Monthly Archives: May 2011


 4月22日、ホリーウイークの行列見物のはじまる夜まで時間があるので、KIANをマヨン火山の展望台に連れて行った。KIANにとってはマヨン火山は初登頂のはずだ。山の頂上は曇っていて見えなかったが、眼下に広がるタバコ市はあいかわらず見事な景色だった。  途中、やたら多くの人々が山から歩いて降りてくる。これは今夜の行列と同じく磔にされたキリスト様の苦行に少しでもあやかろうとしているのだそうだ。 5年前に台風で破壊されたマヨン展望台の教会の十字架も再建されて白くそびえ地上を見下ろしていた。 展望台にはピクニックがてら来ている人もいて、三々五々ランチを楽しんでいる。 展望台の裏手にはさらに上に登る小道があって、上には開けたところにロッククライミングの練習場があった。そこにはかなりのごみが散らかっており、夕べ相当の人たちが野宿をしたらしい。日本ならば4月の夜では、まだまだ寒くてテントでもないと、どうしようもないが、フィリピンでは普通の服さえ着ていればどうって事はないのだ。    KIANといえば、展望台のレストランで食べさせてもらったアイスクリームにご機嫌で、ビューティフルアイズを連発していた。普段、食べているアイスクリームは無色のバニラだけだから、このチョコレートにくるまれたナッツ入りのアイスがよほど気に入ったらしい。しかし、かじりついたのはいいものの、その冷たさに顔をしかめていた。

KIANのマヨン火山初登頂 2011年5月15日


 ルソン島の尻尾の先端にあるビコール地方、ソルスゴン県、ドンソールはホエール・ウオッチングで有名な所だ。ホエール(Whale、鯨)といっても、ここで見ることができるのは、Whale Shark(ジンベエザメ、タガログ語ではButanding)で正確にはシャーク・ウオッチングだ。しかし、ジンベエザメはご承知の通りまるで鯨のように大きくておとなしく、優雅に泳ぐ地球上最大の魚は一見に値する。  農場のあるタバコ市からレガスピ市を経由して、南へ約2時間、ゆったりした田舎の景色を眺めながらのドライブを楽しんだ後、ようやくソルスゴンのドンソールに到着する。ソルスゴンはブルサン火山の噴火で時折ニュースになるが、普段は知る人ぞ知るサマール/レイテへの通り道でしかない。ただし、温泉などが豊富なリゾート地帯でもある。  ドンソールの街を過ぎて5kmほど行くと、一目で分かるリゾート地帯にでる。その中央あたり、ツーリスト・センターでホエール・ウオッチングを受け付けている。ホリー・ウイーク中のせいか、周囲は白人の姿が目立つ。外国人が訪れるためか、施設が清潔で、フィリピンらしい混沌がここでは見られない。  そこではシュノーケルでもぐることもできるが、器具を使っての潜水は禁止、ジンベエザメに触ることも許されない。彼らはこの地方の宝で大事に保護されているのだ。連れのフィリピン人に料金を聞かせてみたら、外国人が一人300ペソ、フィリピン人は一人100ペソだという。船で30分くらい沖へ行くそうできわめてリーゾナブルな価格だ(と思った)。さらに私は退職ビザを持っているのでフィリピンの住人(Resident)だと交渉したら、100ペソになった。しめて600ペソ足らずだ。それで料金を払おうとしたら、請求書の頭に3500ペソという数字がある。聞いてみると貸切の船代だという。件の300ペソは登録料(Registration Fee)だとうそぶく。たった30分の船旅で3500ペソはいかにも高い。この程度の船であれば丸一日分の料金だ。 それでは乗り合いはないのかと聞くと、6人のりで、一人頭600ペソ弱だという。それにしようと決めて、出航時間を聞くと4時間後だという。なんとも馬鹿にした話で、われわれ「金なし...」組みには、それだけ払って魚を見る勇気がない。したがって、今回は下見ということで、次回スポンサー付で来ようということになった。魚を見るために金をはたくのは外国人がほとんどだから、価格も外国人価格となっているようだ。さらに、昼も近いので隣のレストランで食事を取ったが、マニラ以上の値段だった。これも外国人価格のようだ。 ドンソールへの帰り道、この付近は低地で湿地が広がっている。南国の湿地で育つのが下の写真のニッパ椰子だ。幹がなくて葉だけの椰子で、屋根材として使われ、いわゆるニッパ・ハットの原料となる。

ホエール・ウオッチング挑戦 2011年5月14日



 KIANの誕生日は3月31日の年度末なのだが、ホリーウイークにタバコ市に帰郷した折に近所のかたがたを招待して、再度誕生会を催した。主催者である ジェーンによると先日のパーティは内輪のささやかなパーティだったとのこと。今回の誕生会はご近所のほかに、スコーターから100人近い子供達を招待し て、総勢150人のゲストによる盛大なものだった。 フィリピン一の問屋街デビソリアで買い集めた招待客(スコーターの子供達)へのプレゼント、一個10円、20円の品物が部屋中に並んでいる。さらに、こ の日、農場の2匹の子豚がいけにえとなったが、KIANにとっては知るすべもない。一匹はフィエスタとパーティには欠かせないレチョン、もう一匹はアドボ (しょうゆ味に煮付け)だ。  料理の準備は前日から始められ、ジェーンの姪の娘達はひたすら大量のチーズロール(棒状に切ったチーズを春巻きの皮で巻いて油で揚げたもの)を作ってい る。そしてパーティには欠かせない甘いスパゲッティ、ホッ・トドッグ(ソーセージ)、サンドイッチと続く。どれも安い食材で手作りだから、150人で食材 費はせいぜい、1万ペソ程度だろうか。それにギフト代やピエロの司会とやらで、しめて3万ペソ程度のバジェットで済んだようだ。たったの3万ペソと思うか もしれないが、これでも庶民にとっては大変豪勢なパーティなのだ。  スコーターから招待された子供達は行儀良くいすに座って出番を待つ。もちろん狙いは食べ放題の食事と、大量のお土産だ。ちなみにご馳走やお土産をやるの は誕生日を迎えた本人で、招待客は「Happy Birthday to you」の一言のお返しをするだけで十分なのだ。 […]

KIANの誕生会 パート2 2011年5月14日


 今年は4月18日の週がホリー・ウイークで、22日(金)が目玉のGood Friday、キリストが磔にされた日で、それにちなんで人々は行列を行う。地方によっては本当の十字架を背負って歩いたり、体中を紐でたたいで血を流し たりして、キリストの苦難を自ら体験しようとしているのだ。  この日、ほとんどの人はふるさとへ帰り、故郷で行列に参加する。そのため、マニラは空っぽになる一方、田舎は人々であふれかえる。前日の木曜日は Maundy Thursdayで山車の準備や行列の練習で忙しい。バランガイごとに自警団を組織して警戒に当たっているが、カメラを向けると皆が並んでポーズを取って くれた。  いよいよ行列が始まるというので、その通り道に出てみると、見物目当ての人だかりだ。それぞれが見やすいところに陣取って、行列を待っている。  6時半ごろ、陽がかげってくると、いよいよ行列の第一陣がやってきた。白い衣装に実を固めたハイスクールの生徒が行儀良く並んで歩いてきた。その後には格式ばった街の長老が続く。山車が通り過ぎた後は、良くこれほどの人がと思うほど歩いてくる。   道端で見物していた人も自分のバランガイの行列が来ると、そのまま列に入り込む。要は誰でも好きなときに行列に参加できるのだ。暗くなってくると当方もさ すがに立ち疲れ、引き上げることにした。しかし、道路は立錐の余地もない。一計を案じて、行列に加わり、歩いていくことにした。そして途中で行列から離れ てジェーンの実家へと向かった。奇しくも息子とともにホリーウイークの行列に参加することになってしまったのだ。  実家に着くとKIANが熱を出していて休んでいた。これから教会へ連れていくのだというが、翌日の誕生会を控えて大事を取って、皆で帰ることになった。KIANにとっては連日の催し物で、疲労がたまっていたのだと思う。  

ホリーウイークの行列に参加 2011年5月14日



 5月8日、WBCウエルター級のタイトルマッチがラスベガスで行われた。今回のタイトルマッチの相手は同級3位のシェーン・モズリーで、元世界3階級制覇のつわものだが、39歳という盛りを過ぎたロートルではパクヤオの敵ではなかった。試合は圧倒的な大差の判定でパクヤオが勝利し、フィリピン国民の喝采とアキノ大統領の賛辞を受けた。 試合の生中継はテレビでは行われず、映画館や劇場などで有料で公開され、料金は最低500ペソとフィリピンでは高額だ。パクヤオにはファイトマネーのほかに、この有料放送の割り当ても手にできる。パクヤオのファイトマネーは3000万ドルで、なんと13億ペソ(24億円)という天文学的数字だ。現在、世界でもっとも高額なファイトマネーを稼ぐボクサーだろう。ちなみにフィリピンでももっともお金持ちの下院議員だそうだ(パクヤオは前回の統一選で地元カガヤンデオロから立候補して当選している)。  パクヤオの試合には、いつも5人のチームがフィリピンから同行し、トレーナーやコックなど、皆、パクヤオが貧しい下積み時代からの親友だ。もちろんチームの頭は妻のジンキーだ。彼女は整形を繰り返して今の美貌を手にしたそうで、フィリピーナのご多分にもれず世界チャンピオンのパクヤオを尻に敷いている。これら5人のサポート・チームも、パクヤオのおこぼれで、もはや大金持ちになっているそうだ。  パクヤオを世界の名ボクサーに育て上げたのは彼の母親で、子供のころから、パクヤオが喧嘩に負けてくると、いかに相手を殴り倒すか、母親が実地指導をしたそうだ。現在、母親は70歳を優に超えるそうだが、今でもボクシングのスパーリングと社交ダンスが趣味の活発なおばあさんだそうだ。 ちなみにパクヤオはかつで大変貧しく、10代でマニラに出てきたときはパン屋で働きながら、ボクシングジムに通った。食事は一日一回で、お祭りなどでボクシングの試合をやって稼いだ。パクヤオが世界戦に勝つと、実家や別荘の50人を超えるガードマンやメイドに数千~数万ペソのボーナスを配るそうだが、今回は、さらに自分へのボーナスとして2百万ドル(1億6千万円)の家をアメリカで買った。 上の写真は合後のインタービューに応じるパクヤオ、パンチによるダメージも全くなくて、まるで試合前のようだ。私がテレビを見る限り、一発もパンチを食らっていなかったのではないかと思う。    

英雄パクヤオの勝利 2011年5月10日


4月8日は息子のバケーションンの最終日だ。前々から、フィリピン最後の夜は残ったペソを全部使ってカジノで運試しをすると言っていた。しかし、この日は台風ベベンすなわち台風一号がフィリピンに襲来し、強い風と雨が降っていた。まだまだ夏で雨季の到来も先の話のはずなのにだ。しかしながら、8時ごろにはいったん雨が止んだので、ヘリテージ・ホテルのカジノに出かけていった。途中冠水したパソンタモ通りを通ったが、タクシーの排気口から水が入ってエンジンがかからなくなってしまった。しかし、こういう状況でフィリピーノは全く動じない。近くの若者を呼んでエンジンの押しがけをして事なきを得た。やはり、フィリピンでは車高の高いCRVやモンテーロなどのSUVに限るとつくづく思った。  カジノでは、もっぱらルーレットで遊ぶのだが、この日、息子ははじめから、カラムと呼ばれるたての列と1~12のいずれも3倍の枠に2000ペソずつかけた。それが両方来て一気に8千ペソの儲けになった。しかし、その後は泣かず飛ばずで4000ペソの勝ちを確保して、はやばやにカジノを後にすることにした。帰りがけに、行きつけのミス・ユニバーサルに寄ってみたが、台風のせいか、客足も女の子も少ない。一方、ここのところ飲みなれないビールを飲んだせいで、息子が腹具合がおかしいというので、ここも早々に引き上げることにした。 タクシーで自宅のあるパソンタモ通りに近づくと、またもや道路が冠水している。ちょっと深そうなので、タクシーの運ちゃんはこれ以上進めないから、ここで降りろという。息子といえば腹具合が悪くて真っ青になっている。運ちゃんは、たまたま通りかかったパジャック(サイドカーつき自転車)をとめて、これでこの冠水した道路を行けという。ちょっと写真が暗くて見ずらいが、自転車のタイヤの半分くらいが水につかりながらでも、若者は必死にペダルをこぐ。もともとたいした距離が残っていたわけではないので、10分ほどで自宅の近くまで来た。やはり最後は人間力だ。息子は、自宅のトイレから出てきたら、幸せそうに微笑んでいた。昨年のホリーウイークでルソン島の最北端のパゴツポッドからラワグにバスで戻る折に、息子が腹痛と下痢で死ぬ思いをしたことが思い起こされる。パジャックの運ちゃんには感謝の気持ちをこめて50ペソを支払ってやった。たったの50ペソと思うかもしれないが、彼らにとっては50ペソ(100 円)は大金のはずだ。

今年一番台風ベベンの襲来 2011年5月10日



ホリーウイークの休みを利用してタバコの農場で約一週間過ごした。普段は近場のカグラライ島沖の小島ピナミントガンに船で行くぐらいがせいぜいだが、今 回は息子も遊びに来ているということで、かねてから一度は行って見たいと思っていた秘境カラモアンに一泊の冒険旅行にでかけた。ここは知られざる未知のボ ラカイなどと称され、まさに絶景の秘境だとの聞いていたのだ。しかし、タバコ市の地元の人に聞くとかなり厄介で、ガイドなしではたどり着けないといってい た。ところが、最近フレンドシップ・ツアーの岩崎さんの旅行記を読んで、なんだ我々でも行けるではないかと、気を強くしていたのだ。  カ ラモアンはルソン島の尻尾にあるマヨン火山(タバコ市)から北方、直線距離で50kmくらい、半島の先端にある。本土からはまともな道路がないので船で行 かなければならないが、船はサバンという港から出ている。サバンまではナガ市あるいはタバコ市からは車で2時間半くらいの道のりで、サバン港からギハロ港 までは2時間の船旅だ。ギハロ港から半島の反対側のカラモアン・リゾートまではさらに30分くらいトライシクルに乗る。朝8時にタバコ市を出発したのだ が、リゾートに到着したのは午後の3時近かくになってしまった。 タバコ市からは地熱発電で有名なティウイ(Tiwi)を過ぎたあたりから、海岸沿いにジグザグ道路を延々と走る。途中ゴルダ・ポイントという展望台ですば らしい景色が臨むことができた。この辺はフィリピンではちょっとめずらしいハンギング・ロードと呼ばれる、海に臨む急斜面を削ってできている道路で、三陸 のリアス式海岸を行くようだ。途中、ホリーウイークを利用して帰郷した人たちが、学校の同窓会の集まりで延々と列を成し、トラックやバイクでツーリングを 楽しんでいた。車とバイクの数は100台近いのではないかと思われた。  サバン港に到着すると30人乗り位の船が何艘か泊っている。周辺はまるでこじき部落のようだ。その辺に人に聞くと、船は10時に出てしまって、次の船は 3時だと言う。ここで4時間も待たねばならないかとがっくり来る。さらに船賃を聞くと二人で2500ペソだと言う。そんな馬鹿な話はあるかと食ってかかる […]

秘境カラモアン探訪 2011年5月9日