Yearly Archives: 2011


ホリーウイークの休みを利用してタバコの農場で約一週間過ごした。普段は近場のカグラライ島沖の小島ピナミントガンに船で行くぐらいがせいぜいだが、今 回は息子も遊びに来ているということで、かねてから一度は行って見たいと思っていた秘境カラモアンに一泊の冒険旅行にでかけた。ここは知られざる未知のボ ラカイなどと称され、まさに絶景の秘境だとの聞いていたのだ。しかし、タバコ市の地元の人に聞くとかなり厄介で、ガイドなしではたどり着けないといってい た。ところが、最近フレンドシップ・ツアーの岩崎さんの旅行記を読んで、なんだ我々でも行けるではないかと、気を強くしていたのだ。  カ ラモアンはルソン島の尻尾にあるマヨン火山(タバコ市)から北方、直線距離で50kmくらい、半島の先端にある。本土からはまともな道路がないので船で行 かなければならないが、船はサバンという港から出ている。サバンまではナガ市あるいはタバコ市からは車で2時間半くらいの道のりで、サバン港からギハロ港 までは2時間の船旅だ。ギハロ港から半島の反対側のカラモアン・リゾートまではさらに30分くらいトライシクルに乗る。朝8時にタバコ市を出発したのだ が、リゾートに到着したのは午後の3時近かくになってしまった。 タバコ市からは地熱発電で有名なティウイ(Tiwi)を過ぎたあたりから、海岸沿いにジグザグ道路を延々と走る。途中ゴルダ・ポイントという展望台ですば らしい景色が臨むことができた。この辺はフィリピンではちょっとめずらしいハンギング・ロードと呼ばれる、海に臨む急斜面を削ってできている道路で、三陸 のリアス式海岸を行くようだ。途中、ホリーウイークを利用して帰郷した人たちが、学校の同窓会の集まりで延々と列を成し、トラックやバイクでツーリングを 楽しんでいた。車とバイクの数は100台近いのではないかと思われた。  サバン港に到着すると30人乗り位の船が何艘か泊っている。周辺はまるでこじき部落のようだ。その辺に人に聞くと、船は10時に出てしまって、次の船は 3時だと言う。ここで4時間も待たねばならないかとがっくり来る。さらに船賃を聞くと二人で2500ペソだと言う。そんな馬鹿な話はあるかと食ってかかる […]

秘境カラモアン探訪 2011年5月9日


昨年の11月以来、来月から、来月からとアナウンスされ続けてきたPRAの新ルールが、いよいよ5月5日(木)から適用された。なお、すでにビザをお持ちの方、あるいは、5月4日以前に定期預金開設に必要なドルを送金した方で旧ルールを選択した方は、今回のルール改正の影響は受けない。 新ルールは先に報告したものとは大分内容が変更されており、主に3つのプログラムが用意され選択できるようになっている。 1.SRRVクラッシック(既存のプログラムの改訂版) 2.SRRVスマイル(新規プログラム) 3.SRRVヒューマン・タッチ(治療あるいは療養のためのプログラム) 1.SRRVクラシック 35歳以上、50歳未満は5万ドルの定期預金をPRA指定の銀行に預けること、50歳以上は2万ドル、年金申請は1万ドルは従来と同様、ただし、年間360ドルの会費を前払いでPRAに支払う(3人以上の同伴者には一人100ドル追加)。ドル定期預金はコンドミニアムの購入や戸建住宅の長期リースのに転用することはできるが、それらの物件は入居可能な状態であること(プレセールのコンドミニアムや住宅の建設には使えない)。また、投資総額は5万ドル以上であること。この場合、あらたにビジトリアルフィーは発生しない。なお、ビザ申請に必要な書類は従来と同様。 2.SRRVスマイル  35歳以上一律、2万ドル。この2万ドルは投資に転用することはできず、将来必要となるであろう医療費や埋葬費用などに使用することを前提とする。年会費等については(1)と同様。 3.SRRVヒューマン・タッチ  35歳以上、一律1万ドル。その他の条件は(2)と同様。ただし、年金は月々1500ドル以上必要で、年金証書ならびにフィリピンで年金を受け取っている証拠、健康保険証書さらに療養あるいは介護が必要であるという診断書等を提出すること。同伴者は配偶者等1名のみ。  4.既存の退職ビザ保有者  既存の退職ビザ保有者は(2)のSRRVスマイルに乗り換えることができる。その場合、50歳未満で5万ドルあるいは7万5千ドルでビザを取った人は360ドルの年会費を支払うことにより、差額3万ドルあるいは5万5千ドルを引き出すことができる。さらに50 歳以上で5万ドルでビザを取得し、現在の2万ドルとの差額3万ドルを引き出した退職者(ハーモニゼーション)は、従来450ドルを支払っていたものが、 360ドルに減額される。あるいは、5万ドルをすべて投資に転用している人は2万ドルを再預金することにより、500ドルのビジトリアル・フィーが360 ドルに減額される。もちろん現状維持を選択することも可能だ。 (5月4日新ルール適用の前日に行われた新ルールの説明会の様子と自ら説明するGM)   ルールの細則 […]

PRA新ルールが5月5日から施行されました 2011年4月17日



 KIANの誕生日が年度末の3月31日。あれから1年、近所の黄色い藤のような花は満開となった(名前を聞いても誰も知らない)。1年中暖かいこの熱帯の地でどうやって季節を知るのか分からないが、この木は正確に時を知り、花を咲かせている。この木の下はトライシクルのターミナルになっているが、花の写真を撮っていたら、トライシクルのドライバー達がポーズを取って写真撮影をねだっていた。   ここのところ、歩行練習に余念のないKIANだったが、その運動のおかげで少々締まってきたような気がする。 部屋でKIANが歩いていると大声がかかり、行って見ると、KIANが数歩歩いている。カメラを向けるとなかなか歩いてくれない。1年と2週間目の出来事だった。後2~3週間もすれば家の中を自由に歩き回ることだろう。特に、ホリーウイークは田舎に帰るので、農場の大きな家の中を歩き回る姿が目に浮かぶ。  

速報、KIANがついに歩いた 2011年4月17日


最近フィリピンに二人の娘さんをつれてやってきた退職者が、新車でパスコの事務所を訪問された。どんな車を買おうかと迷っていたのだが、いすゞの SPORTIVEという7人乗りのSUVを購入したのだが、決め手はカーナビだった。運転手が道を良く知らなくて困っていたのだが、この車はカーナビが標 準装備されていたので、即決したそうだ。価格は120万ペソで決して安くは無いが、席が3列あって、洪水の多いマニラでは車高も十分だ。  フィリピンでカーナビのある車に乗るのは初めてだった。カーナビの器械は簡単に手に入るが問題はソフトだ。地図のソフトが無ければカーナビは何の役にも 立たない。フィリピンでは運転手を使うことが多く、彼らは道を良く知っている。だからカーナビの需要は少なくて、ソフトの作成に元が取れないと思ってい た。少なくともマニラないしカラバリソン(カビテ、ラグナ、バタンガス、リザール、ケソン)全域の詳細な地図が入っていなければどうしようもない。それだ けの地図を入力するのは容易なことではないだろうし、かなりの投資となる。   1990年代の初頭、私がフィリピンにやってきたばかりのころ、フィリピン人をたくさん雇って日夜、日本の地図を入力している会社があった。その後、日本 のカーナビが急速的に普及した。あのカーナビの地図は、実はフィリピンで入力されたものだったのだ。あれから20年、ついにフィリピンにもカーナビが上陸 したのだ。    ちなみに、フィリピンで地図を見ながら行き先を探す人はめったにいない。住所を頼りに人に聞きながら探す。 それでなんとか間に合ってしまうのだ。というよりか、彼らは地図が読めないのだ。彼らにとって立体的に地理を見るよりも、平面的に地理を捉えるほうが易し い。要は、マクドナルドのある交差点を右に曲がって、しばらく行ってカルテックスのガソリンスタンドを左に折れて...てな具合だ。したがってカーナビは フィリピン人にとって天の恵みか果たして無用の長物か興味のあるところだ。ちなみに件の運転手はどうしてもPRAへの案内をカーナビに入力することができ […]

フィリピンにカーナビ登場 2011年4月17日



先の東日本大震災の未曾有の爪あとに、日本人が一体となってたくましく立ち向かっていく姿が、毎日テレビで報道されている。どれだけの時間がかかるか分からないが、いずれ、見事に再生し、立ち直ってくれるものと願う。しかし、気にかかるのが福島原子力発電所の事故の収束の兆しが見えないことだ。炉心溶融 という最悪の事態を迎えるとなると、未来永劫、福島県、茨城県などの数県には人は立ち入ることもできなくなってしまうだろう。さらに風評被害により日本の 農業水産物は放射能汚染のレッテルを貼られ、世界の市場からそっぽを向かれるのは間違いない。  自然災害は時がたてば元へ戻る、というよりは地震や津 波、それに台風や噴火は自然の営みの一つでしかなくて、古来より繰り返し起きているものなのだ。動物そして人間はその自然の営みに翻弄されながらも脈々と 生き延びてきた。2006年の超大型台風レミンで私の農場があるビコール地方アルバイ県が壊滅的被害を受けた時も、マヨン火山はそ知らぬ顔をして、いつも の通り、その美しい姿を誇るようにそびえていた。火口からの火砕流が大雨で流されて近隣の家を押し流したが、それはマヨン火山があの美しい姿を保つため に、古来から続けている営みに過ぎないのだ。マヨン火山にとってみれば、被害を受けた河川敷のスコーターの住民はごくごく最近勝手に闖入して、そこに居 座っていた蟻のような存在に過ぎないのだ。  自然の営みを災害と称するのは人間が勝手に呼んでいるだけであって、自然にとってみればありがた迷惑なだけだろう。何も人をいじめるために地震や台 風を起こしているのではなくて、それが単なる自然現象であり、人間が生まれる前から繰り返していることであって、そこに人間が自然にとって余計なものを作 るから破壊されてしまうのである。 (下の写真は農場から撮影したマヨン火山の雄姿だが、この台風でなぜマヨン火山がこんなにも緩やかで美しい裾野を形成しているのか理解できた。噴火によって斜 面にたまった火砕流が、台風の大雨により土石流となりさらにゆるい傾斜の裾野を形成するという営みが数万年あるいは数十万年繰り返されて、世界一美しいと 言われる完璧なコニーデ型の火山を作り上げたのだ) […]

原子力はパンドラの箱なのか 2011年4月11日


ほんのちょっと前に生まれてたと思ったら、この3月31日にはKIANは早くも一回目の誕生日を迎えてしまった。その間の成長振りは目を見張るものがあ り、人間としての知恵も日に日に身につけているようだ。  11月9日、7ヶ月と9日目のKIANはミルクの飲み方にも変化が出てきた。 11月10日、パンにかじりつくKIAN、抱き枕に抱きつく寝姿も本格的になってきた。  11月23日、絵本をもらって得意げなKIAN。本人は絵本とは認識していないようだが。  12月9日、8ヶ月と9日目、喜怒哀楽を全身で表現するKIAN。  1月1日の深夜、9ヶ月と1日目、大晦日の夜から元旦にかけてのパーティの喧騒に、眠りからさめたばかりのKIANは目を見張る。  正月をビコールの田舎で過ごしたKIANは椅子を持ち上げたり、行水中にジャンプしたり、いかんなくやんちゃ振りを発揮していた。  KIANが本格的に泣き始めると、どういうわけか口が四角になる。こうなってしまったら助け舟を出してやらないとかわいそうだ。  ご機嫌な時やうれしいときは両目をつぶってウインクをする。これをビューティフル・アイズ呼ぶそうで、この目をすると周囲の大人たちから歓声があがる。 写真では表現しきれないが、確かにキュートで、天使のウインクといった風情だ。いくら周りがせかしても本人が気が向かないとやらないので、その瞬間をカメ ラでとらえるのは至難の技だ。  1月9日、9ヶ月と9日目、外出するのが大好きなKIANは、この日パパとタガイタイに出かけて終始ご機嫌だった。  1月16日には憧れのオーシャンパークへ、周囲の魚にいたく興味を示し触ろうとしているKIAN。ベッドの背もたれに移った自分の姿にも興味深々だ。  1月30日、10ヶ月目を目前にあこがれの3輪バイクをプレゼントしてもらって、うれしそうに店員に話しかけるKIAN。一体何を言いたいのか、値段交渉をしているようにも見えた。外食にも同伴してスープなどもおいしそうに食べている。 […]

KIANの成長記録(その2)7ヶ月~1才 2011年4月8日



従来、日本から持ってくる必需品としてパソコンを上げていた。これはフィリピンでパソコンを買った場合、OS(Operation System)が英語版だから、そのままでは日本語は使えず、日本人にとっては役立たずの木偶の坊だからだ。これを日本語でも使えるようにするには従来、 OSから日本語版WINDOWSなどに交換する必要があり、中身をそっくり入れ替えることになってしまうと思っていた。そうしたらソフトの購入費だけでも 新しいパソコンを買うのと同じになってしまうだろうと。 最近、インターネット専用の安いパソコンが出回っているが、これはMSオフィスなどのソフトが入っていない。しかし、中身は立派なパソコンで、2万円程 度から買える。最近はフィリピンでも出回り始めて、1万~2万ペソ程度で買える様だ。私も一台持っているが小さいので持ち運びに便利だ。これに当地で格安 で求めたMSオフィス英語版をインストールすると、なんとWORDやEXCELLなど、どんなソフトでも日本語で作業ができるようになってしまうのだ。  (英語版WIDOWS+日本語ソフト)では日本語は使えないが、(日本語版WINDOWS +英語版ソフト)なら日本語が使えるが、これは日本語機能がOSの一部となっているためだ。ただし、英語版ソフトを使うと、画面の機能の表示は英語となる が、ちょっと慣れればなんのことはない。パソコンの用語はもともとすべて英語だから、ファイルがFileと書かれていても困る人はあまりいないだろう。も し、フィリピンの人と同じパソコンを共有するとしたら、フィリピンの人にとっては大変重宝となるのは間違いない。ただし、OSにまつわる機能は日本語で出 るので、フィリピンの人が戸惑うときもある。  以上の情報は以前ものだが、今回、ある退職者の方から、フィリピンで買ったパソコンに日本で買ったMSオフィスの互換品のソフトをインストールしてくれ と頼まれた。店の人には、そうすれば、日本語が使えるようになると説明されたそうだ。そんなはずがないと、上記のことを説明して納得してもらった。  しかし、かなり高価なパソコンを買ってしまったのでなんとかしなければもったいない。幸い、手持ちの日本語版WINDOWSがあったので日本で買えば数 […]

英語版パソコンが日本語版パソコンに大変身 2011年4月3日


3月31日、本年度の終わりのこの日は、KIANの誕生日だ。日本は被災した方々の支援など、まだまだ落ち着いたとはいえない状況で、テレビを見るたびに心が痛むが、今日は失礼してKIANの一回目の誕生日をお祝いさせてもらった。ちなみに、このバースデイ・ケーキはゴールディラックスからたったの 420ペソで買い求めた定番のケーキだ。 朝早く、父親のいとこで客船のシェフをしているという人が助っ人にやってきてくれた。それまで何も準備をしていないので、どうなるのかとやきもきしていたが、12時前には見事な料理が出来上がっていた。優に50人ぐらいの人がたらふく食べられる量の料理がテーブルに並んでおり、さすがプロと感心した。  父親のカーネル(大佐)は制服姿で親子3人の記念写真、KIANも中国スタイルでおめかしをしている。本人は何が始まっているかわけがわからないだろうが、将来写真を見て、多くの人がお祝いに来てくれたことに感謝するだろう。  私としては、KIANが最近箸に興味を示しているので、子供用の箸を近所の日本食材店はっちんから買い求めてプレゼントした。KIANとしてはおもちゃとしてしか認識していないようだが、いずれ器用に使いこなすようになるだろう。父親としてはこんなものを振り回して目にでも入れたら大変と、当面使用禁止令が出されてしまったが。  バースデイケーキのたった一本のローソクを吹き消す段になってもやはりKIANとしては何をしているのかわかってはいないようだ。1年前なんて私にとってはほんの一瞬のようだったが、KIANにとっては目を見張るような成長を遂げており、こうやって種というものが維持されていくのだと思うと、感慨深いものがある。  KIANは体重が13.5Kgもあるので、まだまだ歩けない。最近は歩くことに大分興味が出てきて、つたい歩きや三輪車を押したり、歩行練習に余念がないが、今のところはやはり這い這いで動き回っている。しかしその這い這いもいかにも重量感のある様が面白い。  昼の12時ごろから三々五々、日本人の退職者、ご近所さん、母親の友人、そして国家警察の同僚などがやってきて、料理とワイン、それにパイナップルのジュースなどを楽しんでいた。フィリピン人のパーティと言えば定番のコークやミリンダなどのソフトドリンクは、我が家ではご法度だ。そういえばあの甘いスパゲッティやパンシット・マラボンなども見えず、肉主体の高級な料理が並んでいた。野菜料理はたったの一皿だけだった。 夜の9時ともなるとKIANは寝てしまい、駐車場でエンドレスの飲み会が始まった。ちなみに、この飲み会は深夜2時まで続いたそうだ。そして、あれだけあった料理もほとんど片付いてしまったようだ。  子育てのいうのは、最近日本では仕事や楽しみを奪うなにか人生の負担のようなニュアンスで語られているが、KIANを眺めていると、子育ては人間としての幸せであり、人生を充実させる、もっとも重要な要素であるとしみじみと感じる。フィリピンでは、女にとって子供を作ることがもっとも幸せで、強い願望であるとされ、若い女は子供を作ることをいつも夢見ている。金や仕事のことなどは二の次だ。ここでは、何か人間本来のものが活きていて心強く感じる。

KIANの誕生会 2011年4月2日



フィリピンの薬は即効性があるのでありがたい。日本では認可に時間がかかって特効薬がなかなか巷に回ってこない。フィリピンでは健康保険というものがあ まり機能していないので、医者にかからず、薬局で薬を買って済ましてしまうのが一般的だ。だから、皆驚くほど薬の知識が豊富だ。薬局といえばマーキュリー というほど、薬局チェーンのMercury Drug Storeが市場を席巻している。必ずしもマツモトキヨシのように安売りチェーンではないのだが、街のいたるところにあって、一説によると90%のシェア をにぎっているそうだ。  そして効き目の高い薬の最たるものが、下痢の友とも言える、このイモジウムだ。日本では下痢といえば正露丸くらいしか浮かんでこないが、フィリピンで下 痢といえばこのイモジウムが定番なのだ。一錠14ペソするから決して安い薬でもないが、イモジウムという名前がいかにもユーモラスな響きがあって覚え易 い。 私がフィリピンで企業の駐在員だったころ、カラオケで客を接待するのが毎晩の日課でゴルフが週末のかかせないお付き合いだった。カラオケでビールをしこた ま飲んでしまうと、翌朝下痢になる。下痢を気にしながらのゴルフは辛い。そこで離せなかったのがこのイモジウムだ。これを2錠飲むと一発で下痢がとまる。 ティーショットの瞬間に力んで、つい...なんてのは様にならない。また、休憩所に行く度にトイレに駆け込むのもつらい。ご承知の通り、フィリピンの公衆 便所には便座がなくて、用を足すのも一苦労するのだ。    先日退職ビザを取得した方は日本でタクシーの運転手をしていた。奥さんがフィリピン人でフィリピンとは馴染みが深い。この方はいつも下痢気味の体質なの […]

下痢グスリ、イモジウムの効用 2011年3月27日


今日、日本食材店のちょっとストップによってみたら、大量の商品が到着していて、店員が忙しそうに箱から商品を出して棚に並べていた。しばらく入荷がなくて空の棚が目立ったが、棚に並べくれないくらいの商品がダンボールに詰められて通路に並んでいた。日本のニュースでも大量の食糧が被災地に届けられ始めていると報じられていたが、流通が回復しつつあると見え、フィリピンにも日本食品が届いてきている。我々は被災者といういうわけではないが、ちょっと日本の状況を垣間見る思いだった。  日本の知り合いから、日本のスーパーから納豆が姿を消しているとの連絡があり、毎日の食卓に納豆が欠かせない私としては、早速買占めに走った。納豆といえば水戸、水戸といえば茨城だ。茨城産のほうれん草やかき菜、そして牛乳が福島の原発の影響で出荷停止になったあおりなのか、被災地の食料不足で保存食品の納豆に需要が集中したのか、いずれにせよ納豆不足が深刻化したようだ。 歩いて行ける近所にある日本食材店はっちんに行って、4箱75ペソ(150円)の納豆をかごいっぱいに入れてレジに行った。ここで買う納豆は冷凍されているが、冷凍庫の下のほうまで取り出して、ほとんど買占めてしまった。納豆と生卵、漬物にのり、そしてわかめの味噌汁だけで生きている私にとっては死活問題だ。そうしたらレジのお姉さんが変な顔をしてスーパーバイザーとおぼしき先輩を呼んでいる。先輩いわく「納豆は一人1パックしか売れません」と申し訳なさそうに言う。納豆不足のニュースはすでに伝わっているらしい、あるいは日本からの入荷がないのだろう。そこで、「ダラワ ナラン(2個頂戴)」といって何とか2パック買うことが出来た。 これはやばいと、翌日はマカティ・スクエア、リトル東京にある日本食材店、ちょっとストップとYAMAZAKIを覗いて見た。するとなんと、ちょっとストップにはまったく納豆がないのだ。ここは、他店では100ペソ前後するものを80ペソ均一で売っているというありがたい店だ。だから売れ筋の商品はあっという間に姿を消してしまう。ジャパ行きさんの好物、日清のシーフード・カップ・ヌードルも、ここでは80ペソなので(他店では100~110ペソ)、普段豊富に並んでいるはずの棚からまったく姿を消していた。 YAMAZAKIには納豆やカップ・ヌードルもたくさん残っていた。ここでは購入制限をしていなかったので、もてるだけの納豆とカップヌードルを買いもとめた。納豆の商品説明をよく見ると、やっぱり産地は茨城の水戸だった。    ところで、毎日食卓を共ににしているKIANは納豆が大好きだ。まずはじめに海苔をもらってバリバリ食べる。そしてご飯に納豆、さらにワカメの味噌汁、最後はお茶で締める。ただまだ11ヵ月半のKIANはお茶の中に手は突っ込むは、味噌汁のワカメは鷲づかみで、食べるというより遊んでいるといった趣だが。   下の写真は納豆を箸でつまんであげると、それをうれしそうに食べるKIAN。納豆を食べるフィリピン人はめったにいないのだが、先入観や偏見のない赤ちゃんは何でも周囲の人のまねをするので、納豆もおいしく感じるのだろう。しかし、箸に噛み付いて離さないので、納豆というよりも箸で食べさせてもらうのを喜んでいるのかもしれない。   

納豆がなくなった 2011年3月25日