Monthly Archives: October 2011


マカティのパサイロードからパソンタモのマカティ・スクエア界隈には20軒ほどのカラオケがひしめき、激戦地となっている。ドーシット・ホテルから順に、ブルー・エンジェル、アップ・ステージ、イルージョン、ラ・ジューラ、SHIAWASE、NEW SACHI、真珠の森、などの大型店や、美人座、原宿、KYO、クリーク・サイド、夢の中へ、スバル1、2、ラジューラ2などのカラオケが立ち並び、シノギを削っている。  一昨年のリーマン・ショックの後、企業の駐在員の激減や緊縮財政の結果、海岸に打ち寄せる波が引くように、これらのカラオケから客足が遠のいた。そこで始まったのが、飲み放題、歌いたい放題で400~500ペソ均一料金というディスカウント作戦だ。そのおかげで、はやっている店もあったが、それなりに台所は苦しかった。  ここのところ、長いことカラオケからは足が遠のいていたが、カラオケ友達ともいえる退職者の誘いで久しぶりにNEW SACHIを覗いてみた。去年行ったときは、客は我々二人だけで、何時間も二人だけでツーマン・ショーをやったこともあるくらいだ。これだけのGROを常時そろえて、オーナーの気苦労は大変なものだろうと、そのたびに同情したものだった。  件の退職者は風邪を引いて喉の調子が悪くて、しばらくの間、私のワンマン・ショーが続いていたのだが、ふと気がつくと、ほとんどの席がお客さんで埋まっているのだ。こんなことは記憶にないくらいのことだ。大きな席に一人二人というのもあって、満員とは言えないものの、かなりに賑わいだ。 カラオケにもかつての賑わいが戻ってきたと、なにか感動すら覚えた。 10時からのショータイムも復活している。元気の良いダンサーが踊りを披露し、オカマがバラエティ・ショーをやっている。ショーが終わるとダンサーが客席を回って、目の前でちょっとセクシーな踊りをしてくれる。以前は握手をするだけだったのだが、どうもチップのおねだりらしい。これもまた、一石2鳥の趣向で、目の前で腰をくねくねさせられると財布を開けざるを得ないのが男の性だ。 ざっと周囲を見回すと、どうも若い人が多い。企業の駐在員なのか、あるいは観光客なのか、定かではないが、1990年代のおじさま駐在員のグループとはちょっと違うニュー・ウエーブだ。彼らも日本脱出組みなのだろうか。先日、パサイ・ロードのカラオケ・ボックスのWAKOとクリーク・サイドのカラオケ、クリーク・サイドのオーナーと一緒する機会があったが、その方も長い厳冬期を乗り越えて、きっと我が世の春を謳歌しているのだろう。その方とは今度は歌比べをしようと約束しているのだ。  話は違うが、最近、マカティ・スクエアのカラオケないしナイトクラブのファラオに警察の手入れがあった。ここはフィリピン式の高級クラブで、マカティでは唯一、要は連れ出しが可能なカラオケなのだ。人身売買の容疑とあったが、起訴することに決まったそうで、しかも起訴の決め手は金魚鉢の存在だそうだ。 金魚蜂とは覗き窓のなかに女性が待機していて、客が選べるようになっている部屋だ。この手の金魚鉢はどこのショークラブにもあって、マニラでは常識だ。ファラオで働く女性達はすべて否認しているそうだが、窓から覗いて女性を選ぶというのはまさに人身売買だというのが当局の見解だ。そうなると例のAsian Entertainment Netwrk Manilaも危ない。マニラも段々遊びにくくなっていくようだ。 

カラオケにも春がやってきた 2011年10月29日


K.Kさんは2004年、私がPRAにいたころに退職ビザをとった。その方が、ご両親を連れて、奥さんの故郷、フィリピンに永住するためにやってきた。当時は、両親の介護があるので、フィリピン移住は当面先のこととおっしゃっていた。しかし、今回の大震災で両親の介護を日本でやることに不安を抱き、一家でフィリピンに移住することを決意したのだ。当時、両親の介護が必要だったら、ますますフィリピンに来るべきだと、私が主張したのを覚えている。ちなみに K.Kさんは東北、山形県在住だ。  ビザ申請の準備として、事前に日本大使館で婚姻証明を取得した。その時、窓口係りのMさんが、申請本人が1913年生まれと知って驚嘆の声を上げていた。数えで99歳、もうすぐ1世紀となるのがお父さんのS.Kさん、そしてお母さんのC.Kさんは89歳だが認知症を患っている。ともに大正生まれだ。 NBIで指紋をとっているところ 初日は、NBI、クリニック、銀行、PRAそして大使館を回ったが、車の乗り降りに20~30分かかるのと相変わらずの渋滞で、やっとのことで回りきった。さらに、ビザ申請と同時に、無税輸入、お母さんの口座開設、ビザ取消の委任状と口座の共同名義への変更、K.Kさんの免許証の書き換えなどを翌日の午後までに終えるために、おおわらわの二日間だった。たったの2日でこの有様だから、高齢のご両親を伴って一家で日本から移動してきたK.Kさんのご苦労は言葉に尽くせないものがあったと思う。  ビザの受け取りは私が代行する予定だが、そのため、事前にPRAを訪問して、ビザの受け取りの手続きをするようにとPRAにリクエストされた(まだ申請もしていないのだが)。窓口のミッシェルは営業部長のノエルに連絡し、さらにノエルがGMに報告して、PRA一同がK.Kさん一家を迎えた。恒例の記念写真をとってもらったが、多分、PRAの高齢者ビザ取得のレコードだと思う。帰り際、フレンドシップ・ツアーの岩崎さんに遭遇したが、高齢の退職者のビザ申請に「すばらしいことですね」とうれしそうに励ましてくれた。 Dusit HotelでK.Kさん夫妻と、ヤヤに抱かれてなぜか泣き叫ぶKIAN 2日目の午前中に免許証の書き換えを終わり、午後は、お母さんのレントゲンの取り直しと銀行で通帳の受け取りだけを残すところととなった。少々リラックスできたので、宿泊先のDusit Thani Hotelで食事をとることになった。当方もKIANを含む全員で参加したが、どうも奥さんの機嫌がよくない。  実は、当初私が、K.K さんのためにNTTホテルを予約したのだが、駐車場がないので、急遽ホテルを変えてしまった。ところがK.Kさんは、かつて日航が運営していたHotel Nikko Manila Garden(今のDusit Thani)しか知らないので、そこに宿を取った。しかし、宿泊料がNTTホテルの5倍位するので、しっかり者の奥さんが腹を立ててしまったのだ。レストランのメニューを見てまたびっくりして、自分達の分は注文はしないという徹底振りだ。奥さんにとっては、これから退職金などの預金だけで生活していかなければならないので、倹約ということがなによりも大事なことなのだろう。 […]

1913年生まれの申請者に大使館もびっくり 2011年10月20日



 1990年代、Hotel Nikko Manila Gardenと称してしていたころから、日本人に人気のホテルがこのDusit Thani Hotelだ。マカティのパサイロードとEDSA通りの角にあるこのホテルは、隣がSM、目の前がパークスクエア、グロリエッタも至近距離、さらにパサイ通り沿いの和食、カラオケ店にも近くて大変便利な場所にある。 今回は、高齢のご両親のビザ申請準備を無事終えたK.Kさんとランチを一緒にとった。ドーシット(正確にはデュシットと表記するらしいが、フィリピンではド-シットと発音したほうが通じが良い)には日本人が多く泊まるので、ここのロビーは私にとっては馴染みが深い。PRAにいるころ、コーポレートレートで一泊50ドルくらいで予約することができたが、現在は150ドル程度で隔世の感がある、ほんの5年程度の間に3倍だ。現在日航は手を引いてタイ資本で運営されているが、そのころ、弁慶といった一階奥の和食レストランは名前を変えて健在だ。1989年、私がフィリピンに乗り込んできたときはマカティにもろくな和食レストランはなくて、ここ、弁慶でよくフィリピン側のパ-トナーを招待して会食した。  現在はタイ風を前面に出しているので、ロビーではタイの琴のような楽器をいつも演奏している。それにいたく興味を示したのが、KIANだ。ママジェーンはKIANがいたずらして、琴を壊してしまうのではないかと、気がきではない。 一階左奥のビュッフェ・レストランで昼食を取ったが、食べ放題のビュッフェは遠慮して、いつもの単品を少なめにオーダーして、只のパンで腹を満たす作戦だ。久しぶりの美味しいパンにご満悦のKIANだ。 K.Kさんは東北人特有の人の良いまじめな人だ。KIANもたちまちの内に慣れて、パンを食べさせたり、食べさせてもらったりしていた。  お腹が一杯になるとじっとしていられないのがKIANだ。ある方向を指差して、あっちへ行けと要求して、その通りにならないと泣き叫ぶ。そろそろ我慢することをしつける必要があるようだ。  メニューに定番のパンシット・カントンがないのにがっかりした。すべての高級ホテルのパンシット・カントンを食べ比べてみたかったのだが。どんな料理でも500ペソ前後したのもちょっと気に入らなかった。だからメニューの写真を取る気になれなかった。下の料理は豆腐のステーキ、洋風がんもどきといったところか。野菜やきのこがたっぷりで大変ヘルシーだ。  

デュシット・タニ・ホテルでランチ 2011年10月20日


  バリクバヤンは何度かこのブログでも紹介したが、やはりおみやげ物を買うならここだ。最近ご夫婦あるいは女性の方を案内してここを訪れたが、やはり目の色が違う。グロリエッタやモール・オブ・エイシアに案内しても、日本とあまり変わらないと言って、たいした興味を示さない。しかし、ここはお土産によさそうな、フィリピン全土からの民芸品が集まっていて、とても興味深い。ちなみにバリクバヤンとは「ふるさとに帰る」という意味で帰郷といったところだ。バリクバヤン・ボックスという「フィリピン向け海外宅配便サービス」を知っている方も多いだろう。  場所はマカティのパサイロード沿い、マカティアベニューからちょっとEDSAに向かったところで、大きな建物なので分かりやすい。入り口には仁王像ならぬ大きな木像がおいてある。 1階は貝細工や装飾品、木でできた日用品、手作り石鹸にドライマンゴなどの特産品、バロンなどの民族衣装、ハンドバックやT-シャツなど、手軽に買える物が、所狭しと並んでいる。見ているだけでも楽しい。 フィリピンの手作り石鹸は肌にやさしいと奥様方に評判だ。 フィリピン土産の定番のドライマンゴもおいてある。        2階、3階に上がると大きめの木彫りの人形や工芸家具が並んでいる。特に黒檀(コクタン)の家具は数十万円もするが、ちょっと他では見られない一品だ。いつしか我が家にもと思っているが、その前に、この家具を納めるのにふさわしい家を建てるのが先決だ。 石鹸と食べ物を除いてすべて50%引きとなっているが、私が知っているアバカ(マニラ麻のハンドバッグ(タバコの名産品)で比べてみると、50%引きでもまだ倍くらいはする。それでもバッグを買いに飛行機でレガスピまで飛ぶわけにもいかないし、フィリピン全土のものが買えるということで良しとするしかないだろう。 モール・オブ・エイシアに近いマカバルト通りにバリクバヤンの支店がある。品揃えは基本的に同じだが、こちらの売り場は平屋で広大な広さをほこり、とてつもない大きなテーブルがおいてある。

お土産はやっぱりバリクバヤン 2011年10月12日



本ゲストハウスは2016年9月に長期賃貸契約を結んだので、当面、閉鎖します。 2014年9月11日追記;最近の賃貸相場の下落傾向により、ゲストハウスの割安感が薄くなったので、宿泊料を値下げすることにしました。従来の一泊料金1500(一室利用)/1800ペソ(2室利用)を一律1200ペソ、月極め料金を3万ペソから24000ペソ(ただし、電気料金は別途)とします。 パスコの事務所のあるマカティ・プライム・シティ・コンドミニアムにパスコ専用のゲストハウスを開設した。以前、私自身が住んでいたところで、複数のコンドミニアムが一般道路から離れたところに固まっており、エリア全体が警護されており、静かで安全だ。しかも、ちょっと高いところにあるので、冠水の心配もない。マカティの中心市街地にも近く便利なところにある。 中層5階建ての2階にあるので、いざという時にも安全に避難できる。築15年を経過しており高級コンドミニアムとは言いがたいが、中長期の居住に適している。ショップ・ワイズという大きなスーパー・マーケットにも徒歩5分程度でいける。とんかつ屋さんという評判の和食レストランもコンドミニアムの中にあり、生活するのに申し分ない。  広さは42m2、2ベッドルームで、4人程度まで居住できる。日本語環境のパソコンでインターネットも自由に使え、ケーブルでNHKが見れる。キッチンもついているので料理もでき、バスタブはないがホットシャワーが使える。             1日からでも利用できるが、1週間~1ヶ月程度の居住に適している。料金は1泊1200ペソ。1ヵ月単位の利用であれば、24000ペソ/月(電気料金は別途)となる。 庶民レベルのコンドミニアムなので、節約志向のかたに最適だ。申し込みは志賀までE-メールでお願いします。kazutamishiga@yahoo.co.jp

パスコ専用ゲストハウスの開設 (マカティ・プライムシティ・コンド)2011年10月9日(2014年9月11日改定)閉鎖中


  パスコのゲストの利便を図るためにマカティ、パソンタモ通り沿いの高級コンドミニアム、オリエンタル・ガーデン・マカティにUKさんのご好意でゲスト・ハウスを開設した。日本料理店が集中しているマカティ・スクエアにも徒歩10分足らずと便利なところにある。パスコの事務所にも歩いて5分足らずだ。 本ゲストハウスはオーナーの都合により、2012年8月を持って閉鎖しました。 退職ビザの発行を待っている間、ドーシット・タニなどの一流ホテルに泊まっていたのでは経費がかさんでたまらない。かといって3流ホテルではちょっと、といった方に最適だ。また、しばし高級コンドミニアムでの生活を体験することもできる。2ベッドルーム、78m2の中型のコンドミニアムで、築5年足らずの新しいコンドミニアムだ。30階なので窓から眺めるマカティの景色もすばらしい。         一泊2500ペソ(ただし、ベッドルームを二つ使用する場合は電気代等の実費として一泊500ペソの追加料金がかかる)、月ぎめの場合は5万ペソ(電気代別途、追加料金無し)で、4名程度は宿泊できる。一泊でも可能だが、1~2週間の滞在に最適だ。もちろんキッチンやダイニングもあって料理をすることも可能。バス・トイレはマスター・ベッド・ルーム専用のものとゲスト用の2ヶ所、メイド・ルームもある。調理用器具や食器類も備わっていて、即生活することができる。もちろん、日本のNHKが見れるテレビ、さらにインターネットが使える日本語環境のパソコンも備わっている。 なお、宿泊はあらかじめ登録された方のみ可能で、その他の人を無断で宿泊させることは遠慮してもらっている。申し込みは志賀までE-メールでお願いします。kazutamishiga@yahoo.co.jp  なお、UKさんは自宅を利用して、退職者の方のフィリピン滞在中にタガイタイの体験ステイも勧めている。そちらは朝夕食込みで3000ペソ、二人以上の滞在では食事代として500ペソ/人の追加となる。タガイタイまでの送迎も可能でガソリン代および高速代として、送り、迎え、それぞれ1000ペソかかる。

パスコ専用ゲストハウスの開設 その2(マカティ)2011年10月8日



早いもので、ロングステイ財団主催のロングステイフェア2011の開催が11月12日(土)と1ヵ月後に迫ってきた。場所は東京ファッションビル西館2階、交通はゆりかもめ 国際展示場正門 徒歩2分だ。詳細は www.dokodekurasu.jp/ 参照。  昨年はアロヨ大統領の訪日と重なって、観光省からは横山さんのみ参加。さらに広島に留学中の元PRA-RRSC(退職庁のビザ発行部門)部長のフィリップ・モレノさんらと机を並べて退職ビザやフィリピンでの生活の説明に忙しい一日をすごした。 その他、EIENのリーさん、フレンドシップの根本さんなど、出展者のほとんどが顔みしりなので、何か同窓生的な雰囲気もあった。 今年は、東日本大震災、アメリカやヨーロッパの金融不安などの影響で、海外志向が一段と高まってきていると思う。主催者の来場者の予測は1万人だそうだが、そんなものではすまないような気もする。私としても、海外居住を志向する方々へ情報提供に一翼を担えればと考えている。

ロングステイフェア2011開催のお知らせ 2011年10月7日


 先日フレンドシップツアーの岩崎さんのブログで知ったとんこつラーメン麺屋・元気を試してみた。モール・オブ・エイシアあたりでお客さんを連れて行くのに安くても美味しい、お勧めの店はないかと聞かれて、シーサイド・マーケット・レストランとここを紹介したのだ。場所はマカバガル通り、シーサイド・マーケット・レストランの並びで、大きな看板があるので分かりやすい。  私自身は試したことはなかったが、かのラーメン通の岩崎さんが勧めるのだから、間違いはないであろうということだが、まず店の作りが、いかにもラーメン屋さんで好ましい。岩崎さんはとんこつラーメン源屋と紹介していたので、ちょっと戸惑ったが、ガラスには源屋とも書いているので同じ店だろうと入ることにした。 早速、皆さんと定番メニューのとんこつラーメンと餃子を味わった。そろそろフィリピン滞在一週間目とあって皆さんも日本食が恋しくなっているころだ。値段はラーメンが200~300ペ、餃子が120ペソと安くはないがほどほどだ。味については、必ずしもラーメン通でない私には、こんなものかなという感想。ということは日本でも立派にラーメン屋さんとして通じるレベルだと思う。また、中に入っていたチャーシューが厚かったのが特に印象に残っている。餃子も美味しいが、ちょっと辛く、餃子が大好きなKIANだが、まだ早いかも。 店の前には2.5kg入りのジャンボラーメンが飾ってあった。20分以内に食べ終われば一杯千ペソが只になるそうだ。自信のある人は試してみるのもいいかもしれない。最近、ためしてガッテンで紹介され話題になった究極のダイエット法が「よく噛んで脳内ホルモンを刺激して満腹感を得る」ことだそうだから、逆をいって、噛まずに飲み込んでしまえば、いけるかも知れない。  以下、恒例のメニューの紹介だが、品数が少ないので返って選びやすくてよいかもしれない。マカティにある新宿ラーメンはラーメンの種類があまりにも多くて選ぶのに一苦労する。              

とんこつラーメン麺屋・元気で試食 2011年10月4日



  先日、ロハスブルバード沿いのトレーダーズ・ホテルの最上階のラウンジで夕食前の一杯をやる機会があった。政府筋の招待客が遅れて来たために、待ち時間ができてしまったためだ。  さほど見事というほどの夕焼けではなかったが、確かに良い景色といえる。マニラ湾に面するエルミタ・マラテといえば下町の繁華街で、美しいという表現からは程遠いところだ。しかし、夕闇が何もかもぼやかして、高層ビルの上から眺める景色は美しい。   暗くなると、ロハスブルバードを走る車のヘッドライトがまたまた幻想的だ。次回の高級ホテルめぐりは夜のラウンジとしゃれ込んでみたい。ただ、宿泊客と一緒でないと入れないことが多いので、実現しないかも知れないが。

マニラ湾の夕陽と夜景 2011年10月4日


このブログの最後に出てくるブコパイについて、知らない方も多いと思い、このほどプエルトガレラに行った折に買い求めたので紹介する。断面図は分かりずらいが、生地の間に若いココナッツの実が詰まっている。 マニラの南、約100kmに、ケソン・プロビンスの州都、ルセナという街がある。その少し手前、サリラヤが梅本さんの奥さんの実家で、そこに1へクタールの土地を求め、ゲストハウスを開設した。以前から一度訪問したいと思っていたのだが、今回、梅本さんが5名のお客さんを招待して1週間滞在したので、この折に出かけて行った。ちなみに梅本さんはまだ現役で日本で仕事をしているので、奥さんが日常の運営をおこなっているが、梅本さんはゲストの案内で毎月のようにフィリピンを訪問しているとのこと。  マニラ見学にいらした一行と日本大使館の近くで落ち合って、早速、昼食をシーサイド・マーケット・レストランでとることにした。ここは以前このブログでも紹介しているが、海鮮食材をマーケットで買って、回りのレストランで調理してもらう、名物の場所だ。この日も、ラプラプ、イカ、カキ、エビ、海ブドウ、ミル貝、チキンなどをたらふく味わったが、かなり残してしまった。材料で買うと出来上がりの量が見当つかず、どうしても買いすぎてしまうが難点だ。しかし、フィリピンはテイク・アウトという手があるから、問題ないが。  この日のお客さんの一人は飛行機の操縦が趣味で、日本ではなかなか難しいが、フィリピンなら大空を自由に飛びまわれるのではないかと期待している。梅本さんの照会で、私が、現在フィリピン在住の日本人でパイロットのMさんを紹介したが、彼女もこの日、食事に同席した。さらに先日、「フィリピン在住ないしロングステイの退職者」を調査した女子大生の太田さんが、前の日タイから戻ったので、同席して調査の続きをしてもらった。  昼食の後、買い物をしたいということなので、モール・オブ・エイシアをさっと周り、民芸品・おみやげ店のバリクバヤンを案内した。マカティにもあるがここマカパガル通りのシーサイド・マーケット・レストランの向かいにも支店がある。ここはマカティよりもはるかに広大で大きな家具類がたくさんおいてある。やはり、おみやげ物はここに限るようで、私も11月の日本出張に備えて孫娘に小さなバッグを買った。    そのあと、フィリピンの庶民的な場所を探検しようということでバクラランに向かった。しかし、メインストリートを4列のジープニーが占領し、露店と車の間を多くの人がひしめきあいながら歩かなければならず、ちょっと日本から来たばかりの方々にはカルチャー・ショックのようだった。たしかに、こんなに人出があって名物の場所なのだから、何故歩行者天国にしないのか、行政の考えが分からない。  そうこうしているうちに夕方となり、同じマカパガル通りにある、「ラーメン源屋」に向かった。ここは、別途紹介する予定だが、フレンドシップ・ツアーの岩崎さんが絶賛した豚骨ラーメンの店だ。しかし、ほんの2週間くらいの内に店の名前が「麺屋 元気」に変わっていて少々戸惑った。 ラーメンを食べた後はいよいよサリラヤのゲストハウスに向かったが、約3時間、混んでいれば4時間の工程だ。車はハイエースのバンだが5列15人乗りに、梅本さんの奥さんや従業員、それにガードマンも一緒で総勢14名は少々窮屈だった。  ゲストハウスのアプローチは少々がたがた道だったが、塀に囲まれた1ヘクタールの敷地内はよく整備されて、ゆったりしている。この日から帰りまで台風ペドリン(17号)の影響でlここに滞在した25(日)夜~27日(火)朝の間はほとんど雨で十分楽しむことができなかった。  ゲストハウスは素朴な作りで、ホテル並みとは行かないが田園生活をゆったりすごすには十分だろう。パラボラ・アンテナをつけて日本の放送も見れる。しかし、インターネットがないのが残念だが、おいおいと整備していくそうだ。部屋数は4つ、それぞれバス・トイレ・ベランダ付だ。   現在は、梅本さんの知人を中心に紹介しているそうで、3食、マニラからの送迎と案内付で、一部屋(二人)、一泊1万円という価格で提供するそうだ。 敷地の中央に大きなマンゴの木があるが、そこに小屋を作って食事も取れるようになっている。中は意外と広く、雨でなければ、そこでビールなど楽しみたかった。 マンゴの木の脇は食堂で、中央に厨房があり、周囲は作り付けのテーブルになっている。食事はここで出してもらえるが、最終日のさよならパーティもここで開かれる。ちょっとテーブルが大きすぎて厨房の周囲に通路がないのが不便ではないかと気になった。 ここにはヤギ、闘鶏、そして馬が一頭、飼われている。野菜畑は今回農業をしているお客さんが作ったそうだ。 […]

ルセナ/サリラヤのゲストハウス訪問 2011年10月2日