Yearly Archives: 2011


まだ自分が子供あるいは若いころ、街でヤクルトおばさんを見かけることが時々あった。あのヤクルトのちいさな容器を配達あるいは売り歩いていたのだ。そ れが現在フィリピンの街角でよく見かけるのだ。ヤクルトはコンビニやスーパーでも大きな顔をして売られている。手ごろな大きさなので子供たちも大好きだ。 5本で48ペソ、一本10ペソ近いから、フィリピンとしては決して安い飲み物ではない。しかし、子供たちはヤクルトを単なる清涼飲料として飲んでるきらい がある。 ご承知の通りヤクルトは乳酸菌飲料で整腸作用がある、いわばサプリメントだ。だが、子供はほっておくと冷蔵庫を開けて水代わりに何本でも飲んでおり、そ れを親も黙ってみている。体に悪いことはないだろうが、なんともいえない思いがする。ヤクルトとしてはたくさん売れてうれしいかも知れないが、本意ではな いはずだ。 ヤクルトは日本のビジネスモデルをフィリピンに持ち込んで成功したが、ほかにもフィリピンに根付いているおなじみの食品類がある。筆頭は、日清のカップ・ ヌードルだ。小が19ペソ、大が26ペソと格安だが、日本のそれとは大分趣が違う。だからフィリピン人も日本から輸入したのを好んで食べる。輸入品は 100ペソ程度と4倍もの値段なのにだ。    日清のカップ・ヌードルはジャパ行きさ んにとっては、懐かしい日本の味なのだ。彼らは、日本で稼いだお金の大半をフィリピンの実家に送ってしまうために、いつもひもじい思いをして、カップ・ ヌードルばかり食べていた。そして、たまに鼻の下の長い客に誘われると、憧れの焼肉をたべて栄養をつけた。だから、今でも日本からのお土産と言えば、口を そろえて日清のカップ・ヌードルと答え、フィリピンで食事に誘うと焼肉と相場が決まっている。だから、空港で預け入れ荷物を待っていると決まって、日清の […]

ヤクルトおばさんが街を行く 2011年3月21日


 あの、SMデパートチェーンの子会社のSMDC(SM Development Corporation)がマニラ一体に手がけているコンドミニアム・プロジェクトのひとつ、タガイタイーWINDの現場を訪問した、というよりゲストをタガイタイに案内するついでに建設工事が開始されたWINDのモデルルームを訪問した。ちなみにタガイタイは風が強く、そのため、WINDと命名されたものと思うが、この風が住み易いのか住みにくいのか、見極める必要があるだろう。    かつてSMデパートがメトロマニラにじゅうたん爆撃のように出店したのと同様、マニラの主要地域に大型のコンドミニアムの建設に取り組んでいる。総戸数は数万戸に達するものと推定され、MakatiのJAZZをはじめ、SMモール・オブ・エイシアの脇のSEA、スーカットのFIELD、マンダルヨン・ボニーのLIGHT、などなど10箇所以上が売り出されている。  タガイタイのWINDは、メイン通りのタアル湖とは反対側に広大な敷地を準備し、長いこと造成中だった。今回覗いてみたら、すでに第1棟が2階まで出来ていて、モデルルームがオープンしていた。SMDCのプロジェクトは25m2程度をユニットとして、それ二つつないで50M2程度のユニットにするなど、きわめてシンプルな設計だ。価格はプレ・セール(未完成のものを先行して購入するもの)で250万ペソ程度、平米10万ペソだが、中間層が何とか手が届く範囲に価格を設定しており、昨今の超高額コンドミニアムとは一線を画しているようだ。しかし、このような小型の住まいに住むようになると、核家族化が加速され、フィリピンのよさである強い家族の絆が壊れ、日本が歩んでいるような方向に進むのではないかと危惧される。 WINDの視察の後は、定番のタアル・ビスタ・ホテルの展望台へ向かった。この日、タアル湖はかすんでいてよく見えなかったが、右奥に何か店がたくさん出ているので覗いてみると、そこには家庭で作ったと見える手作りのお土産がたくさんおいてあった。手作り石鹸も色々あって、ひとつ50ペソくらいで買い求めた。そろそろランチタイムだったが、ホテルのビュッフェの豪華な食事は遠慮して、ローカルのレストランに行くことにした。しかし、ここのレストランも観光ブームのせいかほとんど満員だった。     次も定番のマホガニー・マーケット。地元の果物や野菜、それに牛肉が名物だ。特にパイナップルの収穫のシーズンとあって、山のように積まれていた。大が3個、中が4個、小が5個でで100ペソとマニラの半分程度の値段だ。それに完熟もぎたてのパイナップルは格別の味がする。この日、私は小5個100ペソを、6個にまけさせ、300ペソで18個買い求めた。それに大根が1kg、35ペソを3kgで100ペソで買った。パイナップルはバナナ、マンゴと並ぶ三大熱帯果実で血液さらさら効果など注目の果物だ。一方の大根はフィリピンでもシネガンなど大変役に立つ野菜で、フィリピンの大根は小さいので、20本程度あった。  次が今回のもうひとつの目玉、トロトロ・レストランでの食事だ。ローカルを味わいたいとのゲストの希望で、マホガニー・マーケット内のレストラン街を覗いてみた。レストランといっても出来合いの料理を屋外の席で食べるもので、料理の種類はあまりない。しかし、これがフィリピン庶民の食べ方だ。  しかし、ここはある程度観光地化していて、客はほとんどマニラから来たフィリピン人だ。だから若干高くて、3人でビールなども入れて、700ペソほどだった。タガイタイのフィリピン料理の名物はブラルーという牛の骨と筋肉を煮込んだスープで、クリスピー・パタやチキンのから揚げと並んでフィリピーノの大好物だ。確かにおいしいそうだが、糖尿病の私には食べすぎが怖い。しかし、案外野菜もたくさん入っていてゲストには好評だった。    最後に、マホガニーマーケットのすぐ近く、ロビンソンが手がけるコンドミニアム(ウエリントン・コートヤード)に寄ってみた。ここは即入居可能なユニットもあるが、少々中に入っていて、タアル湖の景色も見えず、SMのWINDと比べて、食指が動きにくい。価格は平米6~7万ペソで、割安だが、設備や間取りはいかにも一昔前のつくりで見劣りする。しかし、実を取るという人にはお買い得なコンドミニアムといえるだろう。  

タガイタイのSMDCプロジェクト視察 2011年3月20日



3月12日、日本の地震と津波の被害が気になるところだったが、グアムから初めてフィリピンを訪問するというゲストを、NAIAターミナル1で出迎え、 マニラを案内した。頭文字がCなので、ターミナルの待合所でCの看板の下で待っているようお願いした。そこで、久しぶりにターミナル2に行って見るとそこ にはアルファベットの看板はなく、天井から順にBAY1、2、~15までの看板がぶら下がっている。ターミナル1とは20年以上の付き合いになるが、なぜ 突如としてこんな変更をするのか理解に苦しむ。そのため、顔も知らないゲストに出会うのに苦労した。  大分時間があったので、出迎え所を何度も何度も往復して、それらしき人を探している間に、ターミナルを色々観察した。両替所のレートは街の両替商に比べて、1万円で150ペソ程度の差でさほど悪いとは言えない。  最近、黄色い空港タクシーでぼられることが頻発しているが、クーポン・タクシーなら行き先に応じて料金が決まっているので、ぼられる心配がない。しかし、 クーポン・タクシーを探していると、すかさず空港職員とおぼしき人間がレンタカーなど、料金が高い車に案内して倍以上のお金を請求することがままある。是 非、自力で場所を見つけ看板で料金を確かめて乗車してほしい。 イントラムロス、チャイナタウン、ロックウエル、ボニファシオなどを案内して、グリーンベルトをちょっと歩いてみた。いかにも高級な店が並ぶ中、新規に2 軒の和食レストランが開店していた。ひとつはグリーンベルト5のORIGAMIという大きな店で、もうひとつはグリーベルト2(3かもしれない)にある IZAKAYAだ。いずれ覗いてみて詳細を報告したいと思う。   その後、丁度土曜日なので花火でも見物しようと思って行ったのが、モール・オブ・エイシアだ。ところが、この日、モール・オブ・エイシアは尋常な人手では ない。海に面するエリアはロープが張られていて入れない。あちらこちらには人が座り込んで陣取っている。ということは今日は特別な花火大会があるに違いな い。丁度よいと思ったのだが、入場料金が1500ペソから100ペソ、さらに海に面したレストランには大量の客席が設けられ、ちょっと気軽に花火見物と […]

モール・オブ・エイシアの花火大会 2011年3月18日


 ラグナのサンタロサにあるフィリピンのディズニー・ランドがエンチャンテッド・キングダムだ。Enchantedとは魅了する、あるいは魔法にかけると言う意味なので、いわば「魔法の王国」というような名の遊園地だ。1990年代の後半には開業していたので、10年以上の歴史を持つ。、今回初めて訪問したのだが、なかなか面白そうなので、次回はKianを連れて来たいと思う。ちなみに3フィート(90cm)以下の身長の子供は無料だ。  South Super Highway(South Luzon Express Way)を下って30分ほど(すいている時)下るとサンタロサの出口に出る。タガイタイとは反対の左に折れてすぐ、Walter MartとCaltexの間の道を右に折れると、Eenchanted Kingdomの入り口にいたる。ちなみにマカティのインターコンチネンタルホテルの裏辺りからシャトルバスが出ているので、利用できる。ただし、出発時間、料金などの詳細は不明。  現在、Skywayが完成間近で、Sucatの出口まで完成していた。Sucatの先で既存のHighwayと合流し、支線がAlbanまでつながる予定だが、合流点から先はまだ工事中だった。これが出来上がると、ラモス政権以来、十数年の念願がかなうことになり、南へ行くのも楽になる。   平日なので、駐車場もすいている。しかし、かなりのバスが並んでおり、大量の学生が押し寄せている。High SchoolやCollegeの学生が遠足旅行に来ているのだ。3月も半ばとなると、夏休みが近いので、学期の最後を締めくくる行事なのだろう。スービックやオーシャンパークでもそうだったが、まさにフィリピンにもレジャーが根付いてきていると言う印象を強く持った。多分休日はどうしようもないくらい混雑しているだろう。このシーズンは月~水が閉館で、木、金が主に学生、土、日が一般客としているそうだ。   入場料金は平日400ペソ、休日は500ペソ、4フィート(1.2m)から3フィート(0.9m)の子供はそれぞれ250、320ペソだ。基本的にすべての乗り物はこの入場料に含まれており、丸一日400ペソで遊べるのは安い。オアーシャンパークではKianまで500ペソとられそうになったが、ここはよほど良心的だ。入場料金で乗れないのはゴーカート(250ペソ)、名称はわからないが落下タワー(80ペソ)など。遊びどころは90箇所もあるので、わざわざ追加のお金を払わなくても丸一日たっぷり遊べる。ただ、人気のジェットコースターなどは平日でも1時間待ちだ。  この日は団体客がほとんどなのでチケット売り場はがらがらだったが、入り口はかなり人が並んでいた。その原因は入場時にいちいち紙のブレスレッドを巻いてそれに割り印をしているからだ。一部の見世物しか入場できないチケットもあるので、それを区別するものなのだろうが、もっと効率のよいやり方があるだろうに。 […]

Enchanted Kingdomの紹介 2011年3月17日



この度、東北関東大震災で被害のあった方々に心からお見舞い申し上げます。また、一刻も早く行方不明の方々の安否が確認されるとともに、早期の復興を心からお祈りいたします。 3月11日、午後からマニラ近郊の遊園地、エンチャンテッド・キングダムに取材に出かけていた。これについては後日報告するが、帰宅すると同時に、「日本の家族は大丈夫か」とジェーンに質問された。一体の何のことかわからないまま、ニュースを見たところ、フィリピンのメディアが日本の惨状の映像を流し続けていた。 このときはまだ、ことの深刻さを把握できず、周囲のフィリピーノに、地震と津波は日本のお家芸で、その辺の防災体制派万全だと、地震や津波の仕組みを得意になって説明していた。番組でもしきりに津波の仕組みや地震被害についてを解説していたが、フィリピンは火山国でありながら、あまり地震がないという国なので、その辺の知識があまりないらしい。さらにフィリピンはとても地盤が強固で、地震が来てもあまりゆれない。ちなみにマニラのビル建設現場で杭を打っているところを見たことがない。杭を打ちたくても打ち込めないくらいの強固な地盤なのだ。    しかし映像を見ていると、どうも尋常な被害ではないので、部屋に行ってNHKワールドを見ることにした。   そこで見たものをいまさら説明する必要もないが、生涯いまだかつて見たことのない大災害だった。ほかのチャンネルを回してみると、各国のニュース番組は皆、この未曾有の災害のニュース一色だった。そこにはBREAKING NEWS(速報)という表題があって、各国のメディアは最重要ニュースとして取り扱っていた。  被害の中心は宮城、岩手、福島の東北地方だが、特に被害のひどかった仙台地区は私が学生時代6年間暮らしたところだ。きっと多くの知り合いが被害にあったのだろうと心が痛む。さらに三陸海岸の中心、宮古は妻の実家のあるところだ。早速妻に電話して様子を聞いたが、東京、神奈川に住む妻や息子は何事もなかったが、宮古に残っている姪との連絡が取れないという。翌日姪も無事であることが確認できたが、宮古も壊滅的被害を受けたそうだ。さらに知り合いのフィリピーノからは、私の家族は無事かとの問い合わせのメールが何通も入った。また、近所のサリサリのお姉さんからも、家族は無事ですかと声をかけられた。  三陸の津波は、その特異な地形から有史以来なんども繰り返して襲ってきた。だから、高い防潮堤も築かれ、津波に対する対応も知り尽くしているはずだった。私が所属した研究室でも津波の研究をしていたくらいだ。それが、ここまでなすすべもなく大被害を受けてしまったということは一体なぜだろう。多分、震央が三陸沖の間近で、地震発生から津波の襲来まで瞬く間で、情報の伝達も対策もかなわかったのだろう。  日本の観測史上最大といわれるマグニチチュード9.0というのはとてつもないものだ。M8ですでに大型地震であるのに、M9というのは聞いたことのない未曾有の大地震だ。マグニチチュードは確か、1あがるとエネルギーは100倍になるはずなので、M9の地震はM8の地震の100個分のエネルギーということになる(兄からの情報ではこれは間違いで、マグニチュードが0.2上がるたびに2倍、すなわちM1の違いで、36倍、M2の違いならば1024倍になるそうだ。だからM7とM9の地震では1000倍の差となり、感覚的には近いものがある).    今回は東北沖だったが、これが関東、中部、近畿、すなわち東海大地震が取りざたされている地域だったどうなるのだろう。東京、横浜、名古屋、大阪などの大都会は壊滅的被害をうけて、日本の政治・経済機能が麻痺してしまうのではないか。今回の地震が、これで終わりではなく、東海大地震の予兆ではないかという気もする。    また、さらに福島原子力発電所の事故が気になる。海外からの情報では炉心溶融を引き起こしているとも言われ、その地域は未来永劫汚染地域としてチェリノブイリのようにゴーストタウンになるという。そうなったら日本に住んでいられなくなってしまうだろう。フィリピンをはじめとする国々は日本からの食料品については放射線の検査を義務付けるとすでに宣言している位だ。    いよいよ、日本の安全神話にもかげりが出てきているようだ。家族にはいざとなったらフィリピンに疎開すれば良いと声をかけているが、普段フィリピン行きを打診しても相手にされない妻も、「それもありか」と思い始めているようだ。 […]

東日本大震災 2011年3月15日


アンヘレスのバスターミナル、ダウにトライシクルで乗り付けると、ターミナルの右側の通路を進んでターミナルの奥へ連れて行かれる。その右には例の SOGOの出口があるのだが、そこにミリタリー・ルックのショップが並んでいる。以前から気にはなっていたのだが、覗いてみたことはなかった。 普段は小さめのボストン・バッグを持って歩くのだが、これが意外と重くて邪魔だ。そもそも、ブログの取材のために歩いているようなものだから、常に両手が使えるようにしておく必要がある。だからボストンバッグをぶら下げて歩くのは極めて不都合だ。ところが男性用のショルダーバッグはデザインが悪く、ちょっと買う気になれなかった。女性用のものは色々デザインがあるが、男性用はほとんど黒で、デザインと呼べる代物ではない。私はおしゃれには一向興味はないのだが、鞄と靴だけは少々こだわりがある。30代に衝動買いしたアタッシュケースは400ドル、当時10万円以上したアイグナーの鞄だが、とても気に入っていた。そのほか、ハンティングワールドのバッグにあこがれていたが、20~30万円もするのでついに手が出なかった。 今回もずた袋みたいな持って歩いていたが、我ながらいかにもみっともないと思った。そこで、このミリタリーショップ街を覗いてみたが、なかなか面白いデザインの鞄や服が並んでいる。その中で目に留まったのがリュックサックの形をしたショルダーバッグだ。  ポケットが10個もあって、カメラ、携帯、ボイスコーダー、小銭入れ、パスポート、財布、常備薬などの7つ道具を入れて歩くにも具合よさそうだ。布地も丈夫そうで、店の人はYKKのファスナーを使っているから、壊れにくいという。確かに安物のポシェットはファスナーがすぐにだめになる。アメリカ製のオリジナルだというので値段が心配になったが、1500ペソだというので、すかさず交渉して1300ペソにまかった。アメリカ製というのは信じがたいが、このデザインと仕上がりで1300ペソは超お買い得だと思う。

いまどきのミリタリールック 2011年3月10日



私が住むサンアントニオ・ビレッジの、パソンタモ通り沿い、バグチカン通りとエステレリア通りの間(ミニ・ストップのすぐとなり)にAmber’s  Bestという大きなレストランがある。そばを通り過ぎるたびにどんな店なのかと興味を持って眺めていたが、利用する機会が全くなかった。最近、知り合いのフィリピーノに付き合って、例のゴールディラックスと、このAmber’s Bestで誕生バーティの準備することになり、中を覗くことができた。 フィリピン人のパーティ好きは語るまでも無いが、そのパーティといえば、あの甘いスパゲッティかフィリピン風やきそばのパンシット・カントンないしパンシット・マラボン、それにチキンのから揚げかシャンハイ・ルンピアがつけば上等だ。その調達先がAmber’s Bestだったのだ。 カウンターには5種類の麺類の料理に対し、300ペソから800ペソまでの5種類のサイズがあるが、一番大きい800ペソのは、なんと25人前だ。もちろん、その場で食べるメニューもたくさんあるが、ここの売りはパーティ用のテイク・アウトなのだ。客席は広々、あっさりしていて、なにか社員食堂を思わせる風情だ。  ゴールディラックスで例の巨大な角型のケーキを700ペソ、Amber’s Bestで25人前のパンシット・マラボンを800ペソ、それにコークやビールなどのドリンク代が500ペソ、しめて2000ペソで、20人程度の誕生パーティが開催できてしまう。一人当たり、100ペソ、これでもフィリピン庶民にとって見れば立派な贅沢なのだ。 Amber’s Bestはチェーン展開をしていて、マニラのあちこちに店があるそうだ。デリバリーもしている。パーティを安く済ませたかったら、ここを利用すると良い。下手に日本レストランに招待して、万単位のお金を使うよりも、ここの食べ物の方がフィリピーノにとってはよほどありがたい。ただし、あなたの誕生パーティだったら、少なくとも上記にチキンのから揚げとシャンハイ・ルンピアを加えたいところだ。そうすれば数千ペソでフィリピーノに多いに感謝されることは間違いない。質より量が問題なのだ。

Amber’s Bestは庶民の味方 2011年3月3日


2月24日キアンが入院した。22日は下の写真のように極めて元気で、手製のベビーチェアーに座らせられて、ご機嫌にはしゃいでいたのだが。 ところが、24日、奇しくもママ、ジェーンの誕生日に右目の下が腫れ始めた。ただ、体調は良好で、ママの誕生ケーキをわしづかみにして遊んでいた。ジェーンが医者に電話したが、医者のアドバイスはしばらく様子を見ようということだった。 ところが午後になって、腫れはひどくなり、このままではやばいと判断して、ジェーンが病院へ連れて行った。マンダルヨンのボニーにあるVictor R. Potenciano Medical Centerというキアンが生まれた二流病院だ。ただ、医者や設備は一流で、Makati Medical Center等に比べて規模が小さく、値段も安いというだけだ。かかり付けの医師によると、ウイルス感染で、目にも近いので慎重に対処しないといけないと のアドバイス。そこで、そのまま入院。もちろん、ママとヤヤが付き添って、3泊4日、皆で病院で過すことになった。  翌25日、私が見舞いに行くと、すでに腫れは引き始めているが、足に点滴をしていて、行動が制限されて入る。キアンは、私を見ると「僕、可哀想」とばか り泣き始めてしまった。確かにかわいそうだが、ママやヤヤに付き添われて私立病院の個室に入院なんて、庶民になかなか出来る相談ではない。普通は、医者に 見てもらって薬を処方されるだけでもラッキーといわざるを得ないのがフィリピンの現実だ。しかし、こんな状態でもキアンは相変わらず元気にはしゃいでい た。  4日目の朝、キアンはもう我慢できないとばかり、自分で点滴をはずしてしまった。医者は必死に取り付けようとするが、小太りのキアンの血管を見つけること […]

KIANが緊急入院 2011年3月2日



 ところで、早いもので、キアンが誕生して11ヶ月が経過し、この3月31日は1歳の誕生日を迎える。フィリピーノにとっては誕生日は幾つになってもめでたいものなのだが、1歳の誕生日は格別だ。バブティスマルでキリスト教信者として社会的にデビューしたのだが、この1歳の誕生日が最初の人生の節目だ。    そこで皆さんにも祝っていただこうと、PASCO事務所で誕生パーティを開催することにした。私がお世話した退職者の方々が多く集まるので、良い交流の機会にもなると思う。時間は11時から2時までののランチタイム。マカティあるいはマニラにお住まいのかたは是非参加して欲しい。また、ご参加の場合、事前にE-メールでkazutamishiga@yahoo.co.jp に連絡して欲しい。なお、事務所の位置はhttp://www.pasco-ph.com/main/index.php?pid=102をクリック。 ここのところ成長目覚しいキアンは家族の人気者で、やることなすことが皆に注目され喝采を浴びる。だからまた調子に乗って、はしゃぐというという循環で、やんちゃぶりは留まることを知らない。子供はやんちゃで元気なほうが将来が楽しみだと思うから、多いに結構だと思う。静かで行儀の良い赤ちゃんなんて気味が悪い。     テーブルに敷かれた透明のビニールシートに興味を示し、めくってみているキアン。何事に興味深々でちょっとしたものでも見逃さない。こんな時、幼い脳がフル回転しているのだろうと想像する。   いつも公務で忙しいパパに久しぶりに抱かれてお出かけのキアンと、のりをおいしそうに食べるキアン。のりは他の離乳食と違って手でつかめるし、口に入れたら溶けるので喉を詰まらす心配も無い。ビスケットなどと違って野菜そのものだから、体にもいいので赤ちゃんの理想の食品とも言えるだろう。 パパに抱かれてご機嫌のキアンだが挙句の果てにパパの顔をたたき始めてしまった。

KIANの誕生会のお知らせ 2011年3月2日


プエルト・ガレラはミンドロ島の北端に位置するフィリピン有数のビーチリ・ゾートだ。マニラの南のバタンガスの対岸に位置しているが、マニラに近いということで、1泊2日あるいは2泊3日で充分楽しんでこれる。セブ、マクタンのビーチが外国人観光客を相手にした大型のリゾートに占められて入るのと違い、ここは数百軒の庶民的なリゾートがひしめく。ホワイト・ビーチ、サバン・ビーチ、アニヌアン・ビーチなどが有名だが、サバン・ビーチが一番繁華だ。それぞれのビーチへはバタンガスから直行の船が出ているが、プエルトガレラ港からジープニーで行くことも出来る。  マニラ発のバスは、パサイ市、ブエンティア通りとタフト通りの角、LRTのブエンジア・ステーションの至近距離にあり、JAMあるいはBSLの南へ向う長距離バスがひっきりなしに出ている。バタンガス・ピアー行きのバスに乗ると、途中、SLEX(South Luzon Expressway)高速道を経由して、サント・トマスで一旦、一般道に出て、再び、Star Toll Expresswayに乗るとバタンガス・ピアーに到着する、快適な2時間のバスの旅だ。ちなみにバス代は片道166.5ペソだが、どういうわけか行きは133ペソしか取られなかった。     サバン行きの船はFather and Son Lineという会社が運行していて、6時45分、8時15分、9時15分、11時30分、最終は13時発の一日5便運行している。船の出発まで、乗換えなどを考慮すると3時間は見たほうがいいので、朝の6時ないし8時半にはマニラを出発する必要がある。なお帰りのサバン発の船はバタンガス発の1時間半遅れとなるが、サバンに到着したとき確認すること。 また同時に帰りのチケットも買っておいたほうが良い。 船乗り場では客引きが案内してくれるがやたらとうっとうしい。案内料としてチップをせしめるのが目的のようだ。荷物が多い場合は荷物を船の中まで運んでくれるので重宝かも知れないが。船賃は230ペソに、Environmental Feeとやらが50ペソ、ターミナルフィーが30ペソ、合計310ペソとなる。しかしこれらの追加料金は帰りは無い。    船の客は半分が欧米、半分が韓国人だ。日本人はめったにいない。船は意外と大きく、100人ほど乗れそうだ。海から見るとバタンガス港はなかなか立派で、フェリーターミナルの他にコンテターミナルもあるが、ほとんどまだ使われていないようだ。 バタンガス湾を出ると途中少々ゆれるが、快適な船旅といえる。約1時間でサバンに到着、海岸に張り付くようにリゾートが建ち並んでいる。 […]

プエルト・ガレラ訪問(その1)2011年3月1日