Monthly Archives: July 2011


 かつてその名声をほしいままにした往年の最高級ホテル、マニラ・ホテル。マニラ湾に面して、イントラ・ムロスとロハス・ブルバード通りをはさんで建っているこのホテルは、マルコス時代、迎賓館として各国のVIPを泊めた。  入り口を入ると、その豪壮なロビーに圧倒される。現在では手に入らない高級木材のナラで内装が作られており、歴史を感じさせる。  マニラ湾沿いにきっと広い庭園とプールがあるに違いないと探したが、雨模様でプールサイドでのブランチというわけには行かなかった。また、プールも特別にこれといった代物でもなかった。 プールサイドの脇にあるビュッフェ・レストランでブランチを取ることにしたが、入り口に掲げられた値段表には一人1000ペソとある。今日は、KIANのパパのカーネル・ヤンさんが休みで同行しているので、ヤヤに運転役のボボイも入れると総勢5人だ。1000x5=5000ペソはブランチとしてはちょっと出せない。 そこで、アラカルトでも注文できることを確認して中に入った。そこでけち臭く注文したのが、いつものパンシット・カントン200ペソ、グリーン・サラダ 280ペソ、クラブ・サンドイッチ500ペソ、それにジャスミン・ティーでしめて1200ペソ。ビュッフェの一人分にしかならない。これで5人の腹が一杯になるはずもないが、当ては例の只のパンだ。 はじめに只のパンが出てきたが、なんとこれを4皿も出してもらって、他の料理が出てくる前にいい加減、腹がくちくなってしまった。そして、そのあと出てきたマニラ・ホテル特製と銘打ったクラブ・サンドイッチがユニークだった。一個の大きな丸いパンをくりぬいてサンドイッチを作り、それを元に戻してあって、一見大きな丸いパンに見える。マカティの中華料理屋、ルートン・マカオで出してくれるパイナップルにはいったチャーハンのようだ。500ペソもするだけあってなかなかの代物で味もよかった。 パンが大好きなKIANはまずはパンにかじりついて、次は好物のパンシット・カントン。一人でむしゃむしゃと食べる様子を動画に収めた。 クラブ・サンドイッチについてきたフレンチ・フライもKIANの好物だ。紙の筒に入ったフレンチ・フライをボボイに分けてやっているが、KIANは人に食べ物を分けてやるのが大好きなのだ。  食事が終わって、ホテルのサービスのコック帽をもらってご機嫌のKIAN。はじめは遠慮がちだったKIANもこのころになるとレストランの中を一人ではしゃぎ回ってウェイターや周りのゲストに愛嬌をふりまいている。KIANの辞書には「ヒヤ(恥ずかしい)」という言葉はないようだ。  下の動画はその夜、KIANが大音響の音楽をバックに1時間近く踊り続けたときのものだ。椅子に座ってからも踊り続けている。9時過ぎのことなのでさすがのKIANも疲れたと見えて、翌朝は遅くまでぐっすりと寝ていた。前日の水遊びといい、活発なKIANにはスポーツが適しているようだ。それでこの日、カーネルも含めたマム・ジェーンとの3者会談でKIANを2歳になったらスイミング・スクールとダンス・スクールに通わせようとの合意が成立した。私を含めて親馬鹿は世代を越えて引き継がれていくようだ。

往年の最高級ホテル、マニラ・ホテルでブランチ 2011年7月31日


 ここのところ立て続けに発生している台風の影響で、この日も朝から強い雨が降っていた。そのお陰で外へ出れないKIANはすこぶる機嫌が悪い。そこでマ ム・ジェーンの許しが出て、KIANが裸で外へ放たれた。元々水遊びが大好きなKIANは、はじめはちょっと戸惑ったものの大喜びで雨の戸外へ飛び出して いった。 強い雨が降るとストリート・チルドレンやスコーターの子供が、その雨水をシャワー代わりにするのはフィリピンの風物だ。だから、マム・ジェーンは、は しゃぎまわるKIANにストリート・チルドレンとはやし立てる。そんなことはお構い無しに裸ではしゃぎまわるKIANに、なにか戦後間もないころ、幼少時代の自分を見るような気がした。  9時ごろになると雨もあがって、先週のSOFITELに引き続き一流ホテルのブランチとしゃれ込んだ。この日ターゲットはマカティのど真ん中にある押しも押されぬ一流ホテルのシャングリラだ。 まず、4階のプール・サイドに行ってみたが、やはり都会のど真ん中のホテルであるためか、いかにもプールとプ-ル・サイドしかなくて狭苦しい。とてもKIANが自由に走り回れる雰囲気ではない。 そこで、1階のロビーへ移動した。入り口の正面に位置するロビーはその豪華さと優雅さでゲストを圧倒する。床には高級な絨毯が敷き詰められ、KIANが転んで平気なようだ。 早速、はしゃぎまわるKIANだが、ステージですっころぶのではないかとヤヤは気が気でない。近くのゲストに愛嬌をふりまきながら走るKIANにウエイトレスも微笑を返す。何かすると自分で手をたたいて、拍手喝さいを催促するのが最近のKIANのスタイルだ。   さて、はじめにお目当ての只のパンがやってきた。SOFITELとは違って種類は少ないもののまだあったかい美味しいパンだ。グルメのKIANは早速かじりついている。しゃれたジャムもついていて、これでもすでに十分なごちそうだ。  この日の注文はクラブ・サンドイッチとパンシット・ギサド(ビーフン)。味はやはり高級だが、それぞれ400ペソと少々高めだ。それにジャスミンティーと コーラ2杯でしめて1600ペソ・プラス。SOFITELの倍近いが、シャングリラ・ホテルだからそんなものかと納得。     KIANも料理に満足げで、フォークとナイフに挑戦していた。ちなみにフィリピンでは食事はカマヤン(手で直接食べる)のが正式。だからKIANがパン […]

マカティ・シャングリラ・ホテルでブランチ 2011年7月30日



 最近はレストランやコーヒーショップで無料でインターネットを使えるWIFI(ワイファイ)カフェが増えている。自分の携帯用のノートパソコンを開けばそのままインターネットが使えてとても便利だ。特に海外のインターネットカフェでは、パソコンが英語版で、日本語のインターネットサイトは読めないし、 E-メールも日本語で書けないので役立たずだ。だから自分の携帯パソコンを持ち歩いて、いつでもどこでも日本語環境のインターネットが使えることは海外出張あるいは海外生活には欠かせない。  このWIFI環境は自宅でも簡単に実現できる。自宅をWIFI環境にすれば、インターネットは自室に限らず、居間でもベランダでもダイニングでも、どこでも自由に使える。また、もはやパソコンは一人一台の時代で、子供達がハイスクールに行くようにでもなれば、FACE BOOKやゲームなどに夢中になっているから、それぞれが自分の部屋でプライバシーを守りながらインターネットに没頭できるというわけだ。 写真はPLDT(フィリピン長距離電話会社)のDSL等を申し込むとセットされる受信機だ。これに写真下のルーター(3000ペソ程度)をつなぐだけで、無線LAN(WIFI)が構築できる。私の事務所ではパソコンが6台ほどあるので少しグレードの高いパッケージ(月々3000ペソ程度)を申し込んでいるが、普通の家庭なら、個人用の月々1000ペソ程度のやつで十分だろう。これで1階から3階までの部屋で都合6台のパソコンがインターネットを使っているのだが、6台が同時に稼動するわけではなく、せいぜい1~3台程度なので、全く問題なく稼動している。 最近のパソコンならワイアレス・アダプターが内蔵されているが、ちょっと旧型のパソコンの場合、USBワイアレス・アダプター(1000ペソ前後)を別途購入して取り付ける必要がある。あと、それぞれのパソコンの接続を調整するだけで、どこでもインターネットが実現する。冒頭の写真はカーネルが国家警察の事務所から持ってきた自分のパソコンを使ってダイニングでインターネットを使っているところだ。きっと隣で遊んでいるKIANもあっという間にパソコンを使うときが来るのだろう。

無線LAN(WIFI)でどこでもインターネット 2011年7月28日


フィリピンではmercury drugと赤い看板を掲げた薬局が街中いたるところ、コンビニエント・ストア並に出店している。薬局だけではこれだけの出店は成り立たないと見えて、中はまるでコンビニエント・ストアあるいはそれ以上の品揃えだ。日本で言えばマツモトキヨシとセブン・イレブンをあわせたようなものだ。  先日、3人の小さなお子様連れのご家族をマニラの学校事情の調査に案内した折、出がけに奥さんにコンビによってほしいと頼まれた。フィリピンのコンビニの品数の少なさは定評があるから、何を買うのかと尋ねたら、遠慮がちに「ナプキン」と答えた。フィリピンのコンビニにそんなものがあるはずもないから、迷わずマーキュリー・ドラッグに直行した。  マーキュリード・ラッグの中は入り口付近が、コンビニのそれと同じになっており、化粧品、バス・トイレ、台所用品それに健康食品などが豊富だが、飲み物やスナックまでも置いてある。まさにコンビニエント・ストアで、24時間、週7日営業しているところもあるそうだ。奥は薬局で、店員に処方箋を見せたり、薬の名を告げて注文する方式で、薬に直接触ることはできない。  まさに破竹の快進撃を果たした薬の小売王だが、全国で自前の店を700店舗運営し、マカティ市内だけで30店舗と、フィリピン最大のコンビニ・チェーンといえる。ちなみにフィリピンのコンビニ大手はセブン・イレブンとMINISTOPだ。  しかし、このmercury drugの赤い看板をデパート/モール・チェーンの覇者、SMの中に見ることはできない。 SMの創設者ヘンリー・シーがまだ、一介の靴の修理屋だったころの話だ。戦争直後の1945年、日本が立ち去った後、チャイナタウンのキアポに店を構えたマーキュリー・ドラッグは、この靴屋を店先から追い出した。その後、立場が逆転してデパート/モール・チェーンを全国展開するSMはマーキュリー・ドラッグを自らのモールに出店することを決して許さない。ちなみマーキュリー・ドラッグはアヤラ系のモールを中心に展開している。SMにはWATSONSというドラッグ・ストア・チェーンが入っているが、きっとSMの肝いりで設立されたチェーン店なのだろう。

マーキュリー・ドラッグ・ストアとSMの確執 2011年7月28日



退職者の方に用事があって、先週の土曜、ソフィテル・ホテルを訪問した。休日なので、ついでにソフィテル・ホテルの庭をKIANと午前中一杯楽しんだ。このホテルはもともとフィリピン・プラザ・ホテルと呼ばれ、ロハスブルバードの先の埋立地に立てられた老舗高級ホテルの一つだ。特にマニラ湾に面した広々としたプールと庭園がデートスポットとして有名だった。  数年前にフランス系のソフィテルに買収されたそうで、マカティのドーシット・タニ・ホテルがタイ語で挨拶するように、ここではフランス語で「ボンジュール」と挨拶されるそうだ。外見はマニラ・ホテルやペニンシュラ・ホテルがそうであるように、ちょっとさえないが、老舗だけあって、ゆったりとしたロビーや庭園は格別なものがあり、部屋も広々としている。 入り口から階段/エスカレーターを下り、大きなレストランを横切るとそこにプールと庭園が広がってる。その向こうはマニラ湾だ。椰子の木がたくさん植えてあるが、落下事故防止のためにココナツの実が全部落としてあるのはいかにも風情がない。中間に網をかけるなどなにか工夫がほしいところだ。   プールは平凡な四角や丸ではなくて島を巡る様になっていてぐるりと泳ぐことができる。しかし、ちょっと深そうでKIANには当面無理だろう。滑り台もあって、小学生くらいなれば、大いに楽しめると思う。 庭園はマニラ湾に直接面しているが、水に浮かぶ無数のごみはいただけない(写真ではちょっと識別しにくいが)、せっかくの庭園が台無しだ。私がホテルのマネージメントだったら、一台専用ボートを浮かべて、毎日ごみ掃除をさせるだろうに。 子供が遊べる施設もいろいろある。写真の大きな籠は子供がトランポリンのように跳ねて遊べる様になっている。     庭園に面したレストランはこれまた広々としていて開放感にあふれる。街なかのホテルのレストランでは、こうはいかないだろう。客の食べ残したパンを食べに来ているすずめ。  この日はまだ10時前なので、ブランチとしゃれ込んだ。でもホテルのレストランとなると、アメリカン・ブレック・ファーストでさえも800ペソもして中々庶民には手が出ない。そこでメニューの中から一番安いパンケーキ(ホットケーキ)とフライド・ヌ-ドル(パンシット・カントン)を選んでコーヒー2杯を含めて800ペソで済ました。私とジェーンの二人なのだが、ヤヤとドライバーがいて全部で、4人+KIANがこれでお腹一杯になったのだ。 その秘密は無料のパンだ。カゴ一杯に出てきたパンは色々な種類があってとても美味しい(あのすずめがつついていたやつだ)。しかも、ジェーンが図々しくもお代わりをしてくれたので4人がお腹一杯になってしまったのだ。パンシット・カントンもとてもあっさりした味付けで美味しく、KIANがむさぼるように食べていた。 食後は室内レストランとの間にある池の水でびしょびしょになって遊ぶKIAN。まだまだプールで遊べないのが残念なKIANだがことのほか水遊びが好きだ。下の写真が庭園に面しているレストランだ。  

マニラ湾に面する老舗ホテル・SOFITEL 2011年7月25日


 7月22日(金)、第26回目のPRA創立記念パーティが開催された。昨年は25周年という節目のためか、Sofitel ホテルで豪勢なパーティを行ったが今年は、ロックウエルのはずれのメトロポリタン・スポーツ・クラブのボール・ルームでこじんまりとしたパーティだった。    レセプションは相変わらず、PRAの若手社員が大勢受付をしていたが、見知らぬ顔もかなりいた。会場は狭く、ビッチリ並べられた椅子には招待客が200 人ばかり狭苦しそうに座っている。1時間ほど遅れて行ったせいで、プログラムはかなり進行していたが、それでもGMのスピーチや、リム観光大臣のスピーチは聞くことができた。大臣のスピーチによると、アチエンサGMはリム大臣のクラスメイトで、彼の指名による登用だそうだ。右下の写真が大臣だ。  この日、ちょっと躊躇されたが、KIANを私の同伴者として連れて行った。退職者は1名の同伴者を伴うことができるとなっており、年齢制限もないのだから、良しとした。それにフィリピンではこんなパーティに子供が参加することは当たり前だ。KIANにはこのようなパーティに場慣れさせて物怖じしない子に育てたいと思っている。KIANを抱いているのはPRAマーケッティングのノエル部長だ。 PRAに退職者を紹介してビザ取得のお手伝いをする役割でPRAに認定された者をマーケッターというが、パスコは、紹介した退職者数で昨年は第2位となり、表彰状と記念品(缶詰の詰め合わせ)を受け取る相棒のジェーン。左はPRAアドミのエテル部長。 レセプションではプロの絵描きが数人、参加者の無料で似顔絵をスケッチしてくれていた。KIANもしっかりとモデルになって似顔絵を描いてもらった。式典が終わると記念撮影とダンスタイムだ。退職者の客はほとんど帰り、PRA職員が大臣やGMとともに記念撮影をしている。KIANといえば、その前を行ったり来たりして、すっかり場になじんでいた。  さらに舞台に上がってプロの歌をバックにダンスを披露。音楽にあわせて踊るのが大好きなKIAN、1歳と3ヶ月の晴れ舞台だ。

第26回、PRA創立記念パーティ開催される 2011年7月23日



フィリピンにやってきて最初にびっくりするのが、街中いたるところにショット・ガンを構えて立っているセキュリティ・ガードの存在だ。このことが、”フィリピンは危険”というイメージを助長していると思う。銀行やポーンショップ(質屋)そしてホテルやコンドミニアムにセキュリティ・ガードは必須だ。それにオフィス・ビルやデパート、レストランやコンビニなど、お金や人の集まるところには必ずいる。 果たして、彼らが活躍するほどフィリピンでは犯罪が多発するのだろうか。私にはとてもそうは思えない。彼らが、銃を使う機会は一生に一度もないだろう。も ともと犯罪がないのか、あるいは彼らの存在のおかげで犯罪がないのか、どちらか分からないが、フィリピンの風物ないし慣習といってよいかもしれない。 慣れると、彼らの存在ははなはだ重宝で、常にそこにいて出入りする人間を見張っていてくれるというのは店の人、住人、客にとってはとても心強い。しかも、 彼らのテリトリーの中では警察権を持ち、逮捕、場合によっては犯人を射殺することもできる私設の警察なのだ。昔、ちょっと事情があって私専用にボディガー ドを雇ったことがあったが、つかず離れず24時間守られているというのは、なんともはや心地良く、安心できるものだった。 (いつも退職者を案内するBank of Commerceのガード、こちらが上客であることを知っていて、駐車や時間外の入店など、色々と便宜を図ってくれる) セキュリティ・ガード、運転手、シー・マン(船員)は巷の男の仕事の3羽ガラスといってもよい。一方、女の仕事はメイド、ウエイトレス、セールスガール (売り子)、マッサージガール、それにGRO(ホステス)などと働く機会は男よりも多い。オフィスや工場などでも男女の数は似たようなものだ。だから、巷 で所在無げにたむろしているのはほとんどが男だ。  このセキュリティ・ガード達は専門の会社に所属し、訓練を受けて、それぞれの依 頼先に派遣される。これらの会社を経営しているのは国家警察幹部のOBが多く、元PRA長官のゼネラル・アグリパイも大きなセキュリティ・エージェントを 経営し、マカティ・グロリエッタのセキュリティガードの派遣を一手に引き受けていたそうだ。 […]

セキュリティガードの賢い利用法 2011年7月21日


         なんといっても、フィリピンでは今、庶民の生活を脅かしているのが、ガソリンの高騰だ。2008年6月15日に原油相場の高騰でガソリンが高騰したことは、このブログで紹介した。現在、ペソが高めに推移しているせいもあって(1ドル=43ペソ)、当時の最高値の水準に達しているのだ。ちなみ、円換算ではリッター、100円~110円程度となり、物価水準が5倍違うフィリピンではこの値段がどんなに高値なのか想像がつくだろう。  今年、タクシーの初乗りが30ペソから40ペソの上がり、当初タクシードライバーはホクホクで、恒例の値段交渉も乗車拒否も姿を消した。しかし、それは束の間の出来事で、再び、メーターの2倍~3倍を平気で吹っかけてくるドライバーが多くなった。中には何も言わないでメーターを倒して走り始めるドライバーもいるが、つい、20~30ペソを上乗せして払いたくなってしまう。慢性的な渋滞もあいまって、まっとうな料金ではほとんど稼ぎがないのだ。  税金の関係で、フィリピンで組み立てられた車は、日本より、若干高めだ。ちなみに私の相棒の旦那が乗っている三菱モンテーロは140万ペソ、260万円位する。一番安い、タクシーに使われるトヨタ・ビオス(カローラの下のクラス)あたりでも140万円前後だ。この金額となるとフィリピンでは郊外で戸建の家が買える金額だ。フィリピン人にとって車を買うことは家を買うのと同等の覚悟が必要で、イメージ的には1000~2000万円の買い物をしている感じだ。  しかし、マニラを走っていると実に車が多い。しかも往年のジープタイプの車は姿を消して、モンテーロなどの車高の高い車が半数程度だ。これは雨季になるとマニラのいたるところで道路冠水するせいだが、下の写真では前に3台のモンテーロが固まって走っていた。自分も入れると4台になる。ちなみにモンテーロは、今フィリピンでは、ホンダCRVやトヨタ・フォーチュナを抜いて、もっとも人気のある車だ。  ガソリンの次あるいはそれ以上に庶民の生活を脅かしているのが米だ。私が初めてフィリピンに足を踏み入れた1989 年には、米1kgが7~9ペソだった。それが、げんざい、35~40ペソ(70~80円)もするのだ。この20年で実に5倍となった。従来物価の10倍原則(ペソの価格をそのまま10倍して、円に読み替えると、日本の相場観で判断できる)は米と給与には当てはまらなかった。なぜなら通常の物価差は5倍だが、米と給与は10倍の差があったのだ。しかし、現在、米の物価差は5倍程度に縮まってきている。一方、大学新卒の給与は1万ペソ+(2万円~)程度だから、やはり10倍近い差はあるだろうか。フィリピンでは3度の食事に米は欠かせないから、この米の高騰は庶民の腹を直撃していると思う。しかし、マニラ周辺でも広大な穀倉地帯が広がっているのに、なぜいまだに米を外国から輸入しなければならないのか理解できない。 最近、私の懐を直撃しているのが、ミス・ユニバーサルの閉鎖だ。他のクラブは何しろ高い、内容も今一、今二だ。MU にとって代わる一押しの遊び場を見つけることが未だにできていない。MUに働いてた子の誘いで、バクララン・チャーチのすぐ近く、ロハスブルーバード沿いのASIAN ENTERTAINMENTを覗いて見た。そうしたら小一時間いて、ビール2杯に女の子を1時間呼んで、1500ペソも取られてしまった。その内訳はこうだ。()内はミス・ユニバーサルの値段。                Asia   MU      ディスカウント後 エントランス        350ペソ(100ペソ)    なし ビール一杯         135ペソ(59ペソ)x2   100ペソx2 レディズドリンク      775ペソ(460ペソ)    600ペソ  合計           1395ペソ(678ペソ)    800 […]

フィリピンでは、今これが高い 2011年7月18日



7月22日(金)、フィリピン退職庁設立記念パーティが開催される。昨年は25周年記念ということで、かなり盛大なパーティがソフィテル(フィリピン・ プラザ)ホテルで開催されたが、内容的には少々盛り上がりを欠くものだった。今年は午後3時~6時という、ちょっと中途半端な時間帯なので、どんなパー ティを考えているのか気になるところだ。  会場となっているthe Metropolitanは、マカティ、ロックウエルの東のはずれのエステレリア(Esterella通り)沿いにあるので分かりやすい。EDSAあるい はロックウエルの両方からアクセスできる。PRAの案内状についている地図はきわめて不明瞭なので、マニラ新聞発行のNAVIにある地図が分かりやすい。  PRAのホームページを見ても記念パーティのお知らせは掲載されておらず、例年開催される地方都市でのパーティの詳細は不明だ。しかし、新GMの元、緊 縮財政の嵐がPRAを吹き荒れているようなので、今年は見送るのではないかと推察される。考えて見れば、アグリパイ会長の時代は、会長自ら地方都市のみな らず世界各国を精力的に歩き回り、PR活動に励んでいた。しかし、肝心の足元はどうも怪しくて、成果は今一だったようだ。新GMはその点を反省し、退職ビ ザそのもの仕組みの改善に力を入れるという方向に転換しているように思える。  

第26回、退職庁創立記念パーティのお知らせ 2011年7月11日


 銀行口座のジョイント・アカウント(共同名義)というものは日本には存在しないようだが、フィリピンではごく一般的に用いられる、きわめて便利な制度だ。  AND/ORアカウントとも呼ばれるが、会社の口座においてはほとんどの場合、これだ。印鑑という概念がない外国では、会社の口座からお金を引き出す場合においても個人のサインで引き出される(小切手を使うのが普通だが)。これを1名に限定しておくと、その人が出張していたり、あるいは病気で休んでいたり、さらには急死した場合など、会社としてお金が使えなくなり、会社としての機能が停止してしまう(印鑑さえあれば誰でも会社のお金が引き出せる日本とは大違いだ)。したがって、複数の人をサイナーとして指名する。当然のことながら、このサイナーの指名は役員会で決議しなければならない重要事項だ。しかし、1名のものがサイン権をもちお金を引き出せるとなると、今度は逆に会社のお金を不正に使用するというリスクが出てくる。したがって、小切手のサインは次のようにするのが一般的だ。  仮にA、B、C および D の4人にサイン権を与えるとする。小切手のサインは2名連記で行い、次の4つの組み合わせとする。普通AとBは会社の代表、一方CとDはトレジャラー(監査役)やアカウンタント(会計係)だ。これにより、会社のお金が勝手に使われてしまうことを相互に監視させようというわけだ。この場合、C and Dではおろせないのが味噌だ。 ①A and C または A and D […]

ジョイント・アカウントの勧め 2011年7月7日