Monthly Archives: February 2011


熱気気球見物にアンヘレスに入った際、常宿のアメリカホテルは満員で、いくつか当たった他のホテルも満員、仕方なくDAUバスターミナルのすぐ隣の SOGOに泊まった。しかし、ここも30分ほど待ってようやく泊まることが出来たが、12時間で819ペソと他のホテルに比べて格安だ。  この日はバレンタインデイの前々日の土曜と会って、昼間から満員の盛況だったそうだ。ガレージ付の部屋と一般の部屋があって、1階がガレージ付、4階建てで全部で125室もあるそうだ。入り口は駐車場に入るようで、一般のホテルに比べていかにもわびしいが、レセプションは普通の3流ホテルよりましだ。ただ、大きな待合室がいかにもモーテルらしい。バレンタインデイが近いとあってバラで作ったハートがいかにもと言った感じだ。 部屋は小ぶりだが、清潔でこじんまりしていて、寝るだけの目的には充分だ。ルームサービスも充実していて、格安のアメリカホテルが、1150ペソ、普通のホテルは1500ペソが相場だから、ここはその半額程度で一晩寝れるのだから超格安といえる。 料金表は金~日曜の価格だが、平日はもっと安いそうだ。予約は全く受け付けず、First Come First Serviceだが、少し待てば泊まれるので、問題ない。この日は旅行者風の韓国人も空きを待っていた。SOGOは首都圏を制圧し、パンパンガやセブに進出し、さらにバギオ、ダバオと全校制覇に野望を抱く、すでに23ヶ所のホテルを経営し、最も成功した日本人の一人と言えるだろう

ホテル・モーテルチェーンSOGOの大躍進(その2)2011年2月16日


 フィリピンのケーキ屋さんといえば、Goldilocks(ゴールディラックス)かRed Ribbon(レッド・リボン)が有名で、街のいたるところに出店している。特に誕生日パーティといえば750ペソで20~30人がたっぷり食べられる四角い巨大なケーキが買えるゴールディラックスと相場が決まっていた。誕生日があるたびに、一切れといっても普通の一切れの倍もあるようなのを配られて、甘いものが苦手の中年日本人はいつも往生したものだ。しかし、他のフィリピン人は、こんなに甘いケーキをおいしそうに全部平らげるにはいつも感心した。 ゴールディラックスとは一線を画し、少々高級路線を行くのがレッド・リボンだ。甘さも大きさも控えめで、10人くらいで食べられる中位のケーキが500~600ペソで少々高めだが、最近の若い子はレッド・リボンを好むようだ。しかし、誕生日のように不特定多数がやってくる場合は、やはりゴールディラックスで巨大なケーキを買う。質より量、そして甘いことがフィリピン庶民には肝心なのだ。  私の日課である散歩のコースのカマゴン・ストリートとセントポール・ストリートの交差点あたりにMelliza(メリサ)というチーズ・ケーキ・ハウスがある。質素なたたずまいで、いつも客も入っておらず、こんなところでケーキ屋さんをやって商売になるのだろうかといつもいぶかっていた。 ある日、相棒のジェーに聞いてい見ると、ここのチーズ・ケーキは有名で学生時代はいつも生唾を飲み込んで通り過ぎていたと聞かされた。ならばと早速店に行って買い求めたが、小さめの一切れが77ペソ、一箱5個で385ペソ、丸々買って10個分で770ペソだ。値段もレッドリボンの少々上を行く。色々な雑誌などでも紹介されているようで、グロリエッタなどにも出店しているが、すべてのケーキは店の発祥地のここで作って、卸しているそうだ。中を覗いて見ると、売り場の5倍くらいのスペースのケーキの工場があり、いかにも直売所といった按配だ。  糖尿病の気のある私としては、ケーキなどというものを長いこと食していない。ちょっと端っこを削り取って食べてみるとなかなかおいしかった。誕生ケーキの定番のゴールデラックスの甘いだけのケーキとは一味違う。でもそれ以上は食べさせてもらえなかった。  ジェーンはプレイン・チーズ・ケーキが一番好きだというが、そのほかにも色々飾り付けがある。しかし、ベースのケーキは皆一緒だ。だからプレインも同じ値段というのが解せない。さらに解せないのはシュガーレスというのがあって、それは一切れ88ペソだ。砂糖が無い分だけ安いと思うのだが、素人の浅知恵だろうか。  

フィリピンのケーキ事情 2011年2月16日



 このほど会社を受取人としてソニー・ライフの生命保険に加入した。(2013年現在ソニーライフはフィリピンから撤退して、すべての保険は別会社に移動して継続されています。) ことのきっかけは、今の事務所兼居住スペースのコンドミアムを買うために少々借金をしたことだ。5年もすれば悠々返せると思うが、もしその前に私が死んでしまうと、フィリピンとしてはそこそこ大きい借金が残ってしまう。今のところ営業的には一枚看板で、その後事業が継続できるかどうかは今後の後継者の育成ににかかっている。そんな状態で、周囲のフィリピーノに大きな借金を残して逝ってしまうのはいかにも無責任だ。しかし、長生きするために極端な節制をする気にもなれない。子供もとうに巣立って、いつ死んでも誰にも迷惑をかけることもない、と思っていたが、周囲のフィリピーノが私の事業で食っているとなると、そうおいそれと死ぬわけにも行かなくなった。そこで思いついたのが生命保険だ。そこでソニー・ライフの門をたたいて話をしてみると、事業の継続資金として会社のキーマンが生命保険に加入するのは極普通のことだという。その話を聞いて、私の今やっていることが事業と呼べるまでになってきたのだと、なにかこそばゆい感じがした。   (待望の押し車付3輪車を買ってもらってご機嫌のキアン。お勘定を払ったあとはパパに押してもらいながら悠々凱旋だ)  (この日は歯ブラシも買ってもらって生えかけの歯を自分で磨いて得意げだ) 借金が300万ペソなので、保険金は同等の額として、掛け金は1万~2万ペソが長続きできる範囲だ。それに基づいてソニー・ライフの担当者(中村さん、携帯0906-572-3408)が保険を設計してくれた。数日後メールが来て下記の提案があった。 1.毎月4万ペソの掛け金で5年払い、終身保障 2.毎月1万ペソの掛け金で5年払い、保障期間は5年間、掛け捨て 3.毎月2万ペソの掛け金で5年払い、3百万ペソの保障を5年間、その後は百万ペソの終身保障 今後5年くらいは頑張れるだろうと想定と、借金も5年もあれば返せるだろう、そして葬式代くらいは欲しいということで、(3)の案が最も適しているということで決心した。   52歳のときにA型肝炎をやって、生命保険の類には入れないと思っていたが、10年たった今はもう時効ということだ。さらに4年前、糖尿病で投薬を半年続けたが、その後、薬をやめて食事療法と運動で血糖値をコントロールしていることについては、健康診断の結果を見て決めるということだった。後日健康診断を実施して、その結果、コレステロール、血糖値、HbA1cが若干高めということで、月々8000ペソの割増金を取られてしまったが、これは1年後再検査してなくなることもあるそうだ。   (ベビーカーはもはや無用の長物になった。散歩は必ずこの3輪車で出かけるのが日課だ。) (小守やメイドにかしづかれ、そしてママに抱かれてまるで王子様のキアン) ちなみに保険金の受取人(Beneficiary)が親族でなくて赤の他人ということはもはや許されないことだそうだ。まあ、あれだけ保険金殺人がまかり通れば、保険会社もそんな犯罪を誘発する可能性のあるようなことはやれないだろう。しかし、会社が重要な地位の人間に保険をかけ、受取を会社とすることは可能とのこと。 […]

ソニー・ライフの生命保険に加入 2011年2月16日


 2月3日は旧正月、チャイニーズ・ニューイヤーだ。毎年出かけているが、この日はビザを申請中の退職者の依頼で案内することになった。この方は元々中国人だが、学生時代から日本に暮らし日本に帰化した方だ。そのため中国の文化など解説付きで新年の中華街を探訪することが出来た。キアンも新年用の中国服を着せてもらってご機嫌だ。  この日は中華街ばかりではなく、マカティのデパートでも新年の飾り物を売る店ががでていた。売り子も中国服に身を固めている。中国人にとって赤色は最も縁起の良い色で、レストランのウエイトレスや売り子は皆赤い服を着ている。   中華街の中心はサンタクルス教会とビノンド教会を結ぶオンピン通り。この日は、朝早かったために竜や獅子の踊りは出ていなかった。どうにかいたのが子供の獅子だった。 「恭喜發財(Kung Hei Fat Choi)」とは日本風に言えば「謹賀新年」という意味だが、後半が「発財」すなわち「お金が手に入る」というところが、いかにも中国風だ。この言葉は東南アジアの華僑が使って入るが、中国の標準語、北京語でも共通かどうかは定かではない。ちなみにほとんどの華僑は福建か広東省、すなわち、東南アジアに面した中国の海岸地方の出身で、中国で食い詰めて一旗あげようと東南アジアに流れてきた人たちの末裔だ。末裔と言ってもつい最近渡った人も多いようで、相棒のジェーンのお父さんは若いときフィリピンに渡ったそうだ。と言っても戦前の話だが。 今年はウサギ年で、ウサギの人形をるる屋台が並んでいた。新年に初めて中華街を訪れたときは確か、イノシシ年で、イノシシならぬ豚の人形が売られていたのを憶えている。今年はウサギだから、あれから4年たったことになる。   中国では新年に丸いものをかざって新年を祝うそうだ。中国式のお餅、それから野菜や果物の丸いものを飾りにしている。丸はお金、すなわち財につながるのだ。それからどういうわけか小鳥を売っている人も目に付いた。  街角に線香をたいてたくさんの人がお祈りしているところがあった。仏教なのか何なのか、件の退職者に聞いてみたが、南の人の風習はよくわからないという。確かに戦後は共産党が中国を支配しているから、宗教は原則ご法度で、こんな風習は中国本土では見られないのだろう。またステージがいくつかあつらえてあって、夜は派手なショーが行なわれるようだ。  

恭喜發財(Kung Hei Fat Choi) 2011年2月14日



 2月5日(土)はまだニュー・イヤーの出し物があるというので、わざわざアンヘレスまで出かけて行った。残念ながらドラゴン・ダンスなどの出し物は終わってしまったようだが、街は中国式の飾りで覆われ、ニュー・イヤーの興奮冷めやらずといった雰囲気でにぎわっていた。 大型店のアトランティスや紫禁城(Forbidden)を覗いて見ると、チャイニーズ・スタイルの踊りを楽しませてくれた。ドリンク一杯95ペソでこれだけのショーを見れるのだから格安というか、ほとんど只みたいなものだ。 店のモデルやダンサーがにわか仕込みで踊るのだから、たいしたことは無いが、酔っ払っている当方にとってはほとんど区別がつかない。他の女の子達もノリノリで楽しい。 件のフィールド・アベニューはいつもどおりのにぎわいで、毎日がお祭りのような歓楽街ではこれが日常なのだ。

Chinese New Year in Angeles 2011年2月14日


2月10日(木)から13日(日)までクラークで熱気球大会があるというので、2週連続してアンヘレスを訪問することとなった。この日は誰も行かないと 言うし、ならば車で行くのももったいないので、バスで出かけた。これが失敗だった。熱気球大会に加えてバレンタイン・デイの寸前の土日とあってホテルはど こも満員で泊まるところが無い。常宿のアメリカ・ホテルはプレジデント・スイート(3900ペソ)しか空いていないという。いくつかのホテルを当たった が、どこもFully Bookedと誇らしげにのたまわる。結局、最近出来たモーテルのSOGOに恋人達と一緒に順番待ちをして泊まる羽目になった。モーテルSOGOの詳細は別途報告の予定。  次の失敗は足だ。アンヘレスにタクシーは無い、しかもいつも使っているトライシクルはクラークへの乗り入りは許されていない。SOGOで タクシーを呼んだら、ぼろの白タクが来て、クラークの中へ行くだけで400ペソ、そのままのって帰ってきたら、さらに400ペソで、合計800ペソだとい う。マニラのタクシーならせいぜい100ペソの距離だ。馬鹿にするなと、車を降りたものの仕方なく、トライシクルドライバーに聞くと、タクシー乗り場まで 連れて行ってくれるという。クラークへの入り口近くに広大なジープニー・ターミナルがあって、その一角にタクシーが客待ちしているのは、前に見て知ってい た。  タクシーの格好はしているがプレートがレンタカーのものだ。それでドライバーに聞いてみると、これらの車はツアー用のレ ンタカーで、クラークの中までが300ペソ、往復で600ペソだという。考えてみればマニラの空港で騙されてレンタカーに乗ったりすると、マカティまで 1000ペソくらい取られるから、それが相場なのだろう。ちなみにマニラまでは片道2500ペソ、往復で3500ペソだそうだ。こんなに高いならアンヘレ スでタクシーの商売でもやったら儲かるかもしれない。 前置きが長くなったが、車に乗ると、ドライバーは「渋滞しているから」などとおかしなことを言う。クラークの中は何十回も走っているがほとんどクルマな […]

クラークの熱気球大会 2011年2月14日



最近、別件で銀行に寄ったおり、ドル送金用に開設したある退職者の普通ドル預金口座が凍結されるから、その前に対処して欲しいと、頼まれた。数百ドルの 残金があるので、このままではもったいないという。どうすればよいのかと聞くと、1ドルでもいいから入金して欲しいとのこと。とっさに同行した他の退職者 に10ドル借りて、5ドルづつ二人の口座に入金した。これであと1年ほっておいても大丈夫とのこと。  口座が凍結される (Dormant)条件は、2年以上全く出し入れが無い場合で、一旦凍結されると毎月5ドルづつペナルティとして引き出され(残高が規定以上あれば引かれない)、いずれ残高がなくなって口座 そのものが取り消されることになってしまう。また、例え残高があっても、10年経過すると政府の管理化に移行されるそうだ。これを解凍するためには (Reactivate)所定のフォームに口座名義人が署名して提出しなければならない。そのため、原則本人が銀行に赴かなければならない。  一旦退職ビザを取ったものの、当面に日本にいて将来フィリピンに住もうと計画している方も多い。だから口座にお金を出し入れしようにもやりようがない。口座が凍結されることを防ぐには下記の処置を事前にしておけば良い。 1. 私ないし誰かフィリピンイいる友達に代行してもらって年に一回、少額を口座に入金する(日本からでは1ドル送るのに数千円かかるのでバカバカしい)。 2. 定期預金を作成したとき、残高を全部下ろして口座を解約してしまう 3.退職ビザの取得のために開設した定期預金の利子をこの口座に自動振込して、出し入れの実績をつくる    こんな話があってから、当事務所に来ている退職者の銀行からの通知を開けてみた。そうすると6名ほどの凍結口座の通知が見つかった。残高がほとんど無いの は良いとして、数百ドル以上の残高があるものについては銀行と話し合って下記の処置をとることにした。これらの退職者は全員が日本に在住していて、2年以 上フィリピンを訪問していない。 […]

銀行口座の凍結について 2011年2月10日


昨年の9月ごろ、退職ビザ取得の条件となっている定期預金を使って自宅を建設することをPRAに申し入れた退職者がいる。しかしながら宅地の長期リース 契約の相手、すなわち土地のオーナーへのタイトル(TCT、登記簿)の旧オーナーからの移動に手間取り、書類が全部揃ったのはつい最近、1月末になってし まった。  昨年の初め、お二人の退職者の同様の申し込みについてOKをもらっていたので、本件についても特に心配はしていなかった。PRAの担当者も宅地のタイトルさえ来ればOKが出ると言ってくれていた。  しかし、この間、新しいGMが赴任して状況が変わってしまった。先週、PRAの担当者から電話があって、なにか言いにくそうにごちゃごちゃと話している。なんだからわからないので、その日の午後PRAをたずねて話を聞いた。曰く 「GM が長期リースした土地に自宅を建設するために定期預金を使うことを承認したくないと言っている。理由は、定期預金の解約はしたものの、そのお金で本当に家 を建設して、完成させているのか、PRAの限られたスタッフではモニターのしようがない。特にマニラから遠く離れた地方では、一々PRAのスタッフを出張 させるわけにはいかない。勢い、退職者任せとなり、後日家を建設していないことが明るみにでたりすると、PRAとしては、退職者が再預金をするかビザの返 上を要求せざるをえなくなり、具合の悪い状況になる。したがって、家にせよコンドミニアムにせよ、出来上がったものをリースないし購入するためにのみ定期 預金の使用を認める方針である。」  確かに近々施行される新しいルールでは定期預金の投資そのものが出来なくなるそうだから、GMは現状 ルールにおいても投資がきちんとなされることに注目しているようだ。しかしながら、そものそも昨年の9月に申し入れて、建設を一部開始してしまっているも のを、いまさらだめといわれても、件の退職者としてはは納得がいかない。ならば、PRAの担当者が私にGMに直談判しろというので、先日GMと再び面会す ることになった。 […]

定期預金(SRRV預託金)で家の建設が出来なくなります 2011年2月10日