Yearly Archives: 2010


新ルールの適用開始が遅れていますが、最新の情報によるとかなり大幅に手が加えられるようです。これは多方面から、色々な提案があるためで、下記の情報は、このような案で検討がなされているというように受け取めてください。ルールが確定次第詳細を報告します。 新しいGMが赴任して4 ヶ月、連日、PRAの幹部とミーティングを精力的にこなしていたが、その成果が出てきている。2011年1月25日、PRAで行なわれたマーケッター対象の説明会によると、下記の規則が決定し、細則を詰めているところだそうだ。 1. 退職ビザ取得に必要な定期預金は35歳以上、一律2万ドルとする 2. 退職ビザ保有者は毎年、500ドルの会費を支払う(配偶者と21歳未満の子供は100ドル、同伴する両親は一人につき500ドル) 3. 定期預金の投資への変換は一切停止する 4. 扶養している両親または配偶者の両親及び21歳未満の子供を同伴できる。ただし、同伴する子供が21歳に到達したら、一人につき会費500 ドルを支払わなければならない。また、子供が35歳に到達した時点では2万ドルの定期預金を行なわなければならない。(同伴者3名以上は一人につき 15000ドルの追加の定期預金が必要であること及び申請時に21歳以上の子供は同伴できないことは従来のルールと同様) なお、上記の規則は新規の申請者に適用され、すでにビザを保有している退職者は従来の規則が適用される。なお、希望する場合は既存の退職ビザ保有者も新規則に乗り換えることができる。新規則は1月28日の役員会の承認を経て2月中にも新ルールの適用が開始される予定。  今まで年齢や申請時期により定期預金の額が異なり、(1)50歳未満でビザを取得した退職者が50歳到達で差額の3万ドルは返還されるのか、(2)かつ て5万ドルでビザを取得した退職者が現状の2万ドルとの差額を引き出すときに支払っている管理料(450ドル)は引き続き支払わなければならないのか (3) 2万ドルてビザを取得したものが年金をもらい始めたら、1万ドルに減額されるのか、など、種々の退職者の疑問や悩みを生じてきた。今回、一律2万ドルとなったことにより、これらの疑問の発生する余地がなくなるものと期待される。  一方、投資については、(1)特定の投資対象にPRAが肩入れすることにより、賄賂でももらっているのではないかと、いらぬ疑いを受けたり、(2)投資により投資金を失い、ビザを維持する基本要件を失う、というような事態も避けることができる。しかし、先代のマネージメントは、この投資金を活用して、多くのデベロッパーに退職者向けの施設を建設することを奨励してきたため、デベロッパーは方針の変更により戸惑っているに違いない。  扶養している両親を同伴できるという規則は大きな改善だ。特に介護が必要なご両親を抱える退職者にとっては、フィリピンでご両親を介護するという理想的な状況を実現できることになる。500ドル/年という費用はかかるものの、日本での介護の費用を考えると大きな障害ではないだろう。このことにより退職ビザがブレークしてフィリピンが退職者が目指すメッカになるかもしれない。 […]

退職ビザ取得要件の変更 2010年11月19日


11月13日、東京ビッグサイトで恒例のロングステイ&移住フェア2010が開催された。私は、ロングステイヤーをサポートするためにロングス テイ財団から公認されている海外サロン(マカティサロン)の代表として招待され、相談コーナーを用意してもらい、フィリピンにロングステイあるいは移住に 興味のある方の相談を行なった。 来場者総数は8350人、10時から5時までの7時間、絶え間なく人が訪れ、昼食も取る暇なく、あっという間に時間が過ぎてしまった。フェアは海外ばかり でなく、国内の地方への退職者の誘致もあって、沖縄など各県の観光関係の役所の人たちが地方の良さをアピールしていた。 オーストラリア、ハワイ、マレーシアなど人気の地域にはさすがに人の集まりが良い。ロングステイ人気ランキング7位のフィリピンもフィリピン観光省を初めとする6つのブースが設けられ、相談者の対応に追われていた。 フィリピン移住のメッカ、フィリピン退職庁は本年度より観光省の配下に入り、フィリピンからの参加が期待された。しかし、諸般の事情より、フィリピンから の参加は見送られたものの、現在広島大学に留学中の元ビザ発行部門の責任者のフィリップさんに、個人の資格で参加してもらった。フィリップさんは日本に留 学している2年間の間に日本の市場を勉強し、フィリピンにいては出来ないマーケッティングを展開したいと希望している。そのために今回のフェアは格好の機 会であり、移住を計画している方々と直接話をすることができて、大変喜んでいた。 この日は、横浜でAPECが開催されており、アキノ大統領が訪日していた。そのため、フィリピン大使館のスタッフは全員、そっちに出向いており、この フェアに参加できたのはフィリピン観光省に勤めている横山さんだけだった。また、退職庁が通産省(DTI)から観光省(DOT)の配下になったため、今 後、退職ビザの案内は横山さんが行なうことになったそうだ。したがって、短期の観光旅行から永住まですべて横山さんが窓口になるとのこと。 観光省のほかには、クラークのフレンドシップ、ナンクル、英会話のEIEN、カビテに退職者施設を運営するMAKISONなど、私にとっておなじみの 方々がブースを出しており、お互いに相談者を紹介しあうなど協調しあっていた。私のところには、例の「金なし、コネなし、フィリピン暮らし」を持って来て […]

ロングステイ&移住フェア2010、開催される 2010年11月19日



 いよいよ8ヶ月目に入ったキアンだが、フィリピーノ流の子育てがどうにも気に障って仕方がない。ヤヤ(子守)にかしずかれて、両親や兄姉の愛情を一身に受けているのは多いに結構なのだが、キアンにとっては多いに不満があるようだ。    赤ちゃんの成長は目を見張るようで、ちょっと前まではミルクを飲んで、寝ているだけだったのに、最近では、何にでも興味を示し、すぐにつかんで口に入れようとする。人が食べているのを見るとよだれを流して食べたがる。それを汚いからと身の回りから遠ざけ、人が食べているところを見せまいとする。   私は、そんな親馬鹿に多いに疑問を呈したい。子供がミルクを飲むことと寝ること以外に興味を持ち始めたということは、人間としての成長を開始した大事な証だ。だから色々なおもちゃを与え、多いに好奇心を満足させ、なめ回させることが大事なのだ。最初はつかんではなめて放り投げることしかしないが、赤ちゃんの脳はフル回転だ。ただベッドの上で静かにしているのではなくて、多いに這い回って、手当たり次第にアタックして、そんな遊びから子供は学び、成長する。机の前で座ってやるのが勉強ではなくて、遊びが子供を成長させる最高の勉強でありトレーニングなのだ。  下の写真はベッドの中で何も与えれずにまるで檻に入れられているKIAN。せめてヨーグルトの容器をなめて好奇心を満たしている。   私の小言により、おもちゃを与えれらたKIANは嬌声を上げて喜んでいた。遊びでも、勉強でも、スポーツでも何でも楽しんでやることが大事で、楽しんでいるうちに自然と能力がついてくる。この時期、何もさせないで、静かにさせておくと、何にも興味を示さず、自ら成長することをしない木偶の棒になってしまう。下の写真のうれしそうな顔が証拠で、この時、KIANは人間として生まれてきた喜びを満喫しているはずだ。  人間として目覚めた赤ちゃんは、この時、何にでもなれる万能細胞で、人間でも、サルでも狼でも、環境に適合して何にでもなれる。だからこの時期、将来、人から尊敬され、人間社会で望まれる人格と能力を兼ね備えた人間になっていくための成長の礎を築いているとも言える。人には生まれつき持っている性格、能力、資質があるというが、私は、どうもこの時期にそれらの資質が形成されるのではないかという気がする。   一方、6ヶ月も過ぎると赤ちゃんは離乳食が必要で、これがミルクだけの食生活から卒業し、必要な栄養を食物から取り、同時にまた胃や腸、体の仕組みを成長させていく原動力になる。だから、赤ちゃんが食べたがるのは本能であって、それに答えて離乳食を与えることが、体の成長に欠かせないのだ。しかし、フィリピンでは2~3歳までほとんどミルクだけで成長し、幼稚園に行っても哺乳瓶を咥えているという。「子供がミルクを欲しがるから与える」というが、これはあきらかに母親の怠慢で、この時期、赤ちゃんが欲するものを無視して、そんな悪しき習慣を子供に押し付けているのだ。キアンが我々の食べるスープを与えられて、いかにそれを喜んでいるか、そして、もっとくれと要求するまなざしを見ていると、「ミルクを欲しがるから与え続けている」という、母親の証言は、母親の都合の良い作り話でしかないと実感する。  

賢い赤ちゃんの育て方 2010年11月1日


今年も街にはクリスマスの飾りがちらほら見られる様になり、いよいよ今年も残すところ2ヶ月となった。そろそろ来年のことが気になる季節だ。ところで2011年度の祝祭日が発表されたので、本年度の残りの祝祭日もあわせて列記した。 2010年 11月1日(月)  All Saints’ Day(万聖節):10月30日(土)から3連休 11月30日(火) Bonifacio Day(ボニファシオ記念日):29日(月)はブリッジ休みとなって4連休になる可能性あり 12月25日(土) Christmas Day(クリスマス):前日の24日(金)のイブから1月2日(日)の正月明けまで実質10連休とする会社ないし個人が多い 12月30日(木) Rizal Day(リザール記念日): 12月31日(金) New Years’ Eve(大晦日): 2011年 […]

2011年のフィリピンの祝日 2010年10月29日



10月14日に解禁されたバランガイの選挙運動から10日後の今日、25日は全国で投票が行なわれている。そのため、フィリピンでは今日は臨時休日となった。   バランガイとはフィリピンの最小行政単位で、東京なら区の中の町、あるいは市の中の町ないし村に相当する。バランガイ議長(キャップテン)一人と議員(カ ウンセラー)7人、さらに15~17歳の未成年者で構成される青年評議会(SK)議長と議員7人が選ばれる。任期は3年、4選は禁止。 バランガイはスペイン統治以前から存在する行政組織で、全国に4万3千のバランガイがあり、区域のインフラ整備、社会福祉、環境・衛生活動、フィエスタ (お祭り)などの娯楽、住民同士のトラブルの仲裁などの役割を持つ、いわば村長さんだ。政府から給与と予算を与えられ、その支出が一存で決めることが出来 て、何かと実入りも良いそうだ。  近所の知り合いや友達、親戚あるいは親兄弟が立候補する選挙とあって、家族ぐるみあるいは友人同士の選挙運動が繰り広げられる。応援する友人のために道端 でダンスの練習に余念の無いハイスクールの生徒や、トライシクルに乗っておそろいのT-シャツを着て行進したり、身近な選挙戦だ。  たまたま選挙直前に訪れたアンヘレスのフィールド・アベニューでは道路を遮断して応援演説会ないしショーが開かれていた。はでな衣装に身を包んだ応援者も控えていたが、あいにくの雨で観客は少なめ、当方も長居はせずに、立ち去った。  ちなみに私の相棒のジェーンのお兄さんが、ビコール地方タバコ市、バランガイ・クボのカウンセラーに立候補した。ジェーンは大分前からポスターなどを用意していたが、選挙直前の21日(木)に息子のキアンを連れて応援に出かけて行った。地元ではかなり知名度の高いジェーンは連日、自宅でパーティを開き、多くの人に食事を振舞って清き一票を依頼した。キアンも笑顔を振りまいて多いに選挙戦に寄与したそうだ。そのため農場の子豚2頭が犠牲となり、レチョンとして振舞われた。スコーターに住んでいる人々は滅多なことではレチョンなどにありつけないので、満面に笑みを浮かべて味わっていたそうだ。ジェーンの応援が あればきっと当選するに違いないと、弟のボボイが話していたが、翌日に知った開票結果によると次点の8位で当選はならなかったとのこと。  首都圏マニラではさほどの盛り上がりは見れないが、地方ではかなりはでな選挙戦が繰り広げられていたようで、私はマニラに残っていたので、その様子を写真で伝えられないのが残念だ。  ところで選挙会場は、5月の全国統一選ほどではないにしても、なかなかの賑わいだった。選挙会場のバランガイの体育館ではまるで繁華街のように人が集まっ ていた。選挙も一種のお祭りにしてしまうフィリピン人のことだから、選挙を楽しんでいるようだ。ちなみに夕べはレストランやサリサリでは酒の販売が禁止されている。酔っ払って興奮して暴力事件が起こるのを未然に防ぐためだそうだ

バランガイ選挙(10月25日)2010年10月25日


友人から、国鉄の駅に人が溢れているとの情報をもらって、取材に出かけてきた。ここ1~2年で線路周辺のスコーターが撤去され、確かに整備事業は進んでいるものの、何せ車両は1世紀は立っていようかというぼろ車で、沿線のスコーーターの住民の出すごみ収集車の役割しか果たせなかった代物だ。  ところが、韓国の援助で国鉄が近代化されたというニュースが昨年7月15日に報道された。しかし、たったの3両編成の列車2基でデビソリアのトトバン駅とビクータン駅と間、18kmをと1日、たったの2往復するだけで、何の役に立つのかと、このブログでこき下ろした。  ところがその国鉄が確かに全うな鉄道の体をなしているのだ。ブエンディア駅に行って見ると、駅もきれいに改修され、通勤通学の人々がたくさん列車を待っている。そこに颯爽と入ってきたのは件の韓国製の列車だ。 駅で待っている人に話を聞いてみると、朝夕のピーク時には30分間隔で運転され、車内は冷房が効いて快適だそうだ。運転区間はトトバン駅からメトロマニラのはずれのアラバンまで延長され、マニラ通勤圏を網羅ているとのこと。列車は3両編成だが数は大分増えたようだ。 ちなみ、この国鉄はビコール地方、レガスピまで、約500km通じていたのだが、4年前の台風レミンによりほとんどの鉄道橋が破壊され、ラグナ以降は普通となっている。当時、アロヨ大統領は2009年内にレガスピまで開通すると豪語していたが、そんなニュースはいまだ聞いていない。レガスピ付近の線路も見ても草や土砂で埋もれたままだ。例え開通しても昔のように24時間もかかっていたのでは誰も利用しないだろう(ちなみにバスなら10時間で行けるところだ)。韓国からのODA資金5千万ドル(40億円)を投じて整備しているそうだが、メトロマニラ圏内の通勤列車として機能させるのがやっとでは、ODA投資金の返済など覚束ないのではなかろうか。  左下の写真がエドサを走る環状線のMRT、右がマニラを横断するLRT2だが、乗車賃が15ペソ程度と低めに設定され、朝夕のラッシュ時にはあれほど混んでいるのに万年赤字だそうだ。メトロマニラの地獄の渋滞を解消する唯一の切り札なのだから、運転列車数を増やすなり、早急な整備を期待したい。    

国鉄(PNR)の復活 2010年10月25日



オルティガスのシャングリラ・モールのKIMONO-KENという日本食レストランで食事をした。マニラには 東京・東京、来来軒、テリヤキボーイ-太った少年、KITAROなどのフィリピン人向け和食チェーンが存在するが、我々日本人にはちょっといただけない和食もどきレストランだ。しかし、このKIMONO-KENはちょっと一味違うというので試してみた。       KIMONO-KENは他のファストフードとは違って高級感が溢れ客層もよさそうだ。一食が200~300ペソと、マカティ・スクエアのMARUCHANあたりと比べてもそん色ない価格だが、こんなところで食事する中間層が増えた証拠だ。 メニューとしてはありきたりの和食だが、たしかに違和感が無い日本食だ。日本人が食事をする本格的和食レストランと違い、イカの塩辛、しらす干し、枝 豆...などの一品料理は無いが、刺身、すし、天ぷら、...など、一通りの日本食は揃っている。スし握りと白身魚のフライを試したが、少なくとも和食もどきではない。日本で言えばファミリーレストラン並みといえるだろう。フィリピン人が好むようなメニューをそろえているが、日本人をターゲットとしたレストランと比べて味の違いは区別できないだろう。なまじフィリピン人好みの甘い味付けにしていないのに救われる。  ここシャングリラ・モールの地下にはおでんのコーナーがあった。さらに入り口近くには東京東京レストランがあった。東京東京レストランは、今もっとも元気が良い和食チェーンだ。KIMONO-KENはマニラで7軒あるそうだが、オルティガスのシャングリラ・モール以外はモール・オブ・エイシア、SMノース・ エドサ、ロックウエルなどに店を構えているそうだ。  

和食チェーン着物軒(KIMONO-KEN)の紹介 2010年10月25日


世界で一番長いクリスマスを楽しむといわれているフィリピンでは、10月に入るとすでにクリスマスの準備が始まる。毎年地味になるクリスマスだが、クリスチャンのフィリピン人にとってはクリスマスなくして年をこすわけにはいかない。下の写真は、マカティのアヤラアベニューで11月7日に撮ったもの。マカティの中心、アヤラ・アベニュー、マカティ・アベニュー、パセオ・デ・ロハスがかざられている。 10月に入ると、サウス・スーパー・ハイウエイ(オスメニア通り)とブエンディア通りの交差点近くにはパロル(クリスマス・ランタン)を売る多くの店が開かれる。しかし、今年はほとんど店が見当たらず、1本南側の通り、デラ・コスタの通りに10軒ほど店が開いているだけだ。今年から出店にはメイヤーズ・パーミット(営業許可)が必要となり、税金が高く、店を開いても稼ぎにならないから、店が少ないとのこと。ここでも新行政の庶民いじめがあるようだ。    パロルは決して安いものではない。30cmの小さいもので2000ペソ、70cmで3000ペソ近くする。だから庶民はシーズンがおわると大事にとっておいて、来年もまた使う。また、毎年同じ大型のパロルを飾っているビルもある。  クリスマスに欠かせないもう一つの飾りがクリスマスツリーだ。デパートやナショナルブックストアでは所狭しと飾り付けの材料を並べ、クリスマス気分をあおっている。

フィリピンはクリスマス・シーズンに突入 2010年10月25日



退職者の方、お二人をメトロマニラの観光に案内した。観光コースは少し欲張って、イントラムロス、キアポ、チャイナタウン、グリーンヒル、ボニファシオ・グローバルシティ、アメリカンセメタリー、そしてモールオブエイシアと駆け足で回った。 イントラムロスにある世界遺産のサン・アガスティン・チャーチは相変わらず貫禄を示しており、その横のスペイン住居のカーサ・マニラも興味深い。しかし、 この日はまだ早すぎて開場していないというので、近所を散策してみた。そこで遭遇したのが、フィリピン名物のスコーター(スラム)だ。 何故、世界遺産を有する観光名所イントラムロスのど真ん中にこんなスコーターがあるのか、極めて理解に苦しむ。最近、ケソンのSMノース・アベニュー近辺 のスコーターが取り壊された際、住民の抗議で大騒ぎになっていたがここのスコーターの撤去には誰も文句は無いと思う。      無邪気に遊ぶ子供達には罪は無いが、マニラで唯一ともいえる観光の名所、世界中の人が集まるイントラムロスでスコーターはないだろう。先日のバスジャック でも醜態をさらしたばかりのリム・マニラ市長は何をやっているのだろう。名物のベイ・ウオークを撤去し、さらに今日の新聞によると露天商の排除徹底を指示 したそうだ。庶民の生活の糧を奪い、マニラの名物をなくして、何を考えているのか。マニラの浄化作戦というが、庶民的なおもしろいものをなくして、まさに フィリピンの恥部ともいえるスコーターをこの歴史地区に残しておくなんて、なんとも解せないところだ。  同じくイントラムロスにあるフォーとサンチャゴに足を向けた。ここの堀には見事に蓮の花が咲き誇っていた。タバコの農場でも是非、蓮の花を咲かせたいと思っている。  パシッグリバーをわたるとそこはもうチャイナタウンだ。今ではマカティにとって代わられたが、戦前はビジネスの中心で日本の商社や船会社の事務所もここに あった。その近傍にあるのが庶民の信仰を集めるキアポ教会だ。その周辺はリム市長の取締りのターゲットになっている露天商が軒を連ねる。マニラ観光のもう 一つの顔だ。教会の周りは幼いキリスト像のロザリオを売る店が並ぶ。 […]

イントラムロスにもスコーターが 2010年10月21日


アキノ大統領の就任に伴い、PRAのGMが交代した。新GMのVeredigno P. Atienza氏はビジネスマンだそうで、アロヨ大統領時代に任命されたゼネラル・アグリパイ会長、ゼネラル・リンガットGM代行など国家警察OBの旧マネージメントとはちょっと雰囲気が違うようだ。PRAのミーティング・ルームでは連日PRAの幹部を集めてミーティングを行い、PRAの現状についての状況把握に余念がなかった。  先日、退職者のビザのお世話をするマーケッターの会合では、マーケッターのPRAに対する不平不満に耳を貸し、PRAのスタッフには耳の痛い話が続出したそうだ。お役所の感覚が抜けないPRA幹部は顔色無しだったそうだ。今後、彼の指導に基づいてPRAの大いなる改善が期待されるところだ。  そんな折、退職者の案内でPRAを訪れた際、PRAのスタッフに声をかけられて、GMに紹介された。GMは私のことをテレビを見て知っていたそうで、気さくな一面を見せてくれた。そうなると私としてもブログで是非、彼を紹介しようと、この日はGMの秘書に写真を撮らせて欲しいと申し入れた  しばらくGMと雑談をしていると、マーケット担当のノエル・バオティスタ部長とスカーレットが参加して、近々、日本で開催される「ロングステイ&移住フェア」と今後の日本におけるマーケットのあり方について話が及んだ。「ロングスティ&移住フェア」への参加については時間が足りないので、現在日本に留学中の元PRA・RRSC部長のフィリップ・モレノ氏を派遣することになり、観光省並びに当方と協力してSRRVを売り込むこととした。  日本のマーケットにおいては、日本の介護老人の悲惨な状況に話が及んだ。生活保護を受けている介護老人をフィリピンなら日本の役所の手当ての範囲で充分な介護を提供できるという現実だ。これを実現するには国対国の話し合いと色々な仕組みが必要で、簡単に実現できることではない。GMからはどこかの市と話し合って、例え10人でもいいから、テスト・ケースで実行したらどうか、そのプロジェクトから多くのことが学べるであろう、という極めて現実的な話がでた。その辺を詰めるためには日本側で動ける人が必要だが、当方が留学中のフィリップ氏のテーマとしてはどうかと提案したが、GMはそのアイデアにかなり乗り気のようだった。  ところで、新GMは実にビジネスがわかっていて、役所的感覚が抜けないPRA幹部はおろおろするばかり、一方当方にとっては実に話のわかる人で、多いに期待が持てる。しかしながら、申請者をお世話するマーケッターにとっては、新GM率いるPRAがマーケッターからアイデアを吸収し、それを自ら実行することにより、マーケッターの居場所がなくなってしまうのではないかという懸念と警戒心が生じている。そうなると痛し痒しで、PRAが改善され多いにSRRV申請者が増えるとともに、それによりマーケッターも潤うようなウイン・ウインの状況が構築されることを願う。  

PRAのGMが交代 2010年10月21日