Yearly Archives: 2011


今年は4月18日の週がホリーウイーク(聖週間)で、21日(木)~24日(日)が4連休となり、その休みを利用して約1週間、ビコール、タバコの農場 に滞在した。今回は息子も一緒で、久しぶりにのんびりすることができた。その間、Good Fridayの行列に参加したり、KIANの誕生会、そしてカラモアン探訪など、盛りだくさんだった。  行きの飛行機からは久しぶりにマヨンがきれいに顔を出していた。地上からは雲に隠れて見えなくてもこのように雲の上に顔を出していることもある。以下農場を散歩した際に撮った風景写真だ。 日本ではなかなか見られない黄色い大輪のハイビスカス(ゴマメラ)とサボテンの一種。 闘鶏とアヒルの赤ちゃん、外に出すとアイスにやられてしまうのでしばらくはケージに入れて育てている。 バナナは1年中たわわになっている。まだ食べるには早すぎて、なかなか食する機会がない。 カラチュチの花が見ごろでたくさん咲いている。お猿さんは子供達の友達だが、犬とはやはり中が悪く、大人の背丈ほどの高いところに小屋がおいてある。  家を建ててから8年になるが、周囲に植えた果樹は実をつけ始めている。7~8mに育ったアボカドの木はたくさんの実をつけ、数ヵ月後が楽しみだ。  5匹いた子豚はKIANの誕生会に供されて、3匹になっている。ジャックフルーツ(ランカ)は家の周りに10本くらい植えてあって、大きな実をつけている。   水芭蕉のような花の芯には蜂の一種が蜜を吸いにとまっている。  タガイタイでパイナップルの苗を100本買って植えたが、実をつけ始めている。 草刈はダニー(農夫)の重要な日課で、草刈機で雑草を一網打尽にする。三角の屋根は闘鶏の個室だ。 テ ラピアノ養魚場にはもともと農夫が住んでいた小屋を残してある。養魚場にはアヒルが泳いでいて、いつもテラピアノえさを横取りしている。この池にすんでい […]

農場散策 2011年5月19日


先日、息子がフィリピンを訪問した折、カジノで遊びたいと誘われ、4日ほど連続してカジノめぐりをした。初日はエドサ通りとロハスボリバードの角にある ヘリテージホテルに行った。ここは、向かいにあるEDSA International Entertainment Cmplex(通称エドコン、8軒のゴーゴークラブが一つのビルに収容されている)とともに日本人におなじみの遊び場だ。ヘリテージホテルに泊まって、カ ジノで一稼ぎしてエドコンで遊ぶといった按配だ。   私は賭け事は絶対に勝たないという信念があるので、カジノに行くことはめったにない。しかし、この日は息子がスポンサーになるというので、付き合ってやっ た。ねらいは、かけ方が簡単なルーレットだ。バカラ、ブラックジャック、ポーカーなどのテーブルはたくさんあるのだが、どういうわけかルーレットは2台し かない    ルーレットは、最低賭金が台で異なっているが、2分の一の確立の赤黒、奇数偶数などは、200~500ペ ソと高く、3分の一の確立の縦の列や1~12などの数字のグループにかけるのは100~200ペソ、上限も3000~6000ペソに設定されている。その 他、1つ、2つ、4つ、あるいは6つの数字に賭けるのは10~30ペソと低く、上限もない。めったに入ることはないからそうなっているのだろうが。     […]

フィリピンでカジノめぐり 2011年5月18日



今年の正月にKIANが農場にやって来たときはまだ9ヶ月でほとんど家の中にいた。今回は1歳と1ヶ月になっていたので、自ずと行動範囲も広がって、農場の動物などにいたく興味を示していた。まずはじめが、駐車場の片隅にあるサルの小屋だ。子供達が近づくとサルは歯をむき出して威嚇するが、私がKIAN を連れて近づくと平静そのもので、手足に触っても平気だ。どうも子供達はいつもサルを驚かしているらしい。 ジェーンの姪の年長組みはすでにハイスクールだ。いつも3人寄り添って楽しそうにおしゃべりしているが、なかなかおませな事を話しているらしい。 KIANの誕生会のチーズロールを巻くのに、息子が参加したところ、ビコール語なのでほとんど分からないが、時折、バージンとかボーイフレンドとか、女の子の名前が出てきたりして、話の内容を察することができたそうだ。13、14、15ともなってくれば自ずと興味はそっちへ向くのは万国共通だ。一方、年少組みが盛んにKIANをあやしている。写真をクリックして拡大して見ると分かるが、KIANが舌を出してアッカンベーをしている。  KIANは水浴びが大好きだ。石鹸を頭につけて洗っても、平気の平左でうれしそうな顔さえしている。 ママのジェーンが夕方、日がかげってからKIANを農場へ連れて行った。牛の子供や、テラピア、アヒルや鶏などとの初対面にいつもの好奇心を示していた。  この日は全員でタバコの町に出かけた。子供達が13人、親達も入れると総勢20人になるので、車とトライシクルに分乗して出かけざるをえいない。そこで、トライシクルと車の運転席に座ってご機嫌のKIANだ。  マヨン火山が雲の上から顔を出したので、KIANを外に連れ出して、記念撮影。とてもよい表情をしてくれた。その後、KIANは1歳を過ぎたので、ロラ (おばあさん)に髪を切ってもらうことになった(フィリピンでは1歳になるまで髪を切ってはいけないという迷信がある)。ところがはさみを向けられて KIANは恐怖のまなざしでロラを見つめ、決して髪を切らそうとしない。 総勢12名のいとこ達にい囲まれてうれしそうなKIAN。まるで王子様だ。 水遊びが大好きというので、組み立てプールを買ってやったがちょっと大きすぎた。また、転んでおぼれるといけないので、水の深さは、ほんの数センチにした。それでもKIANはとてもうれしそうにはしゃいでいた。来年は水を一杯にいれてエンジョイしているだろう。 1歳と3週間になるが、まだ歩けないKIANの秘密兵器が、この長めのタオルだ。これならKIANは最小限のサポートで歩行練習ができる。それにサポート役は腰を曲げる必要がないので腰が痛くならないで済む。KIANがアイスの周りをよたよたと歩き回ったり、KIANが近づいて触っても忠犬アイスは知らぬ顔を決め込んでいる。 翌日、マヨンの雲が晴れたので再びKIANを外に連れ出して、記念撮影を試みたが、KIANは具合が悪いと見えて機嫌が悪い。

KIANの農場初体験 2011年5月18日


 しばらく前に納豆に関する話題をブログに乗せたら、セブにお住まいの新留さんが、その作り方を連絡してくれた。今回は新留さんの秘法を紹介したい。実は私も1990年代の終わりにフィリピンに駐在した折、納豆作りに挑戦したことがあるので、その経験も含めてみた。 1. 大豆を一晩、水に漬け置きする。大豆はマーケットで入手可能。45ペソ/kg位でお米よりちょっと高め。マニラならデビソリアで安く売っている。   2. きれいに洗って、鍋でボイルする。圧力鍋を使えば、約500gの豆を30分くらい。普通の鍋なら4時間くらい。   3. ゆでた大豆の水を切って、大き目のタッパーウエアに移す。容器は熱湯でよく消毒しておく。そうしないと納豆菌が雑菌に負けて醗酵してくれない。 4. 納豆菌をふりかけ良く攪拌する。タッパーウエアに敷き詰めた大豆は3層以上にならないようにする。これらの作業は大豆が熱いうちに済ます。   5.  大き目の発泡スチロールの箱に大豆の入ったタッパーウエアを収納する(箱はスーパーに売っている)。中にはペットボトルに熱いお湯をいれて、温度を40 度~50度に保つ。これには温度計が不可欠。ふたにさして外から見えるようにしておくと良い。温度が下がってきたら、ペットボトルの湯を代える。   6. 約24時間で納豆菌が繁殖して、大豆が白くにごる。温度管理が大切というか、できることはそれしかない。    7. このネバネバがでたら成功の証。 […]

納豆の作り方 2011年5月15日



 4月22日、ホリーウイークの行列見物のはじまる夜まで時間があるので、KIANをマヨン火山の展望台に連れて行った。KIANにとってはマヨン火山は初登頂のはずだ。山の頂上は曇っていて見えなかったが、眼下に広がるタバコ市はあいかわらず見事な景色だった。  途中、やたら多くの人々が山から歩いて降りてくる。これは今夜の行列と同じく磔にされたキリスト様の苦行に少しでもあやかろうとしているのだそうだ。 5年前に台風で破壊されたマヨン展望台の教会の十字架も再建されて白くそびえ地上を見下ろしていた。 展望台にはピクニックがてら来ている人もいて、三々五々ランチを楽しんでいる。 展望台の裏手にはさらに上に登る小道があって、上には開けたところにロッククライミングの練習場があった。そこにはかなりのごみが散らかっており、夕べ相当の人たちが野宿をしたらしい。日本ならば4月の夜では、まだまだ寒くてテントでもないと、どうしようもないが、フィリピンでは普通の服さえ着ていればどうって事はないのだ。    KIANといえば、展望台のレストランで食べさせてもらったアイスクリームにご機嫌で、ビューティフルアイズを連発していた。普段、食べているアイスクリームは無色のバニラだけだから、このチョコレートにくるまれたナッツ入りのアイスがよほど気に入ったらしい。しかし、かじりついたのはいいものの、その冷たさに顔をしかめていた。

KIANのマヨン火山初登頂 2011年5月15日


 ルソン島の尻尾の先端にあるビコール地方、ソルスゴン県、ドンソールはホエール・ウオッチングで有名な所だ。ホエール(Whale、鯨)といっても、ここで見ることができるのは、Whale Shark(ジンベエザメ、タガログ語ではButanding)で正確にはシャーク・ウオッチングだ。しかし、ジンベエザメはご承知の通りまるで鯨のように大きくておとなしく、優雅に泳ぐ地球上最大の魚は一見に値する。  農場のあるタバコ市からレガスピ市を経由して、南へ約2時間、ゆったりした田舎の景色を眺めながらのドライブを楽しんだ後、ようやくソルスゴンのドンソールに到着する。ソルスゴンはブルサン火山の噴火で時折ニュースになるが、普段は知る人ぞ知るサマール/レイテへの通り道でしかない。ただし、温泉などが豊富なリゾート地帯でもある。  ドンソールの街を過ぎて5kmほど行くと、一目で分かるリゾート地帯にでる。その中央あたり、ツーリスト・センターでホエール・ウオッチングを受け付けている。ホリー・ウイーク中のせいか、周囲は白人の姿が目立つ。外国人が訪れるためか、施設が清潔で、フィリピンらしい混沌がここでは見られない。  そこではシュノーケルでもぐることもできるが、器具を使っての潜水は禁止、ジンベエザメに触ることも許されない。彼らはこの地方の宝で大事に保護されているのだ。連れのフィリピン人に料金を聞かせてみたら、外国人が一人300ペソ、フィリピン人は一人100ペソだという。船で30分くらい沖へ行くそうできわめてリーゾナブルな価格だ(と思った)。さらに私は退職ビザを持っているのでフィリピンの住人(Resident)だと交渉したら、100ペソになった。しめて600ペソ足らずだ。それで料金を払おうとしたら、請求書の頭に3500ペソという数字がある。聞いてみると貸切の船代だという。件の300ペソは登録料(Registration Fee)だとうそぶく。たった30分の船旅で3500ペソはいかにも高い。この程度の船であれば丸一日分の料金だ。 それでは乗り合いはないのかと聞くと、6人のりで、一人頭600ペソ弱だという。それにしようと決めて、出航時間を聞くと4時間後だという。なんとも馬鹿にした話で、われわれ「金なし...」組みには、それだけ払って魚を見る勇気がない。したがって、今回は下見ということで、次回スポンサー付で来ようということになった。魚を見るために金をはたくのは外国人がほとんどだから、価格も外国人価格となっているようだ。さらに、昼も近いので隣のレストランで食事を取ったが、マニラ以上の値段だった。これも外国人価格のようだ。 ドンソールへの帰り道、この付近は低地で湿地が広がっている。南国の湿地で育つのが下の写真のニッパ椰子だ。幹がなくて葉だけの椰子で、屋根材として使われ、いわゆるニッパ・ハットの原料となる。

ホエール・ウオッチング挑戦 2011年5月14日



 KIANの誕生日は3月31日の年度末なのだが、ホリーウイークにタバコ市に帰郷した折に近所のかたがたを招待して、再度誕生会を催した。主催者である ジェーンによると先日のパーティは内輪のささやかなパーティだったとのこと。今回の誕生会はご近所のほかに、スコーターから100人近い子供達を招待し て、総勢150人のゲストによる盛大なものだった。 フィリピン一の問屋街デビソリアで買い集めた招待客(スコーターの子供達)へのプレゼント、一個10円、20円の品物が部屋中に並んでいる。さらに、こ の日、農場の2匹の子豚がいけにえとなったが、KIANにとっては知るすべもない。一匹はフィエスタとパーティには欠かせないレチョン、もう一匹はアドボ (しょうゆ味に煮付け)だ。  料理の準備は前日から始められ、ジェーンの姪の娘達はひたすら大量のチーズロール(棒状に切ったチーズを春巻きの皮で巻いて油で揚げたもの)を作ってい る。そしてパーティには欠かせない甘いスパゲッティ、ホッ・トドッグ(ソーセージ)、サンドイッチと続く。どれも安い食材で手作りだから、150人で食材 費はせいぜい、1万ペソ程度だろうか。それにギフト代やピエロの司会とやらで、しめて3万ペソ程度のバジェットで済んだようだ。たったの3万ペソと思うか もしれないが、これでも庶民にとっては大変豪勢なパーティなのだ。  スコーターから招待された子供達は行儀良くいすに座って出番を待つ。もちろん狙いは食べ放題の食事と、大量のお土産だ。ちなみにご馳走やお土産をやるの は誕生日を迎えた本人で、招待客は「Happy Birthday to you」の一言のお返しをするだけで十分なのだ。 […]

KIANの誕生会 パート2 2011年5月14日


 今年は4月18日の週がホリー・ウイークで、22日(金)が目玉のGood Friday、キリストが磔にされた日で、それにちなんで人々は行列を行う。地方によっては本当の十字架を背負って歩いたり、体中を紐でたたいで血を流し たりして、キリストの苦難を自ら体験しようとしているのだ。  この日、ほとんどの人はふるさとへ帰り、故郷で行列に参加する。そのため、マニラは空っぽになる一方、田舎は人々であふれかえる。前日の木曜日は Maundy Thursdayで山車の準備や行列の練習で忙しい。バランガイごとに自警団を組織して警戒に当たっているが、カメラを向けると皆が並んでポーズを取って くれた。  いよいよ行列が始まるというので、その通り道に出てみると、見物目当ての人だかりだ。それぞれが見やすいところに陣取って、行列を待っている。  6時半ごろ、陽がかげってくると、いよいよ行列の第一陣がやってきた。白い衣装に実を固めたハイスクールの生徒が行儀良く並んで歩いてきた。その後には格式ばった街の長老が続く。山車が通り過ぎた後は、良くこれほどの人がと思うほど歩いてくる。   道端で見物していた人も自分のバランガイの行列が来ると、そのまま列に入り込む。要は誰でも好きなときに行列に参加できるのだ。暗くなってくると当方もさ すがに立ち疲れ、引き上げることにした。しかし、道路は立錐の余地もない。一計を案じて、行列に加わり、歩いていくことにした。そして途中で行列から離れ てジェーンの実家へと向かった。奇しくも息子とともにホリーウイークの行列に参加することになってしまったのだ。  実家に着くとKIANが熱を出していて休んでいた。これから教会へ連れていくのだというが、翌日の誕生会を控えて大事を取って、皆で帰ることになった。KIANにとっては連日の催し物で、疲労がたまっていたのだと思う。  

ホリーウイークの行列に参加 2011年5月14日



 5月8日、WBCウエルター級のタイトルマッチがラスベガスで行われた。今回のタイトルマッチの相手は同級3位のシェーン・モズリーで、元世界3階級制覇のつわものだが、39歳という盛りを過ぎたロートルではパクヤオの敵ではなかった。試合は圧倒的な大差の判定でパクヤオが勝利し、フィリピン国民の喝采とアキノ大統領の賛辞を受けた。 試合の生中継はテレビでは行われず、映画館や劇場などで有料で公開され、料金は最低500ペソとフィリピンでは高額だ。パクヤオにはファイトマネーのほかに、この有料放送の割り当ても手にできる。パクヤオのファイトマネーは3000万ドルで、なんと13億ペソ(24億円)という天文学的数字だ。現在、世界でもっとも高額なファイトマネーを稼ぐボクサーだろう。ちなみにフィリピンでももっともお金持ちの下院議員だそうだ(パクヤオは前回の統一選で地元カガヤンデオロから立候補して当選している)。  パクヤオの試合には、いつも5人のチームがフィリピンから同行し、トレーナーやコックなど、皆、パクヤオが貧しい下積み時代からの親友だ。もちろんチームの頭は妻のジンキーだ。彼女は整形を繰り返して今の美貌を手にしたそうで、フィリピーナのご多分にもれず世界チャンピオンのパクヤオを尻に敷いている。これら5人のサポート・チームも、パクヤオのおこぼれで、もはや大金持ちになっているそうだ。  パクヤオを世界の名ボクサーに育て上げたのは彼の母親で、子供のころから、パクヤオが喧嘩に負けてくると、いかに相手を殴り倒すか、母親が実地指導をしたそうだ。現在、母親は70歳を優に超えるそうだが、今でもボクシングのスパーリングと社交ダンスが趣味の活発なおばあさんだそうだ。 ちなみにパクヤオはかつで大変貧しく、10代でマニラに出てきたときはパン屋で働きながら、ボクシングジムに通った。食事は一日一回で、お祭りなどでボクシングの試合をやって稼いだ。パクヤオが世界戦に勝つと、実家や別荘の50人を超えるガードマンやメイドに数千~数万ペソのボーナスを配るそうだが、今回は、さらに自分へのボーナスとして2百万ドル(1億6千万円)の家をアメリカで買った。 上の写真は合後のインタービューに応じるパクヤオ、パンチによるダメージも全くなくて、まるで試合前のようだ。私がテレビを見る限り、一発もパンチを食らっていなかったのではないかと思う。    

英雄パクヤオの勝利 2011年5月10日


4月8日は息子のバケーションンの最終日だ。前々から、フィリピン最後の夜は残ったペソを全部使ってカジノで運試しをすると言っていた。しかし、この日は台風ベベンすなわち台風一号がフィリピンに襲来し、強い風と雨が降っていた。まだまだ夏で雨季の到来も先の話のはずなのにだ。しかしながら、8時ごろにはいったん雨が止んだので、ヘリテージ・ホテルのカジノに出かけていった。途中冠水したパソンタモ通りを通ったが、タクシーの排気口から水が入ってエンジンがかからなくなってしまった。しかし、こういう状況でフィリピーノは全く動じない。近くの若者を呼んでエンジンの押しがけをして事なきを得た。やはり、フィリピンでは車高の高いCRVやモンテーロなどのSUVに限るとつくづく思った。  カジノでは、もっぱらルーレットで遊ぶのだが、この日、息子ははじめから、カラムと呼ばれるたての列と1~12のいずれも3倍の枠に2000ペソずつかけた。それが両方来て一気に8千ペソの儲けになった。しかし、その後は泣かず飛ばずで4000ペソの勝ちを確保して、はやばやにカジノを後にすることにした。帰りがけに、行きつけのミス・ユニバーサルに寄ってみたが、台風のせいか、客足も女の子も少ない。一方、ここのところ飲みなれないビールを飲んだせいで、息子が腹具合がおかしいというので、ここも早々に引き上げることにした。 タクシーで自宅のあるパソンタモ通りに近づくと、またもや道路が冠水している。ちょっと深そうなので、タクシーの運ちゃんはこれ以上進めないから、ここで降りろという。息子といえば腹具合が悪くて真っ青になっている。運ちゃんは、たまたま通りかかったパジャック(サイドカーつき自転車)をとめて、これでこの冠水した道路を行けという。ちょっと写真が暗くて見ずらいが、自転車のタイヤの半分くらいが水につかりながらでも、若者は必死にペダルをこぐ。もともとたいした距離が残っていたわけではないので、10分ほどで自宅の近くまで来た。やはり最後は人間力だ。息子は、自宅のトイレから出てきたら、幸せそうに微笑んでいた。昨年のホリーウイークでルソン島の最北端のパゴツポッドからラワグにバスで戻る折に、息子が腹痛と下痢で死ぬ思いをしたことが思い起こされる。パジャックの運ちゃんには感謝の気持ちをこめて50ペソを支払ってやった。たったの50ペソと思うかもしれないが、彼らにとっては50ペソ(100 円)は大金のはずだ。

今年一番台風ベベンの襲来 2011年5月10日