1歳と4ヶ月にもなるとKIANの好奇心と行動力はとどまるところを知らず、ちょっと目を離すとどこかへ飛んで行ってしまう。そこでママ・ジェーンが買 い求めたのがジェケットに紐がついていて、赤ちゃんの行動をコントロールできる代物だ。ヤヤ(子守)にとってこんな都合の良いものはない。紐でKIANの 行動を縛り付けておけば、自分は座ってヤヤ友達とおしゃべりにふけっていられる。 これを見て大いに疑問を呈したのが私だ。犬猫でもあるまいし、紐でつないでおくなんて、たとえ赤ちゃんであろうとも人間としての尊厳を汚すものだと激しく抗議した。そしてさらに、こんなものは面倒を見るヤヤの手抜きであって、KIANの大いなる成長を妨げるだけのものだと。人間は自ら判断して行動をすることが重要で、失敗や成功を通して喜びや落胆があり、成長していく。大人の目から見れば、赤ちゃんが単に走り回って遊んでいるだけかも知れないが、当の赤ちゃんにとってしてみれば、いつもチャレンジの連続なのだ。だからこのような行動規制は本当に赤ちゃんの身に危険が迫った時に限定されるべきで、例えば下の写真の下り階段に設けられた開き戸のような場合とかだ。 最近のKIANはおもちゃよりも大人が使っているものを何でもほしがり、何でも大人と同じようにやって見ようとする。まさにチャレンジの連続だ。それを、汚すから、壊すから、危ないからと何かと行動を規制しようと、ママ・ジェーンは顔をしかめるが、それはせっかく赤ちゃんが成長しようとしているのを妨げているにすぎない。 だから、何でも自由にさせてもらえる私と一緒に食事を取ったり遊んだりするのがKIANは大好きだ。その代わりKIANの食事のあとはテーブルや椅子、そして床とそこいらじゅう食べかすだらけでびしょびしょだ。それを、「フィリピーノは、例え赤ちゃんでも食物を遊びに使うのは神を冒涜するものとしてきらう」、とママ・ジェーンは口やかましい。それでもガラスのコップはすぐ壊すので、プラスティックのコップを買ってきたりして、しぶしぶ 協力してくれてはいるが。 KIANが部屋を走り回って遊んでいると大人たちは頭を角にぶつけるのではないかとか、転んでしまわないかとか、先回りして保護したり、大きな 声でKIANを脅して制止する。私といえばただ黙って見ているだけだが、大人はどうしても色々な事が気になって、赤ちゃんの行動を一定の枠にはめようとする。それでは赤ちゃんを檻に入れているようなものではないか。 檻の中にいては赤ちゃんは何も覚えない。頭をぶつけて痛ければ次回は気をつけようとするだろうし、熱いものを触れば、危険を察知するようになる。何事もやらせて体験して覚えさせることだ。それを、何でも先回りして過保護に育てると、自分で危険を察知して回避する術を学べない。そして大きくなってから、何かひどい目に会うと、自分を事前に保護してくれなかった両親、あるいは他人に責任があると、いわゆる他責の人になるのだ。秋葉原の無差別殺人やむしゃくしゃして患者のつめをはいだりするなんて行為は、きっとこういう過保護人間がしでかすのだろう。 紐につながれて歩いたり、行く先々で大人が規制をかけて、言われなき罵声(行動を制止する大声)を与えられ続けたら、もはや自分の判 断で動くことができなくなるだろう。その結果自分の判断で物事を進められず、常に誰かのアドバイスがないと前に進めない、なんとも頼りにならない人間に 育ってしまう。しかし、「ただほっておいては、ものごとの善悪の判断もできなくなる。だから間違ったことをしたら叱るべきだ」とママ・ジェーンは反論す […]