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 7月22日(金)、第26回目のPRA創立記念パーティが開催された。昨年は25周年という節目のためか、Sofitel ホテルで豪勢なパーティを行ったが今年は、ロックウエルのはずれのメトロポリタン・スポーツ・クラブのボール・ルームでこじんまりとしたパーティだった。    レセプションは相変わらず、PRAの若手社員が大勢受付をしていたが、見知らぬ顔もかなりいた。会場は狭く、ビッチリ並べられた椅子には招待客が200 人ばかり狭苦しそうに座っている。1時間ほど遅れて行ったせいで、プログラムはかなり進行していたが、それでもGMのスピーチや、リム観光大臣のスピーチは聞くことができた。大臣のスピーチによると、アチエンサGMはリム大臣のクラスメイトで、彼の指名による登用だそうだ。右下の写真が大臣だ。  この日、ちょっと躊躇されたが、KIANを私の同伴者として連れて行った。退職者は1名の同伴者を伴うことができるとなっており、年齢制限もないのだから、良しとした。それにフィリピンではこんなパーティに子供が参加することは当たり前だ。KIANにはこのようなパーティに場慣れさせて物怖じしない子に育てたいと思っている。KIANを抱いているのはPRAマーケッティングのノエル部長だ。 PRAに退職者を紹介してビザ取得のお手伝いをする役割でPRAに認定された者をマーケッターというが、パスコは、紹介した退職者数で昨年は第2位となり、表彰状と記念品(缶詰の詰め合わせ)を受け取る相棒のジェーン。左はPRAアドミのエテル部長。 レセプションではプロの絵描きが数人、参加者の無料で似顔絵をスケッチしてくれていた。KIANもしっかりとモデルになって似顔絵を描いてもらった。式典が終わると記念撮影とダンスタイムだ。退職者の客はほとんど帰り、PRA職員が大臣やGMとともに記念撮影をしている。KIANといえば、その前を行ったり来たりして、すっかり場になじんでいた。  さらに舞台に上がってプロの歌をバックにダンスを披露。音楽にあわせて踊るのが大好きなKIAN、1歳と3ヶ月の晴れ舞台だ。

第26回、PRA創立記念パーティ開催される 2011年7月23日


フィリピンにやってきて最初にびっくりするのが、街中いたるところにショット・ガンを構えて立っているセキュリティ・ガードの存在だ。このことが、”フィリピンは危険”というイメージを助長していると思う。銀行やポーンショップ(質屋)そしてホテルやコンドミニアムにセキュリティ・ガードは必須だ。それにオフィス・ビルやデパート、レストランやコンビニなど、お金や人の集まるところには必ずいる。 果たして、彼らが活躍するほどフィリピンでは犯罪が多発するのだろうか。私にはとてもそうは思えない。彼らが、銃を使う機会は一生に一度もないだろう。も ともと犯罪がないのか、あるいは彼らの存在のおかげで犯罪がないのか、どちらか分からないが、フィリピンの風物ないし慣習といってよいかもしれない。 慣れると、彼らの存在ははなはだ重宝で、常にそこにいて出入りする人間を見張っていてくれるというのは店の人、住人、客にとってはとても心強い。しかも、 彼らのテリトリーの中では警察権を持ち、逮捕、場合によっては犯人を射殺することもできる私設の警察なのだ。昔、ちょっと事情があって私専用にボディガー ドを雇ったことがあったが、つかず離れず24時間守られているというのは、なんともはや心地良く、安心できるものだった。 (いつも退職者を案内するBank of Commerceのガード、こちらが上客であることを知っていて、駐車や時間外の入店など、色々と便宜を図ってくれる) セキュリティ・ガード、運転手、シー・マン(船員)は巷の男の仕事の3羽ガラスといってもよい。一方、女の仕事はメイド、ウエイトレス、セールスガール (売り子)、マッサージガール、それにGRO(ホステス)などと働く機会は男よりも多い。オフィスや工場などでも男女の数は似たようなものだ。だから、巷 で所在無げにたむろしているのはほとんどが男だ。  このセキュリティ・ガード達は専門の会社に所属し、訓練を受けて、それぞれの依 頼先に派遣される。これらの会社を経営しているのは国家警察幹部のOBが多く、元PRA長官のゼネラル・アグリパイも大きなセキュリティ・エージェントを 経営し、マカティ・グロリエッタのセキュリティガードの派遣を一手に引き受けていたそうだ。 […]

セキュリティガードの賢い利用法 2011年7月21日



         なんといっても、フィリピンでは今、庶民の生活を脅かしているのが、ガソリンの高騰だ。2008年6月15日に原油相場の高騰でガソリンが高騰したことは、このブログで紹介した。現在、ペソが高めに推移しているせいもあって(1ドル=43ペソ)、当時の最高値の水準に達しているのだ。ちなみ、円換算ではリッター、100円~110円程度となり、物価水準が5倍違うフィリピンではこの値段がどんなに高値なのか想像がつくだろう。  今年、タクシーの初乗りが30ペソから40ペソの上がり、当初タクシードライバーはホクホクで、恒例の値段交渉も乗車拒否も姿を消した。しかし、それは束の間の出来事で、再び、メーターの2倍~3倍を平気で吹っかけてくるドライバーが多くなった。中には何も言わないでメーターを倒して走り始めるドライバーもいるが、つい、20~30ペソを上乗せして払いたくなってしまう。慢性的な渋滞もあいまって、まっとうな料金ではほとんど稼ぎがないのだ。  税金の関係で、フィリピンで組み立てられた車は、日本より、若干高めだ。ちなみに私の相棒の旦那が乗っている三菱モンテーロは140万ペソ、260万円位する。一番安い、タクシーに使われるトヨタ・ビオス(カローラの下のクラス)あたりでも140万円前後だ。この金額となるとフィリピンでは郊外で戸建の家が買える金額だ。フィリピン人にとって車を買うことは家を買うのと同等の覚悟が必要で、イメージ的には1000~2000万円の買い物をしている感じだ。  しかし、マニラを走っていると実に車が多い。しかも往年のジープタイプの車は姿を消して、モンテーロなどの車高の高い車が半数程度だ。これは雨季になるとマニラのいたるところで道路冠水するせいだが、下の写真では前に3台のモンテーロが固まって走っていた。自分も入れると4台になる。ちなみにモンテーロは、今フィリピンでは、ホンダCRVやトヨタ・フォーチュナを抜いて、もっとも人気のある車だ。  ガソリンの次あるいはそれ以上に庶民の生活を脅かしているのが米だ。私が初めてフィリピンに足を踏み入れた1989 年には、米1kgが7~9ペソだった。それが、げんざい、35~40ペソ(70~80円)もするのだ。この20年で実に5倍となった。従来物価の10倍原則(ペソの価格をそのまま10倍して、円に読み替えると、日本の相場観で判断できる)は米と給与には当てはまらなかった。なぜなら通常の物価差は5倍だが、米と給与は10倍の差があったのだ。しかし、現在、米の物価差は5倍程度に縮まってきている。一方、大学新卒の給与は1万ペソ+(2万円~)程度だから、やはり10倍近い差はあるだろうか。フィリピンでは3度の食事に米は欠かせないから、この米の高騰は庶民の腹を直撃していると思う。しかし、マニラ周辺でも広大な穀倉地帯が広がっているのに、なぜいまだに米を外国から輸入しなければならないのか理解できない。 最近、私の懐を直撃しているのが、ミス・ユニバーサルの閉鎖だ。他のクラブは何しろ高い、内容も今一、今二だ。MU にとって代わる一押しの遊び場を見つけることが未だにできていない。MUに働いてた子の誘いで、バクララン・チャーチのすぐ近く、ロハスブルーバード沿いのASIAN ENTERTAINMENTを覗いて見た。そうしたら小一時間いて、ビール2杯に女の子を1時間呼んで、1500ペソも取られてしまった。その内訳はこうだ。()内はミス・ユニバーサルの値段。                Asia   MU      ディスカウント後 エントランス        350ペソ(100ペソ)    なし ビール一杯         135ペソ(59ペソ)x2   100ペソx2 レディズドリンク      775ペソ(460ペソ)    600ペソ  合計           1395ペソ(678ペソ)    800 […]

フィリピンでは、今これが高い 2011年7月18日


7月22日(金)、フィリピン退職庁設立記念パーティが開催される。昨年は25周年記念ということで、かなり盛大なパーティがソフィテル(フィリピン・ プラザ)ホテルで開催されたが、内容的には少々盛り上がりを欠くものだった。今年は午後3時~6時という、ちょっと中途半端な時間帯なので、どんなパー ティを考えているのか気になるところだ。  会場となっているthe Metropolitanは、マカティ、ロックウエルの東のはずれのエステレリア(Esterella通り)沿いにあるので分かりやすい。EDSAあるい はロックウエルの両方からアクセスできる。PRAの案内状についている地図はきわめて不明瞭なので、マニラ新聞発行のNAVIにある地図が分かりやすい。  PRAのホームページを見ても記念パーティのお知らせは掲載されておらず、例年開催される地方都市でのパーティの詳細は不明だ。しかし、新GMの元、緊 縮財政の嵐がPRAを吹き荒れているようなので、今年は見送るのではないかと推察される。考えて見れば、アグリパイ会長の時代は、会長自ら地方都市のみな らず世界各国を精力的に歩き回り、PR活動に励んでいた。しかし、肝心の足元はどうも怪しくて、成果は今一だったようだ。新GMはその点を反省し、退職ビ ザそのもの仕組みの改善に力を入れるという方向に転換しているように思える。  

第26回、退職庁創立記念パーティのお知らせ 2011年7月11日



 銀行口座のジョイント・アカウント(共同名義)というものは日本には存在しないようだが、フィリピンではごく一般的に用いられる、きわめて便利な制度だ。  AND/ORアカウントとも呼ばれるが、会社の口座においてはほとんどの場合、これだ。印鑑という概念がない外国では、会社の口座からお金を引き出す場合においても個人のサインで引き出される(小切手を使うのが普通だが)。これを1名に限定しておくと、その人が出張していたり、あるいは病気で休んでいたり、さらには急死した場合など、会社としてお金が使えなくなり、会社としての機能が停止してしまう(印鑑さえあれば誰でも会社のお金が引き出せる日本とは大違いだ)。したがって、複数の人をサイナーとして指名する。当然のことながら、このサイナーの指名は役員会で決議しなければならない重要事項だ。しかし、1名のものがサイン権をもちお金を引き出せるとなると、今度は逆に会社のお金を不正に使用するというリスクが出てくる。したがって、小切手のサインは次のようにするのが一般的だ。  仮にA、B、C および D の4人にサイン権を与えるとする。小切手のサインは2名連記で行い、次の4つの組み合わせとする。普通AとBは会社の代表、一方CとDはトレジャラー(監査役)やアカウンタント(会計係)だ。これにより、会社のお金が勝手に使われてしまうことを相互に監視させようというわけだ。この場合、C and Dではおろせないのが味噌だ。 ①A and C または A and D […]

ジョイント・アカウントの勧め 2011年7月7日


 6月29日にPRAを訪問した際、明日、6月30日(木)と7月1日(金)はNBIの担当官がPRAで執務せず、NBIクリアランスの受付をしないと、 PRAから告げられた。さらに7月4日以降は不明だという。週末にお二人の退職者が来比される予定なので、途方にくれた。無犯罪証明書を日本のフィリピン大使館で認証してもらってくれば、NBIクリアランスは不要なのだが、これらの方は、それをやっていない。だから、NBIクリアランスがないと退職ビザの申請ができなくなってしまう。 (NBI=National Bureau of Investigation、国家捜査局)  6月30日と1日はシステム変更のため、NBIはすべての機能を停止し、7月4日から再開するということだった。そして、4日(月)、PRAの入り口にはNBIからの通知が張ってあった。 ①受付はメトロマニラのいくつかの市役所と、ロビンソン・モールで行い、本庁では受け付けない ②クリアランスの申請は新規受付に限り、更新は受け付けない ③退職ビザ等を申請する外国人も一般のフィリピン人と同様、これらの場所で列に並んで申請すること ④発行には3週間程度かかる ⑤この措置はシステムの運用が軌道にのるまで継続される(2~3週間?)  7月4日当日、仕方がないのでお二人の退職者を案内して一番近いロビンソン・オティスに行ってみた。そこはまるで人の塊で、列もほとんど進んでおらず、 1時間や2時間並んだからといって埒があきそうにない。今日中に受け付けてもらえば幸いといった感じだった。NBIクリアランスがないと就職も海外出稼ぎもままならないフィリピン人にとっては死活問題だ。こんなとき、彼らは辛抱強く何時間でも列に並んで待っている。他に術がないのだ(他にやることがないこともあるが)。   […]

NBIがシステム変更で大混乱 2011年7月6日



 フィリピンに住んでいたらやっぱりフィリピン人好かれたい。皆に好かれて愛されれば、何かあっても皆が守ってくれて、安心だ。病気になったり、経済的に 困っても皆が助けてくれるだろう。日本では、あまり気にもしないことが、いやがられたり、きらわれたりする。逆に、どうでも良いと思っていることが、やけ に感謝されたりする。「うそはうそだから悪いこと」、「悪いことをしたら叱られるのは当たり前」「借りたものは返せ」、「うそは泥棒の始まり」などなど、 道徳教育でとことん仕込まれた日本での倫理・常識は日本においてきて、この際フィリピーノ流をしっかり身に着けよう。 中庭の飾り物をおもちゃに遊ぶのが大好きなKIAN 1.マバゴとマバホ(香りと臭い) フィリピーノはにおいに敏感だ。体臭と口臭をことのほか嫌う。だから、でがけに必ずシャワーを浴びて準備万端でお出ます。フィリピンで体臭や口臭を感じ させる人はまずお目にかからない。しかし、欧米やアラブ、あるいはインド人などと比べたら、はるかに清潔と思っていた日本人でもかなりの確立で臭う人はい る。特に老臭や口臭は避けがたい。老臭にはクエン酸を多く含む食べ物、梅干などが効果があるそうだ。また、パセリを常食する人に口臭はないという。ちなみ にタバコや酒で臭い人は多いが、何故かフィリピン人はこれさえも無い。フィリピーノが鼻の下を人差し指でこすったら、臭いという意思表示で、最大の侮辱の 表現だから、さっさとその場から離れ去ったほうが良い。もてるコツ、その一は「いつも清潔に、においは大敵」だ。 ランドセルにミルクやおやつを背負って出かけるのが日課のKIAN 2.マバエット(優しい)  理想の男性像はと聞くと、のまず最初に出てくるのが「優しい人」、だ。いつでも笑顔、怒っていても笑顔、遅れてきても笑顔、文句を言うときも笑顔、とにかく笑顔を絶やしてはいけない。仕事で部下に何かややこしいことを質問するとどうしても難しい顔になってしまうが、相手はそれを「怒っている」と受け止めて、構えてしまう。あるいは怖くなって、言い訳から始まって、まともな答えが返ってこない。そんな場面でも笑顔を交えて話せば、相手もリラックスして協力的になる。笑顔以外の表情はこの国ではいらないくらいだ。もてるこつ、その2は「いつも笑顔で優しく」だ。   水遊びが大好きなKIANはびしょびしょになりながら、鉢植えに水をやる。コンドミニアムの中庭をさまようKIAN […]

フィリピーノにもてる五つのこつ 2011年7月5日


 拙著、「金なし、コネなし、フィリピン暮らし」の133ページの囲み記事で紹介した、五つの「あ~ない」はフィリピン人と付き合っていく上での心得を端的にまとめた、先達の伝説的名言だ。すなわち 「あせらない」、「あきらめない」、「あたまにこない」、「あてにしない」、「あまやかさない」だ。これにあやかって、いつも気になるフィリピーの気質を、五つの「あと~」にまとめてみた。  1.なにか頼むといつでも答えは「あとで(ママヤ)」、何かしていて忙しい訳でもないのに、何で「あと回し」なのか理解に苦しむ。そしていつやるのかと思ってみていると、いつまでもやらない。それで催促すると、また、「あとで、(ママヤ)」と同じ答えをする。なぜやらないのかと、責めると、「しつこい、(マコリット・カ)」と逆襲される。そして、期限ぎりぎりになって、あわてて始めるが、もはや手遅れとなっていることが多々ある。あるいは、いつまでもやらないので、仕方がないから、自分でやってしまう。件の敵は、きっと、「はじめから自分でやればいいのに」と、思っているのだろう。 ちょっと風邪気味で大きな鼻ちょうちんをつけてぐったりとして抱かれているKIAN  2.遅れてきたり、忘れたり、何か失敗をしでかしても、いかにもそれがはじめから必然であって、自分に責任はない、という「あと訳(あとからするとってつけたような言い訳)」をする。例えば、書類を日本に送ってもらおうと、タイプした日本の住所を渡して郵便局に行かせたら、戻って来た伝票の住所が違う。町名が抜けていたのだ。彼いわく、「住所が長すぎるので落ちてしまった、郵便番号があるから問題ない」と、それがミスだとは決して認めようとしない。確かに書類は届いたから良かったものの、送り先不明で戻ってきたら、とんでもない費用と時間のロスだ。ちなみに日本へのEMS(国際スピード郵便)の料金は717ペソで彼らの2日分の給与に匹敵するのだ。  お気に入りのテレビ番組を興味深げに眺めるKIAN   3.サリサリやトロトロではつけ売りが一般的で、個人的に何か売っても、その場で現金で支払うことはほとんどなく、「あと払い(ウタン)」が当たり前だ。お金を貸したらまず戻ってこないと思ったほうが良いが、この「あと払い」も踏み倒されてしまうことが多い。こんな商売をやったら儲かる、農地を買ってこんな作物を作ると儲かるから、まず金を出してくれ。儲けは「あとで払う」から、と数万円から数十万円の出資を持ちかけられた経験をお持ちの方が多いと思う。そして実際に出資金の配当あるいは返済をしてもらった人は果たして何人いるだろう。くれというのは恥ずかしいから、「貸してくれ」、あるいは「出資してくれ」というが、実際はもらったものと思っていて、それによって自分達の生活の糧を稼ごうとしているだけなのだ。彼らにしてみれば、「本当に戻ると思っていたのか」と、心の中であきれているのだろうが。 ヤヤ(子守)もKIANと一緒に楽しそうにテレビに見いっている。大人と1歳の赤ちゃんが一緒に楽しむ番組は一体なんだろう  4.フィリピン人の時間のルーズさにほとんどの人は頭に来た経験があるだろう。その原因はさておき、約束した時間をとうに過ぎているので、電話で「いつなったら来るのかと」催促すると、決まって「あと少し(マラピット・ナ)」と答える。そしてすぐ近くに来ているはずなのにさらに30分も現れない。歩いても10~20分くらいのところを、なぜ30分もかかるのだ。この「あと少し」を決して信じてはいけない。いつかそのうち来るだろうと、マイペースで他の事をしながら気長に待つか、自分も遅れていくことだ。  KIANの笑顔はまるで天使だ。すべての大人を魅了する。  5.事務所や部屋をフィリピーノが使ったらすぐに分かる。なぜなら、パソコンやテレビを使ったら、そのまま「あと片付けをしない」ので、色々な設定を自分でやり直さなければならないのだ。人のものを使ったのだから、使わしてくれた人が使いやすいように「元に戻しておこう」とは決して思わない。「やったらやりっぱなし」が、フィリピン流だ。これを責めると、やはり「マコリット・カ」逆襲される。「親切心で貸してやったのだから、ついでに元へ戻す位のことを自分でやって何が悪いのか」と。  それが数秒後には悲しげな顔に激変、そしてまた数秒後には再び笑顔が戻る  フィリピン人は奥が深くて理解するまで数十年の月日を要するようだが、我々日本人にとってネガティブな面ばかりではない。愛すべきフィリピーノを大分こき下ろしたので、フィリピーノの心に宿る日本人にはもはや失われた「五つの愛」を紹介する。 ①切っても切れない家族の深い絆、家族愛 ②お年寄りと赤ちゃんを心から愛し、大事にする、弱者への愛 […]

フィリピーの気質、新五つの「あと...」2011年7月4日



6月24日、台風5号(ファルコン)が通過したにも関わらず、マニラは一日中雨模様だった。メイドに聞いてみると、軽く、「雨季だから」といういなされた。先日までの暑さとは打って変わって、涼しい毎日が続いている。  この日、夕食後、9時からNHK BSで面白い番組をやっているから、見に来ないかと誘いがあった。場所はパサイ・ロードのカラオケ、ラジューラ。かなりの雨なので、車で行くことにした。    案の上、経路のパソンタモは道路冠水していて、タクシーでは難儀するところだった。マニラはなんと言ってもSUVなど背の高い車が必須だ。10~20cm程度の冠水などもろともしないで進むことができる。 NHKの番組は雨でアンテナの調子が悪いのか一向に写らないが、店はいつになく、盛り上がって、ステージでほとんどの客が踊り始める始末だ。昨年は閑古鳥が鳴いて、カラオケのサバイバルの季節だったが、ここのところ客足が戻ってきていたが、この日は大盛況ともいえた。10時過ぎまで頑張ったが、遅くなると帰れない恐れもあるので、早々に引き上げることにした。これから半年間、この道路冠水に悩まされることになるが、この三菱モンテーロさえあれば怖くない。かえって涼しくてすごしやすいくらいだ。

フィリピンに本格的な雨季到来 2011年6月27日


6月22日、1週間ぶりにぶらっとミス・ユニバーサル(MU)を覗きに行った。先週、たまには別の店ということで、退職者の案内でエイシア・エンターテ イメントとかいうロハス・ボリバード沿い、バクララン・チャーチの近くの店に行った。我々二人、女の子を一人ずつ指名して、1時間ほどいただけで4600 ペソも取られてびっくりした。その後、口直しにMUを覗いたが、同じ条件で1350ペソと3分の一にも満たない料金で、再びMUを見直したばっかりだっ た。 ところでこの日、間違いなくハリソン・ロードを走っているはずなのに、いつまでたっても、あの赤いMUの看板が見えてこず、一瞬パニックに陥った。多少 酔っていたせいもあるが、良く知っているところを走っているはずなのに、あるべきものがなくて、自分がどこにいるのか分からなくなってしまったのだ。   目をこらして探し、それがあるべき場所についてみると、1月1日の新年以外は一年中消えることがなかったおなじみのネオンが寂しげに消えていたのだ。さら に近くに寄ってみると、「未成年者(18歳未満)雇用の違反により、永久に閉鎖を命じる」という看板が正面玄関に掲げられていた。退職してフィリピンに 渡って以来、10年近く私を慰め続けてくれたこの店のなきがらに、期せずして対面することになってしまったのだ。 これは一大事と、先日知り合ったばっかりのこの店の女の子に電話をして聞いてみた。彼女によると、昨日、すなわち6月21日がMUの命日だそうだ。彼女 いわく「明日から別の店で働くから遊びに来てね」とMUの閉鎖など全く意に介さない様子で、相変わらずたくましかった。    2ヶ月ほど前に、私のなじみのマネージャーがMUからいなくなっていた。その後、この子をテーブルにリクエストして色々聞いてみると、「未成年者の雇用 ということで手入れがあり、何人かの子が姿を消し、ほとんどのフロアーマネージャーが逮捕されてしまった」のだそうだ。そのうちの何人かの子の名前を聞い […]

また一つマニラ名物の灯が消えた(その5)2011年6月23日