Yearly Archives: 2010


2年ほど前にマカティのコマーシャルエリア、グロリエッタで爆発事件が発生し、無差別殺人のテロかと大騒ぎされたが、結局地下室に充満したガスが爆発したという結論になった。同じグロリエッタでもこの付近は古く建設され、近代的なモールに比べて見劣りのする地区だった。その後、この一体は閉鎖されたまま月日が過ぎ、一体何をしているのかと気になっていた。 最近、ドーシットホテル前の駐車場ビルに上がってみて、初めてその全容がわかった。この付近の建築物はすべて取り壊して、全く新規に作り直しているのだ。もともとジープニー・ステーションだったランドマーク・デパートの西側一帯とアンソン・デパートがあった地区とあわせて広大なエリアが再開発中だったのだ。 まさかマカティ・コマーシャル・エリアの半分近くもあろうかと思われる区域が一気に再開発されるとは思っても見なかった。さすがアラヤのやることは桁が違う。一方グロリエッタの内部は壁で二つに仕切られ、壁には、「The new Glorietta will be worth the wait」と壁にかかれ、近未来に最も近代的なモールが出現することを予告している。 開発区域の西のはずれに建設中の建物はホテルとコンドミニアムの複合ビルで、この一等地に建設される超高級住居といえる。まさに建設ラッシュの天王山だ。        マカティそしてメトロマニラはまさに建設ラッシュににぎわっているが、マカティの中心までこれほどの大規模な建設が行なわれているとは思わなかった。しかしながら、フィリピンのこれほどまでの活力はどこから生まれてくるのだろうか。果たして今の日本にこれほどまでエネルギーは存在するのだろうか。  

マカティ、グロリエッタの再開発 2010年10月18日


 マカティのど真ん中、アヤラ・アベニューとマカティ・アベニューの交差点にそびえるのがシャングリラ・ホテルだ。そのシャングリラ・ホテルが 最近ペイントの塗り替えをして新しくなった。1990年初頭に建設されて以来、2回目の化粧の直しで、ほぼ10年毎の塗りかえになる。写真ではちょっとわ かりにくいが左側の側面はまだペイントされておらず、従来の白茶けた色のままだ。 アヤラ・アベニューを東に行くと、インター・コンティネンタル・ホテルがある(左写真)。これも最近白色に塗り替えられてきれいになった。マカティのコ マーシャル・センターを挟んでエドサ通りとパサイ通りの交差点にあるのがドーシット・ホテルだが(右写真)、ここも最近塗り替え工事を行なって、従来の白 から薄い茶色から上に向って白色と変化するグラデーション模様になっている。ドーシット・ホテルといえば以前は日本航空の資本がはいっており、ホテル・ ニッコー・マニラ・ガーデンという日本人に人気のホテルだったが、現在はタイのドーシット・タニ・ホテルの系列になっている。  フィリピンではホテル、コンドミニアムなど居住用のビルの外壁は、ほとんどがペイントで、タイル仕様はほとんどない。原因はよくわからないが、確かにペイ ントの方が建設費は安いが、10年ごとくらいに塗りなおさないと外観が著しく汚らしくなる。タイルであれは汚れがつきにくく、ほとんどメンテが不要で、し かも豪華な感じがするので、日本ではほとんどがタイル仕様だ。左の写真は完成間近いパソンタモ・マカティ・スクエアのビーコンだが、これもペイント仕様 だ。確かにペイントであれば色を替えてイメージチェンジを計ることもできる。しかし、パスコの事務所に近いこのビルはちょっといかがなものかと思う。         マニラの下町に行くと、メンテがされて無いビルがほとんどで、街並みがとても汚い。もともとの色はどこかへいってしまって、ほとんどが黒か灰色だ。かといって新たにペイントを行なうにも相当な出費となり、マニラのイメージを悪くしている元凶とも言えるだろう。 建設中の「Raffles Residences」の外壁はカーテン・ウオールだ。出来上がったコンクリートの構造体にパネルをはめるだけだから、あっという間に外装が出来上がる。 […]

シャングリラホテルの化粧直し 2010年10月18日



10月9日に無事、バブティスマル(洗礼式)を終え、世間の仲間入りをしたキアンだが6ヶ月ともなると、人を区別したり、人によってお愛想笑いをしたり、まさに家族の一員、それも超一級のVIPだ。  生まれてから2ヶ月は寝てばかりいて、お目にかかることもあまりなかったが、3ヶ月目に入て初めてお出かけをした。6月14日撮影、2ヶ月半。   4ヶ月目に入って、公園デビューも果たし、早朝の散歩が日課となった。この写真を見て、誰かが朝青龍と呼んでいた。7月10日、7月17日撮影、3ヵ月半。   休みの日の早朝散歩の相手は父親のカーネル。7月25日撮影、もうすぐ丸4ヶ月。 ちょっと締まって可愛らしさを増した。笑顔が絶えない。7月28日、8月15日撮影、4~4ヵ月半。 人の顔を認識できるようになり、母親やヤヤには無愛想でも私にはいつも愛想が良くて、何か話しかけたいらしい。9月22日撮影、5ヵ月半。 ビコールからやってきたいとこのヤナ(3歳)と一緒に。離乳食を始めたが、スプーンで食べるのが大好きだ。 9月18日、9月23日撮影、5ヵ月半。 いよいよ6ヶ月になって、このふてぶてしさ。10月1日撮影、6ヶ月。 枕を抱いて寝るのがキアンの安眠スタイルだ。毎日欠かさないお風呂も大好きだ。10月2日、3日撮影、6ヶ月。        いよいよお座り開始、おもちゃの自動車に載らせてもらってご機嫌。10月5日、14日撮影、6ヶ月~6ヵ月半。       今回の成長記録の締めは冷蔵庫で冷やしたヨーグルトを食べさせられて、初めて経験する冷たい食感に顔をしかめるキアン。10月15日、6ヵ月半。

キアンの成長記録(2~6ヶ月)2010年10月18日


パスコはロングステイ財団のフィリピン、マカティサロンとして公認されているが、来る11月13日(土)、東京ビッグサイトで開催される「ロングスティ&移住フェア」に招待され、参加することにした。パスコとしては相談コーナーを与えられ、参加者の相談に応じることになっている。出展予定数は 100、参加人数は8500人を予定しているそうで、ロングステイ財団としては最大の催し物となる。詳細はhttp://www.dokodekurasu.jp/にアクセス。  フィリピン観光省の横山さんもブースを設けて多いにフィリピンを売り込むとのことで、フィリピン退職庁(PRA)からもマーケット担当が参加するとのこと。その他、フィリピン関連の案内をしている方々も出展されるはずなので、久しぶりに皆さんにお会いできるのが楽しみだ。

ロングステイ&移住フェア 2010への参加2010年10月15日



 10月9日(土)、私の相棒、ジェーンの赤ちゃん、キアンのバブティスマル(洗礼式)は滞りなく終わった。この日から、キアンはキリスト教信者として世間に受け入れられ、社会生活をスタートしのだ。  式はパスコの事務所に近いSacred Heart Churchで行なわれた。件の学校調査においでになった家族をホテルでピックアップして、丁度10時に教会に到着したが、ジェーンの家族などが外にいるので、てっきり式は始まっていないと思い、待っていた。そうしたら、礼拝堂脇の小さな部屋ですでに式は始まっていた。フィリピンには珍しく、時間通りに式は始まったが、入りきれない人たちが外で待っていただけなのだ。  式が終わると礼拝堂で記念写真の撮影。家族、友達、日本人の招待客など、グループ別にキアンとその両親を中心に収まる。カメラマンもたくさんいるから、そう簡単には終わらない。本人にキアンは何をやっているのかもわからず、途方にくれている様子だった。 総勢80名近いお客さんのお目当てはもちろん、レセプション、披露宴だ。おなじみの中国料理店「ルートン・マカオ」のメインダイニングルームを貸しきって行なわれた披露宴会場には中華料理が次々と運ばれ、最後はまだ料理があるのかとあきれ返るほどだった。  農場からはるばる500kmの旅をしてきたレチョンは手付かずのままだった。しかし、どんなに料理が残ってもフィリピンでは問題ない。家に持って帰って、夜半までパーティは続くのだ。それにルートンマカオの従業員も多いに恩恵に預かったようだ。  やはり、パーティーを盛り上げるのは歌と踊りだ。会場が狭いので踊りというわけには行かなかったが、バンドと歌手の生演奏が雰囲気を盛り上げ、参加者は皆楽しそうだった。フィリピンの披露宴では余計なスピーチや出し物はない。歌と食事で楽しむだけだ。ただこの日は珍しく、キアンのお父さんであるカーネル・ヤンの挨拶と、飛び入りでジェーンの姪や友達が歌を披露した。  食事が一段落すると、撮影会だ。キアンは各テーブルを回って、記念撮影をする。初めのうちは合わされてお愛想笑いをしていたものの、最後は「いい加減にして」といった感じで不機嫌になってしまった。普段は半日位寝ているのに、朝から大勢の人に囲まれてへとへとに疲れてしまったようだ。

キアンのバブティスマル 2010年10月15日


10月2日(土)と3日(日)の2日間でパスコの事務所を引っ越した。引越し先は旧事務所から歩いて3分のMAKATI PRIME CITY CONDO. 内、我々の住居の1階だ。住宅街なのでご訪問の際はパスコというより、志賀の住居ということで訪問してほしい。詳しい道順についてはパスコ のホームページを参照。http://www.pasco-ph.com/main/index.php?pid=102 事務所は3階建てのタウンハウスの1階の今の部分を利用したもので、従来の事務所の半分程度の広さだが、パスコの事務所としては充分な広さだ。入り口は 狭いのだが、中は意外と広く、退職者用のパソコンや有川整体師のマッサージベッドもある。また、中庭があるので、いずれ植物などをおいて憩いの場として機 能させたいと思っている。 下の写真は旧事務所の前で撮ったもの。フィリピンでは伝統的に牛に引かせた車で生活物資の行商に歩く人たちがいるが、パンパンガから来るらしい。しかし牛ならともかく、自転車でこれだけの荷物を運んで進むのは容易ではないと思うが、坂がほとんど無いマニラならではの風景だろう。ちなみに今回の引越しは車は 使わず、台車を使ってすべて人力で荷物を運んだ。もちろん私は高みの見物としゃれ込んでいたが、家ごと人力で運んで引っ越してしまうこともあるフィリピン だから、この程度の引越しを人力でやるのは、どうってことはないのだろう。

パスコの事務所が移動しました 2010年10月14日



今回、日本在住のご家族が12、10、2歳の3人のお子さんを、フィリピンで英語を自由に操る国際人として育てたい、という計画を持ち、そのための視察ということで案内をした。   新興都市として発展がめざましいボニファシオ・グローバル・シティの一角に外国人子弟が多く通うインターナショナル・スクール・マニラ(ISM)、ブリティッシュ・スクール・マニラ(BSM)、マニラ日本人学校(MJS)などがある。 新興ビル群の間を抜け、セント・ルークス病院、STIコンピュータースクールの前を通り、マーケット・マーケットの手前を左に折れたところがこれらの学校街だ。  まず、目に飛び込んでくるのが ISM。その規模と近代的な概観に圧倒される。1990年代にマカティのマカティ・アベニューから移設したものだが実際に見るのは初めてだった。校庭では 金髪の子供や色の黒い子供など世界各国の子供達が運動をしていた。ちなみに生徒数は2000人に達するが、授業料も年間150万円前後と超高級だ。学年は 小、中、高、4-4-4制で合計12年、日本と一緒。幼稚園もある。メトロマニラにはISMのほかにもBrent ISM(ラグナ)、Southville IS(パラニャケ) Britesparks IS(ケソンシティ)などいくつかのインターナショナルスクールがあるが、授業料はISMより安めのようだ。ISは教育環境といては理想的だが、高額の授 業料は個人として負担するには限られた人以外は難しいだろう。なお英語を覚えるまでの間はESLクラスという特別クラスで授業を受けることができる。 左に見えるのがBSM。規模は不明だが、授業料はISと同等だそうだ。その次がMJS。少々規模的には劣るが立派な外観だだ。 この日は飛び込みで担当者に面会した。午後しか受け付けないといわれたのだが、ご家族が門の前に来ているとなれば、会わないわけにも行かないだろう。ここ は主に駐在員の子弟が数年間学ぶところで、いずれは日本へ帰国して学校に戻れるようにすべてのシステムは日本式に運営されている。学費は月々1万ペソ程 […]

メトロマニラの学校事情 2010年10月14日


9月に入って来年枠のクオータ・ビザの問い合わせが急増しています。  そのため、入管に来年度枠の価格など詳細を入管に問い合わせていたのですが、このほど入管の弁護士より、下記のような連絡が入りました。したがってパスコとしてのクオータ・ビザの案内は当面ペンディング゙となります。 To: Mary Jane Gomez maryjanegomez2008@yahoo.com.ph; Sent: Monday, October 11, 2010 12:36:37 PM Subject: Sec. […]

クオータビザについてのお知らせ 2010年10月12日



20代から50代の6名の日本人に付き合って、先月に引き続きスービックを訪問した。今回はコンドテルのポコ・ア・ポコが視察の主な目的だったが、スービックが初めての方が大半だったので、主だったところを早足で見学した。 ポコ・ア・ポコのあるビジネス地区の端に建設中の病院(Bay Point Hospital)が完成間近で、ここが開業すると、以前紹介したジョージ・デュイー病院とあいまって、スービックの医療環境が飛躍的に改善されるものと期待される。 この界隈はホテルやリゾートの開発が盛んで、海岸沿いの遊歩道もムード満点だ。すでに2、3の中規模のホテル・リゾートも運営中でレストラン街からも至近距離なので多くの観光客が訪れるものと期待される。 港にはアメリカの軍艦が寄港していた。今夜はスービックのバーやクラブはアメリカの水兵でごった返すことだろう。  定番のオーシャンパークやズービックにも足を延ばしたが、途中野生のサルの一家に遭遇した。しかし、残念ながらあの大型のコーモリは遭遇できなかった。  この日の収穫は和食レストラン「SAGANO」の体験だ。やはり地元の人の情報に基づいて行動するのが確かだ。開店間もない「SAGANO」はスービックのカジノの中にあり、大型の高級レストランでメニューも豊富、しかも24時間営業だ。個室もあり、レストランから直接カジノへも行ける。  メニューの一部を紹介するが、思いつく日本料理はほとんど網羅している。糖尿病患者定番の「サバ・バッテラ」を注文したが、マカティ・スクエアの「MARUCHAN」に比べてサバが厚くてボリュームがあった。値段もそれなりだったが、全体的にマカティ・スクエアの和食レストラン外に比べて2~3割高めのようだ。

スービック訪問(和食レストランSAGANOの紹介)2010年10月6日


フィリピンで永住ビザを取得する方法として、一般的に退職者ビザ(SRRV)とクオータビザがある。クオータビザは発行枚数が年間50枚と限定されているので、確実にビザが取れるのがSRRVだ。この他に、ノンクオータビザと呼ばれ、フィリピーノの配偶者に発行されるビザがあるが、フィリピーノと結婚している日本人から、質問されるのが配偶者ビザとSRRVとどっちが良いかという質問です。 確かに、配偶者ビザは2万ドル(50歳以上)あるいは5万ドル(35歳以上、50歳未満)の定期預金の要求がなく、簡単そうだ。しかし、例えフィリピーノと結婚していても、フィリピンに永住するのだと決意しているとしたら、SRRVを取得すべきだ。なぜなら、 SRRVは、 退職者が自分でビザを取り消さない限り一生有効なビザであり、退職者本人に決定権がある。退職者がそう希望する限り、一生フィリピンに滞在することが出来るビザだす。一方、配偶者ビザはフィリピーノと結婚している限り有効なビザで、離婚などすると権利を失う。すなわちフィリピーノ配偶者の意志で取り消すことが 出来るビザなのだ。すなわち、退職者が希望しても、相手の意志次第で取り消されてしまうのだ。その場合、改めて別の永住ビザを手配しない限りフィリピンに長期に滞在することができない。 さらに、配偶者との関係がうまく行っている間は、配偶者とその家族があなたを守ってくれるが、いったん仲がこじれると、もはや誰もあなた守ってくれない。しかしながら、PRAはSRRV保持者のフィリピンでの家族を標榜し、いつでも退職者の味方だ。政府機関があなたを守ってくれるという、強い味方がいるのだ。 一方、SRRVは簡単な手続きで、合計3週間程度で取得できるが、配偶者ビザはあれやこれやと色々な追加書類を要求され、4ヶ月程度かかかるようだ。しかも最初に発行されるのはProvationと呼ばれる仮のビザで、1年後再度申請しなければならず、大変手間がかかる。実際問題、手続きそのものの面倒くささは似たようなものなのだろう、要は取り扱う機関(イミグレーションとPRA)の姿勢の違いにあるのではないかと思う。

配偶者ビザと退職者ビザ、どっちが得か?