Monthly Archives: January 2011


ロハス・ブルバード通りにあるリザール・パークの近く、マニラ湾に面したところにオーシャン・パークがある。2009年に開業した近代的な水族館を中心 にしたテーマ・パークだ。都心にあるためにちょっと狭いが、海上に建設された水族館は近代的なもので、子供達の夢となっている。 今回は、いち早くKIANとTamTamがその夢を実現したわけだ。 入場料は水族館が400ペソ、クラゲ館が150ペソ、アシカ・ショーが150ペソ、などフィリピンとしてはかなり高い。この3つをあわせた割引券が500ペソで、この辺が手ごろのようだ。大人も子供も一緒で、60cm以上の赤ちゃんも有料だ。ちなみにKIANは優に60cmを超えているので有料となるが、たかが9ヵ月半の赤ちゃんに対して500ペソとはあんまりだと主張して、只にしてもらった。  しかし、フィリピンの一般庶民にとって一人500ペソづつ払わなければならないということは至難の技で、家族一同で遊びに、というわけにはなかなか行かないだろう。なにしろ一日の最低賃金が400ペソ程度で、これで一家が一日暮らさなければならないのだ。だからKIANの従兄弟達もまだ訪問が実現していない夢なのだ。   下のの写真は土曜に行った時のもの。学生や生徒の団体で大変な混雑で、水族館に入るのに3~4時間は待たなければならないそうだ。外には数十台の観光バスが並んでいる。だから休日には絶対に行かないほうが良い。この日はクラゲ館とアシカのショーだけ見て帰ってきたしまった レイアウトは右ウイングが水族館、左ウイングがレストランや売店、その端にクラゲ館がある。ビルの手前はプールや広場になっていて、アシカ・ショーや水遊びができる。    最近の水族館にはどこにでもあるが、ここも水中トンネルが目玉だ。KIANも魚達が目の前に見えるので手を伸ばしてつかもうとしている。 左ウイングには大型のレストランや幼児の遊び場、そして多くのスービニアー・ショップがある。レストランではフィリピン食を初め中華料理など各国の料理 が揃っている、昼前なのでまだ開いておらず、準備中だった。また、ここの電灯の飾りにアルバイ名物のアバカの丸い傘が使われていた。  クラゲ館はクラゲを見せるというより、クラゲを使った現代アートいった風情だ。多分名の知れたアーティストのデザインに違いない。KIANはいつもの好奇心を発揮してガラス越しからクラゲをつかもうとしている。 プール・サイドで行なわれたアシカ・ショーは私にとっては見慣れた平凡なものだったが、初めて目にしたKIANは真剣なまなざしで見つめていた。これだけ喜ぶのであれば、近いうちにマニラ動物園に連れて行ってやろうと思う。 前回は見れなかったが今回のアシカショーのフィナーレはバックの噴水で音楽に合わせて動く噴水は圧巻だった。夜になると、この噴水にライトを当ててMoon […]

オーシャンパーク訪問 2011年1月16日


                 この日は記念すべき1が5個続くFive Oneの日だ。今年は11月1日がFive One、11月11日はSix Oneで、縁起を担ぐイベントが行なわれる結婚式場など今から予約で満員だそうだ。このFive Oneの1月11日は奇しくも不肖私の6?回目の誕生日なのだ。こんな日は私の生涯にとっても初めで最後の日だ。  かといって特に何事も なかったのだが、周囲の人とインド料理を食べに行った。カシミールという声もあったが、高いので、グリーンベルトのニュー・ボンバイに大人5人、子供一 人、赤ちゃん一人で出かけた。メニューは粗末で写真に取る気になれなかったが、カシミールと同じような料理で値段は大体半分だ。味はそん色ない。ちなみに ニューボンバイはグリーンベルト3、ニューワールド沿いのエスペランサ通り、日本料理「杉」の並びにある。 マトンとチキンのカレー、インド風チャーハン、タンドリチキン、プレインヨーグルト、チッキンテッカ(何度も念を押したのに持ってきてくれなかった が)、バターナン、その他ドリンクで、しめて5人で2000ペソ強。そんなに安くは無いが中レベルの値段だ。前回カシミールで味をしめたヨーグルトを2皿 も注文したが、私以外は誰も手をつけてもらえなかった。  8時を回るころには客も増え、白人、アラブ人、インド人、それに黒人といろいろな人種で一杯だった。もちろんフィリピン人や中国人、それに我々日本人もい たわけだが、実に国際色豊かな店だ。インドカレーではキアンは食事に参加させてもらえなかったが、外へ出るのが好きなキアンは周囲の雰囲気に終始ご機嫌 […]

2011年1月11日はFive One 2011年1月15日



ここ1~2年、街のあちらこちらに出店して、急速に成長しているのがINASALだ。ファースト・フード業界の巨人、Jollibee(ジョルビー)やChowking(チョーキン)をはるかに上回る勢いだが、そもそもINASALとはバーベキューという意味で、単なるチキン・バーベキューの一般名称だ。   フランチャイズの料金は700万ペソ、ジョルビーやマクドナルドなどが4千万ペソもするのに対して格安だ。それだけ、出店のハードルが低いから、新規参入を志すフランチャイズ・オーナーが後を絶たない。 料理は典型的なフィリピン料理で、基本的にチキンのバーベキューにご飯をつけた極単純なものだ。99ペソと49ペソの2種類があって、チキン・バーベキューの大きさが違う。また、99ペソのメニューはご飯が食べ放題だ。この49ペソで一回食べられるという安さ、また、99ペソではご飯が食べ放題というのが人気の秘密のようだ。 ジョルビーやマクドナルドはカウンターで注文して、その場で料理を受け取る伝統的なアメリカ方式だ。しかし、INASALは人件費の安さを利用して、ウエイターが料理は運んできてくれる。だからカウンターに長蛇の列を作らないで、テーブルでゆっくり料理を待つことが出来る。客がどこに座るかは客の勝手だから、ウエイターは客がどこにいるか探しださなければならない。そこで威力を発揮するのが、番号札で、テーブルに掲げられた長い棒のついた番号札がそれだ。 チキン・バーベキューの他にフィリピン人が好むシシッグ(豚のレバーと顔の皮の炒め物)やバゴス(養殖魚バゴスの酢漬けの炒め物)などの料理もあるが、これは150ペソ前後と必ずしも安くは無い。 INASALはもともとBacolod Chiken INASALが本家で、Bacolod Chiken(バコロド・チキン)はネグロスのバコロド市の名物として有名だ。その名の通り、Bacolod Chikenというチェーンもある。先日タガイタイに行った折、昼食を取ったレストランがそれだ。 こちらはメニューが豊富で店の雰囲気も上質だ。値段はメインのチキン・バーベキューが95.5ペソと49.5ペソで似たようなものだ。しかし味付けは本家だけに、こちらが上かもしれない。しかし客足はINASALに向っているようだ。 INASALは現在ブームで昼時は満員だが、これだけ出店が多くてはいずれ人々はそっぽを向くかもしれない。とにかく料理そのものには何の目新しさも無いし、極ありふれたチキン・バーベキューだ。確かにジョルビーより安くておいしいかもしれないが、すでにBALIWAGLECHONやANDOK’sなど、似たようなフィリピン固有のファースト・フード店は街中にごろごろしているのだ

INASAL(イナサール)の躍進 2011年1月15日


マス・バプティスマルとは年に一回のキリストが生まれた12月25日に行われる集団洗礼式だ。個別に洗礼式を行えない庶民が、この日、この年生まれた赤ちゃんを連れてやってくる。 この日はボボイがこの6月に生まれた4人目の子供、ジェルミーの洗礼式に出席した。中央の通りの両側の席には赤ちゃんを抱いた母親が並ぶが、その数は100人はくだらないだろう。 神父が次々と赤ちゃんの洗礼を済ませてゆくが、実質的には、先日行われたキアンの洗礼式となんら変わりはない。バプティスマルに大きなお金を使えない庶民には大きな助けだ。 教会での洗礼式のあとはそれぞれの家に帰って、披露宴だ。姻戚、関係者を招いてご馳走が振舞われる。料理はすべて長兄のダシンが作ったそうだ。 一方、2ヶ月前に無事に洗礼式を終えたキアンはタバコにやってきても相変わらず元気だ。歩行器を与えられて元気にファーム・ハウスを走り回り、多くのいとこに囲まれてやんちゃ振りを発揮している。おもちゃで遊ぶというより、周りにあるテーブルや椅子まで持ち上げておもちゃ代わりにしている。9ヶ月まで後数日の赤ちゃんのはずが、この怪力振りだ。しかしヤヤ(子守)がいないせいか、母親に甘えていることが多い。

マス・バプティスマル(集団洗礼式) 2011年1月8日



ビコール地方の気候は太平洋に面しているため、マニラのあるルソン中央部とは異なる。マニラは6月から11月まで雨季、11月から5月まで乾季、そして 3月から5月が夏で暑い。一方日コール地方は明瞭な乾季がなく、特に12月から1月は逆に雨が多い。12月23日に到着して以来、毎日雨で、マヨン火山は一向に姿を見せなかった。25日のクリスマスに日、集団洗礼式の後、マヨン火山の中腹にある展望台に向かったが、幸いにもマヨンの頂上を望むことができた。  二人の訪問者にはこの日が唯一のチャンスかもしれないと話したが、まさに1週間や2週間はまったく姿を見せないこともざらだ。しかし、この時は、空気が雨に洗われたせいか、マヨンはすがすがしい姿を見せてくれた。早速展望台に向うと途中そして展望だからは頂上がはっきりと見え、さらに地上には我が家もはっきりと見えた(写真中央の右手、オレンジ色の屋根)。周囲の水田は水に覆われており、まさに田植えのシーズンだ。ちなみに1年中暖かいフィリピンでは、水さえあれば3毛作も可能だが、田植えや稲刈りのタイミングは雨によるので、大体2毛作が限度だ。パンパンガなどマニラの北の地域では長い乾季があるため、米作は年に一回で、裏作はトーモロコシなどを植えているようだ。    タバコ市のあるビコール地方アルバイ県にはマヨン火山のほかにもいくつかの山がある。それぞれ独立峰でこの地域独特の景観をなしている。タバコ市から海岸線を北に向かうと、マリナオ、地熱発電で有名なティウイ、それからサルバシオン教会のあるホロアンを経てカマリネス・サウス県との県境にいたる。この辺は海岸線が急峻な山に連なっており三陸海岸を行くようなおももちだ。 山からは豊富な湧き水が絶えずあふれ出て、付近の住民の洗濯や水浴びに使われている。クリスマスのこの日は道端に奥様方が集まりダンスをしていた。 ホロアンのサルバシオン教会はフィリピン人の尼僧・サルバシオンを祭ったもので、願いが何でもかなう奇跡の教会として有名だ。  タバコ市を南に向かうとマリリポット、バカカイ、サント・ドミンゴを経てレガスピ市にいたる。この日はサント・ドミンゴのジェーンのおじさんの養鶏場を訪問した。彼は一羽1万ペソもする闘鶏を飼育している。先日の闘鶏のチャンピオン大会のダービーでは5羽出場させて全部勝って30万ペソの賞金を獲得したそうだ。さらに5連勝中の闘鶏もいて、その一羽だけで10万ペソは稼いでくれているとのこと。それだけで十分生計が成り立つようだ。 この日見納めのマヨン、雲の間に頂上がかすかに見えた。

ビコールは毎日雨だった 2011年1月8日


26日はタバコ港から船で1時間のカグラライ島沖合いのピナミントアン島に向かった。この日は幸い雨も上がって暑くも寒くもない、まあまあの海水浴日和 となった。ダシンやボボイの子供など10人ほど連れ添ってチャーターしたボートで離島に向かう。サンミゲル島とカグラライ島の海峡、男性のシンボルに似た 奇岩などを経由して少々荒れ気味の海の道中だった。   離島に上陸すると、大人たちは早速昼飯の準備だ。ダシンは港で買ったカツオないしマグロのような魚を刺身にしてくれた。また、地元の人がココナッツの若い実を取ってくれて、訪問者には初体験のココナッツジュースを味わってもらった。 なんと言っても海水浴は子供たちの独壇場だ。大きな白浜には我々の一行しかおらず、独り占めだ。ちなみにフィリピン人は泳ぐときに裸にならない。T-シャツなどを着たままだ。これは日に焼けるのを極端に嫌うためと思える。   この日は少々海が荒れ気味で、しかも満潮とあって、浜まで波が来ていた。子供たちは波に揺られながら白い浜と青い海を大いに満喫していた。海には時折、離島をつなぐボートが行き来している。 午後の2時を回るともう帰宅の時間だ。帰りはカグラライ島の反対側を回って帰るコースをとったが、となりのバタン島との間は大変浅く、潮が引くと大きな船 は通れなくなる。漁師が仕掛けた定置網や魚釣りのボート、そしてマングローブの林などを眺めながら、ゆっくり慎重に通り過ぎていった。皆疲れて寝ていたが 4歳のヤナはポーズをとって写真を撮ってくれとせがむ。  カグラライ島の本島に面したところにはミシビシ(Misibisi)という大型のリゾート・ビレッジがある。かなり大規模な開発で頓挫してしまうのではな いかと心配だったが、順調に売れているそうだ。 カグラライ島と本島の間は狭い海峡で、潮の満ち干きには流れが速く、渦が巻いていることもある。本島とカグラライ島の間は、現在フェリーで結ばれているだ けだが、この海峡に2島を結ぶ橋が建設中だ。橋脚もできあがり、地上には橋の材料も保管されており、2011年6月が完成予定後は車でそのままミシビシ・ リゾートに行けそうだ。 […]

十?回目の小島訪問 2011年1月8日



 レガスピ市はビコール地方アルバイ県の州都だが、周辺のスルスゴン県、カトンドアネス島、マスバテ島も含めたこの地方の中心都市で、ビコール地方ではナ ガに続く地方都市で人口は20万人を超えるそうだ。ここには巨大なガイサノ・モール(写真右上ののオレンジ色のビル)とLCCデパートがあり、どちらもク リスマスとあって人であふれていた。写真の手前は滑走路。 レガスピ空港の滑走路の脇にリニョン・ヒルという展望台がある。そこからはマヨン火山やレガスピ市、そして飛行場が手に取るように見える。この日も滑走路 から飛び立つ飛行機の撮影に成功した。また、右の写真はマヨン火山の裾野を走る人間ロープウエイだ。一回350ペソもするそうで、ちょっと庶民には手が出 ない。この日は小雨模様にもかかわらず、クリスマス休暇でマニラから帰った人々でごった返していた。  レガスピの北の町、サント・ドミンゴはマヨン火山が一望できる海浜リゾート地帯だ。海岸線にはリゾートが立ち並ぶが水はさほどきれいでない。その一つパラ メーラ・リゾートでランチを取った。久しぶりに訪問したら、前面の海を10mほど埋め立ててプールと広場を作ってあった。ここは昼よりも夜のほうが恋人た ちでにぎわうそうだが、ここの料理の出て来るのが遅いのは相変わらずだった。      この日、夕方になってマヨン火山がはっきりと姿を見せた。レガスピの街の風景に溶け合って独特な雰囲気をかもし出している。   訪問客のお一人が最終日はレガスピに泊まりたいというので、ペッパーランド・ホテルに案内した。シングルが税金とサービス料、朝食込みで2240ペソとま あまあの値段だ。飛行場へは歩いていけるほどの距離だが、無料送迎車が出るそうだ。表からはわからなかったが意外と大きいホテルでインターネットをはじ め、ほとんどの必要設備がそろっている。部屋もゆったりして、きれいで、お勧めのホテルといえる。 […]

レガスピ市訪問 2011年1月8日


タバコではトライシクル(サイドカーつきモーターバイク)とパジャック(サイドカーつき自転車)が交通の主役だ。フィリピンの都市では、近接交通手段として、車を所有できない庶民はジープニーかトライシクルあるいはパジャックに頼るしかない。タバコ市においてはジープニーは比較的長距離を走り、市内の交通はもっぱらトライシクルとパジャックによる。しかも、ここタバコではやたらとパジャックが多いのだ。 ここ数日雨模様のタバコ市の繁華街に行って見ると、パジャックで渋滞が発生している。強い雨なので、それでなくとも歩くのが嫌いなフィリピーのは皆、パジャックを利用している。パジャック・ドライバーもかき入れとばかり、雨の中をひた走る。LCCデパートの脇の通りの客待ちの列もいつもと比べてはるかに短いようだ。 そもそもフィリピン人、特にフィリピン女性は歩くのが嫌いだ。だから数百メーターの距離でもパジャックを使う。距離により料金は違うが、一人頭、5ペソ、 10ペソ、15ペソ程度で、タバコ市街地なら大体のところへいける。数年前は数ペソ程度だったのにずいぶんと値上がりしたものだ。タバコ市はマヨン火山の裾野にあるため、海から陸にむかってゆるい勾配がある。上りが10ペソだとすると、下りは半額の5ペソだそうだ。翌日は雨が上がって晴れ間が出たが、パジャックドライバーにとってはそれはそれで暑くて辛い。  一方トライシクルはタバコ市郊外、ちょっと離れたところに行くのに使う。やはり距離によって料金が異なり、数kmの距離で、一人頭8ペソ、10ペソ、13 ペソとなる。距離だけの比較ではトライシクルのほうがずっと安い。ジープニーあるいはGTX(乗り合いワンボックスカーで14人乗り)にも同じことが言えて、長距離、たとえば30kmも離れたレガスピ市までは35ペソともっと割安だ。まあ、人力を使うのだから、パジャックが高いのはやむをえないかもしれない。 私に言わせると、パジャックドライバーは世の中でもっとも過酷な仕事だ。自転車に人を2人も3人も乗せて走ることはどんなに大変か経験があると思うが、それを5ペソ、10ペソのために一日中炎天下で走らなければならないのだ。炎天下でなければ雨に打たれながらだ。彼らにとってトライシクル・ドライバーになるのが夢だそうだ。エンジンつきならば、少なくとも自分の心臓を使ってペダルをこぐ事から開放されるわけだ。  ジェーンの長兄のダシンによると、タバコ市には3000台のパジャックと1500台のトライシクルが営業しているという。タバコ市の人口が10万人、そのうち大人が半分の5万人、男がそのまた半分の2万5千人とすると、まさにの成年男子人口の20%近い人がこの仕事についていることになる。  それで、彼らはどれだけ稼いでいるのだろうか。トライシクル1台は約10万ペソの価格だ。それを一日100ペソで借りる(バウンダリー)。一方パジャックは自転車なのに17,000ペソもするが、新車で一日50ペソのバウンダリーだ。価格が6分の一でバウンダリーは半分というのは計算が合わないが、パジャックの償却はせいぜい3~5年、それに比べてトライシクルは15~20年程度もつためだそうだ。  トライシクルの売り上げは一日300ペソ程度、ガソリンが80ペソ、バウンダリーが100ペソで、一日の収入は120ペソ程度。一方、パジャックの売り上げは150ペソ程度、バウンダリー50ペソを引いて100ペソ程度の収入となる。どちらも100ペソ程度で大差のない収入だが、肉体の疲労度においては雲泥の差がある。 ちなみに100ペソの収入では1ヶ月休みなしに働いても3000ペソにしかならない。フィリピンの貧困との境界は5000ペソ/月、といわれているから、彼らは間違いなく貧困層だ。パジャック・ドライバーのほとんどはスコーターに住む。それでも一家に二人の働き手がいれば、なんとかまっとうに家族を養っていけるのだ。日本なら、こんなにしてまでなぜ生きるのかという疑問がわいてくるような仕事だが、子供たちに囲まれて、彼らは案外幸せなのだ。  

パジャックとトライシクルは交通の主役 2011年1月8日



 以前、タバコの農場にやってくるたびに携帯のチャージャーがなくなるのにいらだった。探し回ると、そのころジェーンが面倒を見ていた親戚の子が借りて 使っていた。使うのはいいが、使い終わったら必ず戻しておいてくれと何度も何を押した。しかし、私が来ないときはどうやって携帯にチャージしているのだろうと不思議に思ったものだ。このことはマニラでも頻繁に起こった。寝る段になって携帯をチャージしようとすると、枕元においたはずのチャージャーがない。そのため夜遅くジェーンやメイドをたたき起こしてチャージャーを探す羽目になる。それで、元へ戻しておくようにとうるさくいうと、戻るようにはなったものの、いつもプラグが外れたままだった。 (モンテーロの後ろの座席に乗り込んだ従兄弟たちに囲まれてちょっとナーバスなキアン、あともう二人の従兄弟がいる) マッ サージとメイドを兼ねていたタンとデバインが昼間、私の部屋のテレビをFMにして、仕事中、音楽を聴いているようだった。それまた結構なことなのだが、テレビがFMのままになっているのが気に食わない。私はNHKワールドしか見ないからスイッチを入れたらいつもNHKワールドが映るようにしてある。FMか らNHKワールドが映るようにするには案外手間がかかるのだ。  (アイスとご対面のキアン。アイスがその気になれば一咬みだが、アイスは忠犬で、死んでも人を咬む様なことはしないから安心して相手をさせられる。)    最近新しいメイドが毎日部屋を掃除してくれる。エアコンの位置の関係で、扇風機を併用しているが、その位置加減が難しい。メイドは掃除をするのに扇風機が 邪魔と見えて、位置を変えてしまう。だから私は毎日扇風機の位置の調整をしなければならない。メイドには部屋においてあるもののレイアウトを変えないよう にとジェーンを通じて口をすっぱくしていっているのだが、それだけは直らない。もしかしたら、ジェーンがメイドに伝えていないのかもしれないが、私として はメイドに直接文句は言わないようにしている。私が言うと、どうしても角が立ってメイドが怖がってしまうようなのだ。   バネサ、アラインそしてバレリー、それぞれ14、10、8歳の従姉妹同士だ)。 (ティウイの名物ハロハロ専門店に12名の従兄弟たちが勢ぞろいして出かけた。ここはハロハロだけで客が絶え間なくやってくる有名店だ) […]

フィリピーノは何故、返さない、戻さない 2011年1月8日


12月31日、晦日にタバコの街に正月の買出しに出かけた。またこの日は朝から天気が回復し、マヨンがその絶景を見せてくれた。しかしそれも、本の数時間でマヨンは再び雲に隠れてしまった。 タバコの市街地は晦日とあって、大勢の人が買出しに出ており、マーケットやデパートは人であふれかえっていた。また、銀行のATMも長だの列ができていた。 新しくできた市営マーケットも人でごった返し、店はかき入れ時とばかりに大声を張り上げて客を呼んでいた。 魚売り場は、昼近いので半数程度しか店は開いていなかったが、それでも新鮮な魚が客を待っていた。 果物売り場も大繁盛だ。  タバコ市、唯一のデパート、LCCはすれ違うのが難しいくらいに人で埋まっていた。レジには10m以上の列ができていて、1時間も待たされたが、人々は辛抱強く順番を待っている。我々は長兄ダシンの奥さんのノーマに買い物中並んでいてもらって、さほど待たずにレジを済ますことができた。 フィリピンでは晦日に花火や爆竹を鳴らして新年を迎えるのが習慣だ。市役所の脇の通りには花火を売る店が軒を連ね、年に一度の商いに励んでいた。  

師走のタバコは大忙し 2011年1月8日