Yearly Archives: 2012


農場にはジェーンの甥と姪、それに自分の子供、総勢14人全員が勢ぞろいしているので、家の中は子供たちでいっぱいだ。フィリピンで、庶民の住宅地を覗いてみると、巷に子供があふれかえっている。まさにそんな状況がファームハウスでおきている。   お姉さんたちは、クリスマスのギフトの梱包に余念がない。バリクバヤンボックス程度の大きな段ボール2個分の衣類や靴、雑貨などを包むのは、なんと新聞紙、マニラ新聞だ。昨年より、経費節減のため、クリスマス用の包装紙の使用は中止した。ギフトは一人10個以上、これで1年分の衣類などが賄われるらしい。   ジェーンは、9月ごろから、休みごとに中華街のデビソリアに行って、クリスマスの買い物していた。そして、それを皆に配るクリスマスパーティがいよいよ間近に迫っているのだ。ちなみに、ファームでは12月31日に年末年始のパーティを兼ねてクリスマスパーティを開くのが恒例だ。 ケーブル・テレビではディズニーの漫画が24時間流れているので、子供達は、いつも夢中で見ている。もちろん字幕はないが、子供達は、生のアメリカ英語を理解しているようだ。KIANは多少理解している程度だろうが、5~6歳になるころには完全に理解できるようになってしまうのだろう。日本でもアメリカ映画の字幕の使用を法律で禁止したら、かなり英会話学習の意欲の向上と実践に役に立つのではないかと思う。 ヤヤがいないので、KIANの子守はもっぱら姉のキムの役割だ。食事中、何か歯に挟まってしまったようで、大きな口をあけて、姉に取ってほしいとせがむKIAN。 忠犬アイスがテーブルの下で、鼻をKIANに押しつけて、ソーセージをくれるようおねだりをしている。それが嫌で、大声をあげて泣き叫ぶKIAN。 男の子と小さな子供はギフト包みには関係ない。マスター・ベッド・ルームのベランダを占領して、遊びまわる。手すりに座って皆でポーズ。 KIANが糸トンボを見つけて、飛んできて、私に見せてくれた。農場には、ホタルなど忘れかけていた自然が生きている。 誰かがUNOというカード・ゲームを見つけ出して、私に使い方を聞いてきた。昔、私が日本から持ってきたやつだと思うが、使い方がわからないで、ほっておいたらしい。それがもともと息子の持ち物だと分かり、早速、息子に教わりながら、ゲームが始まった。トランプの大富豪のような遊びらしいが、それぞれの子供達のスマートさがわかるという。 小学校1年生、7歳のタムタムとヤナはゲームのやり方を理解できず、除外、泣きながら、仲間外れとなる。なにしろ、一回のゲームに1ペソかかっているので、皆必死だ。2年生のアレクサとアレアの双子は、なんとか合格、4年生のバレリーとアーランがなかなかの腕前らしい。左から、アレア、アレクサ、バレリー、アーラン、タムタム、ヤナの小学生6人組。右端のヤナはかなりの美形に写っている。ジェーンの次兄のアランの子供は概して色白の美形だ。 はとこのプロ歌手のチェムチェムとの初対面、手をおでこにあてて、正式な挨拶をするKIAN。 ジェーンの次兄の4人目の子供、上の3兄弟とは腹違いのヤナは、幼稚園から飛び級で小学校2年生に入学した才女だ。ただ、お母さんを癌で亡くし、お父さんは他の女と同棲したりして、子供の面倒をろくすっぽ見ないので、ここ数年、農場に預けられている。私の前ではいつも静かで、物悲しさを漂わせているが、息子の報告で、普段は活発で、やんちゃでマコリット(しつっこい)な、当たり前の子供であることが暴露された。 おでかけから帰ってきたKIANのやったことは、他の子供が使っていた絵本を取り上げて、その上に乗っかってダンスをすることだった。なんとも行儀が悪いが、KIANのやることはなんでも許される。ビアンカがキッチンで働いているとき、誰かが、後ろからぶったので、ビアンカは血相を変えて、タムタムっとどなった。振り返って見ると、それがKIANだったので、思わず笑顔に変わった。KIANがやることはなんでも可愛いと、許されるのだ。 再び、UNOゲームを楽しむ子供達。お金をかけるのは教育上、よろしくないと、マム・ジェーンのコメントが入ったので、今度は1ペソ足らずのスナック菓子を景品とした。一回のゲームに勝つとスナック菓子をもらえる。そうすると、皆、もらう度に食べてしまうそうだ。日本の子供だったら、ため込んで、後でゆっくり賞味すると思うのだが、フィリピンの子供は、そんなケチなことはしないで、さっさと消費してしまう。宵越しの金はもたないという、気風の良さを、子供の内から発揮する。やはり、冬がない熱帯に生まれると、冬に備えて食料を貯め込むという、生活の知恵、あるいは習慣とは無縁なのだろう。 普段は、キッチンが皆の食事どころだ。ダイニングのテーブルで食事を取ることは、われわれとマム・ジェーンがいる時かパーティの時ぐらいなものだ。 […]

子供達は農場で元気いっぱい(その3)2012年12月30日


フィリピンに持って行った方がよいもの、と聞かれると、私は常々、「耳かきとハエたたき、それに枕」と答える。それに愛用のノートパソコンも必要だ。耳かきと枕は自分専用のものを大事に使えば10年は持つ。しかし、ハエたたきは消耗品なので、そうはいかない。   フィリピンや日本の100円ショップで売っているプラスティック製のものは、数日も使えば、ぼろぼろになってしまう。なんといっても昔ながらの鉄網製のものでなければだめだ。日本の家の近所に昔ながらの金もの屋さんがあって、そこにおいて鉄網製のハエたたきがおいてあった。だいたい、毎年、夏と冬に一回ずつくらい日本に帰るので、夏に帰った時は、このハエたたきを大量に仕入れる。お店にあるだけ買い占めてしまうのだが、せいぜい5本程度しか置いていない。一本200円程度だったが、100円ショップのプラスティック製にものに比べて、100倍近く長持ちするから、少しも高くない。しかし、最近、その店でもなくなってしまったのだ。  マニラにいる限りは、ハエもほとんどいないので気にならないが、農場は、やはりそこそこのハエがいる。蚊がほとんどいないのは幸いなのだが、このハエ一匹で、食卓が台無しになる。以前から、ハエが多いのは周辺を不潔にして、ごみがあるからだと、五月蝿く(うるさく)言い続けてきた。でも多少のハエは、こまめに退治するしかない。 ここ、一年ほど鉄網製のハエたたきを買ってきていないので、農場にまともなハエたたきが無くなってしまった(上の写真は長兄ダシンの家で、未使用のものを見つけて、もってきてくれたもの)。そこで、今回は農場に半月も滞在するので、とても我慢できまいと、マニラで躍起になって、ハエたたきを探しまわった。  マニラの家で使っていたのが下の写真のハエたたきで、柄はプラスティックだが鉄製の網を使っている。これはフィリピンの100円ショップチェーンの日本城で買ったものだそうだ。しかし、網のふちが少々切れていたので、新しいものを数本買おうと思った。  日本城(Japanese Home Center)とサイゼン(日本の100円ショップ、ダイソーの子会社)を当たったが、両方ともなかった。さらに、たまたま家の修理に来ていた職人(ウベット)に手作りで作らせようとしたが、時間切れとなってしまった。  ジェーンの弟のボボイに聞いてみると、農場のあるタバコ市にいくらでも売っていると自信を持って言い切る。それに最後の望みをかけて、壊れかけのハエたたき一本を抱えて飛行機に乗った。案の定、件のハエたたきは数日で実用に耐えるものではなくなった。  そこで、今度はタバコのファーム・ハウスで窓に昆虫よけの鉄網を窓にはっていたウベットに修理を依頼した。新しい鉄網を張り、その周りをエポキシで固め、大分頑丈そうな出来栄えに満足。これなら、1年くらい持ちそうだ。今度、同じものを日本城で見つけたら、まず、周囲をエポキシで固めて丈夫なハエたたきを作って農場に供給しようと決意した。 ボボイによると、タバコにいくらでも売っているはずの鉄製のハエたたきだが、到着早々長兄ダシンの奥さんのノーマに聞いたら、そのなものはタバコ市にはないという。後から、ボボイに念を押すと、「プラスティック製のものはいくらでもある」という。そんなものは初めから問題にしていない。彼にしてみれば、ハエがいるのは当たり前の話で、ハエ、一匹に大騒ぎする方がどうかしていると思っているのだろう。だからマニラでは、その場しのぎのいい加減なことを言ったに違いない。  ところで、何故、ハエたたきは網でなければならないのだろう。プラスティック製にしても、網の部分がプラスティックだから、壊れやすいだけで、構造的には同じだ。もし、プラスティックか何かの薄い板だったら、そう簡単には壊れないのではないだろうか。  それは違う。もし、ただの板で、ハエをたたいたら、うちわの原理で、風が発生する。その風がハエを押し出してしまい、ハエをたたくことはできない。風は通すが、ハエはしっかりキャッチする、すなわち、テニスなどのラケットのように、ハエたたきは網製でなければならないのだ。

執念のハエたたき 2012年12月30日



まるで、雨季まっただ中の農場は、連日、一日中で、時折晴れ間がさす程度だ。20日の訪問以来、、まだ一度もマヨン火山の姿を拝めることができていない。28日はちょっと晴れ間が出て、完全ではないが、マヨンを眺めることができた。 マヨン火山の中腹に生えている、玄関前の庭に植えたシダの木は、屋根に届くほどの大きさに育っている。やはり日影が好みと見えて、表の庭に植えたのとは、段違いだ。  マニラで買ったパパイヤの種をまいたら、実をつけるまで成長した。地元の大型のパパイヤと違って、小粒で丸く、とてもおいしいそうだ。残念ながら、私はまだ食する機会がないが。 裏庭には知らぬ間にカカオ(チョコレートの原料)の木が育って、実をつけるまで成長している。 先日買い求めた地鶏のカビアーは養鶏場を元気に走り回っている。もうすぐここに黒豚を放す予定だが、一緒に仲良くやってくれるだろうかと、気にかかる。 どこからか捕まえてきた野生のアヒル。すなわち鴨。アヒルに比べて大分小さい。 黒豚の飼育が本格的になったら、一般の食用豚の飼育は中止しようと考えている。人工飼料だけしか食べず、野外に出して雨にあてると死んでしまうというのでは、大規模な養鶏場で大量生産される45日と何の変りもない。 一方、黒豚は、自然飼育が可能で、餌も広範囲なものを食べるそうで、農場の期待の星だ。最初は、2頭のつがいだけだが、早くたくさん子供を作って、カビアーと一緒に放牧場を埋め尽くしてほしいと思っている。 農場には3頭の牛がいる。毎日草を食べているだけだが、それなりに農場の草取りには寄与している。黒い牛は、一番若い牛で、まだ角が生えていない。 農場でいち早く実をつけ始めたランカ(ジャックフルーツ)。栽培はとても簡単で、大きいものは子供の体重ほどもある実をつける。未熟の実は野菜としても活用され、利用価値の高い果物だ。写真のもので直径40cmほどもある。 10年ほど前に100本ほど植えたココナッツは、成長してたわわに実をつけている。ココナッツは捨てるものがないというほど、有用な植物で、南の民は、コメとココナッツで数万年の年月を生きてきたのだと思う。コメの作れないところは、フィリピン中がココナッツ・ファームとなっている。 農場には、闘鶏が10羽ほどいるが、その戦いの本能はすさまじく、フィリピン最大の娯楽=賭け、の対象となっている。田舎ではどの家の庭でも闘鶏を飼っていて、休みごとに殿方の慰みとなっている。テキサスと呼ばれる輸入品種はつがいで一万ペソもするそうだ。その勇壮な姿は、威厳さえ感じるが、さらに闘鶏の顔を拡大してみると、その精悍な顔つきに驚く。真っ赤な顔に大きなとさか。われわれ哺乳類にはあり得ない顔つきだ。鳥は、恐竜を祖先とするといわれているが、さすがに、かつて地球を席巻しただけのことはある。 最後に登場したのが、馬のジンポだ。農場の開設以来いるから、10年近くになる。これが、最近脱走して、息子が丹精込めて作っていたパパイヤの木を根こそぎ食ってしまった。息子は激怒して、こんな役立たずの馬は売ってしまえと息巻く。ジェーンに相談したら、10年間もの間、農場の草を食べて、すなわち草取りをして、農場の美観の維持にに貢献してきた。というわけで、ジンポは命拾いをして、相変わらず草むしりに精を出すことになった。

師走の農場風景 2012年12月29日


今日は、パパとママが弟のボボイとその子供達を連れて出かけた。KIANをおいて出かけるということは、なにか重要な用事があるらしい。おいてきぼりを食ったKIANは、私に抱かれながら足をばたばたやって、泣き叫ぶ。私が事前に農場に連れて行って、知らぬ間に出かけようという作戦だったが、タイミングが悪く、車が出て行くのをKIANに見つかってしまったのだ。 無理やり農場に連れて行こうとしたら、ダニーがココナッツの実(ブコ)をとっているところに遭遇した。KIANは機嫌をなおして、ブコの収穫を物珍しそうに見つめる。早速、割ってココナツジュースを味わって、中の柔らかい果肉を賞味した。KIANが手をつけることはなかったが、このブコ・ジュースはほのかな甘みがあって、なかなかの美味だ。クリスマスの準備のためにダニーはマム・ジェーンから60個のブコを農場から調達するように指示されたそうだ。このブコの果肉を削り取って、スイーツを作るのが、クリスマスの恒例なのだ。 テラピアと鯉の養漁場で餌やりをして、次は養豚場。タロー(番犬)がいるので、KIANは中に入るのをためらっていたが、私が抱きかかえて中に入った。姉のキムは初めて養豚場を訪れたようで、KIANよりも、ものめずらしそうに眺めていた。  汚れた長靴を洗うようキムに要求するKIAN。きれい好きなKIANだが、それよりも水遊びが大好きなのだ。長靴の中にまでいっぱいに水を入れて遊んでいた。昼寝中の母豚とツーショット。しかし、この後、決して近づこうとはしなかった。さすがのKIANも自分の体重の10倍もあろう大きな豚に恐れをなしているようだ。         雨が降り始めると、両手を広げ、大きく口をあけて雨を飲みこもうとするKIAN。自然の恵みを一身に受けようとしているかのようだ。養豚場からの帰り道、歩くのが疲れたのか、キムに抱かれてツーショット。 養漁場の脇には従来のバハイ・クボ(農家の家)を改築して、マミー(ジェーンの母親)の姉さんが住んでいる。雨が強くなったのでダニーも雨宿りをしていた。おばあさんが呼び寄せると「アヤオ-いや」とはっきりと拒否反応を示した。KIANはおばあさんがあまり好きでないようだ。 そこで再び、強い雨が降り始めたが、KIANはうれしそうに外に飛び出る。養魚池の水面でわかるようにかなり強い雨だが、KIANはものともしない。   さすがのキムも疲れ果てて、KIANをおろそうとすると、いやいやをして抵抗するKIAN。ハウスに戻ると、ママがいないのを思い出して、泣きそうになるKIAN。 しかし、そんな時のとっておきの手が水浴びだ。雨にぬれた後は、どういうわけか水浴びをしなければならないようだが、KIANはママのことを忘れて大はしゃぎだ。

KIANの農場散策 2012年12月29日



今年は雨が多く、今までに見たこともない大きなカタツムリが農場のいたるところでみられる。ここの住民にしてみれば、特に目新しいものではないそうだが、私にとっては初めて見る巨大なカタツムリだ。KIANの手と比べてわかるように直径7cmほどで、このタイプのカタツムリは食用になるそうだ。たぶん、フランス料理-エスカルゴの材料だろう。タガログ語で「スソ」というそうだ。 ちょっと長めで、海によくいる巻貝の格好をしたのがいたが、模様もきれいで、これがカタツムリの一種とは信じがたいほどだ。所詮、海にいる貝も、これらのカタツムリも同じ仲間なのだろうから、海には直径が数十センチの大きさのものもいるし、こんなカタツムリが地上にいても不思議ではない。しかし、殻を形作るための、これだけのカルシームを、地上で草を食べるだけで摂取することができるのだろうか。中から顔を出すと、それはしっかりとカタツムリだ。ベランダで飼おうと、アロエの鉢に置いたのだが、翌日にはいなくなっていた。アロエは口に合わないようだ。 前から存在を知っていたのが、このカタツムリで、一番ポピュラーなやつだ。観葉植物の植え込みから5~6匹も見つかった。 このカタツムリが、玄関の前庭に植わっているサボテンの木を台無しにした。せっかく丹精込めて育ててきたサボテンの木に、5~6匹固まって、サボテンの幹を食い荒らしていたのだ。         サボテンの幹の傷を見て、何か病気にかかったのかといぶかったが、それがカタツムリの食事の跡とすぐにわかった。このままほっておいたら、サボテンは消滅するところだった。ビアンカの協力で、全てのカタツムリを除去して、別の場所に移した。しかし、サボテンがここまで痛んでいたのを、誰も気がつかないというのもふに落ちない。ちなみに息子はサボテンの存在にも気がつかなかったらしい。 こんな巨大なカタツムリをマニラで見ることはあり得ないが、自然の山の中(ジャングル)ならばいくらでもいるのだろう。戦争中フィリピンのジャングルをさまよい続けた日本兵が食料にしたと、容易に想像できる。なにしろフランス料理の材料になるくらいだから、きっとおいしいに違いない。さらに水田や池の中にはタニシがたくさんいるが、これは、フィリピン料理-クホール・サ・ガタ(タニシのココナツミルク煮)として一般に食べられている。

巨大カタツムリ発見 2012年12月28日


   ビコール地方は、年末年始のころは、まだ雨季で雨が多い。それが、この地方が緑豊かな理由なのだが、時折の晴間にはママ・ジェーンとジョギングで体重調整を図るKIAN。ママ・ジェーンは毎日、ジムに通っているが、農場にいると運動不足になる。早朝のヨガ教室で教わったママ・ジェーンのポーズにKIANがじゃれる。 最近は女性の間でもボクシングが盛んだが、やはりジムでトレーニングをしていると見えて、ママ・ジェーンのボクシングスタイルはどうに入っている。KIANは従兄弟たちを良く殴るが、どうもママが教えているらしい。農場には牛が3頭いるが、KIANが「モー」と声をかけても素知らぬ顔だ。 普段は家事で忙しいビアンカも25日のクリスマスは、リラックスして、他の子供たちとX‐BOXのダンスゲームを楽しんでいる。 KIANの姉のキムはキャノンの大きなカメラでKIANの写真を撮る。仕事でまだマニラにいるパパ・カーネルの指示で撮っているに違いない。普段見掛けないおおきなカメラに興味津々のKIAN。 カメラのフードを取り外して、カメラに見立てるKIAN。KIANにとっては何もかもがものめずらしい。今度は従姉のバネサがカメラを構える。KIANは写真を撮られるのが大好きだ。 ママ・ジェーンのスマートフォンを借りてゲームに夢中のKIAN。彼はすでにゲームのやり方を覚えて楽しんでおり、ママ・ジェーンによると相当な腕前だそうだ。ハイスクールのいとこ同士は、狭いメイド部屋にこもってテレビに見入る。狭いところで、寄り添っているのが大好きだ。 クリスマスの夜は、全員が集まってカラオケとダンス大会。この日訪れたプロ歌手のチェムチェム(ジェーンの従姉の子供、17歳)の歌声に合わせて、KIANがダンスを披露して、観客の大喝さいをあびる。インターネットが遅くて動画がアップロードできないので、モーションプリントをアップロードした。以前、紹介したが、チェムチェムは職業柄、この年で酒は行けるし、なかなかの悪だそうだ。 養鶏場の様子を見にKIANを連れていったら、強い雨が降って来た、KIANは大喜びで雨の中をはしゃぎまわる。KIANにとってはなんでもが楽しいようだ。 クリスマスイブに街に見物にでかけてみた。市庁舎の脇に道路には20軒近い花火屋が店を出していた。KIANが喜ぶと思い、大晦日用の花火を買い求めた。 市庁舎前の広場には電飾が全面的に施され、大勢の市民が憩っていた。 この時とばかりに小銭をせがむ子供達には、少々、うんざり。恒例のトライシクルの電飾は今年も健在だ。

子供達は農場で元気いっぱい(その2)2012年12月27日



韓国のガンナム・スタイルが世界的に流行している。ちょっと変わったダンスだが、子供たちが皆、夢中になって踊っている。フィリピンでも今、もっともはやっていると言えるだろう。韓国の大統領選でも、与野党の両候補がガンナム・スタイルを踊って、公衆に親しみやすさを訴えた。  12月20日に来比して、モール・オブ・エイシアで公演が行われることになっていたが、ガンナム・スタイルを踊っているサイ(Psy)本人が2012年12月21日は、マヤの予言する世界終末の日とあって、恐れをなして公演を中止したとのこと。マヤは彼の出現をホース・ダンスと称し、予測していたという(結局12月21日には何も起きなかったが)。  しばらく前に、オチョ・オチョと子供がお尻を突き出して踊る姿が街中を席巻した。2~3年前には、やはり韓国の歌で、「ノバディ・ノバディ・バット・ユー」のくだりで指で相手を指すしぐさがはやった。そして、現在は、このガンナムスタイルが圧倒している。KIANも負けずに、このガンナムスタイルが大好きだ。動画がアップロードできないのがまことに残念だ。 親バカ(あるいは爺バカ)といわれるかもしれないが、私はKIANをテレビに出演させようと思って、その筋に打診している。彼が踊り始めると、聴衆(家族や客)は大喜びで、テレビでもバカ受けすることは間違いない。  たったの2歳で、誰も教えないのに、曲がかかると自然に体が動いてしまうようで、この動きは尋常ではない。KIANは、まだ恥ずかしいと意識がないので、どこへ出してもきっと期待のパーフォーマンすを発揮してくれるだろう。ママ・ジェーンとしては、彼がこれをきっかけに将来、芸能人になったとしても、決してやぶさかではないとコメントしている。

KIANのガンナムスタイル 2012年12月27日


  最近、韓国の大統領選で与党候補のパク・クネが僅差で勝利した。かつて、韓国の独裁政権、朴大統領の娘だ。20代から父親をサポートして政界に入った超エリートだそうだ。   日本では、民主党の総崩れで、自民党が圧勝、安部政権が発足した。政治の話は苦手だが、自民党であろうが民主党であろうが、やることは同じだから、日本の向かう先はなるようになるしかないだろう。それに引き換え、民主国家の首脳は例外なく直接選挙で選ばれるので、意気込みが違う。  先に、アメリカはオバマ大統領が現職の強みで圧勝した。また、中国では習近平が総書記に就任し、トップの座についた。さらに、北朝鮮ではキム・ジョンウンが父、キム・ジョンウィルのあとをついだ。昨年はフィリピンの大統領にコーリー・アキノ元大統領の息子、ノイノイ・アキノが就任し、ロシアのプーチン大統領の返り咲きを含めて、日本を取り巻く国々の首脳がすべて交代した。そこで目立つのが2世首脳が多いことだ。韓国の朴大統領、北朝鮮の金正日、フィリピンのアキノ大統領の父親、ニノイ・アキノはマルコス独裁政権の宿敵だった。 さらに、インドネシアのスカルノ、ベトナムのゴ・ジンジェム、中国の毛沢東、ソ連のスターリンなど、日本を取り巻く国々は、第2次世界大戦後、ほとんどが独裁政権だった。こららの国々は独裁を脱却して以降、著しい経済発展を遂げているが、シンガポールのリー・カンユー、マレーシアのマハティールなどは独裁政権のもとにいち早く後進国・発展途上国を脱却した。さらに、現在、中近東では独裁政権打倒の嵐が吹きまくっており、やがて、発展途上国の仲間入りをするだろう。 幸い、独裁政権の恩恵(?)にあずからなかった日本はいち早く先進国の仲間入りをして、経済発展を遂げた。しかし、成長のピークを過ぎ、さらに3.11の深手を負って日本の経済は急坂を転げ落ちている。そんな状況で、自民あるいは民主どちらにせよ、特に歴史を背負うわけでもないこれらのサラリーマン首脳は、国の発展を背負ってたつ周辺諸国の首脳に立ち向かって、日本の国益を守り、あるいは日本を復興、そしてさらなる発展に導いていけるのであろうか。  一方、フィリピンは株価が毎日のように史上最高値を更新するという状況が続いている。庶民の生活に大きな変化はなく、スコーターは相変わらず健在だが、着実に経済が発展していると感じる。それのもまして、頼もしいのが若者そして子供が国中にあふれていることだ。日本では社会の仕組みからして子育てはできない状況に陥っているが、フィリピンでは、人口抑制法案がやっと通過したくらい、子作りの勢は止まらない。国の基本である人がいなくなったら社会はおしまいだ。フィリピンなら、誰が大統領になろうとも今後、逞しく生き延びていくだろう。そして、日本がフィリピンの後塵を拝する時が、いつか来るかもしれない。

政権交代の行方 2012年12月26日



いよいよ待望の農場生活が始まったKIANだが、11人いる従兄弟たちの訪問が絶えない。それに姉のキムとビアンカを入れて、女9人、男5人、合計14人の子供たちが農場に集う。最年長は17歳、カレッジ1年生のキムとバネサ、最年少は、同い年のジェルミー2歳とKIANだ。子供たちに君臨するのはもちろんKIANだ。  今年、ハイスクールに入学した13歳の従姉のアラインは、その強気の性格で、姉のアライサ(ハイスクール3年、15歳)もかなわない、クラスの嫌われ者だそうだ。しかし、従兄弟達のなかで最も将来が嘱望される美形だが、その強気のアラインもKIANの傍若無人振りには舌を巻いていた。  せっかくの自然に囲まれた農場なのに、子供たちの興味はもっぱらマイクロソフトとのX-BOXだ。アラインとバレリー(ジェーンの長兄ダシンの二女で小学校4年生、10歳)が演じているのがアルペン・スキーだ。二人で、どちらが先にゴールに到着するか競う遊びだが、X-BOXが彼らの動きをとらえて、画面に反映する。ジャンプをしたり、左右に体を動かして、いかにもスキーをしている気分になる。スキーなど見たこともないKIANは、従姉たちが一体、何に興じているのかわけがわからず、ただ、ひたすら観戦するのみだ。 畜産センターに鶏を買いに行った後、鶏小屋の準備などで待たされているとき、姉のキムを後ろに載せて、バイクの運転に興じるKIAN。KIANは車やバイクの運転が大好きだ。窓ガラス越しのKIANは私を見て歓声をあげて喜んでいる。 4日ぶりにヤヤ(子守)が農場を訪問した。久しぶりの再会にうれしさがこみ上げるのか、KIANの笑顔が絶えない。それ以上にうれしいのがヤヤで、重量級のKIANを抱き上げて離さない。  再びX-BOXを楽しむキムと従兄のチャールズ(ハイスクール3年生、15歳、長兄ダシンの長男)。今度は野球ゲームで、ピッチャーと打者が対戦するもの。投球、空振り、走塁など、やはり、本物の野球をやっている気分になれる。このほか、テニス、ダーツ、ゴルフなど、いろいろなスポーツを楽しむことができるすぐれものだ。実際に体を動かして、そのアクションでゲームに参加するなんて、その発想もすごいが、技術の進歩もすごい。今、ブームのアップルが発明したスマート・フォンあるいはアイ・パッドなどと並んで、かつて世界を席巻した日本発の文化、カラオケやウォークマンにも匹敵するものだ。 一方、農場にもインターネットがつながっている。数年前、スマート・ブロが使えるようになったのだが、その遅さに嫌気がさして、断念してしまった。しかし、現在は、その遅さも我慢できる程度に改善され、USBを買って差し込むだけで、30分で10ペソ、あるいは5日間、使い放しで200ペソと、実用に耐えるパーフォーマンスだ。KIANもYouTubeが大好きで、デズニー・ジュニアの動画に夢中だ。 ファームハウスのキッチンの外にはダーティ・キッチンと呼ぶ、第2キッチンが増設されている。メイドなどはそこで食事をするが、普段子供たちもそこで食事をとる。したがって、そこが子供達の憩いの場にもなっている。そこでKIANのガンナムスタイルが始まった。ママ・ジェーンがエキジビジョンと声をかけるとKIANが得意のポーズをとる。お腹の脂肪をタガログ語で「タミ」というが、誰かが、ショー・ミー・タミと声をかけると、KIANをふっくらしたお腹を出して、ベコベコと凸ませたり凹ませたりする。こんなパフォーマンスに大人たちは大喝さいだ。 ファームハウスには8人がけの大きなダイニング・テーブルがおいてあるが、14人の子供たち、それに大人4人を収容するには、もはや小さすぎる。イントラムロスのカーサ・マニラのスペイン時代の屋敷には20人くらい腰掛けられるダイニング・テーブルが置いてあるが、なるほどとうなずける。さらに、ビレッジの豪邸にはダイニング・ルームが二つあって、一つは6人程度の家族用、もう一つは10人以上座れるテーブルがあるが、これまた、うなずける。 この日は、数年間、私と農場で暮したジェーンの従姉の子供のデビナが訪問してくれた(KIANの右)。彼女がハイスクールのころ、私と数年間、農場で暮らしていた。現在、マミーの手伝いは、ビアンカに譲って、まだ21歳、働きながら大学に通い、妹を養う苦労人だ。 赤ちゃんが両目をつぶってウインクするのをビューティフル・アイズと呼んで天使の微笑みとして、大人たちを癒すが、KIANは片目だけをつぶるウィンクができるようになった。ちょっと顔つきは奇妙になるが、その瞬間をとらえることができた。 クリスマスイブの24日は、皆でおでかけ。14人の子供たちが1台の車でギュウギュウ詰めになっておでました。右がビアンカ(ハイスクール4年、つい先日17歳になったところ)、中央がアライサ(ハイスクール3年生、15歳)、左がバネサ(カレッジ1年生、17歳)のハイスクール3人組、ゴメスファミリーの子供たちの第一世代だ。  

子供たちは農場で元気いっぱい 2012年12月25日


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かねてから放牧養豚を目指して、農場の一部を塀で囲んで、準備していたが、いよいよ完成間近となっていた。道路側の柵が少し残っているだけだ。そこで、唯一の雇用人、農場管理マネージャー、ダニーの進言で、鶏を一緒に放牧することにした。地鶏の一種だが、大きいものは4~5kgにもなるカビアーという品種だ。ここでは地鶏のことをNative Chikenと呼ぶが、それはとても小さいが、カビアーのオスは堂々たる体躯を誇っている。 そこで早速、近所の県の運営する畜産センターに行った。そこには奨励品種であるカビアーの雛がたくさん群れていた。「45日」と呼ばれるスーパーで売られる鶏は小さな小屋の中で24時間電燈に温められ、生まれて45日で出荷される。人工の飼料と病気にならないようにビタミンや抗生物質を与えられて育つので、まるで工場で作られる食品のようで、そんなものに栄養滋養などは全く期待できない。  鶏は一日中、地面を突っついて草や昆虫など、いろいろなものを食している。それをやらせないと闘鶏は死んでしまうそうだが、逆に45日は屋外で飼うと死んでしまうそうだ。当牧場のモットーは自然飼育だから、そんな鶏の飼育には興味はない。人間は、自然の中で育った植物や動物を食することによって命の源を吸収するのだから、工場で作られたポテトチップやソフトドリンクばかり与えれた子供がまっとうに育つわけがない。  畜産センターには、その他に、七面鳥、ヤギ、羊、黒豚、などが飼育されていた。普通の豚はやはり屋根のある豚小屋で、人工の飼料を与え、雨の当たらないようにしないと育たないので、まるで45日と一緒だ。早く柵を完成して、2匹の黒豚の走り回る姿を見たいものだ。 ここで飼育されている羊はちょうど出産のシーズンで生まれたばかりの赤ちゃんが、母親の足にまとわりついていた。ちょっと驚いたのがダチョウ(オーストリッチ)が4羽飼育されていることだった。ダチョウの飼育は私も目指したのだが、死なせてしまって挫折した。それよりも黒豚やカビアーの方が堅実ではあると思う。しかし、初めてダチョウを見たKIANのはしゃぎ様は格別だった。 とりあえず7羽のカビアーを買ったが、捕まえるときは大騒ぎだったが、袋に入れられたカビアーは年貢をおさめて静かになり、トライシクルの後ろに括りつけて農場に運んだ。バンコックなどでは、生きたニワトリを市場で売っているが、鶏や豚は生きたまま運べば腐ることはないし、冷凍車なんていらないし、いたって経済的なのだ。 別のエリアに置いてあった鶏小屋を養鶏場に運ぶのは息子とダニーの二人だ。フィリピンの田舎では、民家を人力で運んで引っ越しするのを見かけることがたまにあるが、まさにそのミニ版だ。 翌日、牧場に放たれたカビアーたちは、早速地面をくちばしで突っついて、あの鶏、独特の習慣を一日中繰り返す。これが彼らの命の源なのだ。たったの7羽では、広い牧場のどこにいるのか見つけるのでさえ、容易ではない。そのため、翌日さらに12羽買って、合計19羽とした。オスが3羽にメスが16羽、この後は自力で数を増やして、牧場いっぱいになるまで頑張ってほしい。カビアーの餌は糠などで良いので、いかに餌を只で調達するかがカギだ。  以下、農場の風景を紹介する。    フィリピンに生息するカタツムリは巨大だ。長さは優に7~8cmあるが、これが有名なフランス料理のエスカルゴの原料かどうかは不明。ダニーの話ではこのほかに日本のカタツムリを数十倍にしたようなカタツムリがいて、それは食べられるそうだ。ゲートの近くのランカの木には、たくさんの実がなっている。ランカとは地上最大の果物で、栽培はいたって簡単。農場には数十本のランカの木が植えてある。  ちょっとわかりずらいが、シータオ(ロングビーンズ)と呼ばれる豆の木で、長さは1mくらいになる。バナナの木も大分育って、もうすぐ実をつけるだろう。  タガイタイから買い求めたパイナップルの苗木は実をつけるにはもう少々時間が必要だ。 水田は、田植えを終わったばかり。ビコール地方の12月~1月は、乾期の始まったマニラとは違って、雨がよく降るので、田植えシーズンなのだ。

養豚・養鶏牧場の完成 2012年12月24日