Yearly Archives: 2011


本ゲストハウスは2016年9月に長期賃貸契約を結んだので、当面、閉鎖します。 2014年9月11日追記;最近の賃貸相場の下落傾向により、ゲストハウスの割安感が薄くなったので、宿泊料を値下げすることにしました。従来の一泊料金1500(一室利用)/1800ペソ(2室利用)を一律1200ペソ、月極め料金を3万ペソから24000ペソ(ただし、電気料金は別途)とします。 パスコの事務所のあるマカティ・プライム・シティ・コンドミニアムにパスコ専用のゲストハウスを開設した。以前、私自身が住んでいたところで、複数のコンドミニアムが一般道路から離れたところに固まっており、エリア全体が警護されており、静かで安全だ。しかも、ちょっと高いところにあるので、冠水の心配もない。マカティの中心市街地にも近く便利なところにある。 中層5階建ての2階にあるので、いざという時にも安全に避難できる。築15年を経過しており高級コンドミニアムとは言いがたいが、中長期の居住に適している。ショップ・ワイズという大きなスーパー・マーケットにも徒歩5分程度でいける。とんかつ屋さんという評判の和食レストランもコンドミニアムの中にあり、生活するのに申し分ない。  広さは42m2、2ベッドルームで、4人程度まで居住できる。日本語環境のパソコンでインターネットも自由に使え、ケーブルでNHKが見れる。キッチンもついているので料理もでき、バスタブはないがホットシャワーが使える。             1日からでも利用できるが、1週間~1ヶ月程度の居住に適している。料金は1泊1200ペソ。1ヵ月単位の利用であれば、24000ペソ/月(電気料金は別途)となる。 庶民レベルのコンドミニアムなので、節約志向のかたに最適だ。申し込みは志賀までE-メールでお願いします。kazutamishiga@yahoo.co.jp

パスコ専用ゲストハウスの開設 (マカティ・プライムシティ・コンド)2011年10月9日(2014年9月11日改定)閉鎖中


  パスコのゲストの利便を図るためにマカティ、パソンタモ通り沿いの高級コンドミニアム、オリエンタル・ガーデン・マカティにUKさんのご好意でゲスト・ハウスを開設した。日本料理店が集中しているマカティ・スクエアにも徒歩10分足らずと便利なところにある。パスコの事務所にも歩いて5分足らずだ。 本ゲストハウスはオーナーの都合により、2012年8月を持って閉鎖しました。 退職ビザの発行を待っている間、ドーシット・タニなどの一流ホテルに泊まっていたのでは経費がかさんでたまらない。かといって3流ホテルではちょっと、といった方に最適だ。また、しばし高級コンドミニアムでの生活を体験することもできる。2ベッドルーム、78m2の中型のコンドミニアムで、築5年足らずの新しいコンドミニアムだ。30階なので窓から眺めるマカティの景色もすばらしい。         一泊2500ペソ(ただし、ベッドルームを二つ使用する場合は電気代等の実費として一泊500ペソの追加料金がかかる)、月ぎめの場合は5万ペソ(電気代別途、追加料金無し)で、4名程度は宿泊できる。一泊でも可能だが、1~2週間の滞在に最適だ。もちろんキッチンやダイニングもあって料理をすることも可能。バス・トイレはマスター・ベッド・ルーム専用のものとゲスト用の2ヶ所、メイド・ルームもある。調理用器具や食器類も備わっていて、即生活することができる。もちろん、日本のNHKが見れるテレビ、さらにインターネットが使える日本語環境のパソコンも備わっている。 なお、宿泊はあらかじめ登録された方のみ可能で、その他の人を無断で宿泊させることは遠慮してもらっている。申し込みは志賀までE-メールでお願いします。kazutamishiga@yahoo.co.jp  なお、UKさんは自宅を利用して、退職者の方のフィリピン滞在中にタガイタイの体験ステイも勧めている。そちらは朝夕食込みで3000ペソ、二人以上の滞在では食事代として500ペソ/人の追加となる。タガイタイまでの送迎も可能でガソリン代および高速代として、送り、迎え、それぞれ1000ペソかかる。

パスコ専用ゲストハウスの開設 その2(マカティ)2011年10月8日



早いもので、ロングステイ財団主催のロングステイフェア2011の開催が11月12日(土)と1ヵ月後に迫ってきた。場所は東京ファッションビル西館2階、交通はゆりかもめ 国際展示場正門 徒歩2分だ。詳細は www.dokodekurasu.jp/ 参照。  昨年はアロヨ大統領の訪日と重なって、観光省からは横山さんのみ参加。さらに広島に留学中の元PRA-RRSC(退職庁のビザ発行部門)部長のフィリップ・モレノさんらと机を並べて退職ビザやフィリピンでの生活の説明に忙しい一日をすごした。 その他、EIENのリーさん、フレンドシップの根本さんなど、出展者のほとんどが顔みしりなので、何か同窓生的な雰囲気もあった。 今年は、東日本大震災、アメリカやヨーロッパの金融不安などの影響で、海外志向が一段と高まってきていると思う。主催者の来場者の予測は1万人だそうだが、そんなものではすまないような気もする。私としても、海外居住を志向する方々へ情報提供に一翼を担えればと考えている。

ロングステイフェア2011開催のお知らせ 2011年10月7日


 先日フレンドシップツアーの岩崎さんのブログで知ったとんこつラーメン麺屋・元気を試してみた。モール・オブ・エイシアあたりでお客さんを連れて行くのに安くても美味しい、お勧めの店はないかと聞かれて、シーサイド・マーケット・レストランとここを紹介したのだ。場所はマカバガル通り、シーサイド・マーケット・レストランの並びで、大きな看板があるので分かりやすい。  私自身は試したことはなかったが、かのラーメン通の岩崎さんが勧めるのだから、間違いはないであろうということだが、まず店の作りが、いかにもラーメン屋さんで好ましい。岩崎さんはとんこつラーメン源屋と紹介していたので、ちょっと戸惑ったが、ガラスには源屋とも書いているので同じ店だろうと入ることにした。 早速、皆さんと定番メニューのとんこつラーメンと餃子を味わった。そろそろフィリピン滞在一週間目とあって皆さんも日本食が恋しくなっているころだ。値段はラーメンが200~300ペ、餃子が120ペソと安くはないがほどほどだ。味については、必ずしもラーメン通でない私には、こんなものかなという感想。ということは日本でも立派にラーメン屋さんとして通じるレベルだと思う。また、中に入っていたチャーシューが厚かったのが特に印象に残っている。餃子も美味しいが、ちょっと辛く、餃子が大好きなKIANだが、まだ早いかも。 店の前には2.5kg入りのジャンボラーメンが飾ってあった。20分以内に食べ終われば一杯千ペソが只になるそうだ。自信のある人は試してみるのもいいかもしれない。最近、ためしてガッテンで紹介され話題になった究極のダイエット法が「よく噛んで脳内ホルモンを刺激して満腹感を得る」ことだそうだから、逆をいって、噛まずに飲み込んでしまえば、いけるかも知れない。  以下、恒例のメニューの紹介だが、品数が少ないので返って選びやすくてよいかもしれない。マカティにある新宿ラーメンはラーメンの種類があまりにも多くて選ぶのに一苦労する。              

とんこつラーメン麺屋・元気で試食 2011年10月4日



  先日、ロハスブルバード沿いのトレーダーズ・ホテルの最上階のラウンジで夕食前の一杯をやる機会があった。政府筋の招待客が遅れて来たために、待ち時間ができてしまったためだ。  さほど見事というほどの夕焼けではなかったが、確かに良い景色といえる。マニラ湾に面するエルミタ・マラテといえば下町の繁華街で、美しいという表現からは程遠いところだ。しかし、夕闇が何もかもぼやかして、高層ビルの上から眺める景色は美しい。   暗くなると、ロハスブルバードを走る車のヘッドライトがまたまた幻想的だ。次回の高級ホテルめぐりは夜のラウンジとしゃれ込んでみたい。ただ、宿泊客と一緒でないと入れないことが多いので、実現しないかも知れないが。

マニラ湾の夕陽と夜景 2011年10月4日


このブログの最後に出てくるブコパイについて、知らない方も多いと思い、このほどプエルトガレラに行った折に買い求めたので紹介する。断面図は分かりずらいが、生地の間に若いココナッツの実が詰まっている。 マニラの南、約100kmに、ケソン・プロビンスの州都、ルセナという街がある。その少し手前、サリラヤが梅本さんの奥さんの実家で、そこに1へクタールの土地を求め、ゲストハウスを開設した。以前から一度訪問したいと思っていたのだが、今回、梅本さんが5名のお客さんを招待して1週間滞在したので、この折に出かけて行った。ちなみに梅本さんはまだ現役で日本で仕事をしているので、奥さんが日常の運営をおこなっているが、梅本さんはゲストの案内で毎月のようにフィリピンを訪問しているとのこと。  マニラ見学にいらした一行と日本大使館の近くで落ち合って、早速、昼食をシーサイド・マーケット・レストランでとることにした。ここは以前このブログでも紹介しているが、海鮮食材をマーケットで買って、回りのレストランで調理してもらう、名物の場所だ。この日も、ラプラプ、イカ、カキ、エビ、海ブドウ、ミル貝、チキンなどをたらふく味わったが、かなり残してしまった。材料で買うと出来上がりの量が見当つかず、どうしても買いすぎてしまうが難点だ。しかし、フィリピンはテイク・アウトという手があるから、問題ないが。  この日のお客さんの一人は飛行機の操縦が趣味で、日本ではなかなか難しいが、フィリピンなら大空を自由に飛びまわれるのではないかと期待している。梅本さんの照会で、私が、現在フィリピン在住の日本人でパイロットのMさんを紹介したが、彼女もこの日、食事に同席した。さらに先日、「フィリピン在住ないしロングステイの退職者」を調査した女子大生の太田さんが、前の日タイから戻ったので、同席して調査の続きをしてもらった。  昼食の後、買い物をしたいということなので、モール・オブ・エイシアをさっと周り、民芸品・おみやげ店のバリクバヤンを案内した。マカティにもあるがここマカパガル通りのシーサイド・マーケット・レストランの向かいにも支店がある。ここはマカティよりもはるかに広大で大きな家具類がたくさんおいてある。やはり、おみやげ物はここに限るようで、私も11月の日本出張に備えて孫娘に小さなバッグを買った。    そのあと、フィリピンの庶民的な場所を探検しようということでバクラランに向かった。しかし、メインストリートを4列のジープニーが占領し、露店と車の間を多くの人がひしめきあいながら歩かなければならず、ちょっと日本から来たばかりの方々にはカルチャー・ショックのようだった。たしかに、こんなに人出があって名物の場所なのだから、何故歩行者天国にしないのか、行政の考えが分からない。  そうこうしているうちに夕方となり、同じマカパガル通りにある、「ラーメン源屋」に向かった。ここは、別途紹介する予定だが、フレンドシップ・ツアーの岩崎さんが絶賛した豚骨ラーメンの店だ。しかし、ほんの2週間くらいの内に店の名前が「麺屋 元気」に変わっていて少々戸惑った。 ラーメンを食べた後はいよいよサリラヤのゲストハウスに向かったが、約3時間、混んでいれば4時間の工程だ。車はハイエースのバンだが5列15人乗りに、梅本さんの奥さんや従業員、それにガードマンも一緒で総勢14名は少々窮屈だった。  ゲストハウスのアプローチは少々がたがた道だったが、塀に囲まれた1ヘクタールの敷地内はよく整備されて、ゆったりしている。この日から帰りまで台風ペドリン(17号)の影響でlここに滞在した25(日)夜~27日(火)朝の間はほとんど雨で十分楽しむことができなかった。  ゲストハウスは素朴な作りで、ホテル並みとは行かないが田園生活をゆったりすごすには十分だろう。パラボラ・アンテナをつけて日本の放送も見れる。しかし、インターネットがないのが残念だが、おいおいと整備していくそうだ。部屋数は4つ、それぞれバス・トイレ・ベランダ付だ。   現在は、梅本さんの知人を中心に紹介しているそうで、3食、マニラからの送迎と案内付で、一部屋(二人)、一泊1万円という価格で提供するそうだ。 敷地の中央に大きなマンゴの木があるが、そこに小屋を作って食事も取れるようになっている。中は意外と広く、雨でなければ、そこでビールなど楽しみたかった。 マンゴの木の脇は食堂で、中央に厨房があり、周囲は作り付けのテーブルになっている。食事はここで出してもらえるが、最終日のさよならパーティもここで開かれる。ちょっとテーブルが大きすぎて厨房の周囲に通路がないのが不便ではないかと気になった。 ここにはヤギ、闘鶏、そして馬が一頭、飼われている。野菜畑は今回農業をしているお客さんが作ったそうだ。 […]

ルセナ/サリラヤのゲストハウス訪問 2011年10月2日



 9月30日はKIANの1歳半の誕生日だ。さすがに誕生会はやらなかったが、常連のSAIKAでラーメンを食べさせやった。そこで1歳から6ヶ月間の写真を選んで、KIAN成長の軌跡を追った。  下の写真は、4月23日、ホリーウィークで帰郷した折、タバコの農場で150人もの人を招待して行った誕生会だ。この時はまだ歩けないので、必死に歩行訓練をしていたものだ。  それから1ヵ月後、すっかり歩けるようになったKIANは大きな荷物を運ぶのが大好きな力持ちだ。 食卓では私の食べるものは何でも食べる。納豆に豆腐とわかめの味噌汁が大好きだ。 パパの隣に座って何か書くまねをしている。アイスクリームも大好きで、自分で食べると言って聞かない。  7月22日はフィリピン退職庁(PRA)の創立記念日。マーケッティング部長のノエルさんに抱かれてご機嫌の様子。  四角い機械ものはものは何でも携帯電話だと思って電話をしている振りをする。雨の降る中、スコーターの子供のように裸で水浴びをする。 7月30日、恒例の高級ホテルめぐりの一環でシャングリラ・ホテルでランチとしゃれた。翌日31日はマニラ・ホテルだ。 つかみやすいものなら何でも自分の手にとって食べ、美味しいとビューティフル・アイズを披露する。スーパーのワイン置き場に入っておおはしゃぎのKIAN。 8月9日、プール遊びを楽しむKIANだが、このころは雨季の真っ只中でママジェーンは風邪を引くといって中々許してもらえない。 8月19日、待望の電気自動車を買ってもらって大喜びのKIAN。泣く子と地頭には勝てないと言うが、その笑顔を見たいばかりに財布の紐がつい緩む。 パパとママの顔を寄せて、キスを迫るKIAN。うつむきで寝るのがKIANスタイルだったが、最近は上を向いて大胆な格好で寝ることも多い。 9月4日、グリーンベルトでは歩きながらビューティフルアイズを見せてくれた。  コンドミニアムの入り口には大勢の同世代の子供が集まる。KIANは他の子供と遊ぶのが大好きだが、ちょっと元気すぎて敬遠される向きもあるようだ。 9月20日、ママ・ジェーンがデビソリアで買ってきた女の子用の服を着たり、飾りをつけて、すっかり女の子の気持ちになっているKIAN。 […]

KIAN、成長の軌跡(1歳~1歳半)2011年10月2日


マニラ新聞に載っている円対ペソの交換比率がついに1万円で5705ペソと5700を突破した。日本円を収入源とする退職者にとってはうれしい悲鳴だが、私の知っている限り、過去最高だと思う。ほんの数年前に3700ペソ代をつけた時と比べると50%以上の上昇だ。円対ドルは76円台だが、最近1万ドルあるいは2万ドルを積んで退職ビザを申請する方にとっては80万円あるいは160万円以下でビザが取れると喜んでいる。私が2002年にビザを取ったときは、5万ドルを送金するのに700万円程度かかったことを考えると、なんともありがたい話だ。  しかし、日本の輸出業界にとっては、この円高は大打撃だろう。日銀もFRBも手をこまねいているだけで、なす術もない。世界経済は、もはやコントロールできない怪物となって一人歩きしており、この先どこへ進むのか誰にも予測できない。 そうなると、今すぐフィリピンに住む予定がなくても、将来そのつもりがあるのならば、今ビザをとるか、少なくともフィリピンの銀行にドル送金してドルで持っていたほうが有利だ。さらに円が上がって65円くらいになるという話もあるが、戦後最高という円高の機会に思い切ってアクションを取ったほうがよさそうだ。  ところで、最近、この円高を機に退職ビザをとる、退職するには程遠い若い方が増えている。先日ご一緒した、その一人のKさんの主張は以下の通りだ。 ① 今回の大震災は決して終わりではなく、これから起こるであろう関東大震災や東海、南海大震災の前触れに過ぎない。さらに福島の放射能は関東を汚染し始めており、これからの大震災であちらこちらの原発がやられると日本中が放射能汚染にさらされ、日本には生きて行く場所がなくなる。 ②世界経済、そして日本経済は、すでに破綻の道を歩んでいたが、今回の大震災はその歩みを加速したものにすぎない。しかも、今回の大震災や原発の事故は某国の陰謀という説もある。 ③今、世界経済は未曾有の混乱、恐慌をむかえようとしている。とくに日本の経済は震災を期にすでに破綻しているといっても過言ではない。ギリシャの経済破綻を新興国BRICSが支援するという時代になり、先進国というだけで安穏としていられる時代は終わった。 ④日本政府はすでに震災増税を打ち出しているが、今後、国民からの収奪が常態化するであろう。第2次世界大戦の最中がそうだったように、国民は国への滅私奉公を強いられ、金(きん)などの財産も没収されることになってしまうだろう。 ⑤円は極端に安くなり、1ドル1000円の時代がくるかもしれない。そうなると海外へ脱出する飛行機代も出せず、ビザ取得のための1万あるいは2万ドルのお金も一千万、二千万の大金となり、支払えなくなってしまう。 ⑥一方アメリカは膨大な量の国債を不払いにすることにより、経済破綻することはなく、アメリカ国債を大量に買い込んだ日本等の金融機関が破綻するだけだ。 ⑦年金で暮らす退職者が海外で受け取る年金も円安の分だけ目減りして苦しい生活になる。だから、日本経済破綻の後では、日本で貧困生活を続けるしか術がない。 ⑧自分の暮らしは自分で守るしかない。特にある程度の資産を持っている場合は、それをいかに守るか真剣に考えるときが来ている。 ⑨すべての資産を海外へ移し、本人も外国に居住する、それが身を守る唯一の方法だ。不動産は二束三文で売ってもいい、来年では遅すぎる、今年中にことを終えなければならない。 ⑩資産として、株式も、現金も、金も、不動産も当てにならない。ここまできたら当てになるのは食料だ。あのジョージ・ソロスはすべての資産を食料につぎ込んでいる。彼らが食料をコントロールし始めたら、今度は食料危機がやってくるだろう。 […]

Kさんの危惧 2011年9月25日



NBIクリアランス(フィリピンの無犯罪証明書)の発行の混乱は前にも報告したが、現在はNBIの本庁で集中的に扱っており、その混雑と発行にかかる時間 は尋常ではない。以前はPRAに出張所があって、退職者の利便に供していたが、現在は、そのような特別扱いはなく、フィリピン人と一緒に申請をしなければ ならない。申請に2~3日、発行に2~3週間かかるとあっては、それに耐えられる外国の退職者はいない。PRAはその状況に手をこまねいているだけだが、退職者のビザ申請をアシストしているマーケッターの組合がNBIのトップと、優先的に取り扱ってもらえるよう交渉中だ。  しかし、鈴木、佐藤、田中、中村、小林などありふれた名前の方は、同姓同名の犯罪者が存在する可能性が強く、その場合、さらに余計な手続きと時間がかか る。したがって県警の発行する無犯罪証明書を日本で外務省とフィリピン大使館で認証して、NBIクリアランスを不要とするのが得策だ。 さらに、9月19日から、従来の認定銀行で発行する定期預金証書でビザを申請することができなくなり、すべてのドル預金はDBPへ一本化された。突然の ことで戸惑ったが、そこで浮上した問題が、DBP(Development Bank of the Philippines)による預金証書の発行に入金から1週間~2週間もかかることだ。ビザ申請の際、PRAにはDBPへの送金書を提出するだ けだが、PRAはDBPから預金証書が発行されるまで、ビザの手続きを開始できない。だから、PRAから書類が入管へ回るまで1週間以上かかってしまうこ とになる。従来、申請から2週間でビザの発行がなされていたが、このおかげでビザ発行に3週間以上かかってしまっているのだ。 例えば、Kさんの場合、申請が9月2日、書類が入管へ回ったのが9月9日、入管内部でのビザの承認は15日に下りたものの、そのおかげで9月13日まで の短期ビザが切れてしまった。その延長に1日、結局ビザが出たのが、9月23日と、丁度3週間目の発行となってしまった。一方Yさんは、どうしても休暇が 取れないということで、入管に手配して1週間でビザの取得をこころみた。しかし、DBPの預金証明を待たなければならず、月曜に申請して、DBPの証明書 […]

退職ビザの発行が遅れています 2011年9月24日


  スービックのコンドテル・ポコ・ア・ポコはたびたびブログで紹介したが、このほど、第3期工事が完成し、ホテルとして開業した。それに伴い、9月16日、オープニング・パーティに招待され、出席して来た。 ポコ・ア・ポコはフィリピンでは、日本人経営で成功している数少ない施設だ。全体的あっさりして清潔感のあるコンドテルだが、その一角がホテル専用としてオープンした。部屋はスツジオ、ロフト付、スイートなど8種類あるが、価格は3300ペソ~5200ペソ(朝食付)でスービック内としては並みの価格だ。しかし、コーポレート・レートなら20%引きとなる(例えばパスコが予約した場合)。一人で泊まるなら一番安いスツジオで十分。設備はウォシュレットなど日本人の好みに合わせており、日本の放送がはいる大型の液晶テレビがすえつけてある。Wifiはなかったが、いずれ設置されるだろう。レストランは中庭のプールサイドの、キッチン・トマトで、安くて美味しい日本食を提供してくれる。  パーティには総勢100人程度が参加したようだが、ビザをお世話して見覚えのある方がたくさんいた。参加者の国籍は多数、もちろんフィリピン人が多勢を占めるが、韓国人や欧米人も多い。ちなみにこのホテルの経営に参画しているYさんの奥さんはルーマニア人で客の接待に余念がなかった。 食事は日本食とフィリピン食をミックスしていたが、中でも気を引いたのが、わざわざバギオから取り寄せた黄身がオレンジ色の地鶏の卵を温泉卵風に料理したものだ。ホテルの朝食の目玉にするそうだ。  この日、ポコアポコを経営するWさんから興味ある情報をもらった。現在、スービック内に鋭意建設中のKTVは、ユニークな高級カラオケとなるそうで、もとトロピカルパラダイスで働いていたNさんが社長になっている。オープニング・パーティには日本から元AV女優などを招待するそうだ。今から、パーティには是非招待するようお願いしておいた。  

スービック・ポコアポコ・ホテルのオープニング・パーティに参加 2011年9月24日