Monthly Archives: September 2011


マニラ新聞に載っている円対ペソの交換比率がついに1万円で5705ペソと5700を突破した。日本円を収入源とする退職者にとってはうれしい悲鳴だが、私の知っている限り、過去最高だと思う。ほんの数年前に3700ペソ代をつけた時と比べると50%以上の上昇だ。円対ドルは76円台だが、最近1万ドルあるいは2万ドルを積んで退職ビザを申請する方にとっては80万円あるいは160万円以下でビザが取れると喜んでいる。私が2002年にビザを取ったときは、5万ドルを送金するのに700万円程度かかったことを考えると、なんともありがたい話だ。  しかし、日本の輸出業界にとっては、この円高は大打撃だろう。日銀もFRBも手をこまねいているだけで、なす術もない。世界経済は、もはやコントロールできない怪物となって一人歩きしており、この先どこへ進むのか誰にも予測できない。 そうなると、今すぐフィリピンに住む予定がなくても、将来そのつもりがあるのならば、今ビザをとるか、少なくともフィリピンの銀行にドル送金してドルで持っていたほうが有利だ。さらに円が上がって65円くらいになるという話もあるが、戦後最高という円高の機会に思い切ってアクションを取ったほうがよさそうだ。  ところで、最近、この円高を機に退職ビザをとる、退職するには程遠い若い方が増えている。先日ご一緒した、その一人のKさんの主張は以下の通りだ。 ① 今回の大震災は決して終わりではなく、これから起こるであろう関東大震災や東海、南海大震災の前触れに過ぎない。さらに福島の放射能は関東を汚染し始めており、これからの大震災であちらこちらの原発がやられると日本中が放射能汚染にさらされ、日本には生きて行く場所がなくなる。 ②世界経済、そして日本経済は、すでに破綻の道を歩んでいたが、今回の大震災はその歩みを加速したものにすぎない。しかも、今回の大震災や原発の事故は某国の陰謀という説もある。 ③今、世界経済は未曾有の混乱、恐慌をむかえようとしている。とくに日本の経済は震災を期にすでに破綻しているといっても過言ではない。ギリシャの経済破綻を新興国BRICSが支援するという時代になり、先進国というだけで安穏としていられる時代は終わった。 ④日本政府はすでに震災増税を打ち出しているが、今後、国民からの収奪が常態化するであろう。第2次世界大戦の最中がそうだったように、国民は国への滅私奉公を強いられ、金(きん)などの財産も没収されることになってしまうだろう。 ⑤円は極端に安くなり、1ドル1000円の時代がくるかもしれない。そうなると海外へ脱出する飛行機代も出せず、ビザ取得のための1万あるいは2万ドルのお金も一千万、二千万の大金となり、支払えなくなってしまう。 ⑥一方アメリカは膨大な量の国債を不払いにすることにより、経済破綻することはなく、アメリカ国債を大量に買い込んだ日本等の金融機関が破綻するだけだ。 ⑦年金で暮らす退職者が海外で受け取る年金も円安の分だけ目減りして苦しい生活になる。だから、日本経済破綻の後では、日本で貧困生活を続けるしか術がない。 ⑧自分の暮らしは自分で守るしかない。特にある程度の資産を持っている場合は、それをいかに守るか真剣に考えるときが来ている。 ⑨すべての資産を海外へ移し、本人も外国に居住する、それが身を守る唯一の方法だ。不動産は二束三文で売ってもいい、来年では遅すぎる、今年中にことを終えなければならない。 ⑩資産として、株式も、現金も、金も、不動産も当てにならない。ここまできたら当てになるのは食料だ。あのジョージ・ソロスはすべての資産を食料につぎ込んでいる。彼らが食料をコントロールし始めたら、今度は食料危機がやってくるだろう。 […]

Kさんの危惧 2011年9月25日


NBIクリアランス(フィリピンの無犯罪証明書)の発行の混乱は前にも報告したが、現在はNBIの本庁で集中的に扱っており、その混雑と発行にかかる時間 は尋常ではない。以前はPRAに出張所があって、退職者の利便に供していたが、現在は、そのような特別扱いはなく、フィリピン人と一緒に申請をしなければ ならない。申請に2~3日、発行に2~3週間かかるとあっては、それに耐えられる外国の退職者はいない。PRAはその状況に手をこまねいているだけだが、退職者のビザ申請をアシストしているマーケッターの組合がNBIのトップと、優先的に取り扱ってもらえるよう交渉中だ。  しかし、鈴木、佐藤、田中、中村、小林などありふれた名前の方は、同姓同名の犯罪者が存在する可能性が強く、その場合、さらに余計な手続きと時間がかか る。したがって県警の発行する無犯罪証明書を日本で外務省とフィリピン大使館で認証して、NBIクリアランスを不要とするのが得策だ。 さらに、9月19日から、従来の認定銀行で発行する定期預金証書でビザを申請することができなくなり、すべてのドル預金はDBPへ一本化された。突然の ことで戸惑ったが、そこで浮上した問題が、DBP(Development Bank of the Philippines)による預金証書の発行に入金から1週間~2週間もかかることだ。ビザ申請の際、PRAにはDBPへの送金書を提出するだ けだが、PRAはDBPから預金証書が発行されるまで、ビザの手続きを開始できない。だから、PRAから書類が入管へ回るまで1週間以上かかってしまうこ とになる。従来、申請から2週間でビザの発行がなされていたが、このおかげでビザ発行に3週間以上かかってしまっているのだ。 例えば、Kさんの場合、申請が9月2日、書類が入管へ回ったのが9月9日、入管内部でのビザの承認は15日に下りたものの、そのおかげで9月13日まで の短期ビザが切れてしまった。その延長に1日、結局ビザが出たのが、9月23日と、丁度3週間目の発行となってしまった。一方Yさんは、どうしても休暇が 取れないということで、入管に手配して1週間でビザの取得をこころみた。しかし、DBPの預金証明を待たなければならず、月曜に申請して、DBPの証明書 […]

退職ビザの発行が遅れています 2011年9月24日



  スービックのコンドテル・ポコ・ア・ポコはたびたびブログで紹介したが、このほど、第3期工事が完成し、ホテルとして開業した。それに伴い、9月16日、オープニング・パーティに招待され、出席して来た。 ポコ・ア・ポコはフィリピンでは、日本人経営で成功している数少ない施設だ。全体的あっさりして清潔感のあるコンドテルだが、その一角がホテル専用としてオープンした。部屋はスツジオ、ロフト付、スイートなど8種類あるが、価格は3300ペソ~5200ペソ(朝食付)でスービック内としては並みの価格だ。しかし、コーポレート・レートなら20%引きとなる(例えばパスコが予約した場合)。一人で泊まるなら一番安いスツジオで十分。設備はウォシュレットなど日本人の好みに合わせており、日本の放送がはいる大型の液晶テレビがすえつけてある。Wifiはなかったが、いずれ設置されるだろう。レストランは中庭のプールサイドの、キッチン・トマトで、安くて美味しい日本食を提供してくれる。  パーティには総勢100人程度が参加したようだが、ビザをお世話して見覚えのある方がたくさんいた。参加者の国籍は多数、もちろんフィリピン人が多勢を占めるが、韓国人や欧米人も多い。ちなみにこのホテルの経営に参画しているYさんの奥さんはルーマニア人で客の接待に余念がなかった。 食事は日本食とフィリピン食をミックスしていたが、中でも気を引いたのが、わざわざバギオから取り寄せた黄身がオレンジ色の地鶏の卵を温泉卵風に料理したものだ。ホテルの朝食の目玉にするそうだ。  この日、ポコアポコを経営するWさんから興味ある情報をもらった。現在、スービック内に鋭意建設中のKTVは、ユニークな高級カラオケとなるそうで、もとトロピカルパラダイスで働いていたNさんが社長になっている。オープニング・パーティには日本から元AV女優などを招待するそうだ。今から、パーティには是非招待するようお願いしておいた。  

スービック・ポコアポコ・ホテルのオープニング・パーティに参加 2011年9月24日


       バタンガスグリルはすでに閉鎖され、現在は営業を行っていません。 家の近くに久しぶりに、これは!というレストランを発見した。今まで何十回もその辺を通っているのに気がつかなかった。そこはまさに、うまい、安い、そしておまけに可愛いという3拍子そろった店なのだ。 パソンタモ通りを北にブエンディア通りをすぎて、1kmほど進んだところにショップ・ワイズという大きなスーパー・マーケットがある。ショップ・ワイズが 面しているパソンタモとビトクルス・エクステンションの交差点は六叉路になっているが、ショップ・ワイズの少し手前、メトロ・バンクのところを右に曲がっ て、20mくらいのところ左側に、このバタンガス・グリルはある。大きな看板で分かりやすいが、この道は一方通行なので車で行く場合は、その次の道を右に曲がってぐるりと回りこまないといけない。なお、店の前は駐車場になっているので車で行っても問題ない。 この店のオーナーはスイス人だそうで、ここの内装は白木の家具で北欧風、料理はフィリピン風欧州料理といったところだ。この店の特色はウエイターはおらず、皆ウエイトレス(要は女)で、ショートパンツ姿がとても健康的で若々しい色気を発している。 牛肉主体のグリルが中心だが、ポークやチキンもある。シーザーズサラダなどいかにもヨーロッパ風だ。ちなみに串焼きのミックス・グリル(ライス付)が 288ペソ、シーザーズサラダが160ペソ、スカンジナビアン・ソーセージが160ペソとリーゾナブルだ。このソーセージはウエイトレスのジョイさん (18歳)が切ってくれるので、美味しさも格別だ。   さらに、タガイタイ名物のブラ・ルー(骨付き牛肉の煮込み、写真右)が400ペソで試してみたが、思わず糖尿病のことを忘れて満喫してしまった。ライスも さらっとしていて美味しかった。その他に、ガーリック・カンコン(写真左)が75ペソ、ガーリック・チキン(ハーフ)が195ペソ、ビールが40ペソと フィリピン価格だ。 中々の人気店で夕飯時は席が全部埋まっているときもあるが、エイミちゃんはこの店の看板娘で、あちらこちらから声がかかっていつも忙しい。

バタンガス・グリルが、うまい、安い、可愛いの3拍子 2011年9月24日



本ゲストハウスはオーナーの意向により、2014年7月を持って閉鎖することになりました。長い間ご愛顧いただいてありがとうございました。 タガイタイといえば、マニラ近郊随一の別荘地帯で、マニラッ子のあこがれのリゾートだ。先日、美人女子学生を案内して訪問した折、UKさんから自分の家をパスコ専用のゲストハウスと利用してはどうかとの提案があった。 タアル湖の眺望とマホガニーマーケットはタガイタイの顔だ UKさんの家はタガイタイのメインロードからアギナルドハイウエイにちょっと入ったところのビレッジにある。タアル湖を望むというわけには行かないが、 閑静な住宅街で、ほとんど冷房もいらない涼しさだ。4LDKの大きな新築の家だが、お一人で住むにはちょっともったいない。そこで、ビザを申請して待機中 の退職者に、しばし体験ステイとして利用してもらってはどうかというのが趣旨だ。 UKさんのお宅の外観とダイニング 広めの庭には野菜畑もある 2階のベランダ付の部屋がゲストの利用には適している。大き目のワンルームだが専用のトイレもあり、大人二人と子供二人程度の家族で利用できる。もちろ んお一人でもOKだ。朝夕の食事の提供とタガイタイの案内もかって出てくれている。期間的には一日でもOKだが、長くて1週間程度。 2階の客室のベランダ 寝室とタガイタイ名物のパイナップル 料金としては朝夕の2食とタガイタイの案内込みで一泊3000ペソ。同伴者がいる場合は食事代として一人500ペソ追加。空港あるいはマニラまでの送迎については、送り、迎え、それぞれにつきガソリン・高速代として1000ペソ追加。  ご予約はパスコ・志賀にお願いします。kazutamishiga@yahoo.co.jp ファースト・カム・ファースト・サービスで対応します。

タガイタイで体験ステイ‐パスコ専用ゲストハウスの開設 2011年9月24日


 9月7日から約1週間、静岡大学国際関係学部4年太田さんがフィリピンに滞在し、日本人退職者の現況を調査していった。卒論のテーマにするそうで、この後、マレーシア、タイを回って日本へ帰る予定だそうだ。8日(木)と9日(金)はスービックのポコアポコを紹介し、そこで何組かのご夫婦と面会してもらった。そして、10日(土)、12日(月)と13日(火)の3日間はマニラあるいはタガイタイにお住まいの退職者の面会に同行。14日(水)はクラークからコタキナバルへ向かったが、その日はアンヘレスのフレンドシップ・クラブに立ち寄ってもらった。 10日(土)はラスピニャス、パラニャケのイリジウム、そしてタガイタイを回った。皆さん、美人女子大生の訪問とあって、ついつい話が長くなり、昼食もとる時間がなくなってしまった。そこで、退職者のお一人にいただいたスナックやタガイタイに行く途中で買ったゆでとうもろこしで、すきっ腹をいやした。イリジウムでばったりあったOさんは、彼女に対して、「やけに日本語がうまいけれど、いつ日本人と結婚したの」と質問してきた。彼女は生粋の日本人なのに、はなからフィリピーナと思い込んでいるようだった。日本語で話しかけて、太田という名刺を渡しているのにだ。  実は彼女は2年前、UP(University of the Philippine)に8ヶ月間留学しており、英語はペラペラ、タガログ語もいけるという才女だ。だから、顔つきも留学以来フィリピン人ぽくなってしまったのだそうだ。フィリピンにいたころは、さぞかし男子学生にもてたであろうということは想像に難くない。   タガイタイのKさん宅では、今日の予定の最後とあって、ゆっくりしているうちに、ついには酒盛りが始まってしまった。彼女は中々の酒豪で、夕飯でもサンミゲル・ピルセン 3本は軽くいける。Kさんのお宅は退職者を連れて、よくお邪魔するのだが、普段は長くて1時間くらい滞在するだけだ。この日は、美人女子大生の訪問に、Kさんもことのほかご機嫌で、夕方6時半まで、4時間以上ももお邪魔してしまった。  この時、Kさんから、自宅の空いている部屋をタガイタイ生活の体験ステイに利用してもらっても良いという提案があった。閑静な住宅街にあるとても素敵なお家だが、送迎や案内、食事の用意もしてもらえるそう。宿泊費も実費程度に抑えたいとのことなので、いずれ詳細に紹介する予定だ。 太田さんは、まだフィリピンでカラオケに行ったことがないというので、リトル東京の老舗カラオケ「夢の中へ」へタガイタイから直行した。そこでは私の友人の30代のIさんが待っていたが、食事は、隣の「関取」から取り寄せてここですませた。そしてタガイタイでの酒盛りに続いて2次会がはじまってしまったのだ。この日は一日中、車で走り回ってたので、私は10時前に早々と引き上げたが、彼女は、このあと別途の3次会に出席した模様だ。 12日(月)は、まずPRAに案内した後、マカティにお住まいの退職者、そしてフィリピン訪問中の退職者予備軍(退職ビザは取得済み)に面会してもらった。私がPRAで働いていたころ、写真のロエルは机を並べて執務した間柄だが、退職者の統計資料などE-メールで提供してもらえることになった。 そのあと、マカティにお住まいの退職者(2名)の住まいを訪問して、話を伺ったが、サルセドにお住まいの退職者には、マカティを巡回する電動ジープが無料で、大変便利であるという情報をもらった。マカティ市の市営で、マカティを自動車の排気ガスによる空気汚染から少しでも守ろうとする政策のようだ。いずれ試してブログに載せたいと思う。  そのあとお会いした方は、まだ現役で、フィリピン永住の準備をしている方だが、お一人は高校の先生、お一人は大学の教授で、社会的にステータスのあるお方だ。最近はこのように社会的ステータスがあって、十分にロングステイ先を研究してフィリピンを選ばれた方々が増え、フィリピンも見直されてきたことを痛感する。この教授は国際経済の専門家で、中国やベトナムはお金のために投資を歓迎し、韓国は面子、日本は建前、そしてフィリピンは「愛」だと、話され、思わず拍手を送った。現役教授と現役学生の対決は、彼女は「講義を聴いているようでした」というコメントから、軍配は教授に上がった模様だ。 13日(火)はパラニャケにお住まいの退職者を訪問した後、岸田さん(タガイタイのアモーレノ里の関係者)のアレンジでサンタロサにお住まいの退職者とレストラン「竜馬」で面会した。サンタロサにお住まいの退職者の方々は定期的に会合や食事会をもって交友しており、楽しく生活しているようだ。ちなみに岸田さんはフィリピン人の旦那さんとの間に4人の子供をもうけ、その子育てと、退職者関連のビジネスに力をいれる肝っ玉母さんで、私との交流が長い。 […]

フィリピン在住の退職者の現状-美人女子大生の調査に同行 2011年9月14日



先日、PRA(フィリピンん退職庁)のGM(長官)と打ち合わせをしていた折、いかに日本から退職者を呼び込むかという議題になって、長官は突如として「日本の若者はセックスをしないのか」と質問してきた。日本は少子化で、介護老人を世話する人がいなくなっている。この傾向はこれからますますひどくなって、フィリピン人の出番がある、などと話をしていた最中である。私はあわてて「いやそんなことはない、若者はセックスをまるでスポーツのように楽しんでいて、貞操などという言葉は死後だ」と説明した。長官は「ならば、どうして子供ができないのか」ときりかえしてきた。私は、「日本では避妊意識が徹底しており、かつ堕胎が法律上許されているので、多くの新しい命が消えて行っているのだ。フィリピンのように避妊薬(ピル)や堕胎が法律で禁止されていたら、日本でも巷に子供があふれるようになるだろう」と話した。 マカティのもっともモダンな街、グリーンベルトの中央にある教会、日曜日は、中に入りきれない多くの人々が教会を取り囲んで祈りをささげている。  しかし、少子化はそれだけが原因ではない。家族制度が崩壊した日本では子供がほしくても子育てができないのだ。フィリピンのように大家族であれば子供は皆が面倒を見てくれるので、母親も子供を預けて休んだり、仕事に行ったりできる。人手が足りなければヤヤ(子守)を雇うこともできるから、子育てに縛り付けられて、母親が育児ノイローゼになるなんて話を聞いたこともない。有給の出産休暇は2ヶ月も、もらえるし、出産開けには100%の女性が職場復帰する。その点フィリピンは日本よりもはるかに先進的で、女性ににとって、そして赤ちゃんにとって天国ともいえる状況だ。そんな社会体制を整えれば、日本だってまだまだ少子化を食い止めるチャンスはあるだろうに。 教会の周りの広場にはたくさんのカラバオ(水牛の模型がおいてある。それをまたいで喜ぶKIAN。後ろではたくさんの子供達が記念撮影をしている。 「フィリピンは貧乏で子作り以外に楽しみがないから、やたら子供ができるのだ」なんていう日本人がいるが、それはとんでもない勘違いだ。日本はたしかに戦後生まれの団塊の世代が頑張って、第2次世界大戦の壊滅的状況から世界を日本ブランドで席巻する経済成長を遂げた。しかし、豊かになった日本人は、結婚したらマイホームを手に入れ、妻と一人か二人の子供だけで暮らす理想の生活、核家族化を邁進した。さらに退職したら夫婦二人だけで年金暮らし、子供とは一緒に暮らさない、子供に面倒はかけない、などときれいごとを並べたてている。要は家族が頼りあわなくても生きる糧を獲得して、家族の役割を忘れ去ってしまったのだ。そして現在、核家族どころか、一人で暮らす老人、あるいは生涯独身で核家族でさえ持てない人が急増している。これでは少子化に歯止めをかけるどころではない。   私がいフィリピンにやってきた1989年以前に立てられた教会だが、なかなかモダンなデザインだ。その後に建設されたグリーンベルトの庭園によくマッチしている。 フィリピンでは家族の絆がなによりも強いから、たとえ職がなくても、収入がなくても誰かに面倒を見てもらえる。だから、昼間から大勢の若者が何もしないで街角にたむろしているが、彼らは、なんとか食っていけるのだ。兄弟やいとこが長いこと居候していても、追い出したりしないで飯を食わせている。居候するほうも何の遠慮もなしに毎日3度、ただ飯を食らっている。しかし、一旦、職に就くと彼らが恩返しに困った家族を面倒見る。だから、職がなくても病気で職を失っても、彼らは明るく、日本人のようにすぐ自殺したりしない。だからフィリピンでは、誰かが自殺すると新聞のニュースになるくらいだ。この家族の仕組みこそが人類をここまで発展させ、地球を征服させた原動力なのだ。 最近オープンしたグリーンベルト5はゆったりした広場が特徴だ。KIANは大喜びで、ここぞとばかりに走り回り、ビューティフル・アイズを連発している。  そもそも、子供や老人の面倒を見るのは家族の役割だから、その家族が崩壊したから、少子化、そして介護老人の問題が表面化している。これらの弱者を保護する家族がなかったら、それは国があるいは社会が面倒を見なければならない、ということになる。それが福祉国家だと、もてはやされているが、それに必要な莫大な費用と人材はどこからまかなわれるのか。現役の若い人達が生み出した税金と若い人そのものとなるのだろうが、それが少子化で、若者がどんどん減っていったら、国も社会も回らなくなってしまう。生産活動から離れ消費するだけ、しかも医療や介護などに莫大なコストを必要とする高齢者ばかりが多数を占め、一方では、それを支える若者の減少する。まさにこれは破滅への道のりで家族制度を放棄した先進国がたどる道なのだ。  こんな世の中あるいは国家が存続できるはずがない。日本の経済破綻や大災害によるまさに日本沈没が取りざたされているが、まさにその日が近いという気がする。日本の首相の首を何度すげ替えてみても事態は変わらない。今回の大災害のように日本を大きく揺さぶって目を覚めさせないと取り返しのつかないことになるだろう。だから、日本もフィリピンに学んでかつての家族を復活させるべきだとしみじみ思う。 グリーンベルト5からながめたアヤラの最高級コンドミニアム、ザ・レジデンス・グリーンベルト。3棟ともほぼ完成して、その取引価格は20万ペソ/平米といわれ、50平米のユニットで1千万ペソ(2千万円)、100平米なら2千万ペソ(4千万円)もする。もはや日本とかわらない価格だといえるが、ここはフィリピンの中心マニラ、そしてそのまた中心のマカティの一等地にあるのだから、単純に比較はできないかも知れないが。 フィリピンでも人口抑制の議論が活発だ。人口の増加が貧困に拍車をかけている、だから人口抑制のための避妊薬(ピル)の解禁やコンドームの普及などが必須だという。フィリピンの人たちが避妊や人口抑制に目をむけて、少子化に励んで豊かになっていったとすると、肝心の家族の絆はどうなってしまうのだろう。日本だって、一昔前は家族の絆は強かった。介護施設などはなくて、家族で老人を面倒見ていた。それがちょっと豊かになったら、家族のことを忘れてしまった。    最近ブームのコンドミニアムのモデル・ルームを見に行くと、21平米とか25平米とか、それこそマッチ箱みたいなユニットがほとんどだ。まさか、ここでおじいちゃんやおばあちゃん、それに居候まで一緒に住めるはずがない。フィリピンでも豊かな核家族を夢見る人が増えているのではないか、そしてフィリピン最大の強みの家族が失われつつあるのではないか、と危惧される。 グリーンベルトの散歩のあと、天天火鍋で食事をしたが、店で出会った女の子に盛んにアプローチするKIAN、と思ったらヤヤに何かをねだって大泣きするKIANだ。 […]

日本の若者はセックスをしないのか?2011年9月9日


  今、日本では、3.11の大震災の教訓から、1000年に一度の地震あるいは津波を想定して、いかに災害から都市やインフラそして人命を守るかという議論が盛んに行われている。  人類が誕生して数百万年を経ているが、文明と呼ばれるものが存在した歴史時代はせいぜい5千年だ。それも中国やメソポタミア、エジプトやローマ・ギリシャなどの限られた地域だけで、世界のほとんどの地域は、大航海時代といわれる500年前ないし1000年前位までは原始社会の時代が続いていた。そして、現代文明といわれるものが世界的に広がったのは、ここせいぜい50年~100年にすぎない。 2000年代に建設が開始されたマカティ市の東にあるボニファシオ・グローバル・シティは近代都市の典型だ。マカティ市との間にはウルダネッタ、ダスマリニャスやフォルベスパークの超高級住宅街とマニラ・ゴルフのコースがが広がり、フィリピンでは不動産価値がもっとも高い地域になっている。 かつて巨大な建造物といえば、時の権力者が、その権力を誇示するために建設した、城郭、寺院、そして墳墓などで、庶民は掘っ立て小屋のようなところで暮らしていた。しかし、現代文明の時代になって、高層ビルが林立する巨大都市、高速道路や鉄道、港湾やダムなどのインフラ、そして石油精製や石油化学、発電所などの産業インフラ施設など、巨大な構造物がが世界中に建設され、人類のより快適な暮らしと人口の増加に貢献してきた。現代文明社会ではこれらの巨大建造物無しでは人類は生きてゆくことができない。 最近完成したスカイウエイ高速道路からのマカティ市の中心街のながめ、1990年代に始まった高層建築ラッシュで街の風景は一変した。現在は第2次建築ラッシュで、写真中央のザ・レジデンス・グリーンベルトのような高層コンドミニアムの建設がマカティ市内だけでも20プロジェクトをこえる。 1000年に一度の災害というものは現代文明社会には未経験の大災害だ。だから、こんな大災害がやってきたら、もっともきびしい設計基準を適用して建設されたはずの原子力発電所でさえもひとたまりもなかった。だから、どんなに議論を重ねたとしても、現代文明の落とし子である都市やインフラなどの巨大建造物はひとたまりもなく、壊滅的な被害を受けるのは目に見えている。しかも、これらの巨大建造物の再生には長い年月と膨大な資金を必要とし、原子力発電所のように再生不可能な場合もあるだろう。 マカティのビル群とスカイウエイの構造物。これら巨大建造物は自然の力に対して剛で対応しているので、設計基準を上回る想定外の地震などがきたら、自滅して崩れ落ちるしかない。そしてそこに残されるのは人の手ではどうしようもない瓦礫の山だ。 しかし、人類はこんな災害を100万年の間に1000回以上経験して来ているはずで、さらに1万年あるいは10万年に一回という、はるかに大きな災害もあったはずだ。ノアの箱舟も話もそんな大災害の実話だあろう。一方、さらに遠くさかのぼれば、氷河期や地殻変動で海水面が100メートル以上変動したり、大陸そのものが移動したり、自然の活動というものは計り知れないものがある。数億年前にはたった一発の隕石で恐竜が絶滅した。そんな時、これらの巨大建造物は機能を失い、映画「サルの惑星」に出てきたような廃墟が残るだけだろう。人類の5千年の歴史時代においてさえも、古代の都市は跡形もなく地中に埋もれている。例え、現代文明社会といえども未来永劫ではなく、これからも人類は破壊と再生を繰り返して生き延びていく運命にあるのだ。 タガイタイのタアアル湖の中央の島は火山であり、海が噴火でせき止められて、火口湖となり街が水没した。そして近代文明の波は、ここにも押し寄せ、SMはこの絶景の地に高層コンドミニアム群を建設中だ。  かつて原始の時代の海岸線といえば、小さな船と漁民が生活する小屋があるだけだった。だから、巨大津波が来ようとも、山に逃げて、津波が去ったら小屋を作り直すだけで、翌日からは普通の生活ができた。古代の都市といえども地震で破壊される巨大建造物は城や寺院だから庶民の生活に関係ない。庶民は家の瓦礫を取り除いて、住まいを再建するのに数日もあれば十分だったろう。命さえ助かれば、庶民の生活の再生は容易だった。また、その土地そのものが水没してなくなるような地殻変動に対しても、部族あるいは種族単位で新天地に移動して生き延びてきた。   自然の象徴のマヨン火山は現在も活発に活動を続け、その美しい姿を保っている。周囲の人々は、その営みに翻弄されながらも共存して生きてきた。火山の中腹にたまっていた火砕流が2006年の超大型台風・レミンの大雨で一気に流れ出し、川沿いのスコーターのほとんどが土石流に埋もれ、多くの人命が失われるとともに道路も寸断された。幸い、わが牧場はレガスピ市をむいている火口と反対側にあるので、このような被害は皆無だった。   しかし、巨大化した都市やインフラの再生は容易ではない。また。特に数百万~一千万人という膨大な人口を抱える大都市を襲う災害は、逃げ場のない未曾有の人々の命を奪うだろう。さらに生き延びた人々は生きる術を失い、個人的には再生することもできない。頼みの国家も手をこまねいているだけだろう。巨大都市そして巨大インフラを再生するにはあまりにも大きなエネルギーを必要とし、一方、現代文明の恩恵になれた人々はそれら無しでは生き抜いていくことができない。 マニラの東にあるラグナ湖はマニラを水害から守る調整池としての役割を果たしているが、大雨が降ると水面は周辺の住宅地よりも高くなり、水門を閉めて街を水害から守る。微妙なバランスで成り立っている洪水コントロールシステムも、2009年9月、台風・オンドイの想定外の大雨には全く無力で、マニラ全域が浸水した 。 […]

原子力はパンドラの箱なのか(その2)2011年9月3日