Monthly Archives: January 2011


遠くで花火の音が鳴りはじめたら新年が近い。市街地は爆音と煙で往生していることだろうが、農場には心地よい騒音だ。また、この花火で全国で毎年千人以上怪我をして、命を落とす人もいるそうだ。  米、卵、カラマンシー、みかんなど丸いものと現金を飾って福を呼ぶのが中国の習慣で、福建省出身の中国人を父に持つジェーンの正月恒例の飾り物だ。今年はペソの現金の持ち合わせがなくて、ドルと円の飾りになった。 大人たちは料理の準備、子供たちはからおけで年が明けるのを待った。子供たちの一番人気は相変わらずタイタニックのテーマソングで繰り返し変わりばんこに歌っていた。  しかし、犬にとっては正月もなにもない。カラオケが騒々しくても我関知せずを決め込むアイス。  あまりの騒々しさか、キアンが眠りから覚めてパーティに参加。周りでいったい何が起きているのか、と好奇の目を見開いている。キアンを抱いているのは父親、カーネルの娘のキム。ヌエバビスカヤから駆けつけた14歳のお姉さん、ハイスクールの3年生だ。このところ成長著しくお父さんの背に迫る勢いだ。  12時になると除夜の鐘ならずなべの金で悪霊を追い払うのが、やはり中国の習慣だそうだ。皆なべのふたを匙などでたたいて、思いっきり音ををたてて、各部屋や家の周りをまわり鬼は外をやる。 新年の悪霊払いを終えて、まずは家族、皆で記念撮影。ボボイの4人の子供は寝てしまったが、その他の家族は全員集合だ。 恒例の家族一同の記念写真撮影が終わると、今年最初の食事だ。昼から準備してあった大量の料理が用意されている。祝い事にはあの甘いスパゲッティが欠かせないが、私は手を出せなかった。 ちょっと前まで子供だと思っていたが、ハイスクールに進んでいるバネサ、ビアンカそしてアライサもそろそろ色気が出てきた。あの甘いスパゲッティとさらに甘いフルーツサラダをたくさん取ってきておいしそうに食べている。  上海ルンピア(春巻きを揚げたもの)に使ったチーズでHAPPY NEW YEARとまな板に書いた女の子軍団・年長組みがハイチーズ。  最後はプレゼント。マニラの問屋街デビソリアで買い求めた大量の物資が皆に手渡される。さらに最高賞金500ペソ2本のくじ引きで幕。このころ時計はすでに2時を回っていた。  

2010年おおみそかのパーティ 2011年1月8日


私自身はブロクに登場しないことをモットーとしているのだが、年末にPRAよりカレンダーに使いたいので、私自身の写真を5~6枚送ってくれるよう依頼 があった。そのため、この正月2日(日)はジェーンの家族に集合してもらって撮影大会となった。しかし、ジェーン家族は旦那カーネルの実家を訪問して家族 全員集合とはならなかった。 キアンのやんちゃぶりは留まることを知らない。2段ベッドの上の格子を見つけてそれにつかまろうとしている。カーネルのとなりではこの寒いのに裸ではしゃぎまわる(ここ数日は雨で、肌寒さを感じるくらいの気候だった)。  風呂は大きめのバケツを使っているが、お湯に入るのが大好きなキアンは、中でジャンプしてはしゃぎまわる。 さて、いよいよPRA向けのカレンダー写真撮影だ。1960年代にカレンダー・ガールという歌がはやったが、まさか私がカレンダーのモデルになるとは思い もよらなかった。しかし、一人で写るのではとても様にならないので、皆さんに入ってもらって絵になるように心がけた。特にハイスクール3人組の美女(の候補)との写真はいかがだろうか。 タバコ市街に出て見ると、街は平静を取り戻し、マニラ行きの満員バスがひっきりなしに出発していた。明日は3日(月曜日)で平常勤務に戻るため、2日がU ターン・ラッシュとなる。ちなみにフィリピンに三が日という概念はなく、正月1日だけが祝日で、翌日から平常勤務に戻るのが普通だ。 夜になって戻ってきたジェーン一家。ママのジェーンが従兄弟のジェルミーを抱いているのでやきもちを焼いて泣き出したキアン。 1.ママがジェルミーを抱いているのを発見し嫉妬の炎を燃やし始めるキアン 2.ママを取戻そうと抱きつこうとするキアン  3.ママがジェルミーを離さないので、涙を流し訴えるキアンの一筋の涙が哀れを呼ぶ 4.それでもママを取戻せないので思いっきり泣き始めてしまったキアン 5.やっとママに抱かれてほっとして泣き止んだキアン。 […]

タバコの正月(PRAカレンダー撮影会) 2011年1月8日



キアン・キアンで過ぎ去ったクリスマスと正月だったが、いよいよマニラに、そして日常に戻る日がやってきた。従姉妹達も学校を休んでまでして、キアンに別れを告げた。] レガスピ空港も最近は便数も増えて、常にPALやCebu Pacificの飛行機がとまっている。先日農場に泊まった方はレガスピからセブへ直接向った。大雨で飛行機が飛ばないのではないかと心配したが、それどころか、バックのマヨン火山も半分以上姿を見せていた。 カーネルは娘と弟を伴って前日に車で帰ったので、この日はキアンとママ、そして日本人二人の旅だった。 離陸直後の飛行機から見たレガスピ市。天候にめぐまれ、Albay湾も穏やかだ。      右の写真では、遠くに先日、訪問したカグラライ島が臨める。  飛行機の右側の窓側に座って待った甲斐があって、マヨン火山はこちら側だけ見事に姿を現していた。農場のある反対側の斜面と違って溶岩が流れる荒々しい姿を見せてくれた。まさに活動中の活火山なのだ。 40分ほどの飛行時間でマニラに到着する。マニラも快晴で、マカティ(左)、ボニファシオ(中央)、オルティガス(右)のビル群が一緒に見える。 手前のラグナとマニラ湾に挟まれた狭い部分に空港とSLEX(南ルソン高速道路)が見える。右の写真はアラバンのタウンセンター付近だ。 飛行機はマニラを通り越し、カビテでUターンして、マニラ湾側から滑走路に入る。カビテの新興住宅地がモザイクのように見える。 久々にPAL(フィリピン航空)を利用したのでターミナル2に到着した。そこには最近のコンドミニアムの建設ラッシュを反映して、壁にあるディスプレイはほとんどがコンドミニアムの宣伝だった。 最近空港タクシーに乗って料金をぼったくられることが多発している。イエロー・タクシーはメーター制だが、そのメーターがどんどん回ってマカティで、 2000ペソになったり、200ペソのところを2000ペソと一桁上の金額を請求されたり、かなり悪質だ。そうなるとクーポン・タクシーに乗ったほうが間違いなさそうだ。  空港の係りとおぼしき人にクーポン・タクシーの場所を聞くと、えてしてレンタカーを案内して、これまた倍くらいの料金を請求される。クーポン・タクシーの場所には写真の大きな看板があり、行き先ごとに料金が書いてあるので、この看板を頼りに自分で探すことだ。ちなみにマカティは440ペソで、多少割高だが、この程度は我慢して欲しい(画面をクリックして拡大してみてください)。

ビコール-マニラ、空の旅 2011年1月8日


12月23日(木)クリスマスイブの前日、二人の訪問者に伴ってビコール地方・タバコ市の農場へ車で向かった。2006年より開始されたセブ・パシフィックのディスカウント・チケットによりもっぱら飛行機に鞍替えして以来、車で行くのは実に4年ぶりだ。今回は2名の訪問者がいるため、色々見物しながら道中を楽しんでいこうという嗜好だ。  渋滞を避けるために、早朝5時に出発したが、南に向かう高速道路(South Luzon Express Way, SLEX)はすでに渋滞が始まっていた。皆考えることは同じなのだ。結局、ケソン・プロビンスの州都ルセナ市を抜けるまで断続的な渋滞が続いた。渋滞が一段落したところでガソリンスタンドに寄ったが、そこにはキリストの生誕をモチーフにした実物大のジオラマが飾ってあった。 ルセナを過ぎてルソン島の太平洋側の海岸に出るためにはルソン島の背骨にあたる小さな山脈を越えなければならない。そのわき道を通るとその峠は国立自然公園となっていて、自然のジャングルがそのまま残っている。遠くにルセナの湾も臨むことができ、道端では近隣に住む子らが道案内をしながらクリスマスのギフトとしてコインをねだっていた。 太平洋側の町、グマカには有名なドライブ・イン・レストラン、リタスがある。日本のドライブインとは比べようがないが、このトロトロ形式のレストランは 24時間営業で客が絶えない。メニューの数はさほどではないが、どれも新鮮でおいしい。イカの丸焼き、小エビのかき揚げ、ゴーヤ・チャンプル、カジキとバナナの幹のスープ(ポッチェーロ)、魚の切り身のフライ、それにライスとミネラルウオーター、4人分でしめて667ペソだった。味付けがさっぱりしていて日本人にとってみても思わずうまいと声が出るほどだ。 厨房ではたくさんの人が必死で下ごしらえや調理をしている。ウエイトレスも含めて20人以上の人がいるから、3交代、全部で60人くらいの人が働いていることになる。たかがトロトロ・レストランとはいえ、相当の売上高になるものと伺える。 ビコール地方に入るところでちょうど旅の半分になる。道はダエット(Daet)経由の旧道と近道の新道に分かれるが、たとえ2時間ほど余計にかかっても情緒のある旧道を通ることにした。途中展望の開けているところで一休みをしたが、そこからは延々と続く未開の山々が見え雄大な気分になれる。今回は新車の三菱モンテーロできたため、道中すこぶる快適で、皆まったく疲れを見せない。マニラ近郊のカラバリソン地方(カビテ、ラグナ、バタンガス、リザール、ケソンの県の総称)が混んでいたため、すでに出発から9時間を越え、さらにタバコの農場到着まで5時間かかる見込みだ。 ダエットを過ぎるとビコール地方特有の並木のトンネルが続く。さらに旧道の終わり付近は自然林の国立公園となっており、周辺に住む住民はまったくおらず、まるで日本の箱根富士国立公園内かどこかを走っている気分だ。ちなみにビコール地方は太平洋側にあるため、マニラ周辺の気候とはまったく異なり、明瞭な乾季がない。だから、1年中緑が豊富で絶えることがない。路肩もいつも緑、どこへ行っても緑・緑に囲まれている。 旧道と新道の交わっているシコポットを過ぎるともうすぐ、ビコール地方最大の都市ナガに出る。ここまで来るとあと2~3時間の道のりだ。だからここにあるペトロン(フィリピン石油公社)のガソリン・スタンドは一息をつく人々でにぎわっていた。そこにはハーレー・ダビッドソンの新車が3台誇らしげに停まっていた。フィリピンでは優に1台100万ペソ(約200万円)する代物だ。しばらくしたら刺青のあるアメリカ人とおぼしき3人が颯爽と乗っていったが、ジャンパーにはMAD MAXなどと時代物の文字が書いてあった。  ここからはほとんど平野、田園地帯でナガ、ピリ、バアオ、ナブス、バツ、オアス、ポランゲ、リガオ、ギノバタン、カマリグ、ダラガなどの市町村がレガスピ市まで連続している。町はクリスマス休暇で帰郷した人々であふれ、クリスマスの飾りがきれいだった。とりわけ電飾で飾り付けたフォルクスワーゲンが目を引いた。わがタバコの農場へはレガスピの手前、リガオで左におれて30分ほどの山道を通ると到着する。午前5時出発、午後7時到着、走行距離500km、少々きつい14時間の旅だった。 

金なしコネなしフィリピンの旅行:ビコール編 2011年1月7日



12月24日は恒例のクリスマス・イブのパーティだ。今年は少々地味なパーティだったが、早めの夕食を終えると、10時過ぎに再びパーティの食事で糖尿病の気のある私にとっては少々きつかった。 中央が私の相棒のジェーン、右がジェーンの旦那のカーネル・ヤン、ジェーンが抱いているのは、もちろんキアンだ。   農場で預かっているヤナ(ジェーンのお次兄の3女)はダンスを披露してくれたが、4歳とは思えないなかなか色気のあるダンスだ。 キアンといえば、お父さんとおそろいのサンタの帽子をかぶせてもらってご機嫌だ。 バネサ(右、ジェーンの長兄ダシンの長女)とビアンカ(ジェーンの母親の養女)はジェーンからおそろいの服をプレゼントされたそうだ。   前のタバコ市長のブルセ氏が所有する闘鶏場、この日は特別の日で入場料は150ペソ、3人で入ると450ペソあって二の足を踏んでしまった。しかし、中は超満員の様子だ。キリストの生誕を祝うクリスマスに軍鶏が殺しあう闘鶏とは少々不謹慎な気がしないでもないが。 タバコの街はクリスマスとあって、いつにない賑わいだ。ジョルビーではシンボルの蜂のぬいぐるみを着たスタッフを繰り出して客をもてないしている  さらにクリスマスとあって賭け事が許されているようで賭場がご開帳だ。ルーレットのような賭けに人ごみができている 市庁舎前にはトラシクルに引かれたサンタクロースというなかなかユニークな飾り付けがお目見えしている。その他、通りをはさんだ教会と市庁舎前の広場一杯に電飾が施されている。この電飾は正月明けまで飾られているそうだ。   

2010年タバコのクリスマス 2011年1月7日