすでに連れ添いの候補者がいた。ご本人は独身なので結婚も視野に入れて彼女との将来を設計し、家族とも親しくなって、早くも1ヵ月後にはめでたく射落とすことが出来た。  ビザの申請段階から、これからのフィリピン暮らしについて色々アドバイスしていた関係で、Wさんからは何かにつけてアドバイスを求められた。 (アンヘレスのクラブ・アトランティスは相変わらずの盛況だ。そろそろクリスマスの飾り付けが始まっている)  彼女の仕事と家族の関係でアラバンに小さなコンドミニアムを買って、そこに一緒に暮らすことにしたいう話を聞いた。その時点では彼女とは深い関係にいたっておらず、会ったののもまだ数えるほどとのことだった。 1.アドバイス その1  男と女の関係ほど危うくて当てにならないものは無い。仮にアラバンに住んだとして、彼女との仲が思惑通りに進まなかったら、あるいはまた、例えいい仲になったとしても、いつ壊れるかもしれない。そうしたら、アラバンに一人で暮らすつもりですか、夜遊びが好きなあなたに、そこの暮らしが耐えられますか。それが出来ないとすると、そのコンドミニアムを彼女にくれてやるか売りとばすしかないでしょう。そうなるとすべてを失うか、あるいは半値くらいで売れればオンの字ですよ。  この話を聞いて、われに帰ったのか、Wさんは、即座に気が変って、マカティスクエア近辺のコンドミニアムを物色して住むことにした。彼女も納得し、めでたくLive In(同棲)生活が始まった。   (アトランティスのショーはなかなか見ごたえがある。ショータイムは9時なので、それにあわせて行くことにしているが、その直前は風船飛ばしで盛り上がる)  しばらくして、Wさんから会いたいとの話があって事務所で面会した。曰く、彼女と喧嘩をしてしまい、部屋に帰ってこない。喧嘩の原因は新居のHouse Warming Party(引っ越し祝い)をやることになり、彼女は妹を呼びたいと言い出した。そこでWさんは、以前、妹に会った時の印象が悪かったので、妹は呼びたくない、I am disgusted […]

フィリピン流恋の手ほどき 2010年12月2日